EPISODE 20: HOOD TOOK ME UNDER / WILDSIDE
「若、間もなく王都に到着です。起きて下さい」
正面から低く落ち着いた声が聞こえる。それと同時に、オレの両肩が軽く揺すられる。オレの隣からはさっきまでと変わらず、ルガルェ-ガッカルのいつもの静かな寝息が聞こえてる──って事は、この声の主はエンシ-ウルだな。
オレは目を閉じたまま、半分寝ぼけながらエンシ-ウルに応えた。
「ん、まだ眠い、寝かせろ」
「なりません、王宮で国王陛下が若からの報告をお待ちです。すぐに支度をなさって下さい」
王宮──報告──?
オレは薄目を開くと、目の前にはオレに跪 (ひざまず) いて、その大柄な身体を座って寝ていたオレの目線の高さに合わせてくれているエンシ-ウルがいた──しまった、気まずいなぁ、オレ達さっきまで派手に喧嘩してたもんなぁ、けどここで気持ち切り替えていかねえと、いち軍人として失格だ。うん、今ちゃんとオレから謝っておこう。
「あー、エンシ-ウル、ごめんな、その、突っかかったりして。お前が心配して言ってくれてるのはオレだって良く分かってるんだ。けどオレがまだ、どうしても自分自身の状況を受け入れられてない、っつうかさ──とにかく、オレが悪かったよ」
オレは半分寝ぼけた調子で、だらだらとエンシ-ウルに弁解した。
するとエンシ-ウルは少し眉間に皺を寄せて、困った様な表情でオレに応えた。
「若、作戦の後で今日も酷くお疲れなのだとは思いますが──私と言い合いをする夢でも見ましたか?」
「──え?」
一瞬オレは呆然とした──あれは夢だったのか? そういや、さっきのオレが突っかかったエンシ-ウルは、目の前のエンシ-ウルの姿よりももっと短い毛並みだったような──否、毛がほとんどない姿だったような──じゃあ換毛期だったのか?
確かに、疲れてはいる。仮眠をとったぐらいじゃ、この疲れは抜けそうにもない。エンシ-ウルの言う通り、自分が思ってる以上に疲労が蓄積しているのかもしれない。1秒でも早く、ふかふかのベッドの中でゆっくり休みたい。けど、休む前に MARSAF 隊員として父王陛下に報告に行かねえといけない。
目が覚めたばかりだってのに、何だか頭も痛くなってきた。ふいにオレの目の前に、水の入ったボトルが差し出される──ボトルを手にしているのはシュム-クッドだ。
「若、水を」
「おう、ありがとな、シュム-クッド」
オレは礼を言いながらボトルを受け取り、両手を頭上に伸ばして全身を大きく伸びをした後、ボトルの水を一気に飲み干した。特にネコ科は目が覚めた後に水が飲みたくなるってのを、イヌ科のシュム-クッドは良く理解している様だった。オレの隣ではまだルガルェ-ガッカルが静かに寝息を立て続けているが、他の隊員達はもう皆んな起きていて、それぞれに下車する準備を始めている。
「おーら、いい加減起きろって、この寝坊助」
誰よりも一番先に準備を終えてた様子のギッド-ビルが、オレの隣で眠り込んでるルガルェ-ガッカルの目の前に来て、その鼻っぱしらを指先で弾く。
「フガッ!?」
突然眠りを妨げられ、今どういう状況なのかを一瞬理解できなかったルガルェ-ガッカルは、数秒を無言で経過した後に耳と髭と尻尾とを一気に真上に立たせ、いきなりベンチからものすごい勢いで立ち上がった。
「──もっ、もっ、申し訳ありませんッ!!」
急にバタバタと動き始めたルガルェ-ガッカルの隣で、オレは握ったままの空になったボトルの中を、ぼんやりと覗き込んだ。ボトルの内部のわずかな水滴が、車内の光と人影を乱反射する。
そっか、あれは夢か──そういや夢ん中でもシュム-クッドが水を持ってきてくれたような気がする。だけど──本当に夢だったのか?
