2.出遭い
3
「――っ!」
緑の虎のような獣に睨まれた。
木の陰に隠れているつもりだったこちらを、注意深く窺ってくる。
出来ればこのまま何もせずに、何処かに去って行ってもらいたい。
そんな僕の願いが叶うことはないだろう。
相手はどうやら戦う気満々のようだ。ギラギラとした眼で僕を睨んできている。
恐怖により少し腰が引ける。
こうなったら、覚悟を決めるしかない。負けじと虎を注意深く見る。
すると――
――rank11
monster:フォレストタイガー――
「――えっ!?」
虎の上に文字が浮かんできた。
なにが起こっているのか、予想外の自体に逡巡する。しかし、それを待ってくれるほど、敵は優しくなかった。
こちらを屠らんとばかりの前足の一撃が迫ってくる。
「うわっ――!」
それを間一髪のところで避ける。
僕の隠れていた木の幹が砕かれてしまっていた。
避けなければ、僕もあの木の幹ごと粉々なってしまっていただろう。
相手は手負いのはずだ。それなのに、この攻撃力はなんだ。
もし、万全な状態だったら、一体どれほどのものだったのだろうか。
考えるだけでも嫌になるが、そういう状況もあり得たのだ。
あの四人組には素直に感謝しなければいけない。
というかだ。あの盾を持っていた人は、この攻撃を受け流していたはず。
その技術には、今の僕は感服することしかできない。
正直、虎もといフォレストタイガーさんには、この手負いの状態でも勝てる気がしない。
当たり前だろう。なにせこちらは、まともな戦闘経験も無く、武器さえも持っていない。
それに加えて、この素早さ。
わかっている。逃げることは許されない。背中を向ければきっと死ぬ。
幹の砕かれた木が倒れていく。
改めて、フォレストタイガーさんがこちらへと目標を定めていた。
その前に、何かないかと周囲を見渡してみる。
――あった……!!
剣が一つ落ちている。あの男たちのどちらかが落としたものだろう。
だが、それを見つけた瞬間に、もう一度、フォレストタイガーさんの一撃が僕を襲う。
しなやかな身体を駆使した攻撃で、圧倒的な速さで、僕を襲う。
そのはずなのに、見える。
その動きが、僕の目を通して、光として、細部まで伝わってきていた。
どこに攻撃がくるのか、それがほんの僅か見ただけで理解できてしまう。
けれどそれを不思議と思う暇などない。その口で僕の首を噛み砕こうと、もう迫ってきていたからだ。
全力でその攻撃を避けようとする。
ただ、理解できたところで、避けられるとは限らない。
もう必要最低限の動きをするしか方法がない。時間がない。
脚、腕、胴体。さらには指先まで、至る所の筋肉を使い、呼吸を合わせ、神経をすり減らし、避けることだけに頭を回す。
まさに紙一重。
使える全てを使った回避。その攻撃をかわすことができた。
けれど、まだ安心している場合ではない。
僕は急いで剣を拾いに走る。
それに大してフォレストタイガーさんは体勢を立て直す。無防備になった僕へと、今度は勢い良く体当たりを仕掛けてくる。
それでもなぜか、今度は荒い。立て直しが上手くいかなかったのだろうか。
ならば、そこに付け込んでいく。無理な体勢だとわかりながらも、勢いよく剣へと飛び込む。
その体当たりの孕む風圧を受け、内心で冷やっとする。
剣を手に取り、そのまま前へと転がっていく。無理矢理受身をとり、体勢を立て直した。
けれど、僕にこの剣を使うことができるのであろうか。いままでは刃物なんて、ハサミかカッターナイフ、良くて包丁くらいしか持ったことはない。
いや、今更そんなこといってもどうにもできない。考えを振り払った。
覚悟を決め、剣を強く握る。
それと同時に、体当たりを外してしまったフォレストタイガーさんが動く。
