二 愛泉(アミ)
私は夏川愛泉。
18歳。
私がいるところ。
ここは更生施設。
私が来たのは14歳の頃だった。
罪は親殺し。
お母さんを殺した。
私の家は母子家庭で……
私は妹と暮らしてた。
お母さんは……
最低のクソで、酒に酔っては私と妹に暴力をふるった。
質の悪い男と付き合って、そいつが家に来るときは更に酷かった。
このままでは殺される。
そう思った私は、ある日、お母さんを殺した。
その後、警察に捕まって……
そして鑑別所からここに来た……
施設は主に身寄りのない犯罪を犯した未成年の「女子」を入所させてる。
それも殺人やら強盗だの、いわゆる凶悪犯罪に手を染めた者。
ただ、未成年だから更生の可能性を鑑みて鑑別所から少年刑務所ではなく更生施設に入れられた。
ただ……
私から言わせたら少年刑務所の方がはるかにマシ。
ここは最悪という言葉も生温い、本当に極悪な施設。
街から隔離されたように山の中にポツンと建てられた絢爛豪華な建物。
ぱっと見、レジャー施設と見紛うくらい綺麗で、中の設備もホテル並み。
でも裏でやってるのは売春館。
相当金ばらまいてるせいか、警察も黙認状態。
ていうか、客に警察の人いるからね。
前に脱走してここのことを警察に訴えた子が、警察に送り届けられて帰ってきた。
次の日からその子の姿は見なくなったっけ……
私たちが自由になるには、ここを管理してる奴等が全員消えない限り無理。
ここを出て行った子がどうなったか?
知らない。
ここにいて外のことなんてわかるわけないし。
ただ……
絶対秘密のこんなやばいところを出たら普通じゃすまないよってのはわかる。
私もこのまま終わっちゃうのかなって思うことがある。
悪人を流せないなら私だけでも流してほしいって思うことも。
でもそれが変わった。
それはここにきて一年が過ぎたころだった。
たしか五月……
日差しが強くなって暑くなってきた頃の昼だった。
退屈な授業が終わって昼食をすませたときに日向が私の前に現れた。
「注目――!!」
食事の後にみんながくつろぐホールに教官の声が響く。
見ると高級なスーツを窮屈そうに着た、ガマガエルのように肥えた男が教官数人を引き連れて、横に可憐な少女を絶たせていた。
「あっ、鯨螺だ」
「ほんとだ。あの子誰?」
鯨螺というのはここを管理している男。
表の顔はこの街の名士らしい。
つまり「良い人」。
でも本当はこの売春施設を管理してる下種野郎。
そしてこいつ……
私のこと気に入ってる。
「今日から君たちと共に更生する仲間を連れて来た」
教官に促されて少女が一歩前におずおずと出る。
黒い髪を後ろで二つに結んだ、色白で背は小さく、どこか垢ぬけない感じ。
でもクリッとした目に愛くるしい顔立ちは、どこか放っておけない感情を掻き立てるようなタイプ。
まさに「可憐」という言葉がピッタリだ。
「あ~ウォッッホン!みんな仲良くするんだぞ!わからないことは聞かれたら親切に教えてやれ!なんでもな」
鯨螺の言葉にみんなが顔を伏せる。
でも私だけはその少女のことを見ていた。
「愛泉」
ニコニコと破顔しながら鯨螺が私を手招きした。
「ここを案内してやってくれ」
「いいよ」
チラッと少女を見る。
「どうだ~可愛い蕾だろう?」
鯨螺が下卑た笑みを浮かべて少女の肩を抱いた。
ビクッっとおびえる少女。
「ん~?そんな怖がらなくていいんだよ。みんな優しいからね~」
宥めてから私を見ると手招きして傍へ寄らせる。
「今日の夜は空いてるか?」
「さあ…聞いてみないと」
客が入ってるかどうかなんて昼間はわからない。
売春スタートは日が暮れてからだから。
「なら全部空けとけ。いつものようにチップも弾むから」
「ほんとに?」
「どういうことかわかるか?」
「その分サービスしろってことでしょ?」
「そうだ!楽しみにしてるぞ!ウキキッ!」
やれやれ……
こんな奴にも媚びないと。
嫌とか嫌いとか言ってられる次元じゃない。
まあ……金払いは超いいから。
「うん!じゃあ案内をよろしく頼んだぞ!」
「は~い」
「じゃあまたね」
ニコヤカに私と少女に手を振ると鯨螺は教官を引き攣れてホールから出て行った。
まだおびえる少女にみんなの視線が注がれる。
ん~……
「行こうか」
肩をポンと叩いて微笑みかけた。
強張っていた少女の表情がわずかに和らぐ。
先を歩く私の後をおずおずとついてくる少女。
「さっきあなたを連れてきたのは鯨螺っていうの。ここの管理者……ボスかな」
「はい……」
「私、夏川愛泉。あなたは?」
「日向……藤崎日向です」
「ヒナタね!OK!」
ヒナタってどんな字だろう?
