1.森の中に迷い込む
1
「眩しい」
頭上から差し込む目も眩む木漏れ日、鼻腔をくすぐる草木の香り、気が付けば僕は森の中に居た。
何が起こったのかよくわからない。
さっきまで確か自分の部屋に居たはずだ。けれど、何故か、靴はスニーカーだ。
混乱してよく回らない頭を無理矢理回し、現状の理解に勉める。
こんなこと僕の常識では考えられない。いや、僕の常識だけではなく、誰の常識でも考えられないだろう。
僕を誘拐して森に置いてきたのか。だとしたら、それになんの利益がある。
靴を履かせる意味だってわからない。
いくら考えたって、わからないものはわからない。とりあえず、現状の打破としてこの森からの脱出から考えよう。
「何か持ってないかな……?」
今は持ち物から確認することが懸命だろう。そう思い、ポケットのなかをまさぐる。
だが、僕は自分の部屋に居たのだ。たいしたものを持っているはずもなく、なかに入れっぱなしだった十円玉数枚あるだけだった。
「何もないなあ……」
せめてスマートフォンくらい入っていればと思う。持ち歩いていなかったということは、おそらく充電中だったのだろう。
くだらないものしか手元にない。絶望的な状況だった。
僕一人ではなにもできない。助けを求めるべきなのは確かだ。
森を抜けて人里を探すか、通りすがりの人に声をかけるか。
今、立っている場所は、お世辞にも道とは言えず。進むには雑草を踏み付け、木々を掻き分けていなかければならない。
僕はとりあえず、道を探すために歩きだした――
2
「疲れた……。喉が渇いた……」
あれから、何時間か歩いたが一向に道が見つけられる気配がない。整備をされていない道は、体力の消費を加速させている。ただ無為に労力と時間を浪費しているように思えてくる。
歩いているなかで見慣れない小動物や、昆虫を見かけたため、ここが外国という可能性がでてきた。
言葉の壁は厚い。無論、僕は母国語である日本語しか話せない。
英語の成績も悪くはないのだが、会話ができるレベルかというと、首を横に振らざるを得ない。高校生なんて大体こんなものだろう。
「もっと、英語勉強しておけばよかったかな?」
そんなことを呟きながら歩いている。
けれど、水が無いこの状況。いつまでもつかわからない。人間は水無しで三日間くらいは生きられるらしい。けれど、それまでに助けてもらえればいい。
幸いにも、獰猛な野生動物には、いまのところで会ってはいない――
「ヴォオオオオ!」
突如、進行方向から獣の咆哮が響いた。
咄嗟に立ち止まる。身がすくむ。
なにかに対して威嚇をするような鳴き声だった。
僕は必死に頭を動かす。
威嚇をするということは、その咆哮の主はある程度の脅威を持った相手と出会ったということだ。
そして、僕は一縷の希望をこめて、声のした方向へ歩き出す。
限界だった。
気が付けば、どこか知らない森の中にいて、何時間も道なき道を歩き続けた。見かける
生物は見たこと無いものばかり。ここがどこかわからない。
そんななか、他愛もないことを考えながら不安を押し込めていた。
それでも、冷静に考え直せば、その可能性が、助けてもらえるという可能性が限りなく低いということはわかっただろう。
けれど、僕はその咆哮の主の相対した害敵が、人間だという確率にすがりついたんだ。
息を殺し、足音を立てないように進んでいく。
木陰に隠れ、身を潜め、その咆哮がしたであろう付近を確認する。
なるべく気取られないように様子を見れば、そこにはやはり、おそらく獰猛であろう風貌をした野生動物がいた。
二メートルをも超える巨大な体躯を誇る、おそらくネコ科であろう生物が目に入る。
この動物は僕のどの知識にも当てはまらない。
だって、僕の知っているネコ科の動物に体毛が緑のやつなんかいない。
「――くっ……!」
そして人の声がする。僕以外の人の声だ。
歓喜にも似た感情が湧き上がってくる。だが、そこにはまた、僕の常識を真っ向から否定するような光景が、広がっていた。
