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EPISODE 18: BOYZ-N-THE-HOOD / BEASTIN’

 目を開けた時の視界にまず飛び込んできたものは、河だった。

 やや暗みがかった薄桃の色合い。差し込まれる光の具合によっては、もう少し灰色がかっても見える。向こう岸は見当たらないが、音と共に水は一方向に流れているから、今オレが目にしているものは河なんだと理解できる。

 きっと、とても大きな河なんだろう。けど流れる音はあまりうるさいとは感じない、まるでせせらぎみたいなもんだ。遠くからは風に乗って、何か音楽みたいなものも聴こえてくる。

 毛並みを撫でる風、その風の中にはかすかに温かみのある木や草花の匂いなんかも混ざってる。

 五感で感じ取れる外界の情報のすべては、今のオレが幸福であるって事を告げてる。

 ああ、願わくば、ずっとこうしてたいもんだ──。



 オレは再び目をつむった。

 この心地良さに全身を抱かれた状態でなら、いくらでも寝てられる気がする。だが目を閉じてすぐに、オレの尻尾は無意識の内にパタパタと左右にはためき出した。長く伸びた髭からは周囲の空気がかき乱されるのを、手足の裏からは地面の微かな振動を感知したのだ。耳がピクピクと動き回る。そのうちに、草叢を踏みつけるいくつもの足音が近づいてくる。

 相手の歩き方の音からは足裏全体を地面に着けて、できるだけ音を立てない様に意識してる事が分かる。爪先で地面を蹴り上げる音が聴こえないんだ。空気の動きや匂いの変化も考えると、どうやらこっちに向かってるっぽいな。合計で4人──けど、1人分の足音だけはどうにも雑に聞こえる。こいつだけ本気じゃねえな──またかよ?

 オレは鼻息を吐きながら、ゆっくりと目を開けた。

 オレの目の前にはオオカミ族でクロオオカミのギッド-ビル、ヤマネコ族のアマ-ジ 、オオカミ族でシロオオカミのアヌ-ェン、そしてトラ族のルガルェ-ガッカルの4人が立ってた。

 「あ、バレた? 何だよ、せっかく驚かせようと思ったのに」

 ギッド-ビルはそう言って、ペロリと舌を出しながらアマ-ジとアヌ-ェンに向けて目を合わせた。こういう時、ギッド-ビル、アマ-ジ、アヌ-ェンの3人は本気でオレを驚かせようとしてくる。こいつらはオレと遊ぶ時、いつも本気で遊ぼうとする。

 だがルガルェ-ガッカルだけは他の3人とは調子が違う。ルガルェ-ガッカルの手加減された足音だけは、いつも雑に聞こえる。こいつは元からオレを驚かせる気がない。それもそうだ、ルガルェ-ガッカルはオレの従者、身の回りの世話をしてくれる御側付 (おそばつき) だからな。このメンツん中じゃあ一番年齢が下だが、トラ族の男だけあって身体は一番デカい。

 「足音が揃ってなけりゃ、そりゃあバレんに決まってんだろ?」

 そう言ってオレは大あくびをしながら全身と手足とを一度に伸ばして、続けて全身をバネの様にしならせて一気に跳ね上がって、両膝を深く屈めた姿勢で地面に着地した。

 「あーもう、本気でやってよ、ルガルェ-ガッカル!」

 アマ-ジが口先を尖 (とが) らせながら非難の声を上げる。ルガルェ-ガッカルは長い髭を下に垂らして、ばつが悪そうに自分の頭をかいて釈明した。

 「す、すみません、その──俺は従者なんで、若を驚かせるって訳には──」

 「本気で遊ばなきゃ楽しくないじゃん? お前はいっつもそれ。もう良い加減本気になれよ」

 苛立ちを隠そうとしないギッド-ビルが、ため息混じりにルガルェ-ガッカルに詰め寄る。

 「そうだぞ、若に一番近い従者だからこそ、一番本気で遊ばないとダメなんじゃないのか?」

 アヌ-ェンまでもが遊びの姿勢について、アヌ-ェンなりの哲学を披露している。

 「う、うう、すみません!」

 ルガルェ-ガッカルはさらにしょぼくれて、髭だけじゃなくて耳も尻尾も下へ垂れ下がってしまった。一度に3方向から責められれば、そりゃあ誰だって意気消沈するだろうな──ん? オレの両耳が周囲の音を聞きつけて、再びピクピクと動き回る。少し離れた場所から、オレ達がいる場所に向かって来る複数の足音が再び聞こえてきたのだ。

 やがて草叢の陰から、ライオン族のエ-ドゥブ、オオカミ族でハイイロオオカミのシュム-クッド、そしてオレ達の隊の隊長、同じくオオカミ族でアカオオカミのエンシ-ウルが顔を出した。

 「何だお前ら、こんなとこでまーた遊んでんのか?」

 呆れ顔のエ-ドゥブが鼻息混じりに言った。するとギッド-ビル、アマ-ジ 、アヌ-ェン、そしてルガルェ-ガッカルの4人は急に背筋をしゃんと伸ばした。

 エ-ドゥブはオレ達の隊の中では大ベテランの最年長、そしてライオン族だけあって怒らせたら一番怖い。普段は気安い皆の兄貴分だけど、一度でも怒ると隊長のエンシ-ウルさえも呑まれるほどの気迫を見せる。エンシ-ウルは隊長として表立って隊を厳しく指揮するけど、エ-ドゥブはさながら裏で隊をシメてる番長、ってトコロだな。

 「エ-ドゥブさん、大目に見てやって下さい。ここの所、酷い任務が続いていますから」

 シュム-クッドが目線をエ-ドゥブの大きな背中に向けて、穏やかな口調で語りかける。

 シュム-クッドはこの隊の副隊長、一番冷静で頭の切れる男だ。エンシ-ウルとは良くコンビを組んで日々任務をこなしながら、オレ達年少組の様子にも心を砕いてくれてる。後ろを振り返る事なく片手を挙げて、ゆらゆらと左右に揺らしてシュム-クッドに応えながらエ-ドゥブは続けた。