攻撃方法は、前足から繰り出されるネコパンチ。その字面ほど優しいものではなく、一撃一撃に死の危険が内包されていた。
顔をめがけて横薙ぎに振り払われた前足。上体を軽く反らす。頬を擦った。血が流れる。
剣を振り下ろそうとする。今度は違う前足が突き出される。間に合わない。攻撃を中断。左足を一歩引く。脇腹を掠めた。
さらにもう一撃が襲う。回避ができない。剣の腹で受ける。手が痺れる。まずい。
「うぐ――っ」
数メートル吹き飛ばされた。けれど、意外だ、気力を振り絞った僕は、剣を手放さずにいた。
フォレストタイガーさんは止めとばかりに、大ぶりな攻撃を繰り出す。
手が痺れて痛いままだが、泣き言は言ってられない。
必死に体勢を整え、攻撃に備える。
その襲いかかる攻撃。
なぜかその攻撃の照準、軌道、さらにはそれに対してどう動けばいいのかという対策さえも、既視感とともに理解できてしまう。
目標は僕の首。全力でしゃがみ込んで潜り込む。
もうここしか機会はない。
「うおぉおおお!」
剣を喉元に突き立てた。
肉に刺さる不快な感触。
飛び散る鮮血。
痛みからか、フォレストタイガーさんは動きを止める。
その隙に力任せに剣を抜いて、フォレストタイガーさんから離れていく。
血の流れる勢いは増した。勿論、返り血も浴びてしまった。
力なくしたフォレストタイガーさんが倒れていく。
一瞬も気が抜けぬ攻防をせいしたのは僕だった。だが、何か要素がひとつ違えば倒れていたのは僕の方になっただろう。
戦いに勝ち、安堵したからか節々が痛みだした。攻撃を剣で受けたからか、特に腕が痛い。
痛みと安堵により僕は剣を手放す。
正直、僕が勝てるとは思ってもみなかった。激闘の果てに、今回の敵に目を見やる。
僅かばかり息が通っているが、もうこの出血量では反撃はできないはずだ。
その証拠に、フォレストタイガーさんの眼から光が消えていく。
「えっ……?」
だが、それと共に不思議な現象が起こる。
フォレストタイガーさんの身体が光の粒となり消えていく。
飛び散った血液は、僕の服にかかった返り血は、蒸発し、いままでの戦闘がなかったことにでもなるかのように消えていく。
そして、その現象と共に、節々の痛みは和らぎ、身体が少し軽くなる。
そこには何も残らない。そう思ったが、違った。
そこには刺さっていた矢が数本。そしちい、深緑の、半透明の、掌に収まるサイズの、綺麗な石があった。
その石を手に取る。何か引き込まれるような美しさがあり、つい見入ってしまう。
「なんだろう、これ」
そして、その石を『視る』――
――〔深緑の魔石〕
密度の高い木属性の魔力の塊――
どうやらアイテムの詳細がでてきたようだ。
フォレストタイガーさん。名前にこそフォレストと付いていたが何処に木属性の魔力要素があったのだろう。
色くらいしか考えられない。
もしかしたら僕が見始めた頃には既に魔力切れだったのかもしれない。
いや、でも咆哮が聞こえてから、すぐに観戦し始めていたはずだ。
もう、気にしないことにしよう。
虎の名前や、石の詳細を『視る』ことが出来た。もしかしたら――
――ステータス
Lv05
名前:透馬 虹輝
HP:103/160 MP:0
筋力:02.4 体力:03.2 知力:04.6
速さ:03.8 技量:04.2 魔法:05.1――
――適性
なし――
——スキル
剣術00.1 見切り01.2――
――加護
識別の目 異邦人――
自分のステータスが現れた。
比較対象がいないため、高いのか低いのかよく分からない。
けれど、おそらく加護にある『識別の目』というののおかげでステータスやアイテムの詳細が『視る』ことができたようだ。