「父王陛下、任務よりただ今戻りました」
オレは王宮の玉座の前で片膝を突いて跪き、任務から無事の帰還を国王陛下に報告した。オレの後ろには同じ様に片膝を突いて跪いた、MARSAF の面々が控えてる。
現国王、オレの父さん、父王陛下はホワイトライオン族だ。高貴な出自のホワイトライオン族の男らしく、頭から胸までを覆う立派な白銀の鬣 (たてがみ)、鋭い眼光、幅広の大きい純白の身体、そしてひと度聞けば誰もが震えて竦 (すく) み上がる、威厳のある咆哮の持ち主だ。父さんに怒られた後は、あまりの恐ろしさに息子のオレですらしばらく身動きが取れなくなるほどだ。
「おっ、クグェ-ウルマー、早速聞いているぞ、結構な数を狩ったそうだな! 最近またずいぶんと頼もしくなってきてるなぁ、今日は祝いに特別美味い肉料理でも食うか!」
だがその外見の印象とは裏腹に、父王陛下はノリが良い。
それはもう、周囲がヒヤヒヤするぐらいに息子であるオレに対してノリが軽く、そして気安い。オレが自分に似て肉料理が大好きな事も父さんはちゃんと把握しているし、オレにはとても優しいし、オレをいつも心配して細やかに気にかけてくれている事だって承知してる。オレと2人きりの時だったら、そんなの別に気にも留めない。
けど、MARSAF の隊員だけでなく大勢召し抱えている臣下をこうして目の前にして、普段の親子のノリで話しかけられてもオレは困る──とても困る。
オレは憮然とした表情で応えた。
「否、あの、父王陛下、ここ一応玉座で、皆んなの前なんで、その感じはちょっと」
「何だよ、クグェ-ウルマー、せっかく自慢の息子が身体張って頑張ってきたんだぞ、ちょっとぐらい父さんにも労わせてくれたって良いだろうよ? それに、俺だって前は現場に出ていたんだ、お前がどれくらい頑張ってきたのかは経験上ちゃーんと分かる。エンシ-ウル達も良くやってくれた、お前達は何か食いたいものはあるか?」
オレの背後で、ギッド-ビルとアマ-ジの2人が必死に笑いを堪えている気配がする。他のメンツは今となってはオレ達親子のやり取りに慣れたもので、この風景を当たり前のものとして受け入れている。国王陛下であってもさすがにそこは改善する様に、と誰か父さんに忠言出来る勇気のある臣下はいないんだろうか。
父さんはこういう時、頑固だ。
自分にとっての楽しい時間を邪魔されるのを酷く嫌うのはオレも一緒だから父さんの気持ちは分からないでもないんだが、今はオレにとってただ気恥ずかしさが募るだけの時間だ。絶対、この謁見が終わった後にはギッド-ビルとアマ-ジから笑われる。オレは後ろを振り返って2人を睨みつけ、しっかりと牽制しておいた。
オレは呼吸を整え、再び視線を前に戻す。父王陛下は話を続ける。
「それに、報告書ではなく、食事をしながら今日の実際の様子を直接俺に聞かせて欲しいんだ──俺が現場にいた時の様な単独行動ではなく、小集団を形成し始めた『愚者』と『獣』の話をな」
そう話した父さんの目つきが、瞬時に変わった。否、オレの目の前にいるのはもはや『父さん』ではなく、この国を統べるホワイトライオン族の狩人の男、立派なひとりの『王』だった。
玉座の前の空気が一変した。
ギッド-ビルとアマ-ジはもう笑ってない。エンシ-ウル、シュム-クッド、 エ-ドゥブが頷いて父王陛下に応える。
現役で狩りをしていた時、父さんは今みたいな厳しく鋭い目つきで『愚者』や『獣』と対峙していたんだろうか。そして今日のオレは、狩りをする時に今の父さんと同じ様な厳しく鋭い目つきで戦えていただろうか。ひとりの王族として、オレはきちんと自分の責務を果たせただろうか。
「なるほど、小集団を形成はしていても、はっきりとした協力行動には至らないのか──」
父王陛下が肉をかじるその手を一度止め、獣五隊員達からの報告に耳を傾けていた。
「はい。あくまでも現時点の解析結果、ではありますが──ただ、単独行動からこうして集団を形成した変化そのものを見過ごす事はやはりできません。今後、協力行動を起こす様な社会性を学習する可能性も──」
獣五の後方支援担当のひとり、情報分析主管であるジャガー族のズィ-ズーが父王陛下に応えた。
『獣』の生態は未だ謎に包まれ、充分な追跡調査を行なう事もままならない。なぜなら発見・報告がなされた時にはすでに何らかの被害が発生している時であり、『獣』の活動をその場で完全に停止させない限り、周辺の被害は拡大する一方だからだ。通常兵器、質量兵器を拒絶する為に、生きたまま捕獲する事も難しい。