 「分かってるって、シュム-クッド、若者に気晴らしは必要だ。さ、エンシ-ウル、とっとと始めようぜ」

 声をかけられたエンシ-ウルは軽く頷いてエ-ドゥブに応えて、オレ達全員に向かって言った。

 「本日これよりの作戦行動を改めて確認する。皆、この場に座って私の話を聞いてくれ」



 「まずは作戦展開範囲の再確認だ、各自、地図を見てくれ」

 オレ達8人は王立軍内の特殊部隊、第5分隊の隊員だ。第5分隊はこの8人に後方支援要員、初老のオオカミ族のハル-アダールとジャガー族の青年ズィ-ズーの2名を加えた、計10名という極めて少人数だけで構成されてる。

 「現在地であるこの集落を中心に、隣接する食用合成肉のプラント施設の区画も目標の出現範囲と推定される」

 王立軍は、地表の国土防衛を担当する第1部隊、惑星外宙域の攻撃から防衛までをも幅広く担う宙軍としての第2部隊、電子戦に特化運用されている第3部隊、そして諜報活動や破壊工作を主とする第4部隊、この4つから構成されてる。オレ達はその後に続く、第5の隊だ。

 「『愚者』はプラント施設を襲撃後、大河沿いに移動しこの集落近辺にまで下って民間人をも強襲、プラント内の生存者はゼロとの報告を受けている」

 オレ達第5分隊の隊員は全員、名目上は王立軍第1部隊所属、第1大隊隊員、特殊作戦遂行班として登録されてる。けどこの特殊作戦遂行班は第1部隊所属でありながらも、固有の指揮系統を付与されてて、独自の判断で活動を行なう事ができる。故にオレ達小さな部隊でも「5」というナンバリングがついてるって訳だ。

 「プラント施設がシステムダウンするほどだ、ゆえに本件は個別の襲撃事件というよりは、数に任せた集団による犯行の可能性が高い」

 オレ達が普段から着用している黒いベスト──第5分隊専用のタクティカルベスト──の胸部と背面には “Martial Attacking Rescue Section Against the Fool” の文字が刻まれている。ただしこんな長ったらしい名前、誰も正式名で呼ぶ事はない。オレ達自身も特殊作戦遂行班ではなく第5分隊として自分達の事を呼称する場合は、頭文字をとって “MARSAF (マーザフ) ” と呼んでる。

 「単独行動の多かったはずの『愚者』が、ここの所、小集団を形成しようとする傾向にある。単体でも厄介だというのに、これは極めて由々しき兆候だ。出来るだけ早めに芽を摘んでおかなければならない」

 オレ達が目標とする『愚者』とは、寄生生命体に取り憑かれた存在全般を指す言葉だ。一度寄生され『愚者』となってしまうと、体組成には不可逆的な変化が起こる。そして人格は酷く歪んで残虐性を増して、好戦的になる。しかも、元には戻せない。今のところ、死を与える以外に寄生生命体から『愚者』を解放してやる術はない。

 「寄生した『獣』同士が離れた場所の個体に対し、互いを呼び合い始めている可能性がある、というのがハル-アダールとズィ-ズーの出した分析結果だそうだ」

 おまけに『愚者』に寄生する寄生生命体、通称『獣』は通常兵器、質量兵器を受けつけないっていう性質まで持ち合わせてる。例えば鉛の銃弾を何発打ち込んでもその活動は一向に停止しないし、レーザーなんかを照射してその細胞幹を破壊しようとしても、まるで無限に自己増殖を繰り返す細胞群みたいに、驚異的な速度で再生してしまう。それどころか、刺激を与えられる前よりも大きく成長しようとさえする。つまり、通常の兵士の戦闘技能や科学技術では太刀打ちできない存在、って訳だ。

 「現時点では可能な限り『獣』の横の繋がりを断ち切り、別個に撃破していくしかない。もし大規模な集団を形成される様になってしまったら、今の第5分隊の規模では対応が難しくなってしまうだろう。今後私達が次の一手を考え、準備を整えるその前に、目標の数は出来るだけ減らしておきたい」

 だが、この国の王族とその護衛を務める臣下だけは例外だ。王族とその護衛には、寄生生命体を『愚者』から炙り出し、永久に解放する力を持つ『祈りの言葉』とそれに連なる体術とが、遠い昔の時代から伝えられてきた。そしてそれを保持して、活用していく事こそが、この国の王族とそれに連なる者の証だ。

 「ここの所、『愚者』と『獣』狩りの任務続きとなってしまっていて、お前達には嫌な思いばかりをさせている。私も申し訳なく思っている」

 この国は遥か遠い昔、独自のやり方で『愚者』と『獣』とを狩ることに長けた者が中心となって形成した小集団を元にして、長い時間をかけて国家へと発展してきた歴史的背景がある。よって歴代の国家元首たる王、及び王族、そしてそれに帯同する護衛の者達は長い歴史の間、その慣例に従って『愚者』と『獣』を狩り続けてきた。

 要するにこの国の王族は生まれながらに軍属のエリートとなることを運命づけられてて、同じく従者や護衛も地位と実力のある軍属でなければならなかった。この国で唯一王位継承権を持つ第1皇子であるオレも、もちろんその例外じゃあない。

 「だが、これは我々にしか果たし得ない仕事だ。獣人族全体を守るという軍人の誇りを胸に、今日もお前達が無事に作戦から帰還出来る事を私は願っている」

 他部隊にも協力を仰いで、全軍を挙げて『愚者』と『獣』に対処した方が早い、それは正論だ。だがそうはいかない事情もある、『愚者』と『獣』が再び数を増やし始めるよりも前から、この国、この星は他民族との戦争が続いてて、国家と軍はそのどちらにも同時に対処しなければならない状況になってる。

