六、邪淫 ⑴
「貴方が噂の子ね〜!あら〜、可愛いじゃない!」
「わぁ〜、ほんと!うちで働かない?」
「そんな地味な着物じゃ勿体無いわ〜!ちょっとこれ着てみて。」
「せっかくだから髪も結いましょうか。」
「じゃあ私はお化粧しちゃおうかしら。」
私は今、絶世の美女と謳われる女性達に囲まれている。男の亡者が刀の林を登ってでも会いたいと思うほどの美女だ。陶器の様な白い肌は滑らかな曲線を描き、緩くゆわれている艶やかな髪からは細い首筋が覗く。長い睫毛が影を落とす伏目がちな瞳は吸い込まれそうなほど魅惑的で、妖であるから当然と言えば当然なのだが、やはり人間離れした美しさだ。そしてこちらを見ながらそのなんとも柔らかそうな唇で囁かれた日には……
なるほど。これは登る。刀の林だろうがなんだろうが、迷わず登ってしまうだろう。そんなお姉様方に囲まれて、私は今、なぜか着せ替え人形の如く遊ばれている。
そもそもなぜこんな状況になったかというと……
――――
「どう〜?企画書は進んでる?」
「うーん、ぼちぼちですかね……」
「じゃあさ、実際に見に行ってみる?衆合地獄。」
「え、行きたいです!いいんですか?」
「うん。そう言うかな〜と思って、実はもう連絡してありま〜す!」
「本当ですか!?ありがとうございます…!」
「じゃあそういう事で、ちょっと茜ちゃん連れて行ってくるね〜!」
「貴方はサボりたいだけの様な気もしますが…まあ良いでしょう。お二人ともどうぞお気をつけて。」
――――
そうして私は錦さんに連れられて、衆合地獄へと向かうことになった。思えば裁判の日に閻魔庁に連れて来られてから1度も建物の外に出ていなかったことに気づく。何せ閻魔庁は驚きの広さで、その中には裁判を行う場所から私達が働いている居室、さらには獄卒達の寝泊まりする寮や食堂まで全てが揃っているため、わざわざ外に出る必要がなかったのだ。
衆合地獄は地下三層にあるらしく、閻魔庁の外のエレベーターから向かうことになった。エレベーターの入り口には牛と馬のような見た目をした2体の大きな獄卒が立っており、獄卒証を見せると通してもらえた。おそらく警備員のような役割なのだろう。閻魔庁から衆合地獄までは、実際には物凄い距離があるらしいがそこは地獄のエレベーター。乗ってしまうとものの数分で衆合地獄の入り口へと到着した。
「よしっ!とうちゃ〜く!ここが衆合地獄だよ。」
そう言われて辺りを見回すと、まず目に入ったのは赤黒くそびえ立つ大きな山々。それから足元を見ると白くぶくぶく煮立ったような河が流れており、辺りには刀や斧、棍棒や大きな鋏といった様々な武器を持った獄卒達が亡者を追いかけ悲鳴を上げさせている。その様子はまさに阿鼻叫喚。ここが地獄であることを改めて思い知らされる。そして衆合地獄のちょうど真ん中辺りには、なんとも刺々しい林が構えていた。
「あれが刀葉林ですか?」
「そうそう!あの真ん中のでかいのがそうだよ〜。この地獄のメインだね。誘惑係の人達もあそこにいるからとりあえず行ってみようか。」
錦さんの後をおずおずとついて刀葉林へ向かっていると、向かい側から物凄い勢いの亡者がこちらへ向かって走ってくる。
「うわあぁぁぁあ!!!!助けてくれえぇーーー!!!!」
「おっと、危ないから気を付けてね。」
錦さんは私達の方に勢いよく走って来た亡者を軽く蹴り飛ばし、何事もなかったかのように笑顔で言い放った。いつもニコニコと愛想が良く気軽な雰囲気なのでつい忘れてしまうが、この人もれっきとした鬼なのだ。
「わぁ〜、すみません。見学の方ですか?」
