32.襲撃
26
「一日ぶりじゃな」
僕はいま、ダンジョンの二層にいる。先ほど“ジュエルアント”という無駄に煌びやかなモンスターの群れを倒したところだ。
一匹一匹、色とりどりのモンスターで、色によっては硬度のあるものもいたため、殲滅するのは大変だった。
そんな魔物と戦ったあとに唐突に声が聞こえてきた。
「いきなりなんだよ。驚くじゃないか」
もし、周りにだれかいたら僕は何もいない場所に話しかけている変な人だろう。
「そうじゃな。妾の姿はおぬし以外みえんゆえ、“だれかさん”の言葉を借りると“痛い人”になってしまうのじゃな」
会話が噛み合ってない。けれどそこに、僕の思ったことを入れれば噛み合っている。
「昨日からそんな気はしていたけど、心を読んでたりしてるのか?」
こいつは僕が口に出していないことを読んだかのような発言を何度かしていた。いまの発言もそうだ。
「独白がすぎるのじゃよ。台詞と台詞の間にいちいちはさんでいるところがくどい。そこはてんぽを重視して後でまとめてでもいいじゃろう? あと、こいつではなく、妾にはイラという名前がある」
言外に肯定をする発言。そして、僕の思考に文句まで言ってきた。
相変わらず上手く言えないカタカナ発音だが、魔法名とかどうしているのだろう。
「影魔法《戯け者の操影》」
そう思った途端にイラが魔法名を叫んだ。しっかりとした発音になっている。ただ、叫んだだけで周りに変化はない。
「くっ、やっぱり“だれかさん”の仕業で魔法名が変な風に訳されてるのじゃな」
イラは何かが確認できたようだ。魔法名の訳について確信したように結論づけている。
「その“だれかさん”って、誰なんだ?」
さっきから皮肉っぽく“だれかさん”と口走っているようだが、僕はその人物に全くの憶えがない。
翻訳に関わっていたりするならば、その人物は僕と同じ故郷を持った人かもしれない。
それならば、やはり興味を持ってもしかたない。
「そうじゃな、強いて言えば妾の宿敵かのう? コーキも知る人物じゃぞ」
――僕の知る人物? ますますわからなくなる……。
彼女は直接的な発言を避けているのだろう。アルのチェスのときもそうだったが、僕には言ってはいけないことなのだろうか。
「ふふ、これはある種の答えじゃからな。真実を知ったとき、そなたはどう動くか見ものじゃの。もっとも、それを妾が見られないことは残念じゃがのう」
なんなんだ。そもそも真実ってなんだ。わけがわからない。イラは何を知っているというんだ。
いや、違う。イラだけじゃない、アルだって何かを知っていたはずだ。知っていて隠していた。
それでも、僕に深く関係するようなことではないだろう。この世界にきて、まだ二週間と経っていない。ここでのしがらみなんてほとんどと言っていいほどないはずだ。
僕の目標は帰ること。試練に挑むほうに目がいってしまっているが、最終的に辿り着く場所はそこだ。
ならば、真実を知らなくたってたいしたことじゃないはずだ。
本当にいいのだろうか。
それでも、心を波立てるような一抹の不安がよぎる。
「どうやら、尋ね人がきたようじゃが、逃げたほうが賢明じゃの」
イラの声により現実に引き戻される。尋ね人とはいったいなんのことだと思いながら、周囲の様子を注意深く窺う。
いくら窺おうと、人の姿はどこにも見えない。代わりに見えたそれは人形。マリオネットのような、ただ、糸でつながれていない。黒いドレスを着た年若い女性を模してあり、膝くらいまでの背丈をしたそれ。
このダンジョンという環境に不相応なそれは、両脇から顎に伸びる線の入った口を動かした。
「少しいい? 私は人を探しているの」
流暢な発音。それがかえって不気味さを際だたせてしまっている。
「魔術人形じゃな。残っておったのか? にしても、趣味が悪いのう」
イラは感慨深そうにつぶやく。これがなにか知っているのだろうか。
というか、逃げたほうがいいっていうのはどういうことだ。
「あれは明らかに戦闘用に作られておる。詳しくはわからんが、あと数体、周りに配置されておるかもしれん。妾の経験からするとこれは、たぶん、爆発するのじゃよ」
イラがそう言い切った瞬間、人形が動き出した。動いたといっても、地面を歩いたわけじゃない。スムーズに、僕に向けて重力を無視して浮遊してきたのだ。
それはさながら、見えない糸に引っ張られているかのようだった。
呆然としている場合じゃない。
人形と接触する直前に地面を蹴り思い切り後ろに下がる。途端に前方から爆風を受け、かなり後ろまで下がってしまった。
人形は跡形もない。
――HP302/605――
まずかった。余波だけでかなり削られている。まあ、もともとの戦いでそれなりに減っていたから、たいしてダメージを受けたわけではない。