 「疲労も溜まっている事と思う。ひとりで対応しようとせず皆で分かち合い、出来るだけ個人の負担を減らす様に各自が心がけてくれ」

 『愚者』と『獣』を狩り出すことは国の創立、存在意義そのものにも関わる重大で意義の在る事で、かつ実際に国民の生活にも影響が及んでる。だからといって今、この状況で全軍を挙げて行動してしまうと、今度は他民族から侵攻を受けてしまう。

 「特に若、ここ連日、若にはご負担をかけてばかりおります。ですが、今は若のお力が必要な時です。申し訳ございませんが、今しばらくご尽力を願えますか」

 それに、国家の歴史教育の上では、王と王族によって『愚者』と『獣』はそのほとんどが狩られ尽くした、と教えられてる。だからこそ国民は安心して暮らして良い事になってて、だからこそ国民には国家に対して忠誠を誓う様に求めてもいる。

 「若、私の話を聞いていますか」

 けれどそれはもう過去の話、オレが生まれる少し前ぐらいから、たまにしか被害を生んでなかった『愚者』と『獣』の報告数が格段に跳ね上がり始め、国家を形成した有史初期の頃みたいに、再び積極的に『愚者』と『獣』を狩りに行かなければならない状況になった。

 『愚者』と『獣』の脅威は王族によって平定されたと既に宣言してしまってる手前、戦争以外の要因で国家非常事態宣言を出してしまえば、現・王族の信用が失われて為政に問題が生じてしまうかもしれない。

 「若、お疲れなのは重々承知致しておりますが、ここは前線です。聞こえていたらお返事を」

 だからこの事は国家機密──オレ達 MARSAF は公式には王立軍第1部隊所属、第1大隊内の第5分隊、特殊作戦遂行班のまま、軍の内部でさえも上層部だけがオレ達 MARSAF の日々の活動を承知してる。

 「若、それとも今日はもうお休みになられますか」

 誰からも表彰されたり、感謝されたりする事もないけど、影の者として民の為にこの身を捧げる。それがこの国の皇子として生まれた、オレだけの仕事だ。他の誰にも出来ない、だからオレはただやるだけだ。

 「若! お返事がなければ上官として今すぐ処分を下しますぞ!」

 オレは身体をビクッと軽く跳ねさせて、慌ててエンシ-ウルにとりつくろった。

 「あ、ああ、そうだな、すまない。聞こえてはいたんだ、ちょっと、考え事をしてしまってた、すまなかったな」

 「ちょっと若、本当に大丈夫なの? やっぱ今日はもう隊長の言う通り、休んでおいた方が良いんじゃないの?」

 ギッド-ビルがからかい半分でオレに笑いかけたが、いつものふざけてる時みたいにペロリと長い舌を出してはいない。これは割と本気でオレの体調を気遣ってくれてるっぽいな。

 「そうですよ、今日はもう王宮にお戻りになられた方が──」

 オレの右隣に控えてたルガルェ-ガッカルが心配そうな表情でオレに言ったが、オレはすぐさま首を横に振って応えた。

 「否、小集団を形成した新手の『愚者』なんて放っておけるか、オレなら大丈夫だ。オレは王族として、ちゃんと自分の仕事をするためにここにいるんだ」

 オレの言葉を聞いたエンシ-ウルは、軽く鼻息を吐きながら肩の力を緩めて言った。

 「では若、15分後に出発致します。各自、すぐに準備を開始してくれ」



 「若ー、そっち行ったよー」

 ギッド-ビルの気の抜けた声に続いて、鬱蒼 (うっそう) とした茂みの中、草藪を素早く掻き分けながらオレの方に向かってくる乱雑な音が聞こえる。さらには鼻の奥までも痺れさせるみたいな悪臭も一緒に匂ってくる。毎度の事ながら強烈な匂いだが、今回のものは特別に酷い匂いがする。気配は蛇行してるけど──これは多分、オレを誘ってんな──残念ながら、オレはその手に乗るつもりはねぇよ。

 それにしても、今日はこれで一体何匹目だ? 今日オレが手を下した『愚者』の数だけでも、すでに2桁超えてるよな。オレ以外の7人がそれぞれ処理した数も合わせりゃ、今日だけでも相当な数のはずだ。たった1日でこんな数を処理した事、今までなかったよな──。

 ひと際匂いが近くに、そして強く感じられたその瞬間、草藪の中から姿を現したその『愚者』は間髪を入れずにオレに向かって一気に飛びかかってきた。

 『愚者』の瞳からはすでに生気が失われてて、まるで焦点が合ってないみたいだった。体表にはあちこち大きく膨らんだ腫瘍 (しゅよう) ができてて、体毛はまばらに抜け落ちてしまってる。もちろん、毛艶だってとっくに失われてる。もう、この『愚者』が元はどんな種族で、どんな姿をしてたのかさえも分からない。

 「あ"あ”...あ"あ”...」

 声を出そうにも喉にも腫瘍があるのかもしれない、その声は音節を繋げる事ができなくて、『愚者』たちは短い嗚咽みたいな低い咆哮を繰り返すばかりだ。彼らが何か伝えたい事があったとしても、オレのひときわ敏感な耳でさえそれを受け止めて理解してやる事はできなかった。

 オレは飛びかかってきた『愚者』にわざと自分の左の籠手 (こて) を噛ませて、その牙を封じる。左の籠手を噛ませたままオレは全身を大きく右に旋回させながら飛び、『愚者』の首の上にまたがった。左肘を自分自身に向けて強く引きつけると、『愚者』はオレの籠手に舌を押し込まれて、苦しそうにえずく。『愚者』の口の端からは唾液が地面に向けて次々と垂れ落ちてく。

 オレは更に『愚者』の口の右側の隙間から、握り拳の状態から第2指と第3指を立てた右手をねじ込む。『愚者』は苦しみから逃れようと必死に身体を捻って、オレを振り落とそうとその場でバタバタと暴れ回る。