「ねえ?ヒナタってどう書くの?」
「日に向かうって書きます」
「へ~いいね!なんか温かそう!」
私が言うと日向ははにかむように笑った。
最初に私たちが寝る部屋に案内した。
ここは地下にあって、完全に上のフロアとは隔離されてる。
「ここが寝る部屋、人がいるから慣れるまで寝付けないかもしれないけど……まあ、すぐ慣れるよ」
「はい」
「荷物はベッドの下に置いて」
「あなたのベッドは……ああ!これこれ」
「はい」
小走りに来た日向は抱えていたボストンバッグをベッドの下へ押し込んだ。
「うん!綺麗なシーツ、まっさら」
白いシーツが蛍光灯の光を反射してる。
「換えのシーツはあの棚、古いのはあの袋に入れてね」
部屋の隅にあるシーツが積まれた棚と、使い古しのシーツを入れる袋を指さした。
次は私たちが勉強する教室を案内。
表向きは更生施設だから。
こういうのもある。
そしていよいよ上のフロアを案内するわけだが……
「さあ、こっからが本番だけど……聞いてるよね?」
「は、はい」
日向の表情がすこし曇る。
でもしょうがない。
「じゃあ……上のフロアを案内するね」
廊下に出てからエレベーターに乗り、三階にあるラウンジへ行った。
昼間なのでホールの照明は三分の一しか点いてない。
豪華なソファーとテーブルが何組も並べられ、中央には大きなシャングリラが垂れ下がっている。
「ここはキャバクラみたいなもん。金持った客が来るから、私たちが隣に座って一緒に飲んだりするの」
「私……飲んだことないです」
「そっか。まあ、そのうち慣れるよ」
「……」
「この裏にはメイク室もあるから」
ここから先を説明するのは正直、気が重い。
でもしないわけにはいかない。
それに日向もここに来る間、一通りの説明は受けてるはず。
最初の私みたいに。
「で、お客さんが飲めば飲むほど私たちにもお金が入るし、気に入られるとチップも貰えるの、で」
一旦区切って続けた。
「私たちを指名した客が望なら、さらに上のフロアで二人きりでサービスするの」
「サービス」
「そう。まあ、寝るってこと。おいで」
ホールから出て一つ上のフロアに行くと、左右にたくさんのドアが並んだ薄暗い廊下に出た。
その中の一つを開ける。
「ここがその部屋」
床と壁が白くて、大きな窓がある。
壁には70インチの液晶テレビ、その前にキングサイズのベッド。
ベッドの頭の方、部屋の中で一段高いスペースに四人くらい座れるソファーとテーブルがある。
かなりゴージャス。
これには日向も驚いて、目をぱちくりさせてち。
「お風呂とトイレはそっちの奥ね。テレビの横にあるのは冷蔵庫」
部屋の中を説明しながらふかふかのベッドに腰掛けた。
「ここで客とやるの」
「はい」
「あと、この部屋に客が泊まるときもあるから。そういうときは稼げるチャンスだからさ」
日向はベッドに腰掛けた私の前で、固まったようにつっ立ってる。
「おいで」
私の横に腰掛ける日向。
「私も嫌だったよ」
日向は頷く。
「でもどうにもならない。だから考えない事にした」
「……」
しばらく私たちの間に沈黙が流れた。
「それから大事なこと言っておくね」
「大事なこと?」
「うん。命に関わる」
「ええっ……」
「お客は外からくる。だけど外へ伝言を頼んだり、ここのことをバラすような真似はしちゃダメ」
「ど、どうして?」
「前にもいた。客に頼んでここのことをバラそうとした子、脱走しようとした子、みんな死んじゃった」
日向の顔が白くなった。
「意味、わかるでしょ?だから下手な真似はしないこと」
「どうして?」
「えっ」
「どうして誰も助けてくれないんですか?」
「みんなグルなの」
ここに来る客は非合法な買春を行ってる自覚がある。
みんな社会的に成功してる連中。
中には政治家とか警察までいる。
ここのことが明るみになるのは自分たちの違法行為を白日の下に晒すことになるわけ。
だからみんなだんまり。
「それにヤクザとかクスリの取引にここ使ってるし。私たちはそういう現場をたくさん見てる。生かしておけないでしょう」
