三十、遭逢
「うーん、7時か……やばっ!起きないと…………って、今日休みじゃん……」
こじんまりとした部屋で呟いた独り言には誰から反応が返ってくるわけでもなく、時計を見て思わず飛び起きた身体をまた静かに布団に押し込める。毎日暑い地獄に季節感などないが、今は8月、ちょうどお盆の期間だ。地獄で日々罰を受けている亡者たちもこの時ばかりはと現世へ帰り、それに伴って地獄で働いている私たちも3日間の休みとなる。せっかくの休みだからと自分に言い訳をし、私はまた眠りについた。
そうして気がついた時には時刻はもう正午を過ぎていた。流石に1日寝て過ごすのは勿体無いかと重い腰を上げて布団から這い出す。最初の頃は着るのにあんなに手間取っていた着物も今ではなんのその。そしてここに来た頃より少し伸びた髪をとかして部屋を出る。とりあえず朝から何も食べていない私はお腹を満たすためにあまり考えずに食堂に向かった。しかし食堂に近づいてもいつものように賑やかな話し声が聞こえる事はなく、入り口には「本日休業」の張り紙だけが貼ってあった。
「えぇ……どうしようかな……」
予想外のことに、思わず誰もいない空間に1人呟く。困った私は隣の売店を見るが、勿論そちらも開いてはいない。たしかに地獄で働く我々獄卒が揃って休みなのだから、その獄卒向けのお店もそれに伴って休みに入るのだろう。こうなると部屋についている簡易的なキッチンで何か作るか、外に食べに行くか買いに行くかしかない。そもそも何か作ろうと思っても、その材料を買うところから始めなければならないのだが……
地獄で働くようになってから約半年、外に出かけた回数は両手で数えられる程度だ。しかもその殆どが1人では無い。そんなことから私は若干の不安を抱えつつも、仕方なく街へ行く決心をした。閻魔庁の玄関門をくぐり、外へ出る。何処へ行こうかと思い、以前涅さんや錦さんたちと飲みに行った場所を思い出した。あの時は居酒屋に入ったが、周りには普通の飲食店も多く立ち並んでおり、きっとこの時間でもやっているだろうと思ったのだ。あの通りなら1人でも歩いて行けそうだと思い、記憶を頼りに歩き出す。
若干の不安を抱えつつもしばらく歩いていると、ポツポツと人通りが増え始め店も見えて来た。以前来た時は夜だったので居酒屋などの飲食店が目立ったが、よく見ると飲食店の他にも服屋や雑貨屋など様々な店が立ち並んでいる。中でも私が気になったのは化粧品のお店だ。店頭には美人なろくろ首の店員さんが立っており、軒先には可愛らしい貝殻に入った口紅や小さな瓶に入ったマニキュアなどが並んでいた。化粧は自分を変えてくれる気がして生前から好きだったが、こちらに来てからは化粧品が売っている場所も分からなかったし必要最低限なものを売店で買って使うぐらいだった。
ここに置いてあるものは現世の化粧品とは一風違い、京都のお土産品のような和風でレトロな可愛らしさがあり密かに心が躍る。せっかくだし何か買って帰ろうかと思い真剣に眺めていると、突如背後から声をかけられた。
「ねぇ、お姉さん可愛いね。この後ご飯でもどう?」
こういうナンパやキャッチは現世だと間違いなく顔も合わせずスルーして早歩きで去るのが吉だが、あの世にもこんな人がいるのかと思いチラッと横目で見てみると、予想外に見知った顔と目があった。
「……えっ!酒呑さん!?」
「ははっ、ごめんねー。びっくりした?」
「もう、びっくりしましたよ…!」
私に声をかけて来たのは叫喚地獄の酒呑童子さん。現世では中々いないだろう高身長に赤い髪で、様々な妖が闊歩しているあの世でも一際目を引く見た目をしている。
「いやー、ごめんごめん!今日食堂休みだからさ、外で食べようと思って歩いてたら茜ちゃん見つけてつい声かけちゃった。」
「酒呑さんもだったんですね。私も食堂に行ったんですがお休みだったので、こうして仕方なく出て来たんです。」
「じゃあさ、せっかくだから本当にご飯行かない?」
「うーん、奢りなら行きます。」
「もちろん!先輩に任せなさい。」
こうして私はたまたま出会った酒呑さんに誘われて、一緒に食事へ行くことになった。化粧品はまた帰りにでも1人で見てみようかと思ったが、酒呑さんが「ゆっくり見てていいよ!全然待ってるから。」と言ってくれたので、お言葉に甘えて先に買い物を済ませることにする。
「茜ちゃんはどれ欲しいのー?」
「これとこれで悩んでるんですけど……」
私が悩んでいたのは可愛らしい貝殻に入った口紅だ。無難に使えそうな肌馴染みの良い淡いピンクにするか、少し派手だがパッと目を惹く可愛らしい赤にするか。
「うーん、どっちも似合いそうで迷うね。」
酒呑さんは真剣な面持ちで、その大きな手で両方の色の口紅を私の顔の横に持ち見比べている。
「どっちも可愛いけど、俺的にはこっちかな?」
選ばれたのは、酒呑さんの髪色のように一際目を惹く赤色の口紅。
「宜しければお試しになってみますか?」
少し離れたところから様子を伺っていた店員さんが声をかけてくれた。せっかくなのでお願いすると、細い筆で私の唇に丁寧に色をのせてくれる。一見派手な色に見えたそれは、実際つけてみると意外と違和感はなく、私の肌にも合っていて顔色が明るく見える。
「可愛い……これにします!」
「は〜い、ありがとうございます!」
そうして商品を包んでもらい、化粧品店を後にする。店員のお姉さんに「今なら3点買うと20%割引になるんですけど……」なんて言われて、ついつい他に気になっていたマニキュアとラメの入ったアイシャドウまで買ってしまったが可愛いので大満足だ。
「うんうん、やっぱり似合ってるねー。」
そう言いながら、酒呑さんも何故か満足気な様子だ。
「ところで何食べる?何系がいい?」
「うーん、何がいいですかね?私あんまりこの辺のお店わからなくて。」
「そうだなぁ……蕎麦に焼き鳥、寿司、焼肉、あとはラーメンとか……お好み焼きにもんじゃもあるな。」
酒呑さんの話を聞く限り、どれも現世と変わらないようなラインナップで安心した。どこがいいかと考えていると「では焼肉で。」と、私と酒呑さんの間に割り込むように入って来た人物がいた。
「げぇ……何でお前がここに……」
「何ですか?私も閻魔庁に住んでいるのですから、この辺りに買い物に来るのはごく自然なことでしょう。」
「そう言う話じゃないんだよ!」
私と酒呑さんの間に割って入って来たのは、まさかの篁さん。なんだか今日は随分と知り合いに会う日らしい。
「篁さんお疲れ様です…!」
「えぇ、茜さんもお疲れ様です。大丈夫ですか?この鬼に何か変なことをされていませんか?」
「してねーよ!」
そういえば酒呑さんを叫喚地獄の代表に据えたのは篁さんだとか。どうやらこの2人の関係はそうとう長いもののようだ。
「茜さんも焼肉食べたいですよね?」
「あっ、はい…!」
「ほんとか…!?」
「さあ、では行きましょうか。」
「何でお前が仕切ってんだよ!」
そうして急遽合流した篁さんの一言で本日のお昼は決まり、私たちは3人でお店へと向かった。