 「目ェ覚ませ、おらぁ!!」

 オレは咆哮と共に右の指先に念を込めて、そのまま右手を『愚者』の喉奥へと伸ばした。

 何かに触れる鈍い感触、一度指を大きく拡げる──おっしゃ、掴んだぞ。

 オレは右腕を『愚者』の口から一気に引き抜く。するとオレに掴まれた『獣』は、『愚者』の口の中から引き摺り出される様にして、その奇怪な姿をオレ達の眼前に晒した。

 それはまるで、腐りかけた臓物みたいだった。

 『獣』の表面は赤紫色に濡れて微かに蠢 (うごめ) いて、通ってる血は黒くて、それ自体が内側からめくれ上がってるみたいに見える。相変わらず酷い匂いもする。何度やっても、この匂いにだけは慣れそうもない。

 「あ"...あ"あ”...!!」

 口の中から『獣』が飛び出した格好になる『愚者』は苦しそうに、そして何かを訴えたくても言葉にする事ができず、もどかしそうに、嗚咽の様な声なき声を上げ続ける。『愚者』の両の目からは血と混じり合った、大粒の涙が次々と地面にこぼれ落ちていく。

 オレは『獣』を右手で掴んだまま、親指、第4指と第5指の爪を立てて深く食い込ませる。そして再び第2指と第3指を立てて念を込めて、右眉を吊り上げながら力強く祈りの言葉を吼える。

 「上なるが如 (ごと) く、下もまた然 (しか) り、全ては対なり、過ぎたりて及ばざり、故に予は現 (うつつ)、其 (そ) は虚 (うつ) ろなりけり、汝、影の形に従い、其の怒りの炎を燃やせ!」

 オレの祈りの詠唱の直後、オレの肘から指先に向かって稲妻の様な鋭い痛みの感覚が走り抜ける──その一瞬だけオレは気を失い、首と身体が前に崩れて『愚者』の背に覆い被さろうとするけど、すぐにオレは意識を取り戻して態勢を整え直す。

 「...あ"あ”あ"あ”あ"あ”...!!!!!」

 祈りの言葉を受けた『愚者』とそれに連なった臓物の様な『獣』は一瞬全身を痙攣 (けいれん) させたかと思うと、やはり声にならない声を上げながら、手足や首から力が抜け、そのままゆっくりと地面へ向けて崩れ落ちてった。

 『愚者』と『獣』の反応が失くなったのを確認して、オレは右手で掴んでる『獣』の一部を無造作に投げ捨て、左腕を『愚者』の口から引き抜いた。籠手は左右それぞれ『愚者』の唾液と『獣』の体液塗れで、酷い匂いを放ってる。この匂いはいくら洗っても落ちないから、戦闘の度に新品に変えるしかない。

 「若、大丈夫ですか!? お怪我は──うげぇ」

 ルガルェ-ガッカルが長刀を左腰の鞘に収めながら、心配そうな表情でオレに駆け寄ってきた。だがオレへの忠義は、この酷い匂いには勝てなかったみたいだな。ルガルェ-ガッカルは眉間に皺 (しわ) を寄せながら口から舌を出してて、その立派な髭も耳も尻尾もだらしなく垂れ下がってる。

 「何だよ、根性ねえなぁ──おえぇ」

 オレはルガルェ-ガッカルをからかおうとしたけど、加減を間違えて息を強く吸ってしまって、匂いが鼻の奥底にまで入り込んできた。今日処理した『獣』の中では間違いなく一番の酷い匂いだ。あまりの刺激臭に腹の奥底はむかついて、喉はいがらっぽくなって、目からは勝手に涙が出てきてしまう。

 「若、お見事です。今の個体が小集団の中では、やはり一番大きい個体だった様ですね」

 ルガルェ-ガッカルと同じ様に左腰の鞘に刀を収めながら、シュム-クッドが涼しい顔でそうオレに言った。が、明らかにオレとは距離を取ってて、それ以上絶対に近づいて来ようとはしない。歴戦の狩人であるシュム-クッドであっても、この酷い匂いはいつまで経っても慣れないみたいだった。

 「ねぇ、さすがに今日の状態じゃあ、このままあの狭い輸送機に乗り込むのはあり得ないでしょ? そこの河で水編みしていこうよ、俺こんだけ頑張って仕事したのに、帰り際でハル-アダールじーさんから『臭え』とか言われたくない」

 「賛成。俺もさすがに、このままはキツイなぁ」

 ギッド-ビルとアヌ-ェンのイヌ科コンビが互いに舌を出しながら、眉間に皺を寄せながら言った。

 「アヌ-ェン先輩、そこまで返り血浴びてないじゃないっすか、ちょっと大袈裟じゃない?」

 「返り血が少ないって事はそれだけ刀の扱いが上手いって事だ、悔しかったら毎回勢いに任せないで、もっと刀を慎重に扱ってみせろ。それにな、ギッド-ビル、俺の鼻は若に次いで2番目に敏感だってのを忘れたか?」

 歳下だけど物怖じしないし遠慮もしないギッド-ビル、歳上で万事しっかりしてる様でいて時折抜けてたりもするアヌ-ェン、この2人の性格は真反対だけど、意外と日々仲良くやってる。2人は良いコンビで、仕事で互いに足りない部分を、無意識の内に補完し合ってるのかもしれない。

 「大袈裟で良いんだよ、この匂いがついたままじゃあ、通信機器に触れる気にもなんねえよ」

 エ-ドゥブが憮然 (ぶぜん) とした表情で、そうぼやいた。

 エ-ドゥブをよくよく見てみると、自慢の立派な鬣 (たてがみ) に『獣』の体液が派手に飛び散ってる。腕よりもさらに鼻に近い位置に酷い匂いの元があるんだ、エ-ドゥブがそうぼやきたくなるのもオレには充分過ぎるほど分かる。