できる事といえばその場での処分、そして今のズィ-ズーの様にその時の行動分析と情報共有、後は処分の際に採取した『愚者』と『獣』の肉片を標本として王立の研究室に持ち込み、解析をするのが関の山だ。
だが体組成や遺伝子構造も、未だにその全容を掴む事がまったくできないでいる。常にどこかが変異し続けていて、解析結果が毎回少しずつ違っているからだ。ひとつの解析結果が出る頃には次の検体が持ち込まれ、そしてその検体はすでに今までとは異なる遺伝子構造を有している。
「だろうな、時間の問題だと認識しておくべきだろうな」
父王陛下が鋭い眼差しのままに深く頷いた。
楽しいはずの食事の席も父王陛下が王として、ひとりの狩人としてひと度その威厳を醸し出すと、息子であるオレでさえもいたたまれないほどの緊張感に包まれる。父さん自身にその自覚はあまりなさそうな所がまた恨めしい。楽しい食事をしようと自分から誘っておきながら、これでは肉の味も良く分からない。
唯一ギッド-ビルだけは美味そうに飯を食っているのが、また余計に腹立たしい。獣五の後方支援担当のもうひとり、初老のオオカミ族で、技術通信担当のハル-アダールが話を継ぐ。
「周辺国からの情報を精査した限りでは、過去にその様な事例を確認する事はやはりできませんでした。我々がこの変化の、最初の遭遇例ととらえて差し支えないと思われます」
この国の歴史が始まる以前から、この星系には『愚者』と『獣』が少なからず存在していた。
ゆえに周辺国にもオレの国と同じ様に、それぞれの種族、部族、文化に即した『愚者』と『獣』の対処法を独自に発展させてきた。ある種族では心を鎮めて瞑想をする事で、ある部族では派手な音楽を奏でる事で、またある文化では神聖な舞いを踊る事で、そしてまたある国では一同に会して大合唱を聴かせる事で──それぞれのやり方で『愚者』と『獣』の生命活動を停止に追い込む。
オレ達の国、文化では、『言葉』と『腕と指の動き』を同時に使って『愚者』と『獣』を狩る。直接、間接の手段を問わず、『愚者』と『獣』に対抗する為の唯一の正解、正攻法というものは存在しない。例えどんなやり方であってとしても、結果として『愚者』と『獣』の動きが封じられ、皆が平和に暮らせるのであれば何の問題もない。そうだろう?
「分析出来そうな情報といえば、まぁそんなものか──エンシ-ウル、シュム-クッド、現場としての感触はどうだったんだ?」
父王陛下の言葉を受けて、 獣五隊長エンシ-ウル、同副隊長であるシュム-クッドは互いに目を合わせてから話し始めた。
「『獣』によって寄生された『愚者』の種族、体格もまちまちで、この部分に関しては今までと変わらず依然統一性は見られない印象です──が」
エンシ-ウルの話をシュム-クッドが引き継ぐ。
「今日、若が最後に仕留めた一体は非常に大きな個体でした。今までにはない質量で我々臣下の手には負えず、無理を押してでも若にお力添えを頂き、おひとりで処理して頂く他にありませんでした」
「この状況が続けば若のご負担は増す一方です。それに、今後もし社会性を獲得でもすれば、若のお命は幾つ在っても足りなくなってしまいます。今、何かしらの手は討っておくべきかと」
再びエンシ-ウルが継いで話をまとめ、隊長、副隊長としての共通見解を国王陛下に進言した。
「ううむ、かと言って、『言葉』を扱える者を無闇に増やす訳にもいくまい? 選定や教育にだって、労力や時間がかかる。間口を広げれば、それが国家転覆の隙にもなる」
国家の成り立ちに『祈りの言葉』を扱える者が関わっているということは、その実力を兼ね備えた者がこの国を統べるという事だ。国家の安全の為だけを考えれば『言葉』を扱える者が多ければ多い方が良いのだろうが、もしその実力者の中から自身の事を新たな王だと言い出す輩が出てきても、この国の歴史を振り返ってみれば不思議ではない。父王陛下はその事を案じている。
「エ-ドゥブ、現場を一番長く見てきているお前から見て、どう思う?」
肉料理をかじっている途中で突然話を振られたエ-ドゥブは戸惑った表情のまま、親指を立てた右手の握り拳の先を自身の顔に向けた。
エ-ドゥブは元々、父さんの幼馴染だ。そして、かつては父さんの従者でもあった。
