四十二、魔王
「……ここが阿鼻地獄。」
「阿鼻地獄の代表はあの城にいるので、とりあえずご挨拶に伺いましょうか。」
「あ〜、俺あのじいさん苦手なんだよなぁ〜……」
「気難しい感じの方なんですか?」
「気難しいというか癖が強いというか……山ン本五郎左衛門という妖の中でもなかなか有名な方でして。」
阿鼻地獄に着いてからまず目に入ってきたのは、中央に位置する大きな城。その名を阿鼻城というらしく、阿鼻地獄で働く獄卒たちの殆どがここに住んでいるらしい。他の地獄にはもちろん城など無かったので、そこからも代表の方の地位の高さや拘りぶりが伺える。代表の山ン本さんはあの世では多くの妖たちを束ねるほどの力を持っており、なんでも魔王などと言う異名までついているらしい。
そんな魔王の住まう阿鼻城の城壁は七重にもなった鉄の壁で出来ており、物々しい雰囲気を醸し出していた。その城壁にはそれぞれ門番もいて、城の中に入るのにも一苦労だ。更に城の内部は8階建になっており、魔王が待つ最上階まで階段で登って行くうちに既に疲れてしまいそうだ。明日は筋肉痛確定だろう。
「はぁ……はぁ……まだ着かないんですか?」
「もう直ぐですよ。頑張って下さい。」
「おぶって行ってあげようか?」
「それは流石に遠慮しておきます……」
涼しい顔でスタスタと登って行く涅さんと錦さんを見て、やはり彼らも鬼なのだと改めて思い知る。今日はたまたま2人とも予定が空いていたのと、阿鼻地獄は最下層で危ないからと2人揃ってついて来てくれることになったのだ。そうこうしているうちに何とか階段を登りきり、私たちは目的の場所に着いた。阿鼻城の最上階は展望室のような造りになっており、そこからは阿鼻地獄全体を見渡せるようになっている。
「やっぱり壮観だね〜」
「そうですね。こうやって見ると、なんだか他の地獄よりも広く見えますね。」
「えぇ、実際そうなんですよ。大きさで言うと阿鼻地獄は他の地獄の512倍ほどですね。」
「512倍!?そんなになんですか…!?」
「と言っても横に512倍と言うわけではなく、空中も含めた全体の堆積が512倍になります。」
「なるほど……」
「まあそれにしてもデカいのには変わんないけどね〜」
そんな調子で私たちが話していると、奥からゆっくりと2人の男性がやって来た。1人は武士のような姿で、年齢は人間基準だと50代ぐらいに見える。もう1人はその後ろから付かず離れず付いてくる20代中盤ぐらいの男性で、黒く大きな羽と嘴のような形の黒いマスクが特徴的だ。
「おう、待たせたな。今日は阿鼻地獄を見学したいって?」
「はい、よろしくお願いします。」
「そっちの娘が新入りの人間か?」
「はい、地獄改革課の茜と言います。よろしくお願いします。」
「篁のお気に入りらしいが、こうやって見ると思ったよりも平凡だな。」
「山ン本さん、うちの茜ちゃんに変なこと言わないで下さい。そういうのセクハラですよー。」
「あ?何だ、錦のくせに生意気だな。じじいは元気か?」
「さあ、どうでしょうね?ここ暫く会ってないんでわかんないですー。」
「こんなに冷たい孫を持つなんて可哀想な奴だよ全く。」
話を聞く限り、どうやら阿鼻地獄の代表である山ン本五郎左衛門さんと錦さんのお祖父さんは知り合いのようだ。山ン本さんが有名な妖であるなら、もしかすると錦さんのお祖父さんもすごい妖なのかもしれない。そういえば錦さんの実家は大層立派だとか言うような話を前に涅さんから聞いたような気もする。
「それはそうと人間の娘、ちょっとこっちに来てみな。」
「はい、何でしょうか?」
「あっ!茜ちゃん、待っ……」
