#4 狂気の先へ
炎に照らされた人影の正体は、僕たちと同い年くらいの少女だった。
足元には猟師のような恰好をした男が転がっており、その顔面は何度も打撃を受けたような跡がアザとなって残っていた。
「止まりな。 動いたら鼻と口以外からも呼吸することになるよ」
「…………」
少女の表情から、それを冗談で言っているわけではないことはわかった。
冷徹な殺意がそこにあった。
彼女は散弾銃を構え、僕たちを制した。
返り血を浴びたパーカーの胸元が激しく上下しているが、その瞳は鋭く僕たちを射抜いている。
「僕たちは人間だ。話を聞いてく――」
「黙って。私が質問するから」
彼女は僕の言葉を切り捨て、一歩踏み込んできた。
銃口が僕の胸板に押し付けられる。
硬い鉄の冷たさが、心臓の鼓動を直に伝えてくるようで、僕は息が止まった。
「そこの男はね。半狂乱になって私を撃とうとしたから、ボコボコに殴り倒してやったの。私、チョー強いから、反撃しても無駄だからね」
確かに、銃を構えている少女の手は赤く腫れていた。
男の顔を再び見る。
こんな細い女の子が……大の男をボコボコに――
「わ、わかった……」
「よし。噛まれてないんなら、私の仲間にしてあげる。服捲って見せてみなさい」
「……えっ」
後ろにいた那奈花が、戸惑いの声を上げた。
少女の視線が那奈花へ移動する。
その冷たい眼差しに、那奈花は僕の背中に隠れるようにして身を縮めた。
「感染……いや、発症してる奴は、痛覚が麻痺して動きが不自然になる。あんた、さっきから足を引きずってるみたいだけど?」
少女は那奈花の脚を指さした。
「……これは、さっき屋上から降りるときに少し捻っただけだ。噛まれてなんていない」
「口では何とでも言えるでしょ? 早くして、バーンとやっちゃうよ?」
彼女の指が、カチリと引き金に触れた。
冗談を言っているようには見えなかった。
この少女は、目の前で人間が化け物に変わる瞬間を見たのか、あるいはもっと凄惨な現場を生き抜いてきたのか。
人を人と思わないその手つきが、何よりの証拠だった。
「……分かった。脱ぐから、落ち着いてくれ」
僕は那奈花を安心させるように一度頷き、震える手でボタンに手をかけた。
炎に照らされながら、僕は上半身を晒した。
那奈花も、怯えながらも腕まくりをして、少女の検視を受ける。
少女は至近距離まで近づき、僕の肌を、那奈花の首筋や手首を、なめるようにチェックした。
彼女から漂うのは、火薬の匂いと、生々しい鉄の匂い。
そして、那奈花が僕を見つめる視線に、今までとは違う色が混じったのを僕は感じた。
「……いいよ。とりあえずは"白"みたいだね」
少女が銃口を下げ、ふっと溜息をついた。
その瞬間、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
「あんたら、温泉街からきたんでしょ? よく逃げてこられたね」
「あぁ……なんとかな」
彼女は拾い上げた猟銃の安全装置をかける。
「これ、そこのおっさんから取り上げたんだけど、私のモノにしちゃお」
「いいのか?」
「だってこのおっさん、私のこと撃ってきたし、そのソンガイバイショーってことで」
少女はにひひと笑った。
「私は凛。見ての通りの女子高生。元だけどね。こんなクソみたいな状況だし、協力しよ。お二人さん」
凛と名乗った少女の挑発的な視線が、僕と那奈花の間を往復した。
◆
「おっと、話してる時間はなさそうだね」
凛が不意に視線を山道の闇へと向けた。
炎の爆ぜる音に混じって、周囲の藪から「カサリ、カサリ」と無数の足音が聞こえ始めている。
一つや二つじゃない。この展望台を包囲するように、闇が蠢いていた。
「この火に吸い寄せられてるんだね。集まる前に逃げるよ、私の後ろについてきて」
僕は那奈花の手を引き、凛の背中を追った。
背後では、展望台の火災がさらに勢いを増し、夜空を不気味なオレンジ色に染め上げている。
振り返ると、炎の光の中に、最初の一体が姿を現していた。
それは服が焼け焦げるのも構わず、ただ僕たちの生きた匂いを求めて、炎の中に手を突っ込みながらこちらを凝視していた。
「走れ走れ~、捕まっても助けないよ!」
こんな状況なのに、凛は気の抜けた声で笑っていた。
猟銃を背負っているはずなのに、驚くほど身軽に岩場を跳ね、倒木を飛び越えていく。
僕と那奈花は、必死に食らいつくのが精一杯だった。
不意に、那奈花の足がもつれた。
「あ……っ!」
「那奈花!」
僕は咄嗟に彼女の腰を支え、転倒を防いだ。
けれど、そのわずかな停滞を、闇は見逃さなかった。
斜面のすぐ下から、あの四足歩行の異形が、弾かれたような速度で僕たちの背後に迫っていた。
――カチカチカチッ!
歯を鳴らす音がすぐ耳元で聞こえた。
振り向く余裕さえない。
僕は那奈花を突き飛ばすようにして前に出し――
――ドォン!
鼓膜を震わせるほどの轟音とともに、火薬の匂いが鼻腔を突いた。
僕のすぐ横を弾丸が通り抜け、背後にいた異形の頭部を粉砕した。
肉片と血が僕の頬にかかる。
「うお~!腕がしびれる~!! ショットガンって初めて撃ったよ!」
いつの間にか足を止め、銃を腰だめに構えていた凛が、感動に叫んでいた。
「……助かった」
「見てよあれ、頭なくなったよ」
凛の視線が、僕にしがみついている那奈花へと向けられた。
「足手まといになるなら、今のうちにその三脚、置いていきなよ。少しでも軽くした方が、まだ生存率上がるでしょ?」
「……っ、これは、捨てません」
那奈花が、絞り出すような声で言い返した。
彼女は僕の腕を離し、泥と血に汚れた三脚を胸元で強く抱きしめた。
凛を見上げる那奈花の瞳には、恐怖だけではない、剥き出しの敵対心が宿っていた。
「……ふーん。まあいいけど」
凛は鼻で笑うと、再び闇の中へと背を向けた。
「この先に、古い避難小屋がある。そこまで行けば、ひとまずは安心だよ。……私の言うことを聞くならね」
僕たちは、自分たちよりも遥かに「死」に近い場所にいるこの少女に従うしかなかった。
僕は那奈花の肩をそっと抱き、再び歩き出す。
那奈花の手は、先ほどよりも強く、僕のシャツを握りしめていた。
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