今は MARSAF の任務が忙しいから従者の役からは外れているけれど、昔は主君と従者、今のオレと右隣の席に座って食事を共にしているルガルェ-ガッカルと、同じ関係だったのだ。だからエ-ドゥブが父王陛下に対してちょっとぐらい不遜な態度をとっても周囲の誰も気にしない。むしろ父王陛下自身がそれを望んでもいる。幼馴染であるエ-ドゥブにまでよそよそしい態度をとられると、多分父さんは寂しくなってしまうのかもしれない。
そして、エ-ドゥブは幼馴染の息子であるオレに対しても、同じ様な態度をとる。
ホワイトライオン族の父さんとライオン族のエ-ドゥブ、形態学上2人は同じライオンで、見た目の違いといえば体毛の色だけだ。オレからすれば、物心がついた時からすでに父親が2人いる様なものか、父さんの兄弟、ほとんど叔父さんの様な立ち位置であり、その息子であるアマ-ジはオレの幼馴染、それこそほぼ兄弟の様なものだった。
もっとも、エ-ドゥブ本人に『叔父さん』と小声で言ったりでもすれば、王宮内に響き渡るほどの咆哮でこっ酷く叱られるから絶対に言えない。
「どうもこうも、お前の息子は大したものだぞ。連日休みなしに働いて、おまけに連戦の果てにあの大きさの『愚者』と『獣』をたった一撃で仕留めた。かつてお前の望んだ通りの、自慢の息子に育ってるよ」
──何だろう、今のエ-ドゥブの言葉には不思議な「棘」がある。オレの耳には良い音、良い言葉として聞こえない。オレの働きを労い、力を讃えながらも、ひとりの幼馴染として父さんに向けて嫌味を言っている様に聞こえる。その証拠に、父さんの立派な髭はぴくぴくと上下し、その表情は確かに一瞬曇ったのだ。
父さんは大きく溜息を吐きながら広い肩を竦 (すく) め、目の前の肉料理にかじりつきながらエ-ドゥブに応えた。
「お前の言いたい事は分かってるよ──俺だって一応色々考えてるんだ。そんなに俺を責めないでくれ──お前にまで叱られたら──俺も国王としての自信がなくなる」
昔からの父さんの癖、父さんが肉をかじりながら話す時、それはバツが悪いと感じている時だ。自分の居心地の悪さを、肉を噛みちぎる事で無意識の内に解消しようとしているのかもしれない。
「分かってんなら良い。だがな、お前はいつも昔からそうやって1人で格好つけてばかりいるからダメなんだ──もっと臣下を信じて腹を割って話してくんねえと、いつまで経っても埒 (らち) が明かねえ」
今日のエ-ドゥブはずいぶんと虫の居所が悪い。いつもなら肉料理を食えばそれだけでご機嫌なのに、今日はやたらと父さんに突っかかる。もちろん、意味もなくそんな事をするエ-ドゥブではないのをオレは知っているから、父王陛下の臣下として、父さんの幼馴染として、エ-ドゥブの立場からでしか言えない言葉を、エ-ドゥブなりの覚悟をもって忠言しているのだろう。
「じゃあやはり、この事例を他の友好国と共有すべきか? となれば、我が国内でも現状をこれ以上国民に隠し通す事は難しくなる。『愚者』と『獣』を狩り尽くす事が出来ていなかった、と王族を糾弾しようとする者がいずれ現れる。その上、他民族と戦時中ともなれば、国内に大きな混乱が生じるのは避けられないだろう? だが、俺の自慢のひとり息子をこれ以上危険に晒し続けるのは父親として耐えられん。
全く、頭の痛い問題なんだよ。あーやってらんねえ、すぐにでもこの場から逃げだしてーわ」
父王陛下、否、父さんが大きく溜息を吐きながら言った。最後のひと言が、父さんとして個人の本音なのだ。確かに、この状況なら父さんがそうぼやきたくなるのも良く分かる。オレが父さんと同じ立場だったら、絶対に同じ台詞を言っている。
威厳を見せつけて立派な皆んなの王として振る舞う父さんももちろん好きだけど、こうして気安い言葉で父親としての本音を伝えてくれる距離感の父さんも、オレはどちらも好きだ。そのどちらも併せ持つのがオレの父さんなのだ。完璧な王、完璧な父親など、この宇宙のどこを探したっている訳がない。
父さんのそんなぼやきを、エ-ドゥブは豪快に笑い飛ばした。
「ハッ、じゃあ久し振りに俺の運転する二輪で遠くへ逃げるか? 昔は先代王から叱られると、早く王宮から逃げたいんだってお前は良く従者の俺に運転させてたもんなぁ! まぁ気分転換にはなるだろうけどよ!」