 後方支援担当のハル-アダールとズィ-ズーは、今回に限っては念のため、作戦展開範囲から少し離れた場所で輸送機を待機させてくれてる。その2人を呼び出すには通信機器を起動させてこちらから連絡を取らないといけない。けどここまで身体のあちこちが汚れてると、この手で精密機械に触れるのは誰しもためらうってもんだ。

 「隊長、大丈夫ですか!? すぐに水を持ってきますから──」

 「あ、ああ、大丈夫だ、そんなに慌てなくて良い」

 対照的な様子の2人の声に後ろを振り返ると、血相を変えたアマ-ジ、エ-ドゥブ以上に憮然とした表情のエンシ-ウルが、草藪の中から姿を現した。

 あーそりゃあそうなるだろうな、エンシ-ウルは顔面を含めた上半身前面のほとんどに『獣』の返り血を浴びてる。鼻先に直接あの匂いがつきゃあ、この表情になるに決まってる。

 オレ達はエンシ-ウルの怪我の具合を心配してそれぞれに口を開きかけたけど、その前にエンシ-ウル自身が片手を挙げてそれを制した。

 「大丈夫だ、怪我はしていない。ただ返り血を浴びただけだ」

 「俺がヘマしちゃったばっかりに、隊長が俺をかばってくれたんですよ! 俺が責任もって毛繕いしますから、ね!? 今水持ってきますから、ね!?」

 エンシ-ウルのすぐ横でアマ-ジが大きな声と大きな動きで皆んなに状況を説明してくれてるけど、今のエンシ-ウルにとってそれはあんましありがたくはないモノみたいだった。

 「頼む、静かにしてくれ、この匂いのせいで、頭に響くんだ──」

 エンシ-ウルの髭も耳も尻尾も、地面に向けて力なく垂れ下がってる。隊長として部下をかばった栄誉の返り血ではあるだろうけど、エンシ-ウルのこんな姿は中々お目にかかれるもんじゃない。オレとエ-ドゥブは目を合わせて少しの間だけ耐えてたけど、どちらともなく耐えられなくなって次第にオレ達2人は腹を抱えて笑い出した。

 「やっべえ、すげえ顔してんぞ、エンシ-ウル!」

 「こりゃ傑作だ、手先が汚れてなけりゃ写真でも映像でも撮っておきたいぐらいだな!」

 このメンツの中で今の状況を笑えるのは最年長のエ-ドゥブと、王族であるオレだけだろう、オレ達2人、原因を作ってしまったと焦ってるアマ-ジ、そして当のエンシ-ウル本人以外の4人は、笑いたいけれど必死に我慢してそれを表情に出すまいと耐えてるせいで、どうにも表現しづらい、面白い顔になってる。

 エンシ-ウルはオレ達 MARSAF の隊長を務め、指揮官として優秀な軍人であると同時に、名実ともに誰もが認める獣狩りの名手、狩人でもある。それもそのはず、エンシ-ウルの『愚者』と『獣』を狩る力をここまでに育て上げたのはオレの父さん、父王陛下だ。

 父王陛下もかつては今のオレと同じ様に率先して『愚者』と『獣』を狩って、当時はまだ若かったエンシ-ウル、シュム-クッド、エ-ドゥブ、そして新米隊員だったアヌ-ェンを含めた兵達を引き連れてた。オレが現場で問題なく任務を遂行出来る姿を見届けてから、父王陛下は狩りから引退して、政務に集中する生活を送る様になった。

 エンシ-ウルはもともと若くして宙軍第2部隊の護送式典第3大隊所属、エースパイロットに抜擢された男で、要人警邏に対するその高い能力と人望とを父王陛下に認められて、今の MARSAF に引き抜かれた、っていう華々しい経歴の持ち主だ。

 王宮でただひとりの王位継承者として生まれたオレにとって、狩りに赴く父王陛下や MARSAF の隊員達の姿はまるで神話の英雄みたいに映った。そしてオレは彼らを実の兄みたいに慕った。

 エンシ-ウルは大きくため息を吐いてその広い両肩を落とした。オレは不必要にエンシ-ウルの誇りを傷つけるつもりはない。そしてそれはエ-ドゥブも同じだったみたいだ。

 「──あー笑った笑った、けど俺の大事な息子を守ってくれた栄誉の返り血だからな、父親として礼を言う。ありがとうな、エンシ-ウル」

 親指を立てた右の握り拳の先を自身に向け、エ-ドゥブは穏やかな表情でそう言った。

 ヤマネコ族のアマ-ジはライオン族のエ-ドゥブの息子だ。

 もちろん、血の繋がった息子じゃない。エ-ドゥブは、パートナーさんとの間には子供を作らなかった。婚礼よりもずっと前から、パートナーさんの身体が出産に耐えられないだろうとの医学的判断が2人に示されていたからだ。2人は時間をかけて何度も何度も相談を重ねて、そして養子を迎え入れる決断をした。こうして幼いアマ-ジが新たな家族の一員となった。

 アマ-ジがエ-ドゥブ達の元にやって来てからしばらくして、エ-ドゥブのパートナーさんは亡くなった。それからエ-ドゥブは男手1つでアマ-ジを育て上げて、そのアマ-ジはエ-ドゥブの背中を見て育って、エ-ドゥブの後ろ姿を追って若くして王立軍の兵士となった。

