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魔の視界

掲載日:2026/04/10

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ……ん、そろそろお湯が沸いたかな。

 最近はどうも、湯気をもくもく吐くのをのんきに待つ気になれなくてね。じわじわ鍋が音を発するようになると、早くアクションを起こしたくなっちゃう。

 人間、若くても年をとっても、せっかちなときはせっかちになる。待つ身っていつになってもつらいもんだ。待たなきゃいけないときに、待てないのもそれはそれで問題だけどね。

 いったいどこで待った方がよく、あるいは待たなくても平気なのか。

 こいつは自分の経験によるところが大きい。どこまでなら自分に被害なく終えることができるか。その見切りは経験者にのみ許された技術のひとつだろう。


 ――インスタントコーヒーには、何も入れなくていい?


 ああ、お湯お湯。いい加減に面倒見ないとね。

 こーちゃんは昔からブラック好きだよなあ。僕はミルクなり砂糖なり入れないと、どうにもコーヒーをなかなか飲めなくって。こだわりがないから、たいていインスタントで済ますのだけど。


 どうだい、けっこう苦いだろ? 僕の知っているインスタントの中でも、一番に苦いやつを選んだつもり。ちょっとは刺激になるといいけど。

 で、こーちゃんの新しいネタの話だっけ。そうだなあ……さっき湯気の話をしたし、湯気にまつわる話でも提供しようかな。


 湯気のゆくえって、こーちゃんは真剣に追いかけたことはあるかい?

 科学的に湯気は、目に見える白い煙状の水滴のこと。水蒸気とは完全にイコールとはならないな。水蒸気は気体の姿になった水であって、目視することはできない。

 空気中で冷やされたがために、本来は目に見えないものが見える状態になっていったもの。そう考えると、ちょっとロマンを感じないかい?

 目に見えないからといって、それが存在しないわけではない。スピリチュアルなものに触れるときは、根っこに置いといてもいい考えだと、僕は思っている。

 しかし、すべてを明らかにできたとて、それをいっぺんに受け止められる人間ばかりとも限らない。段階を経ていかなくては、突然の大ショックに錯乱してしまうかもだしね。

 中には湯気を介してあらわれる、妙なものもあるのかもしれない。


 その休みは久々に、子供だけの留守番となった。

 僕としては昼、もしくは午後までうだうだと布団にくるまっていたかったのだけど、朝っぱらから妹が断続的に立てる音に気が立っていた。

 お湯を沸かしている。妹はお湯を沸かすのに、やたらとヤカンを使いたがるうえに、あのピーピー鳴くタイプなんだ。寝ている身としては、「うるせえ!」以外の感想が出てこない。

 部屋の戸を閉めようが、シャットアウトには程遠く。やむを得ず起き出して、文句のひとつでも食らわせてやろうと思ったのさ。


 台所の引き戸を開けるや、顔面に浴びせられる湯気。ぶふっとせき込みながら、後ずさるところへ


「あ~、アニキ発見! とつげき~」


 などと、頭からタックルをかましてくるのが5つ下の妹。

 ざけんじゃねえぞ、このちんちくりんが~と、襟首つかんでストップをかけんとする。

 が、いつもはすぐに間合いを離す妹が、今回はじっとこちらを見上げてくる。顔は洗っていないし、目やにがついているとかほざいたら、今度こそはったおしてやろうかと思ったが、意外な指摘があった。


「ねえ、アニキの後ろに誰がいる?」


 ファッ!? とつい声が出ちゃったよ。家には僕と妹しかいないはずだし。

 後ろを振り返っても、そこにはいつも通りの家の壁があるだけ。

 このやろ~、おどかしやがってと、頭をこづいてやろうと思ったが、妹は普段からは想像もつかない速さのバックステップで、僕のこぶしを回避。奥のガスコンロへ向かっていく。