まさか食事の席、臣下の前で自分の過去の青い言動をバラされるとは思ってもみなかったのだろう、父さんは耳も髭も長く立派な尻尾もぴんと天井に向けて立たせ、大きな声で反論した。
「あ"あ”? うっせえな、あの頃は俺だって必死だったんだよ! 大体な、お前従者のくせに俺が親父に叱られてても全然庇おうともしなかったじゃねーか、だからいっつも俺が怒られてばっかだったんだろうがよ、忘れたとは言わせねえぞ!?」
「んだとゴルァ、自分の不甲斐なさを従者のせいにしてんじゃねえぞ、あ"あ”!?」
普段、父さんとエ-ドゥブは本当に仲が良い。
だがだからこそ、ひと度喧嘩が始まってしまうと臣下の手には負えなくなる。それもそうだ、ライオン族の男同士が咆え合っているのだ。他の種族が間に割って入ろうものなら大怪我をする。2人の仲裁は息子であるオレと、オレの従者であるトラ族のルガルェ-ガッカルの大事な仕事だ。仲裁の報酬に特別給をもらっても良いぐらいだ、といつも本気で思う。
息子とは言えども種族の異なる小柄なアマ-ジでは、本気で暴れるエ-ドゥブには敵わない。それにこうなってしまったら、アマ-ジが優しく諭す声も怒りで我を忘れたエ-ドゥブにはもう届かなくなってしまう。実力行使に出る以外に道はないのだ。
「エ-ドゥブさん、落ち着いて下さい!」
「はいはい、皆んなドン引きしてるって。父さんもその辺で止めとけって」
ルガルェ-ガッカルはエ-ドゥブ、オレは父さんの間に入り、2人を引っ張ってそれぞれの視界から見えない位置にまで移動させた。視界に入らなくなっても、父さんもエ-ドゥブもまだ激しく咆え続けている。
エンシ-ウルはこれ見よがしなほどに大きく溜息を吐きながら片手で顔を覆い、対照的にシュム-クッドはいつもの様に涼しい顔のままだった。そしてアマ-ジ、ギッド-ビル、アヌ-ェンが互いに目を合わせながら小声で言った。
「父さん今日も激しいなぁ。これは不用意に触れたら殺されるヤツだね」
「だね、あー怖い怖い。若がキレる時って、本当あの親父さんの姿にそっくりっすよねー」
「だな、本当にそっくりだよな」
結局オレは食事の席から王の寝室まで父さんを連れ帰ってしばらくなだめ続け、ようやく落ち着かせる事に成功した。
今日はずいぶんと時間がかかった。父さん自身もだいぶ鬱憤 (うっぷん) を溜め込んでいたのかもしれない。父さんが落ち着きを取り戻したのを確認してからオレは侍女を呼んで、もう大丈夫だと皆んなに伝える様に指示を出した。
「すまなかったな、ここまでお前に迷惑をかけるつもりじゃなかったんだ──面目 (めんもく) ない」
父さんは珍しくしゅんとなってその大きな身体を縮めてオレに謝っていた──立派な髭 (ひげ) も、耳も尻尾も、全部力なく垂れ下がってしまっている。臣下を巻き込んであれだけ派手に喧嘩を始めておきながら、冷静さを取り戻した今となっては割と後悔しているらしい。
「エ-ドゥブには痛い所を突かれちまった。普段は偉そうに玉座に踏ん反り返って王様なんぞをやってるが、本当はどこにでもいるただのひとりの父親だってのを、こうして嫌というほど自覚させられたよ」
オレも自分の中の矛盾や間違いに自分で気づく事がある。自分で気づくだけなら1人で悪態をつくだけで済むが、それを他人から指摘でもされると、オレはさっきの父さんと同じ様にキレる。そして一度でもキレると自分を取り戻すのにしばらく時間がかかるから、今の父さんの気持ちも良く分かる。
そしてオレも冷静な自分を取り戻した時にはすでに、自分の周りがめちゃくちゃに荒れている事がある。怒りに飲み込まれている時、自分が暴れているという自覚がないのだ。そのせいで従者であるルガルェ-ガッカルには、いつも多大な迷惑をかけてばかりいると思う。
オレは軽く肩を竦 (すく) めて父さんに応えた。
「分かってるって、父さんらしくて良いんじゃねーの。それにオレの事、息子としてちゃんと考えて心配してくれてるんだなって改めて分かったから、オレは気分良かったよ」
「あったりめーだ、俺が普段お前をどれだけ心配してると思ってんだ! 皆んなの手前、それを必死に抑えてああやって格好つけるしかねえんだっつーの!」
父さんはそう言ってサイドテーブルの上に置かれていたグラスを手にとって、中の水を一気に飲み干した。今や父さんの髭と耳は上を向き、尻尾は振り子の様にゆっくりと左右に揺れている。
