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あの人を埋めるもの

作者: 渋音符


 私の探し物はなんだろう。

 そんなことを、三か月前からずっと思っていた。「探し物は何ですか」というある歌のフレーズが、頭の中でぐるぐると回っていた。その歌の続きの通り、私にとってその探し物は見つけにくいものだ。何故なら私は、その探し物が何であるかさえ分かっていなかったのだから。

 胸の奥にある空白のようなもの。それを埋めるものが何なのかを、私は三か月もの間ずっと探していた。そして、ようやく気付いたのだ。私の空白を埋めるものなんて、一つしかないことに。

 私の探し物。それはきっと、あの人のことだろう。あの人との思い出のことだろう。そして、あの人との思い出と一緒に置いてきた、あの夏の暑さのことだろう。

 あの人は、私にとってはとても大切な人だった。きっとあの人にとっても私は大切な人だったのだろう。そう思いたい。

 あの人との思い出は鮮明だ。色鮮やかで、眩しくて、輝いていた。けれど、それをいつまでも覚えていられるほど、私は心が強くなかった。深く、暗い悲しみが、私の記憶に靄をかけているのだ。それはまるで、一種の病気のように。

 探しに行こう。そう思った。私が全部忘れる前に。私が夏と一緒に残していった思い出を、探しに行こう。

 これは捜索ではない。捜索と呼ぶにはあまりにも頼りがないのだ。だが、模索という訳でもない。手がかりが全くないという訳でもないからだ。

 言うなれば、これは探索。

 三か月前、あの人と過ごした最後の夏。

 それを探しに、私は家を出た。


  ◇


 使い道が特に思いつかず、とりあえず貯金していたアルバイト代が初めて役に立った。どこかで使うかもと思って取っておいた運転免許も埃を被らずに済んだ。

 今は車を電話一本でレンタルできるのだから、便利な時代になったなと思わずにはいられなかった。我ながら老人臭い思考だ。

 高速道路を走りながら、横目で風景を眺める。初めての運転だけど、思いのほか余裕がある。運転についてのアドバイスをあの人にもらったのを思い出した。

 思い返してみれば、アルバイトを始めたのも、運転免許を取ったのも、全部あの人に勧められたからだった。それだけじゃない。私の趣味と言えるものはほとんど、あの人が教えてくれたものだ。

 視界いっぱいに海が広がっている。少しだけ開けた窓から独特な潮の匂いが鼻腔をくすぐる。だが、不思議だ。前にここを訪れた時、この海はもっときれいだったような気がする。少なくとも、こんなに色褪せてはいなかったような気がする。

 高速道路を降りる。適当なパーキングに車を停め、しばらく歩く。

 吹く風は海色を帯びて、肌の上辺を薄く湿らせていく。堤防の上から見える海も空も、まるで水墨画にかすれた水色を重ねたようだ。潮風が激しく吹きつける。瞳がちりちりと痛む。あの人とここに来た時も、同じように目に潮風が入っていたんだ気がする。

 けれど、あの時よりも痛みがひどい。ずきずきした痛みが瞳のずっとずっと奥の方で、熱を発している。それは単に潮風のせいだけなのか、私には分からない。

 途端に寂しさのようなものがこみ上げてくる。虚しさにも似ているのかもしれない。

 それが何故こみ上げるのかも、私には分からない。


  ◇


 いろんな場所を回ったが、結局何もなかった。

 あの人との思い出なんてどこにも残っていない。全部、あのきれいな青色とともに、季節の境目に置いて行かれたのだ。あの身を焦がすような思い出も、眩しい太陽のような日々も、秋に食べられてしまったのだ。

 あの人の記憶も、もはや曖昧だ。あの人の顔の輪郭すら筆触分割が施されたかのようだ。

 思い出なんて、烏がつつくビニール袋の中身のようにいくらでも流れ出していく。

 ああ、それでも。

 何か大切なものを思い出した気がした。

あの人はいつも言っていた。人間に代わりはいない、と。社会的な役割を果たすだけなら、代わりはいくらでもいる。だが、ある人が果たしていた精神的な役割を代わりに果たせる人なんてこの世にはいない、と。

 あの人の言葉は難解だ。いつも、私はその真意を理解できなかった。けれど、今ならあの言葉の意味が分かる気がした。

 あの人が空けた穴を、私は一生埋めることはできないのだ。それはあの人が特別だからではない。誰しもがそうなのだ。周りに悲しみを和らげてくれる友が、あるいは家族がいれば、その穴を塞ぐことができたのだろう。しかし、私にはそんな人はいなかった。だからより一層悲しみが深く、尾を引いていたのだ。

 不意に、あの人の声が聞こえた気がした。まるでそれは、遺言のようだった。


「お前には友達が少なすぎる。」


 お節介だな、あの人は。


  ◇


 探し物が、見つかった。短い探索が終わった。結局私が見つけたのは、胸の奥の空白を埋めるものではなかったけれど。私の背中を押すものではあった。

 ドアを開ける。教室の端で一人、本を読んでいるのが気になって、声をかけた。


「隣、いいですか?」


4年前くらいに書いたやつです(修正なし)。

久しぶりに見ると色々思い出しますね。

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