それでも、今の状態はまずい。最大値の半分にまで減らされている。
ここまで減らされたのも随分と久しぶりな気がする。アルのとき以来だろうか。ここにきてから今まで、安全策を取ってきたことがよくわかる。
「この人形って、なんなんだ?」
イラは魔術人形と言っていた。爆発することも経験からわかっていたようだし、きっと何か知っているはずだ。
「言った通り、魔力で動く魔術人形じゃよ。詳しい仕組みは創った本人たちしか知らないはずじゃな。八百年前に作られてからもう製法はわからなかったはずじゃが、おかしいのう」
失われな技術で作られていたものらしい。 魔術人形か。
魔法ではなく、魔術。これには何か意味があるのだろうか。
「それで、また襲ってきたりするのか?」
人を探していると言っていたが、急に襲いかかってくるのはひどい不意打ちだ。
「まあ、くるじゃろうのう。さっさと引き上げた方がいいの。あとは操っている本人を叩くのが一番じゃが、どこにいるかわからないことじゃし、ほぼ、無理じゃの」
やっぱり逃げるしかないのか。幸い、あの蟻たちを倒したおかげで、魔石もそれなりに手に入っている。
いま、逃げたとしても僕の計画に大きな影響はない。
「帰り道にいたりしないよな?」
来た道を引き返すことにする。それでも不安はつきまとうものだ。
「それはわからんのう。それに、おぬしは当たり前のように受け止めておるが、なぜ狙われているかも謎のままじゃよ?」
それなら大方予想できる。たぶん、指環を狙った“魔女”の刺客だろう。ダンジョンにいたという話は聞いている。
「なら、加護持ちの可能性が高いわけじゃな。……ん? あの人形に……加護……? それじゃあ、あれが引っ張り出されているわけか……」
なにか心あたりがあるのだろうか。独り言をつぶやいている。
人形を見たときに、趣味が悪いとこぼしていたが、それと関係があることだろうか。
記憶を頼りに一層への階段を目指していく。ダンジョンの構造は複雑で入り組んでいるのだが、なかなか迷わないようになっている。
階段から階段までの最短ルートは脇道に入らずに進んで行けばいい。分岐点があった場合、真っ直ぐに進めば辿り着けるのだ。
さらに、三つ以上にわかれる分岐点はない。この単純構造であるがために、普通は脇道に入ったとしても迷うなんてことはない。
もう少しで脇道から抜けられる。曲がり角に差しかかろうとした瞬間――
大きな揺れに襲いかかられた。
慣性により身体は取り残されるが、足だけが地面との摩擦により引きずられ態勢が崩れる。倒れまいと一歩踏み出し、バランスを保とうとする。踏み出した足が地面に着くが、感じられない抗力。平衡感覚の喪失。浮遊感に襲われ、吹き上げてくるような風を感じる。
いきなりのことで理解が追いつかない。
周りの景色がゆっくりと下へスクロールされているように見える。
嗚呼、そうか。落ちているんだ。いま、ようやく処理が追いついた。
じゃあ、さっきの揺れは地震だろうか。そんなはずはない。
ここはレフが造った場所だ。彼がそんなことで崩れてしまうものを造るとは思えない。
引き延ばされた体感時間の中、崩壊の原因を探る。
考えられるのは、僕を狙って下の層から床を破壊した。壁が壊れることもあるのだし、床を壊すくらいならできてもおかしくはない。
だけど、どうやって僕の真下を見事に破壊したのだろう。なにか特定する方法があったのだろうか。それとも仕込んであったのか。
もうそろそろ地面にぶつかる。果たして僕は落下の衝撃に耐えられるのか。重力魔法は使えない。衝撃を和らげる手段はない。
着地をする覚悟を決める。でも、上手く着地をする方法なんて知らない。大丈夫であってほしい。
地面に足が着く。そのまま膝を曲げ、屈み込んで、勢いを殺さないように前回り受け身へと繋げる。
完全に流しきれないエネルギーを受け、身体に痛みを感じる。
――HP098/605――
生きてる。なんとか生きてる。
高いレベルのおかげか受け身をとったおかげかはわからないが死ななくてよかった。
値は二桁にまでなってしまっているが、いまはそんなことがどうでもいいくらい、生きてることに感動している。
いったん落ち着こう。まだ危険は去っていない。まずは床を崩壊させた本人がいるか確認をしよう。
まだ力が入りにくいが、無理やりに立ち上がる。
動かすたびに、身体のあちこちに痛みが走る。もしかしたら、折れてなくてもひびくらい入っている骨もあるかもしれない。
なんとか立ち上がり、周囲を見渡す。周りには天井や床だったものだろうか、瓦礫が積もっている。
天井を見上げる。そこにはやはり、大きな穴があいている。