(必死に抑えてるって言う割には、それでもあんだけ表に出ちゃうんだな…)
その様子を見ながら浮かんだ、心の中に留めておいたつもりの素朴な疑問の言葉は、いつの間にかオレの顔の上に表情として出ていたらしい。父さんは不機嫌そうにオレにデコピンを放った。
「いってぇ!」
「何だよ、文句あんなら直接言えよ」
「否、ないない、ないっす、大変申し訳ございませんです」
父さんの寝室から1人出ると、その扉の前にはすでにルガルェ-ガッカルが控えていた。
ルガルェ-ガッカルはオレを見やるとすぐに片膝を突いて跪 (ひざまづ) き、簡潔に状況を報告してくれた。
「国王陛下が落ち着かれたとの事、良かったです。エ-ドゥブさんも、先程ご自身の寝室でお休みになられました。アマ-ジさんに連れられて、その──浴びる様に呑んでから、でしたけど」
「助かった、ルガルェ-ガッカル、ありがとうな。つーか、毎度ごめんな。父さんとエ-ドゥブ、二人の仲が良いのはオレも嬉しいけど、あの喧嘩の迫力だけはマジ勘弁して欲しいわ」
オレは話しながらルガルェ-ガッカルに目配せをして立ち上がる様に促し、王宮の長い廊下を自分の寝室に向かって歩き出した。ルガルェ-ガッカルはすぐに立ち上がり、オレの後に続く。
「ははは、少しでもお役に立てているのなら何よりですよ」
ルガルェ-ガッカルは力なく笑いながらそう言った。
「何言ってんだ、お前がいなかったらあの食事の席は今頃血塗れだったんだぞ? 2人をあのまま放っておいたら、王宮内の高い食器や貴重な調度品もきっと全滅だったぜ。お前の活躍のおかげだ」
ルガルェ-ガッカルは MARSAF の隊員の中では最年少でありながら、最も大きな体格をしている。ライオン族のエ-ドゥブやオオカミ族のエンシ-ウルも大きな体格をしているが、ルガルェ-ガッカルは群を抜いていて2人よりも更にひと回り大きい。キレたエ-ドゥブを止められるのは、体格で勝るルガルェ-ガッカルしかいないのだ。
「そう──ですかね、そうだと良いんですけど」
にも関わらず、ルガルェ-ガッカルは妙に気が優しい。トラ族の男の雰囲気をあまり強く感じさせない。トラ族の男、しかも軍属ともなれば普段の言動から荒々しさや血気盛んな気の強さを滲ませていても不思議ではないし、むしろ他の部隊ではそういうトラ族の男を良く見かける。
大型ネコ科の種族の男には、特有の怒りの衝動がある。それは本能からの呼びかけで、理性でどれだけ自制しようとしても無駄なのだ。さっきの2人の喧嘩の様に、それは例え王であっても、本能に抗う事は絶対にできない。
だがオレはルガルェ-ガッカルがキレている所を見た事が一度もない。多少の苛立ちや不満を表現する瞬間はあっても、オレや父さん、エ-ドゥブと違って、ルガルェ-ガッカルは覚えた感情を溜め込む一方で、外に向かって爆発させる事がないのだ。
ルガルェ-ガッカルがその感情を自分の中に溜め込む時、オレはルガルェ-ガッカルから特有の匂いを嗅ぎつける。溜め込んだ感情がルガルェ-ガッカルの心の奥底に沈殿して発酵していく時の、独特の匂いだ。不快な匂い、とまでは言わないが、感情を溜め込んだのだとすぐに分かる、それだけ特徴的な匂いなのだ。そして MARSAF の他のメンツは、ルガルェ-ガッカルの微かな匂いの変化には全く気づいていない様子だった。
オレは身体を捻って後ろを振り返りながら、ルガルェ-ガッカルに向かって発破をかけた。
「何だよ、トラ族なんだからもっと自分に自信持てよ──とか無責任な事をオレは言うつもりはねえけどさ、けど思ってる事は素直に口に出しても良いんじゃねーのか?」
「も、申し訳ありません! そういうのは、その、やはりまだ慣れないものでして──」
焦った様子のルガルェ-ガッカルが、しどろもどろになりながら弁解する。
ルガルェ-ガッカルをオレの従者、御側付に選定したのは父さんだ。父さんは公務とは無関係に、まったくの私用で時折、国内各地の孤児院に赴 (おもむ) く。ひとりでお忍びで行く事もあれば、予定が合えばオレを引き連れて行く事もある。
父さんは過酷な環境を生き抜く様々な種族の子供達に触れ、本人の意思を確認してから、望む子供には王宮の使用人や王立軍の見習い兵としての役割を与え、衣食住と安心安全が保証された新たな環境を用意する。もちろん、孤児院の経営そのものにも多額の出資をしてもいる。
