四十八、君次第
「さあ、茜さん、どうします?」
「……私は、この男を許せません。少なくとも天国に行けるような人間で無いことだけは確かです。」
「はあ!?何舐めたこと言ってんだよ!!あんなに色々してやったのに、ふざけんな!!!恩を仇で返す気か!!!」
「恩…?私に馬鹿だ低脳だって言いながら殴ったり蹴ったりしたことを言ってるの?」
「そ、それはお前が悪いんだろ!!お前が無能で俺を怒らせるからだ……!!」
「怒らせたら何してもいいって言うの……?」
「ちょっと軽く叩いたりしたぐらいだろ!!いちいち大袈裟なんだよ!!被害妄想女!!」
「ちょっと軽く…?リモコンとかスマホで頭叩かれたり、蹴られたり、髪掴んで振り回されたり……しかも私が相談できないように跡が残りづらくてパッと見じゃわからないような場所ばかり狙ってやってたじゃん。」
「はぁ?知らねーよそんなの。跡が残ってねーってことは大したことねーってことだから!ほら大袈裟。嘘つき。」
「そうやって都合が悪くなるとすぐ嘘つき呼ばわり。あなたの意思にそぐわないことは全て嘘になるんだね。」
「おい、閻魔様……!!こんな何も出来ない役立たずの女が地獄行きじゃなくて、仕事で社会に貢献していた俺が地獄行きなんておかしいよな!?」
頭に血が上って大声で怒鳴る男が暴れ出さないように、裁判所にいる獄卒たちは武器を持って側で控えている。今はこんな男と関係があったという事実がただただ恥ずかしい。こんな男と言い争いをしているところなんて誰にも見られたくないのに。死んでから、せっかく地獄で頑張ってきたのに。
世界で1番嫌いな男に再会して、嫌な自分がどんどん出てきてしまう。もう嫌だ。ここから逃げてしまいたい。でもそうして逃げて逃げてついにはあの世まで来たというのに、今度はどこに逃げればいいのだろうか。人前で泣きたくなど無いが、目には涙が溜まっていて今にもこぼれ落ちてしまいそうになる。
「はいはい、その辺で。とりあえずお互いの言い分はわかりましたので、どちらの意見が正しいかは浄玻璃の鏡を見ればわかりますから。ね?大王?」
そうして見かねた篁さんが、再度私たちを静止して裁判の進行を促す。
「あぁ、そうだな。では浄玻璃の鏡よ、此奴の過去の行いを映したまえ。」
浄玻璃の鏡には、現世での私たちの様子が映し出されていた。そこには罵詈雑言を浴びせられ泣いている私。殴られる私、叩かれる私、蹴られる私。耐えられなくなった私が男に反抗しようとするが、簡単に抑えつけられてまた殴られる様子。そうだ、そうして男の元から逃げようとして、走って走って走って、それでも追いつかれて思わず車道に飛び出した時にトラックに轢かれて死んだのだ。
一体いつから見られていたのか、いつの間にか私の隣にいた涅さんがそっと自身の手で私の目を覆った。錦さんも安心させるかのように、先ほどから優しく私の肩を抱いてくれている。こんな私を見ても、この2人は軽蔑するどころか私のことを思って配慮してくれるのか。そんな2人の優しさに、先ほどまで荒んでいた心が少し落ち着きを取り戻した気がした。
「ふむ。これでもう言い逃れは出来まい。では、亡者 葛谷 丁子の判決を言い渡す。」
「待って待って!!待って下さいよ……!!確かにちょっと叩いたりはしたかもしれないけど、それはこいつが悪いからで……!!」
「――葛谷 丁子は、地獄行きとする。」
「……っ!!何だでだよ!!何でこいつは地獄で働いてるのに俺は地獄行きなんだよ!!おかしいだろ!?」
「どこの地獄へ落ちるかはこの後の裁判で決まるので心しておくように。では連れて行け。」
「おい!!離せよ…!!おかしいだろ!!おい!!茜!!お前のせいだぞ…!!こんなことしていいと思ってんのか!?」
その男は最後まで何やら騒いでいたようだが、強制的に獄卒に連れられて行った彼の声はどんどん小さくなり、最後には全く聞こえなくなった。
こうして私が現世で1番嫌いだった男の地獄行きは呆気なく決まり、獄卒たちに連れられて私の目の前からいなくなった。どこの地獄に落ちるかはまだわからないが、この広い地獄で無数にいる亡者たちの中からまた彼に会う可能性は低いだろう。仮にすれ違ったとしても、拷問を受けていれば当然今のような姿ではいられず、面影もないボロ雑巾のように成り果てていれば気づかない可能性も高い。あぁ、私はやっと解放されたのか。死んでなお、心のどこかで引っ掛かっていた靄が今やっと晴れたようだ。