それにしても、僕の上に落ちてこなくてよかった。もし、落ちてきていたら、なんの対応もできずに潰されていた可能性が高い。
周囲に人影が確認できない。よく考えてみれば、ここに留まっていた場合、高い確率で瓦礫に潰されるのだから、いないのも当たり前だ。
それにしても、三層に来てしまったわけか。ここがどこかもわからないし、モンスターもおそらくは強い。残りすくないヒットポイントで僕は脱出できるのだろうか。
希望が湧いてこない。
もう駄目かもしれない。
とりあえず、歩こう。床を壊した襲撃者に会うかもしれないが、歩かない限り、なにも始まらない。
「大丈夫じゃったか?」
イラだ。
本当に心配そうに僕の安否を確認してくる。
「なんとか生きてる。でも、ダンジョンから出られるかはわからないくらいダメージを負ってる」
正直、歩くことでさえ辛いんだ。これで戦えと言われてもどうしようもできない。
「それでもまだ、もうひと頑張りしなくてはならないようじゃな」
ダンジョンから出るために、だろうか。いや、違う。僕以外の、土を踏みしめる、足音が聞こえる。それは徐々に大きくなっていき、近づいてきていることがわかる。
その足音の主はもう、薄明かりの中でその姿をはっきりと確認することができる位置にまで近づいて来ていた。
髪の色は銀髪、そして目の色は灰色、肌は血が通っていないかと思えるほどに白く、黒いドレスを着ている。
黒一色のモノクロームなコントラストで、絵画のような。まるで現実味のない。
さらに、その創り物めいた、人形のような風貌は、いっそうに現実味のなさを引き立てている。
ただ、その色のないなかで、ひとつ目立つものがあった。
それは左手にはめられた人形で、彼女の外観では、ゆいいつ色彩が見受けるられる物だ。ローブ姿をした人形なのだが、覗く目や髪の色は茶色。
この世界で平均的な色である。
人形といえば、彼女は、さっき僕を襲った人形にそっくりだ。さっきの人形は彼女をモデルに創ったのだろうか――
――ステータス
Lv38
名前:セリシア・ロメイキッド
HP344/345 MP426
筋力:10.4 体力:06.9 知力:19.9
速さ:07.4 技量:37.3 魔法:37.6――
――適性
■:89.9――
――スキル
人形制作:86.5 絡繰:78.8 並列操作:42.3
■■魔法:82.2――
――加護
傀儡師――
ステータスを確認する。
レベルが高い。ちょうど僕の二倍くらい。
けれど、筋力、体力、速さにおいては僕のほうが勝っている。知力は少し高い程度。
そのかわり、技量と魔法の差がかなり開いてしまっている。
加護には『傀儡師』と書いてある。人形を操るあたりがそうであろうか。
昨日、レイズさんの言っていた知り合いというのは彼女だろう。
一通りステータスに目を通したのだが、魔力を持っている点も気になる。また、それ以上に適正とスキルがおかしい。■は上手く表示できていない文字化けみたいなーー
「――? なっ!? コーキ! あれをレフと会わせたら不味いことになる! 急いでこの街から放りだすのじゃ!」
突然、イラが焦燥感を感じさせられる声で叫び出した。いったいなんだって言うんだ。
「はじめまして、私はセリシア。先ほども言ったけれど、人を探しているの。協力してもらえない?」
人形を持った彼女からはゆったりとした口調で告げる。
間違いない。さっきの人形と同じ声だ。
「さっきもそう言って襲ってきたけど、なにが目的なんだ?」
魔女の刺客、と言うならば〔闇の指環〕が目的のはずだ。なのに人を探しているというのはいったい。
「襲ったのは、そっちのほうが手っ取り早そうだったからだから」
なにが手っ取り早い。意味がわからない。
それでも、ひとつだけわかったこと。それは彼女に戦意があるということだ。
「のんきに会話してる場合じゃないんじゃぞ! 妾が全力でさぽーとする。なるべく早く倒すんじゃ!」
イラが助力を申し出てきた。はっきり言ってこれはありがたい。
今の僕だけでは彼女に勝てる気がしない。だが、イラの助力をもらったからといって、勝てるかもわからない。
彼女は右手を突きだし、指を引く。すると、四体の人形が前に躍り出てくる。
「精神魔法《顧みない愚かな錯覚》」
同時にイラが魔法名を叫ぶ。
その魔法の効果だろうか、身体の痛みが引いていく。
「過信してはならぬ。ただ痛みを感じさせなくしただけじゃからな」
ただの麻酔というわけか。それでも、痛みて動きが鈍らなくなるぶんありがたい。
腰の鞘から剣を抜く。
剣からは癒しの力が伝わってくる。これなら少し無理をしたって大丈夫そうだ。
お互いの準備が整い、これから戦闘が始まるのだった――
前の投稿がかなり昔に感じられます。次は早く投稿できたらいいなあ……。