 「ええ、それが俺の仕事ですから」

 エンシ-ウルも穏やかな表情を見せてエ-ドゥブに応えた。

 ひと通り笑い転げ終わって呼吸の落ち着きを取り戻して、2人のその様子を見届けたオレは、皆んなに向かって言った。

 「よっし、おかげで元気が出たぞ。じゃあまずはすぐここの河で沐浴 (もくよく) をして、とりあえずこの汚れを落としちゃおうぜ!」



 籠手の内側、左右の前腕に今は痛みはないものの、まだ焼けつく様な鈍い感覚が残されてる。

 「おい、ルガルェ-ガッカル、籠手を外してくれ」

 『祈りの言葉』を詠唱した後、しばらくの間オレの指先からは感覚がなくなる。握力自体はあるけど、指先で物に触れた感覚が分かりにくくなる。刀の柄 (つか) を握り込む事は出来ても、紐を結んだり解いたりする様な指先を使った細かい作業をする事は難しくなる。籠手を外すのもオレ1人じゃできなくて、誰かに頼んでやってもらわないといけなかった。

 「もちろんです、若。少しお待ち下さい」

 さっそくルガルェ-ガッカルがオレの前に来て、両腕の籠手を前腕に固定している紐を解きにかかってくれた。

 『祈りの言葉』は確かに強力だ。『愚者』の動きを封じて、通常兵器や質量兵器を拒絶する『獣』を仕留めるのに、この『祈りの言葉』は欠かせない。

 そして、オレの『祈りの言葉』は特別だ。オレは1小節の詠唱1回のみで『獣』をしとめる事ができる。だがオレ以外の7人は、1回の詠唱だけでは『獣』をしとめ切れない。刀を併用して『愚者』の動きを牽制しながら、『獣』が息絶えるまで何度も繰り返し『祈りの言葉』を唱え続けなければならないのだ。

 ただし、オレはその代償として、詠唱の後には身体、特に腕への強い反動が来る──肘から先、特に指先の感覚がなくなる。それだけで済めばまだ良いけど、疲労が蓄積していたりどうにも調子が悪い時には、吐き気、頭痛や発熱まで現れる事もある。他の皆んなには、こんな症状は起きない。けどそうなるって分かってても、オレは王族として臆さずに『祈りの言葉』を唱えなきゃならない──これこそがオレの力、オレが王族である理由だからな。

 以前、エンシ-ウルがまだ幼いオレに説明をしてくれた事がある。オレの生まれ持ったこの力は特別で、過去歴代の王族の中でも最も抜きん出たモノなんだ、って。

 ならきっと、オレはこのためにこの世界に生まれてきたんだ。そして力ってのは、使うためにあるもんだ。だからこそオレは、日々こうして前線に出続けてる。

 「若、このままお召し物も」

 そう言ってルガルェ-ガッカルは、籠手に続いてオレの着てるタクティカルベストに手をかけた。オレは素直に応じて、腕を抜く動作に協力しながらベストを脱がせてもらった。

 王立軍はそれぞれの所属部隊専用に仕立てられたタクティカルベストを着用してる。ベストの胸部と背面には各隊の略称をデザイン化したシンボルマークがあしらわれてて、どの部隊配属なのかを視認しやすくさせてる。また、特定の戦果を挙げた部隊員はベスト前面胸部に勲章・徽章 (くんしょう・きしょう) をつけてもいて、ひと目見ただけで配属されている部隊での活躍の度合いがすぐに分かる様にもなってる。

 けど MARSAF は影の部隊だ。どれだけ『愚者』と『獣』を狩ったとしても、公の場で労われる事もなければ、感謝される事も、表彰される事もない。どれだけ頑張っても、このタクティカルベストの胸に勲章・徽章は増えない。

 (今日の最後にしとめたヤツ、オレに何を言いたかったのかな...)

 最後の『愚者』の放った嗚咽──声にならない声が、いつまでもオレの耳底にこびりついて離れない。『獣』に取り憑かれる前の『愚者』にだって、オレ達と同じ様な生活、仕事や役割、そして人生があったはずだ。この『人』は、以前はどんな『人』だったんだろう。

 『獣』に寄生されたら最期、遺伝子が書き換えられて、元の個体を識別できるだけの情報はほとんど残らなくなってしまう。軍属であれば個人を証明するタグを持ち歩いている事が多いからまだしも、一般市民ではそうもいかない。この『人』のルーツを辿る事は、他人であるオレにとっては酷く難しい。

 今、オレの目の前には滔々 (とうとう) と流れゆく薄桃色の大河がある。

 遥か向こうの対岸には、集落やプラント施設群が芥子粒 (けしつぶ) の様な大きさでかすかに見えてる。この河はオレ達の国の生活を支える命の水、大切な水脈だ。河沿いには多くの集落や施設が点在してる。この付近のプラントはダメになったけど、今日の作戦行動ではとりあえず集落の安全を確保する事ができて良かった。

 だがプラントの再建にも、集落の人々が『愚者』と『獣』によって与えられた衝撃から立ち直るのにも、それなりに時間が必要だろう。『獣』が神出鬼没であり、その生態もまだ完全には解明されていないともなると、人々の中に疑心暗鬼が募ったとしても無理もない。

 「ねぇ若、早く入れば? 皆んな待ってんだけど」

 オレはギッド-ビルからの声かけに、ふと我に帰った。

 ギッド-ビルが言う皆んな、とはイヌ科の4人、ギッド-ビル、アヌ-ェン、シュム-クッド、エンシ-ウルだけだ。オレを含めたネコ科の4人は待ってなんていねえ。その証拠に、イヌ科の4人は河縁ギリギリに近づいて待機してるのに、ネコ科の残りの3人は河縁から若干距離を取ってる。

 「あ"あ”? うっせえな、今入る! ちょっと考え事してたんだよ!」

 オレはギッド-ビルに怒鳴り返した。

 沐浴が嫌いな訳じゃねえし、むしろ身綺麗にする事は好きだ。ただ、水に毛が濡れる最初の感覚だけはどうにも慣れない。全身の毛が逆立ってしまう。イヌ科の奴らは気楽で良いよな、大事な毛並みが濡れても大して気にもならないんだろ? そしてギッド-ビルはオレをイラつかせるのが毎回上手い。