もう何年も前の事だ、ルガルェ-ガッカルとオレは、その孤児院で出会ったのだった。
すでに当時からルガルェ-ガッカルはひと際大きな身体をしていて、その孤児院の中ではとても良く目立った存在だったが、やはり今と同じ様に控えめな性格だった。孤児院の院長から聞いた話では、ルガルェ-ガッカルは幼い頃に虐待を受けて育ち、自己主張をする度に激しい暴力を受け、いつしか自分の気持ちを表現する事が難しくなってしまったのだそうだ。
そしてそれは安全なはずの孤児院に身を寄せても、オレの従者として軍属の地位が与えられた今となっても、決して変わる事がなかった。
「悪い、またオレは余計な事を言ったな。お前を傷つけるつもりじゃなかったんだ、許してくれ、この通りだ」
オレは足を止め、きちんとルガルェ-ガッカルを振り返ってから頭を下げた。
初めて孤児院で出会った時のルガルェ-ガッカルの表情を、オレは思い出したのだ。すでに目の前から危険は去っているにも関わらず、常に怯えた表情のまま、ルガルェ-ガッカルは誰に対しても最低限で当たり障りのない受け答えだけに終始していた。そうせざるを得ないほど、理不尽で激しい暴力の中を生き抜いてきたのだろう。
「そ、そんな! 若が頭を下げる必要はありません! オレがまだ至らないだけで──どうかお顔を上げて下さい!」
ルガルェ-ガッカルは慌てて両手を振りながらオレに応えた。
初めて出会ったその時に比べれば、今のルガルェ-ガッカルはとても豊かな表情を見せる様になった。一番変わった事は、食事を誰よりも美味そうに食べる様になった事だ。その大きな体格もあって、きっと元々は食べる事が好きだったのだろう。だがそれを表現する場や機会を、ルガルェ-ガッカルは与えられてこなかったのだ。
オレはオレの目の前で美味そうに、幸せそうに飯を食べるルガルェ-ガッカルの表情を見ているのが好きだった。その様子を見ていると、不思議とオレまで良い気分になってくるのだ。
自分の部屋に戻ると、机の上には政務に関する書類の山が積まれている。
とても一夜では片づきそうもない量だ。オレはそれを見やりながら右眉を吊り上げた渋い表情のまま、大きく溜息を吐いた──今日はもう疲れた、明日まとめてやるしかない。
それに、この書類の山の確認だけでなく、今日の作戦行動についての報告書もできるだけ早急にまとめなければならない。普段であれば、隊長のエンシ-ウルや副隊長のシュム-クッドが率先して作成してくれる。だが今回ばかりはさすがにそれでは済まされない。部隊全員のそれぞれの視点から報告書を作成し、今後の為の貴重な資料としておかなければならない。今日の作戦行動はオレ達が分水嶺 (ぶんすいれい) に立っている事を示す、それだけ重要な出来事だったのだ。
しかも、昇級試験も近い。皇子とはいえ1人の軍属、そして実力の伴わない軍属ではこの国の皇子である意味もない。時間がかかってでも良いからコネや忖度 (そんたく) なしにちゃんと上まで上がって来いよ、と父さんからきつく念を押されてもいる。オレはもっと勉強もしなければならない。
机の上の端には、若かりし頃の父さんの膝の上に乗った幼いオレの写真が飾ってある。オレが膝の上で1秒足りとも大人しくしていないので、この写真1枚を撮るのに大騒ぎだったんだぞ、と父さんは豪快に笑いながらそう言っていた。
オレに、母さんはいない。
オレの母さんはホワイトタイガー族出身の侍女で、オレを産んですぐに亡くなってしまった。だから写真を含めた公式の記録は、その一切が残されていない。だからオレは母さんの顔も、匂いも、毛並みの温かさも、何ひとつ覚えてはいない。
父さんやエ-ドゥブ、エン-シウル、シュム-クッド、アヌ-ェンは皆口を揃えてそう説明した後、すぐに幼いオレと遊んでくれた。オレの周りには常に誰かがいて、皆んなが積極的にオレと遊んでくれたから、幼い頃のオレは寂しいと思う暇もなかった。ただ、周囲で母親に関する話題を見聞きした時だけ、心の奥底が少しだけちくりと痛むぐらいだった。
世間の普通とは違う不完全な家族の形で育ったからだろう、だからオレは複雑な環境で育ったルガルェ-ガッカルの事が気になって仕方がなかったのだ。
幼い頃にオレは父さんに、何で侍女に手を出したのかと何の気なしに訊ねた事がある。
