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「これ、近うよれ」
気の抜けた高い声が耳を掠める。
「失礼致します。こちらが例の品でございます」
「うむ、苦しゅうない」
差し出された物を受け取り、食い入るように見つめる大きな瞳。
重たい雲の隙間から射し込む冬の陽射しにミルクティー色の髪の毛は天使の輪を作ってキラキラと輝き、パーマのかかった長い髪はいやでも目に入る。
君は可愛い。
「んーかおは興味ゼロー」
「ですよねー」
典型的なぶりっ子でなければ君は可愛いよ、本当に。
寝る間際に投稿した、初めての日記。
投稿してから五分も経たずに、携帯電話にメールが届いた。
【CD明日持ってきて☆】
友人からのメールは非常に簡素で、要件だけを述べたものだった。
小さく溜息をつき、購入したCDが傷つくことがないように教科書と教科書の間に挟み込む。
学校は携帯をはじめ、私物の持ち込みが禁止されている。それを守っている者はほとんどいないが、表向きはそういう校則がある。もし見つかった場合は、没収をされるらしいと風の噂で聴いたことがあるが本当のところはどうなのか。しかし、大事なCDが取られる事態だけは絶対に避けたい。
その大事なCDを片手で掴んで、適当な扱いをする友人の手元を見てハラハラする私。
こら、絶対に落とすなよ。
「運命の出逢いとか言うから期待したのにー」
「それはそれは運命の出逢いでしたよ」
「あっ、そー。メンバーに女の子もいるんだねー」
「可愛い子だよね」
「かおには負けるけどねー。ギター?」
「一人でベース弾いてる。しかも指弾きをしちゃうんだよね。それがかっこいいのなんのって」
「あーもういいよー。かおは興味ゼロー」
「ですよねー」
デジャヴか。
「流行りの曲ばかりしか聴かない佳織が興味持つなんて珍しいとは思ったけど」
「興味があるのはハルにだけ。他は興味なしー」
可愛い顔で私に微笑みかけくる彼女。仕方ないなというように私も苦笑いをする。
青沼佳織。彼女は私の唯一の友人だ。
中学校が同じで、高校も佳織が私と同じ高校を選び進学してきた。
中学校時代、彼女とクラスメイトになったことはない。
しかし、あることがきっかけで佳織から話しかけてきた。それから一緒にいるようになった。
親友とは言えない。そんな気心が知れた仲ではない。本音はお互いに出さない。
でも肩を張らずに自然体のままで付き合える関係。持ちつ持たれず、気の合う友人同士というのは良く言い過ぎている気がする。
言うなれば、“同じ穴のむじな”。
座学ばかりだった午前中の授業が終了し、今は昼休み。
植物が綺麗に植えられた花壇がある屋上の温室。
教室がある南校舎ではなく、図書室や保健室などがある北校舎の屋上に小さく庭が造られていた。
どうやら理事長が趣味で始めたものらしい。
小さなプランター一つから、どんどん拡張していき今では十畳ほどの広さの温室になってしまった。
育てやすい多年草から、今ではトマトやナスなどの野菜まで植えられている。
どこかの畑ですか? と言いたいぐらいの理事長色に染まっている花壇に周りを囲まれながら、その真ん中に設置されたベンチに腰を下ろし母が作ったお弁当を毎日広げていた。ちなみに佳織は売店で買ったものが多い。
植えられているミニトマトは赤く色付き、それがあまりにも美味しそうなので食べてしまおうかと何度思ったことか。
そんなことを佳織と話していたとき、サングラスをかけた農作業着のおじさんがこっちを凝視していたことがあった。
あまりに怪しい風貌で少し身構えたが「コンニチハ」と挨拶すると、ハッハッといきなり笑い出し「よしよし!」と笑顔で言って、花壇をいじりだした。
それを様子を見て怪しい用務員のおじさんだと二人で結論付けたが、後々、理事長であることが判明。
あのときのミニトマト、食べなくて良かった。
佳織とは一年の時は別のクラスだったが、二年のクラス替えで一緒になった。
だが、入学した当時から昼休みはここに来ている。ここは教室の喧騒から逃れるにはもってこいの場所だった。
私と佳織はクラスで浮いている。それは二人とも理解していて受け入れている。
佳織はあのぶりっ子のせいで周りが受け入れにくく、私は人見知りのせいで馴染めない。
それでも私たちはよいと考えていた。
高校生活は通過点でしかないのだから。
大人になるための、通過点、それだけ。
だから余計な戯れもしないし、人のことを気にかけたりもしない。そう二人で決めていた。
だがその分、大学では変わろうと。「大学デビューしてーハジけてー遊ぶのー」と佳織は意気込んでいたけど、私はそれにもあまり興味がない。
同級生の輪にいるのは少し息苦しい。二人きりになってしまったときには窒息するのではないかと感じてしまうときがある。
今はこのままでいい、このままがいい。
家と学校と塾と。そして土日にバイトに出かけるこの暮らしが丁度よかった。
適度な人間関係が一番楽だ。
このまま高校生活が終わりを迎えてくれたら、高校時代は幸せだったと大人になったときに思える気がする。
手元の弁当に入っていた卵焼きを頬張りながら考えていた。
あー今日もお弁当が美味しい。幸せだなぁ。
「それにしてもー日記を投稿するなんてどういう心境の変化?」
「へっ?」
唐突な質問に驚き、唐揚げを落としそうになってしまった。
大好物がお陀仏になるところだった、危ない危ない。
「あれー動揺? 何かあったのハルー?」
「特に何もないよ」
佳織にヤエのことを話す気はまだない。彼女は知っているから、以前の私を。愚かだった自分を。
きっと心配する。だからまだ話さない。
「何かあったら話してねー」
「ありがとう、佳織もね」
そういうと彼女は嬉しそうに微笑んだ。
多分、解っている。何かあったんだろうなということぐらい。
それでも佳織はそれを無理やり聴くことはしない。私が話すまでずっと静かに傍にいて待っている。
そんな彼女の優しさが好きだ。安心できる。
「それにしてもー」
「ん?」
「まだ悪足掻きするんですかー? かおは無駄だと思うけどなーその努力」
「……………」
私が持っている牛乳のパックを見ながら、口に手を当ててニヤニヤと意地悪そうに佳織が言ってきたので、空になった牛乳パックを投げつけた。
あと少しというところでヒラリとかわされ地面に落ちる。
チッとわざとらしく舌打ちをする私を見ると、さらに笑みを深めて私の目の前に立ち上から見下ろしてきた。
164cmの佳織。そしてベンチに座り更に小さく見える148cmの私。
そういうところがなければ本当に可愛いのに、残念な子ですね佳織。
「CDは貸してね」
「いいけど、理事長もここに来るみたいだし早くしまって。それとCDは丁寧に扱ってください」
「ハルはCDのことになるとうるさくて、きらーい」
「そうやって前に一枚ケース割ってるんだから、本当に大事にして。丁寧に慎重に」
「はいはーい。わかりましたーわかりましたーうるさーい」
いつもと同じ昼休みの風景が通り過ぎていく。
温室の外の空は先ほどよりも薄暗く、今にも白い溜息を降らそうと更に重さを増しているように見えた。