日向にこのことを話すと表情は一気に暗くなった。
でもしょうがない。
現実を知らないと。
変に希望をもっても死んでしまったら意味がない。
「話題変えよう」
「はい」
「とりあえず敬語はイイから。私そういうの苦手なの」
「そうなんですか?」
「うん。だからタメ口でいいよ。みんなそうしてるし」
それから明るめの話題、まあ…ここにいて明るめの話題っていうのも変な話しだけど、今までついた変な客のことを面白おかしく聞かせた。
一時間くらいしたころには日向もすっかり打ち解けて、私のことを「愛泉ちゃん」なんて呼ぶようになった。
鈴の音を鳴らすように笑う日向を見ていて愛らしいと思った。
そして死んでしまった妹を思い出した。
『この子を守りたい』
柄にもなくそう思ったんだ。
私にできることなんてほとんどないかもしれない。
でも『守ろう』って。
その後は私と仲が良い夏樹と蓮華を紹介した。
夜になると私たちについてお客の相手をした。
といっても初日はホールでの仕事内容を学ぶためにお客と寝ることはない。
でも二日目からは求められたら応じないといけない。
その時を考えると胸が痛んだ。
そして二日目。
日も暮れるころ、私たちは夜の準備で着替えてメイクをしていた。
私は早めに自分の準備を終えると、まだ慣れずにいる日向の傍へ行った。
「手伝おうか?」
「う、うん」
日向に似合いそうなドレスを二三着選んで見せた。
その中から選んだのを着た日向に今度はメイクを教えてあげる。
「髪はどうする?」
日向の髪は肩より少し下の黒髪。
日向は私の髪をちらっと見た。
「みんな…愛泉ちゃんも染めたりしてるけど、どうしてるの?」
「月に二度美容室が出張してくるの。専用の部屋があって、毎回混むんだよね」
「そうなんだ」
「染めたい?」
「うん」
「じゃあ来週来るからそのとき言いなよ」
「わかった」
「で。とりあえず今日はどんな感じにする?」
「愛泉ちゃんみたいに巻きたい」
「OK!座ってみな」
日向を化粧台の前に座らせると、支度にかかった。
「愛泉ちゃんのお客さんってどんな人?」
「昨日話した通りの変態オヤジ!いらねーってのばっか!」
半ば笑いながら吐き捨てるように言った。
「そうなんだ」
日向は私の反応を見て笑う。
「最初は死にたくなるくらいだった」
「えっ」
「でもこうして生きてる」
日向の髪をいじりながら続けた。
「だから日向も。ね?」
「うん」
日向は笑顔でうなずいた。
でもホールに出るのが近付いてくるにつれ、様子が変わってきた。
日向の肩が小さく震えていた。
さっきまでの笑顔も引き攣ってる。
後ろから日向をそっと抱きしめた。
「愛泉ちゃん……」
抱きしめる私の手に日向が手を重ねる。
日向がなんでここに来たのか、私は聞いていない。
この可憐な少女がどんな罪を犯したのか?
この子を極力護りたいと思った。
でも私はあまりに非力で、護れるのは所内の小さなことくらい。
金で私達を性処理に使う、汚い豚共からは守ることができない……
日向を抱きしめる腕に力を込めた。
こんなことしかできないなんて……
「ありがとう愛泉ちゃん」
日向からのお礼が余計に無力さを痛感させる。
その日、日向は始めて客と寝た。
夜中帰ってきてなかなかトイレから戻らない。
嫌な予感がした私は廊下にでた。
ヒッ……ヒッ……
押し殺したような泣き声。
薄暗い廊下の先を見ると、青白い非常灯の明かりの影に日向が座り込んでいた。
泣き腫らした目を私に向ける。
何も言わずに横に座ると方を抱き寄せた。
「愛泉ちゃん?」
私を見る日向の頬をなでると、日向がその手を掴んだ。
そのまま顔をクシャクシャにして声を殺して泣く。
「いやだよぉ…いや……」
私まで泣きたくなったけど、堪えて日向を強く抱きしめた。
誰もいない暗い廊下に私達二人だけ、ずっとずっと震えていた。
このときだった。
『ここを出よう!』
『自由になろう!』
と思ったのは。
震える日向の肩を抱く自分の無力さを実感したとき、ここを出るしかないと思った。