すると父さんは酷く面食らった表情で、髭と尻尾を大きく揺らしながら、あの時はオレもまだ若かったんだよ、と笑って答えた。確かに父さんはホワイトライオン族だし、その見た目だけでなく立派な中身も伴った男だから、色んな立場の者との浮わついた話があってもおかしくはない。
けどオレが知る限り、父さんは元々そう云う性格ではない。
オレが物心ついてから、誰かと恋に落ちたり手を出したという話を聞いた事がない。だから、侍女の母さんに手を出してオレを産ませた、という逸話には、オレからすればどうにも一貫性を感じられない。ましてやこの星では禁忌とされる、他種族を妊娠させるなんて。
父さんであれ、エンシ-ウルであれ、それが王宮の中の誰であれ、オレに母さんについての話をする時、その相手からはほんの微かに、嘘の匂いがする。オレの鼻は誰よりも敏感だ。だがきっとその話の本当の所は、オレが知らなくても良い話だからオレには知らされないのだろう。
オレは部屋の片隅に置かれた豪奢な造りの鏡台を見やった。
オレの顔立ちは大型ネコ科肉食獣、ライオン族にも見えるし、トラ族の様にも見える。だがオレの鬣 (たてがみ) はライオン族と同じ頭部から頸部、そして胸部にかけて長く生えているのではなく、ライオン族の鬣の平均的な長さよりも三分の一程度の長さの毛が頭頂部、及び顔周辺から顎下にかけてのみ生えている。後頭部や側頭部は父さんの様に長い毛で覆われてはおらず、短くすっきりとしたものだ。
全身は父さんと同じ純白の毛並みに包まれ、体側や四肢、そして長い尾には母さん由来、トラ族の特徴である黒い縞模様が入っているが、トラ族ほどのはっきりとした明確な陰影は持ってない。尾はトラ族の様に全体が長い毛で覆われている訳ではなくライオン族のそれに近いが、尾の先端に広がる房毛の量はライオン族よりも少な目だ。
鋭い眼光を放つ両眼は鏡の中の光の角度によって茶色、緑、黄色、そして金色へとその色合いを次々に変えていく。鼻先はやや暗みがかった薄紅色、少し開きかかった口元から見える大きく発達した無数の牙は、一切の無駄が省かれた筋肉質なその体躯と共に、肉を喰いちぎる事が得意だと言っている。そして鼻の左右にはそれぞれ側方へピンと伸びる、まだ父さんほどではないけれど、それなりに立派な髭が蓄えられている。
そう、オレはホワイトライオン族の父さんとホワイトタイガー族の母さんの間に生まれた混血児、ホワイトライガー族だ。
「若、お支度が整いました」
オレが机の上に視線を向けながらぼーっとそんな事を思案している間に、ルガルェ-ガッカルはオレのベッドのかけ物を整えてくれていた。
オレの寝室のすぐ隣には従者専用の部屋、ルガルェ-ガッカルの寝室がある。王族のオレに何かあった時に従者はすぐに駆けつけられる様に、簡素な扉1枚で隔てられたほとんどひと続きの空間として、この王宮では最初からそう設計されているのだ。
「おう、ありがとうな。今日はさすがに疲れたな! オレはもう寝るぞ、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
にこやかに応えるルガルェ-ガッカルを一瞥し、オレはベッドに横たわった。
だがルガルェ-ガッカルは自分の部屋では休まないし、すぐに寝る事もない。オレの隣でじっとオレの様子を見守っている。オレが眠ったのを見届けてからでないと、そして誰かが横にいないとルガルェ-ガッカルは落ち着いて眠れないのだ。
それは従者としての務めや責任感がそうさせるのではなく、ルガルェ-ガッカルの幼い頃の過酷な体験がそうさせているんだ、とオレには良く分かっていた。ルガルェ-ガッカルのその習慣には最初こそ驚かされたが、オレは父さんと相談をして、オレのベッドの隣、ただし高さはオレのベッドよりも落として、ルガルェ-ガッカルの寝床を作ってやる事にしたのだった。
それ以来、ルガルェ-ガッカルは私物を従者専用の部屋に置き、そして夜はオレの寝室、同じ部屋で一緒に寝ている──今はもう、この状況にも互いに慣れたものだ。
灯りを落とした部屋の中でさえも、ルガルェ-ガッカルからの強い視線の圧を感じる。こういう所だけはルガルェ-ガッカルもやはりトラ族なのだ、と思わせる。だが、そのルガルェ-ガッカルからの視線の圧力よりも、今日はオレの全身の疲労感の方が勝っていた。ほんの数回深い呼吸を繰り返しただけで、オレはあっという間に眠りに落ちていった。