「……大丈夫、ですか?」
先ほどまでとは打って変わって静かになった裁判所の中で、隣にいた涅さんが口を開く。普段は煩いぐらいに賑やかな錦さんも、いつもとは違う真剣な表情をしていて心配してくれていることが伝わってくる。
「大丈夫です…!お騒がせしてしまって本当にすみません。」
私は涅さん錦さんに出来るだけの笑顔で答えた後、その場にいた全員に向かって頭を下げた。
「いえいえ、何も茜さんが謝ることではありませんよ。こちらこそ急に裁判に加わって頂いてすみませんでした。」
「そうだよ篁くん。こういうのはセンシティブな問題なんだからさぁ……」
「まあ今回はたまたまタイミングが良かったのと、現世での遺恨は早めにけりを付けた方が今後正式に地獄で働いていく上では良いかと思いまして。茜さんの意思を聞かずに勝手に進めてしまったことについては申し訳ありません。」
「いえいえ、そんな。私もスッキリしましたし……って、え……今、もしかして正式に地獄で働いてって言いましたか……?」
「ええ、そう言いましたよ。」
「え……ってことは…………」
篁さんがあまりにも何でもないことかのように話すため一瞬聞き流してしまいそうになったが、確かに篁さんは「今後正式に地獄で働いていく上で」と言った。それはつまり今までの1周忌までという期限付きのお試し採用とは違い、正式な獄卒として認められ、今後もここに居てもいいということを指している。
「伝えるのが遅くなりましたが、おめでとうございます。貴方は今日から名実共に正式な獄卒です。」
「………………っ!!!!」
突然のことに、言葉が出てこない。先程までは色々な感情がごちゃ混ぜになって溢れ出そうな涙を抑えるのに必死だったが、そんなことも忘れるほどの驚きが押し寄せてきた。
「やったね茜ちゃん……!!」
私が嬉しさを実感するよりも先に抱きついてきたのは、つい先ほどまで心配そうな顔をして側で見守ってくれていた錦さん。
「とうとう、ですね。言ったでしょう?大丈夫だと。茜さんなら必ず正式な獄卒になれると信じていましたよ。おめでとうございます。」
いつもならそんな錦さんに小言を言いながら止めている涅さんも、今日ばかりはと一緒になり素直に喜んでいる。そんな2人を見ているうちに、やっと私にも実感が湧いてきた。あぁ、私はここに居てもいいんだ。この温かい場所に、これからもいることができるんだ。そう思うと、今まで我慢していた涙が栓を切ったかのようにポロポロと溢れてきて止まらない。
「わっ!茜ちゃんどうしたの!?痛かった!?大丈夫!?」
「茜さん…!?やはり地獄で働くのが嫌になりましたか!?」
「違うんです。何だか安心したと言うか……嬉しくて……」
私は涙を拭いながら、2人がこんなにも慌てている姿を見たのは阿鼻地獄ぶりだなと思った。仕事でどんなトラブルがあってもこんなに慌てることはないというのに、私が危険な目に遭ったり、涙を見せただけでこんなにも心配してくれるのか。配属されたのが地獄改革課で、一緒に仕事をしてきたのがこの2人で本当に良かったと心の底から思った。
「はぁ……茜くんの正式採用は僕から伝えようと思ってたのに……」
「ふふ、まあ良いじゃないですか。どうせ正式な辞令は大王が出すんですし。」
「そうだけどさぁ……いっつもいいとこ持ってくよね、君は。」
「茜さんをこちらの世界に巻き込んだのは私ですからね。何と言うか、親心でしょうか……」
「篁くんからそんな言葉が聞けるとは思わなかったよ。でも親というよりはお爺ちゃんじゃない?爺心……いてっ!」
「大王はまだ仕事が残っていますからね。無駄口を叩いていないで手も動かして下さい?」
「僕は君が本当に茜くんと同じ人間か疑わしいよ……」
――――
そうして時は過ぎ、あまり変わりばえのしない地獄の季節も幾度目かの移り変わりを迎えた。
「――すみません、茜さん!黒鉄縄剽刀解受苦処の件で至急来ていただきたいんですけど……」
「わかりました…!この前の改修の件ですよね?すぐ行きます!」
「お、茜ちゃんいってらっしゃーい!」
「お気を付けて下さい。」
「はーい、行ってきます!」
赤銅 茜、人間、享年25歳。私はあの世の妖たちに混ざりながら、今日も地獄で元気に働いている。