逃げて来た亡者を追って来たと思われる獄卒は、先ほどの亡者を串に刺しながら私たちに声をかけて来た。
「そうです〜、地獄改革課から来ました。」
「あ〜!なるほど!新しい部署の…!」
昨年できたばかりの部署とのことだったが、物珍しさ故かそれなりに認知はされているようだった。
「担当者をお呼びしましょうか?」
「じゃあお願いしまーす!」
「はい!こちらで少々お待ち下さい。」
そうして獄卒の男は串刺しの亡者を引き摺りながら爽やかな笑顔で去って行く。私たちは担当者が来るまで道端にあった岩に座って待つことにした。
「どう?実際地獄を見た感想は。」
「んー、そうですね……なんと言うか想像以上にザ・地獄!って感じで……」
「あははっ!……ごめんごめん、続けて!」
「私閻魔様の裁判の時に、転生するぐらいなら地獄行きにして下さいなんて勢いで言っちゃったんですけど、すごい軽率な発言だったと反省してます。本当に地獄行きにされなくて良かったです……」
「え!茜ちゃんそんなこと言ったの!?でもさ、その辺に転がってる亡者とか見るのは大丈夫?」
「確かに私も正直どうだろうとは思ってたんですけど、来てみると意外と大丈夫でした…!そういえば生前も採血とかは苦手だったんですけど、自分の血がダメってだけで人の血とかは大丈夫なのかもしれません。」
「ふふふっ……茜ちゃん地獄向いてるじゃん!よかったよかった。」
「そうですかね…?」
「うんうん。人間としてどうかは置いといて、ここでは良いことだよ〜。キャーキャー言われたら仕事にならないし。」
確かに私は人として慈愛に満ちている方では無いし、どちらかと言うとドライな部類だろう。しかし拷問を受けているのが見ず知らずの人間とは言え、地獄のこの光景を見ても思いの外何も感じなかったのには自分でも驚いた。
「話変わるけど茜ちゃんってさ、話す時めっちゃ目見て話すよね。」
「あ、すみません……失礼でしたか?」
「いやいや、そう言うことじゃなくて!むしろ良いよねって意味で…!」
錦はブンブンと手を横に振り、慌てて否定しながら話を続けた。
「茜ちゃんって人間じゃん?最初会ったときからそんな感じだったけど、俺ら鬼だし怖くなかったのかな〜と思って。」
「うーん……確かに少し緊張はしましたけど、怖いとかは無いですね。」
「そうなの?じゃあ大王は?」
「閻魔様は怖いと言うよりは本当にいたんだ!って感じで……あと大きさにはびっくりしましたね。」
「ははっ、そっか。やっぱり茜ちゃんって面白いよね〜」
そうこうしているうちに、背後から急にフワッと花のような甘い匂いが漂って来た。
「お待たせしてしまってごめんなさい。私、衆合地獄の代表をしております、紅梅と申します。」
衆合地獄の代表と名乗ったその女性は、女の私でも緊張して思わず息を呑むほどの美しさだった。装いは京都の芸妓さんのような格好をしており、紅梅さんがそこに立つだけであたり一面の雰囲気が華やかになり、ここが地獄だということを一瞬忘れてしまいそうになる。
「紅梅さんお久しぶりです〜!お忙しい中ありがとうございます。」
「地獄改革課の茜です。本日はよろしくお願いします。」
「うふふ、どうぞよろしくね。今日は衆合地獄の見学がしたいんだったわよね?」
「はい〜!今衆合地獄に男の誘惑係も置けないかな〜とか色々考えてまして。」
「あら〜良いんじゃない?確かに女性の亡者もいるんだから男の誘惑係がいてもいいわよね。」
「そうですよね〜」
「じゃあ早速だけど、小地獄をさっと回ってから刀葉林に行きましょうか。」