一人の男が、左手に剣、右手に盾を持ち、その緑色のネコ科の獣と渡り会っていた。
盾を動かし、獣の前足の攻撃をいなしながら、もう片方の剣で反撃を試みている。
しなやかな動きで獣はその攻撃を躱し、それは空を切ってしまった。
それだけではない。
その後ろから、弓を番え、仲間に当たらないようにタイミングを測り、矢を射る男がひとり。
矢は獣へと当たる。
獣はそれだけでは大して動きを鈍らせはしないが、出血を伴っているのは確かだ。いずれそれは大きな損害となるはずであろう。
剣を使い、その生物に一撃離脱を繰り返す男がひとり。
隙を見つけ、獣に向けてその剣を振りかざそうとしているが、いまいち攻め切れていない。
その攻撃の直前に気取られてしまい、決定打が与えられないままだった。
そして――
「土魔法〈ロックバレット・レイン〉」
澄んだ女性の声が、世界に溶け込むように響いた。
おそらく、パーティーの最後尾に陣取るローブを着た女性だろう。
その声と共に奇跡は起こる。
大地から削りだされた大量の岩が弾丸を形作り、雨のように敵対する生物に襲いかかる。
信じられない光景だった。
フィクションの作品でしか見たことの無い装備に身を包んだり人間達が、見たことの無い巨大な虎に大立ち回りを演じる。
それだけなら良かった。
世界には色々な民族がいるはずだ。世界中を探せばきっと、どこかにそんな人たちがいると無理やりに納得できたからだ。
だけどもう、それはできない。なぜなら最後に、魔法のような攻撃をつかっていたからだ。
ゲームのムービーのような光景。
その全てが僕の許容量を超えていた。自分のなかの常識が音をたてて崩れていく。そんな気さえした。
ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
弱った虎にとどめを刺そうとしたのだろう。一撃離脱を繰り返していた男が虎に近づき剣を振り下ろそうとする。
窮鼠猫を噛む、そんな言葉を思い出した。虎は弱っているとは思えない速さを見せ、男を弾き飛ばす。男は防御姿勢こそ取ったものの剣を落とし勢いよく吹き飛び、後ろの弓を持った男を巻き込んでいった。
更に、盾を持った男が、吹き飛ばされた男に気を取られる。獰猛な目はその隙を見逃さない。虎の攻撃を受け吹き飛ぶ。
驚くほどにあっけない瓦解だ。
これでまともに動けるのは、後ろのあの魔法を使った女性のみ。
獣は、もう動けない男たちに興味を失ったかのように、その女性を睨みつけた。
その女性は、周囲を見回していく。
その獣と女性との距離はまだかなり余裕がある。その間に状況を確認しようということか。
そして、そう、隠れていた僕であったが、こちらが見ているということは、あちからも見えるということ。僕の方向で、目線が固定された気がした。ほんの一秒も経たない間だが、目があった気がした。笑いかけられた気がした。
だがそれも一瞬、彼女は目の前の獣へと向き直る。
「まずい……かな。てったい、てったい! 土魔法〈サンド・スモーク〉」
ローブの女性の魔法により砂煙が舞い上がり、視界を塞がれる。原理はわからない。風もない。しかし、森を砂が包み込んだ。
晴れた頃には、もう四人の姿はそこになかった。潔い、見事な撤退だった。
けれど、そうして非常にまずい状態におちいってしまう。
現状、僕は助けを求めることに失敗してしまった。いや、失敗もなにも、あの獣と戦っている時点で飛び出していくのは考えられない。失敗と言うのであれば、ここに来てしまったこと自体だ。
もうこうなれば、僕がここにいる理由はなくなったはずだ。
気取られないように、一刻も早くこの場を離れるべき。
そう思った矢先だ。
そのネコ科の緑色をした、巨大な体躯をした獰猛な野生動物が、こちらへと顔を向ける。
その目は明らかに、僕を睨みつけていた。
――どうやら僕は、隠れきれていなかったようだ。
初投稿です。拙い作品ですが、改善点などがあれば、遠慮せずにじゃんじゃんお知らせください。