 「ねぇ若、早くしてよ、いつもの早くやってよ」

 ギッド-ビルは尻尾をピンと真上に立ててオレを煽る。オレへの期待を膨らませてこっちを見ているアヌ-ェンはまだ分かるけど、普段と変わらない涼しい顔のシュム-クッド、憮然とした表情のままのエンシ-ウルの大人2人でさえも、その尻尾を真っすぐに天高く伸ばしている。何だかんだ言って、この河に入るのを大人の隊長と副隊長も楽しみにしてる、って訳だ。

 「分かってるっつーの! 待て、ちょっとだけ待ってろ!」

 オレの言葉を受けてギッド-ビルとアヌ-ェンの顔が遂にニヤけ出して、真っすぐ上に伸ばしてた尻尾が勢い良く左右に振れ始める。シュム-クッド、エンシ-ウルはやはり表情を変えようとはしないけど、ギッド-ビルとアヌ-ェン以上に大きく左右に旗めいてい尻尾を見て、オレは意を決して河縁に近づいて、そして河面を覗き込んだ──静かに流れゆく河面には、オレの姿形が映し出されてる。



 顔立ちは大型ネコ科肉食獣、ライオン族やトラ族みたいだ。

 けど鬣 (たてがみ) はライオン族と同じ頭から首周り、そして胸にかけて長く生えてるんじゃなくて、ライオン族の鬣の長さよりも3分の1程度の長さの毛が頭のてっぺん、そして顔周辺から顎下にかけてだけ生えてる。頭の横や後ろの毛の長さはずいぶんと短くて、父さんみたいには長くない。正面から見れば、かなりすっきりした印象だ。

 全身は父さんと同じ純白の毛並みに包まれて、体の横や手足、そして長い尾には母さん由来、トラ族に似た黒いシマ模様が入ってる。けど、トラ族ほどのはっきりと分かる様な濃さじゃない。尾だってトラ族みたいに全体が長い毛で覆 (おお) われてる訳じゃなくてライオン族のそれに近いけど、尾の先端に広がる毛の量はライオン族よりも少な目だ。

 鋭い眼光を放つ両目は光の角度によって茶色、緑、黄色、そして金色へとその色合いを次々に変えてく。鼻先はやや暗みがかった薄紅色、少し開きかけた口元から見える大きく発達した牙は、一切のムダを省いた筋肉質なその身体と共に、狩りに適してるって事が分かる。そして鼻の左右にはそれぞれ横へピンと伸びる、まだ父さんほどじゃないけど、それなりに立派な髭 (ひげ) が蓄えられてる。



 そう、オレはライオン族の父さんとトラ族の母さんとの間に生まれた混血児、ライガー族だ。

 しかも父さんはホワイトライオン、母さんはホワイトタイガーで、だけどオレはそのどっちでもない。オレは2人の特徴をちょっとずつ受け継いで生まれた。この国──否、この星ではライオン族とトラ族にとって、オレが初めての混血児らしい。だからライガー族はこの世界でオレ1人だけだ。

 足先をゆっくりと水に浸ける。

 全身の毛並みが一気に逆立って、髭と耳と尻尾が一斉に天を向く。

 刺すほどには感じられないけど、やっぱり水だ、冷てえ。だが一度入ってしまえば大丈夫だ、苦手なのは最初の感触だけだ。オレはそのまま大河の穏やかな流れの中へと歩みを進めて、腰の高さ付近の水深まで辿り着いた。

 オレはおもむろに右の握り拳を前に突き出して顔の高さへと掲げ、握り拳から第2指と第3指とを真っすぐ伸ばした。そして深く息を吸って、指先に念を込めながらオレは『祓いの言葉』を詠唱する。

 「上なるが如く、下もまた然り、内なるが故に、其は外へ顕る、五根、六根、常に用いをなし、故に心性は清く、故にここ示めされり、汝、影の形に従い、其の怒りの炎を燃やせ!」

 詠唱の後、『獣』を処理した時と同じ様に、オレの肘から指先に向かって痛みの感覚が走り抜ける──けど気を失うほどの強さじゃない。『祈りの言葉』の時とは、消耗する感覚が少し違う。詠唱の直後、オレは膝を屈めて腰を落として、河の流れに肩まで浸からせる。すると、大河の穏やかな水流によって『愚者』と『獣』の体液が綺麗に洗い流されてく。

 「待たせたな──おっし、行け!」

 オレの言葉を合図に、イヌ科の4人が一斉に河面へ飛び込んでく。ギッド-ビル達は、オレに「待て」と言われるのを待って、そしてオレに待たされてから「行け」と言われて一気に河に飛び込む一連の事までをも待ってた──イヌ科のヤツらは、相変わらず面倒な遊びを好むんだよな。

 オレはその様子を見届けるとすぐに立ち上がって、河縁まで歩いて戻ってった。

 「毎度の風景だが、あいつら何が楽しいのかさっぱり分からんなぁ」

 「だね、俺もちょっと分からない」

 ライオン族、最年長のエ-ドゥブとヤマネコ族、最年少のアマ-ジの親子は息ぴったりに互いに目を見合わせてぼやいてから、4人のはしゃぐ様子を遠い目で眺めてる。

 こうして2人の姿を見てると、家族には血の繋がりは全く関係ないんだな、って事が良く分かる。それだけ2人は仲が良くて、互いを信頼し合っている様子が、オレの目に、耳に、鼻にもちゃんと伝わってくるからだ。

 オレはそのままエ-ドゥブの前まで歩いて、右手を出しながら言った。

 「エ-ドゥブさん、やるよ」

 「おお、助かるぜ。やっぱお前の『祓い』が一番効くからな」

 オレはさっきと同じ様に右の握り拳を前に突き出して顔の高さへと掲げて、握り拳から第2指と第3指とを真っすぐ伸ばした。そして深く息を吸って、念を込めた指先をエ-ドゥブの胸骨の中心付近に軽く押し当てながら、オレは『祓いの言葉』を詠唱した。