山ン本さんに呼ばれるがまま近くによると、一瞬にして辺りは暗闇に包まれ、涅さんも錦さんも山ン本さんも先程まで周りにいた皆が一斉に消えてしまった。何が起こったのか理解できずに辺りを見回していると、獄卒とはまた違う見たことの無いような妖たちが何処からともなく現れては私を囲んでいる。
「あの……すみません、ここが何処だかわかりますか?」
「………………」
妖たちとの会話を試みるものの、返事は一向に返ってこない。どうしたものかと思っていると、だんまりを決め込んでいる妖たちが徐々に徐々にと私の方へ近づいてくる。その目から敵意は感じられないが、念の為警戒しながら距離を取ろうとしていると、大きな嘴を持ち両手が鋏のようになっている妖に背後から押さえ付けられた。
しまったと思ったが、ここで焦っていてもどうにもならない。なるべく心を落ち着かせ、最善を考えよう。
「どう言うつもりですか…?」
「…………」
「離してもらえますか?」
「…………」
喋ることが出来ない妖なのかそれとも喋る意思がないのか、どちらにせよやはり会話は成立しないようだ。こうなるとこちらも強硬手段に出るしかない。上手く行くかはわからないが、とりあえず出来るだけのことをやってみよう。
幸いにも脚は自由がきく状態だったので、思いっきり踵で妖の足を踏みつけ、相手が一瞬怯んだ隙に今度は肘で背後にいる妖の脇腹辺りを突く。そして相手の腕が緩んだら即座にしゃがみ込み、腕から抜けて振り向きざまに懐に隠し持っていた瓶を開けて相手の目元目掛けて投げかける。
作戦は成功し、瓶の中の中身は妖の目に上手いことかかったようだ。妖が目を抑えて蹲っていると、次第に暗闇は霧のように消えていき、私を囲んでいた他の妖たちもいなくなりいつの間にか元の場所へと戻っていた。
「茜ちゃん…!!大丈夫!?」
「茜さん、大丈夫でしたか!?」
そう言いながら駆け寄ってくる涅さん錦さんの表情は今までに見たことの無いぐらいの慌てようで、「大丈夫です」以外の言葉が見つからない。そんな2人とは対照的に、こちらを見て先ほどから愉快そうに1人笑っている男がいた。
「ハッハッハッ……いや〜、面白いものを見せてもらったな。実に良い。勇気ある若者は実に良いぞ。」
「ふざけんなよ、このジジイ!茜ちゃんはお前を楽しませる玩具じゃ無いんだよ……!!」
「……この事は後ほど篁さんと閻魔大王に報告させていただきますので。」
「何もそんなに怒るな小僧ども。ただ幻覚を見せていただけだ。実害はない。」
「……あ、あれは幻覚だったんですね。」
ここでやっと、私は先程までの出来事が幻覚だったということが分かった。それと同時に、だから妖に襲われたというのに全く敵意を感じなかったのかと1人で納得した。恐らくこの方は最初から私を害するつもりなど1ミリも無く、人間の小娘がどんなものなのかと興味本位で試そうとしただけなのだろう。それでも正直なところ、あまり良い気分ではないが。
「それにしても人間の娘にしては中々な身のこなしだったな。何処で習った?」
「えっと……少し前から試衛館という道場に通っていて……そこで新選組の皆さんに教えていただきました。」
「ほう、アイツらか。奴等も中々に面白い人間よな。して、その瓶の中身はなんだったんだ?」
「あ、これは唐辛子パウダーです。」
「ハッハッハッ!そんな物を持ち歩いておるのか。」
「護身用に何か持ち歩いた方がいいと言われたんですけど、短刀等だと相手に奪われたら危ないので色々考えた結果これになりました。土方さんから勝てない相手は目を狙えと言われていたので……」
「ハハッ!これ以上笑わせるでない!」
聞かれた事に対して至って真面目に答えているだけなのだが、何故かこの山ン本五郎左衛門さんのツボにはいってしまったらしく、山ン本さんは暫くの間1人で声高々に笑っていた。