あのフォレストタイガーとの戦いで度々感じた予測めいたものは、このスキルにある【見切り】の効果であろうか。
こんなのまるで、ゲームだ。
「エイチピーってなんだよ!? 生命力なんか数値化できるわけがないだろ! それともなんだ? ゼロになったらさっきのフォレストタイガーみたいに消えるのか……!?」
ふざけている。
ゲーム自体、勧められてやっていたくらでしかない。
だが、本当にそんな仕組みであるのなら、そうとしか言いようがないはずだ。
「そうだよ」
どこからか幼い声が響いた。
非現実的な展開に理解が付いて行かず、取り乱していたら、予期せぬ返答が帰ってくる。
「誰だっ――!?」
せわしなく、眼球を動かすことで音源を探そうとする。
そうしていると――
「ごめんごめん。驚かすつもりはなかったんだよ。別に危害を加える訳じゃないから、警戒を解いてくれないかな……?」
がさがさと、音を立てながらばつが悪そうにくさむらからでてくる子供の姿があった。
身長からすれば小学校高学年くらい、少年とも、少女ともつかない中性的な顔だちで、肌の色に近い薄い黄色の髪に、黄色い眼をしていた。
今更、会話が通じる程度で驚いたりしない。加護にあった『異邦人』でも発動しているのであろう。
「子供……? こんなところに」
こんな猛獣のいる危険地帯。それも一人でいるなんて、信じられない話だった。親はなにをしているのだろうか。
「ふふ、確かに僕は外見は子供だけどね。もう千年以上はこの世界を見てきたんだよ」
にはかには信じられない話だった。けれども、僕の理解の範疇を超える出来事はもういくつも起こっている。頑なに否定するのは今更な気がした。
「そうだ、なあ。人間も死んだらさっきのフォレストタイガーみたいに消えるのか?」
単純に感じた疑問だ。
その子供は優しく微笑んで答える。
「それは違うよ。寿命や病気で死んだ人はちゃんと死体が遺るんだ。それより、こんなに悠長に話してても良いのかい? もうすぐ日が沈むよ? ……それとボクはこんな姿こそしているけれど、結構な歳なんだよ」
かなりの量の情報が一挙に告げられる。確かに日が沈めば森の危険性はあがる。
そうと分かれば、確かにこんなところで悠長に話しをしている暇は無い。
「そうだな――」
そう思いさっきの四人組が徹底していったであろう方向に進もうとすると――
「ま、待ってよ。せ、せめて自己紹介くらいして行こうよ」
この子供はあわてふためきながら僕にそう言ってくる。
行ってほしいのか、行ってほしくないのかはっきりしてほしいものだ。
「でも、急いだ方がいいという感じの発言をしたのはおまえだろう?」
少し面白くなってきたので追撃をかけてみることにした。
自分の言っていることの矛盾に気がついたのか、口ごもりながら答える。
「うぅ……。た、たしかにだけどぉ……」
涙目で、上目遣い。少し可愛いが、なんだか可哀想になってきた。
――少しやり過ぎたか……。
僕の小心者的罪悪感が刺激される。
「まあ、自己紹介くらいならいいか。僕の名前は透馬 虹輝だ」
これ以上やっていても話しは進まない。自分から自己紹介を始めるべきだろう。
決して、可愛い仕草に絆されたわけではない。多分。そう信じたい。
僕が自己紹介を始めたことにより、機嫌を直す。
今では花が咲いているかのような満面の笑顔を浮かべている自称高齢の子供が呟く。
「コーキか、良い名前だね。コーキ、コーキ、コーキ……」
そう何度か僕の名前を繰り返した。
「じゃあ、今度はボク番だ」
片目を瞑むって合図をした後、一呼吸置き、子供はようやく口を開く。
「ボクはアル。この“樹海の番人”をやっているんだよ」
そしてそう、仰々しく言い放った――