「も―一度、はっきり見たいの」


 そういう妹は、ヤカンの中身をいったんすべて流しにあけてしまうと、あらためて蛇口から水を補充。火にかけてしまう。

 見ると、コンロ脇に置かれた銀色のボウルの中には、雑多な草たちの姿が。

 妹はそれを適当につまんでは、いくらかを取り除けて、ヤカンのてっぺんのフタを開けて投じていく。


 お薬ごっこでもしているのか、と突っ込んでみると、ごっこじゃなくてお薬やってんだとむくれっつらで返される。


「友達からね、見えないものが見えるようになるお薬つくってんの。草のせんど? とかの関係からこの時間かぎりの、スペシャルボーナスみたいな?」


 さっきだって、アニキの肩越しにちらりと影がのぞいたんだから、とかいうからまた後ろを振り返ってしまう。やはり、そこには何もない。

 ボウルの中の草たち、あらためてよく見てみると、ものによっては赤いつぼみとか、黒いタネらしきものをつけているが、どれもこれも僕の見たことないブツばかりだった。

 どこで調達したのかについては、口をつぐまれた。全部終わる前に秘密を洩らすと、魔法も漏れるとかなんとかいってな。ただ結果だけ見てればいい、と。

 おままごと、にしてはちょっと得体が知れなかったな。先の影の発言もあったし、兄として止めてやるべきだろうか、とも思った。

 が、それはこのときばかりの感傷。止めた後だろうと、妹と同じ屋根の下で暮らす時間はまだまだ続くんだ。じゃれあいレベルはともかく、本格的にこじれたらと思うと面倒きわまりない。

 眠っていたい気も、どこかへ吹っ飛んでしまった。近くの椅子に腰かけながら、熱心にヤカンとそれに入れる草のお世話を続ける妹の姿を、じっと見守ってやる。


 入れる草の種類もタイミングも、どうやらまめに注意しないといけないらしい。しきりにフタを開けては、草をちまちまと放り込んで、ゆだてていく妹。その表情は普段めったに見せない真剣なものだった。

 やがて、またヤカンが音を立てて、その細まった口から湯気を出したのだけど……この色が毒々しげな紫色をしていたから、ちょっと目を見張っちゃったよ。

 はっきりとした濃さを見せるのは、口からせいぜい10センチくらいのところ。しかし、うっすら視認できるレベルまでハードルを下げれば、その軌跡を追うことはできた。

 大半は上へ下へ、あるいは途中で折れ曲がって、天井床壁いずれかをなめては消える煙道中。けれどもかすかな一筋が、揺らめきながらも漂って、すうっと僕の脇をすり抜け背後へ伸びていく。

 つられて僕も、ひょいと三度背後を振り返ったのさ。


 スクリーン、といえばいいか。

 僕の後ろ、ほんの数センチ先にはあの薄い紫の湯気が、屏風のように広がっていたんだ。

 そこをバックに、けむりがおのずと退いていく部分がある。その輪郭を見るとまるで、人の横顔を思わせ、スクリーンの端から端へ動いていくんだ。いくつも、いくつも。

 左から右、右から左、動いた先から紫色の煙が満たし、あたかも人が行きかうようなワンシーンを見せてくれる。


「これ、目に見えない人たちの動きを見せてくれるやり方なんだって。少しだけね」


 数秒後。煙とともに、すっかりそれらが見えなくなってから、妹が語ったことだ。

 学校でお化けがいるか、いないかで友達と論争になり、いない派の妹に対している派の子が授けてくれた草と方法が、これだという。

 目に見えないかっこうに化けたものが、実際にいるのだと、これで分かる。納得がいくまではそのことを他人に話すな、というのが、先ほどの魔法が漏れるというくだりらしい。

 このあとで同じように草をゆだてても、もう紫色の煙は出てこなかったんだ。


 事実なのか、友達の込み入った手品だったかは分からない。けれど、ひょっとしたら湯気もまた不思議な力の媒介になるんじゃないかな、と思うようになったんだよ。

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