 詠唱の直後、エ-ドゥブの身体がわずかに揺れて、エ-ドゥブは一瞬だけ反射的に吐きそうな様子を見せたけど、実際には吐かなかった。立派な鬣 (たてがみ) は血で汚されてても、体内にはあんまし吸い込んでなかったらしい。エ-ドゥブはすぐに河面に入って全身の毛並みを清めると、またすぐに陸に上がってきた。

 『愚者』と『獣』の体液は、『祓いの言葉』を唱えなくとも時間をかけて洗い流せば落とす事は出来る。だがとにかく時間がかかって、特に匂いは汚れがなくなった後でもしつこく残る。『祓いの言葉』を唱えて水に流せば汚れも匂いもすぐに消えてなくなるから、『祓いの言葉』を使った方が合理的だ。それに何回も連続で詠唱しても、『祈りの言葉』ほど体力を消耗する事もない。

 オレはすぐ横で待機しているアマ-ジ、そしてルガルェ-ガッカルに対しても、順に『祓いの言葉』を唱えてった。

 「あースッキリした! 若、ありがとうございます。父さんも良かったね」

 「若、祓いのお言葉、痛み入ります」

 アマ-ジもルガルェ-ガッカルも、河の流れに浸かって毛並みを清めるとすぐに上がって戻って来た。遠くではイヌ科の4人がギャンギャン吠えて尻尾をバタつかせながらじゃれ合って、まだはしゃいでる。

 オレは声を張り上げて4人に呼びかけた。

 「おーい、お前らもやるぞーこっち来いよー!」

 するとイヌ科の4人は耳と尻尾を高く上に向けて、すぐに全力で泳いで河縁まで戻って来た。どうして何もない場所を行き来すんのに、この4人はこうも楽しそうに振る舞えんだろうか。オレからすると謎でしかない。



 「若、今日もお疲れ様でしたな。若のご活躍、このハル-アダール、嬉しゅうございますぞ!」

 「おかえりなさいませ、若」

 沐浴、という名のじゃれ合いの後、通信機器で MARSAF で後方支援を担当しているハル-アダールとズィ-ズーを呼び出して、隊専用の移動車両を回してもらって合流した──これで現 MARSAF 隊員の10人が全員集合だ。

 ハル爺ことオオカミ族のハル-アダールは現 MARSAF で最も爺さ──否、最古参のメンバーで技術通信を担当している。その知識と技術は非常に高度で、若輩者ではハル爺に到底敵わない。そしてジャガー族の青年ズィ-ズーは情報分析担当でありながらも実はいざとなったら激しい戦闘も卒なくこなす事ができる、2人共 MARSAF には欠かせないメンバーだ。その2人がいつもの様にオレ達を笑顔で出迎えてくれる。

 「相変わらず、ハル爺は大袈裟過ぎんだよ。ズィ-ズーも出迎えご苦労」

 ハル爺は昔っからオレを褒める時、たっぷりの愛情表現を見せてくれる。こんな風に褒められりゃオレだって嬉しいし、本当はもっと素直に喜びたいところだが、皆んなの手前ちょっと気恥ずかしい。それに、王宮に帰って戦果を報告するまでは、MARSAF 隊員としてまだ気を抜く事は許されない。

 オレは右手で握り拳を作り、同じく右手で握り拳を作ったハル-アダールとズィ-ズーに、互いの拳を当てて挨拶を交わす。オレの後に続いて、エンシ-ウル以下他の MARSAF 隊員7名も次々と拳でハル-アダールとズィ-ズーの2人に挨拶をしていく──これが作戦が無事終わった後の、オレ達 MARSAF のお決まりの挨拶だ。

 「では早速、王都まで戻りましょう。若、王都までの間に少しでも仮眠をお取り下さい」

 「ん、分かった、そうする。いつも気遣いありがとうな」

 オレはズィ-ズーからの優しい声かけに応え、移送車両の後方に乗り込んだ。車両の後方部は中が広く造られていて、10人ぐらいの大人が並んでベンチに座れるようになってる。オレは早速、運転席寄りの一番奥のベンチに腰かけ、目をつむった。オレの後に続いて、他の隊員達も乗り込んでくる。

 移送車両の運転は大体いつもズィ-ズー担当で、時々エ-ドゥブやエンシ-ウルの年長者2人がハンドルを握る事もある。ハル爺は年のせいか目が悪くなったとかで、自分から運転はしたがらない。そして今日はいつも通り、ズィ-ズーが運転するみたいだ。優しく静かな発進だったから、目をつむっててもオレにはすぐにズィ-ズーだと分かる。

 オレの隣に誰かが座った──この匂いと触れる毛並みの感触からして、隣に座ったのはきっとルガルェ-ガッカルだ。移送車両の中でルガルェ-ガッカルはいつもオレの隣に座る。オレの御側付なんだから、当然と言えば当然だが。続けてオレの身体の前面に、柔らかい布地がかけられた感触を覚える。これもルガルェ-ガッカルがかけてくれたのだろう、ルガルェ-ガッカルの気遣いが満身創痍の身体と心に沁み渡る。

 ──さすがに良い加減、疲れたな。今はもう寝る以外、何もできそうにない。

 オレは姿勢を崩して、隣のルガルェ-ガッカルの巨体に身体をもたれかからせた。オレの体重をかけたぐらいじゃ、ルガルェ-ガッカルはびくともしない。それどころかルガルェ-ガッカルの呼吸のリズムで、むしろオレの身体の方が揺れる──次第にオレの呼吸は、ルガルェ-ガッカルが生み出す温かいリズムと1つになっていった。

 ルガルェ-ガッカルの匂いと強い熱気とが発せられているのを、布地越しに感じとれる。親しい仲間の体温を近くに感じると、どんな時でも不思議と安心感を覚えるものだ。オレの意識はルガルェ-ガッカルの呼吸の調子に連れられて、次第に闇の中へと溶けていった。

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