24話 ミリオシア王国 サイレウス5
サイレウスは逆だ。
この手紙がどこから来たのかが知りたい。
だが。
この青年は、その手紙がどこに届くのかを知りたがっている。
「実は別ルートをあたっていたんですよねぇ。だけどそっちの人は口が堅かったり、嘘ばっかり言ってごまかしたり。まぁ、喋れるんならまだしも」
青年はサイレウスを見て肩を竦めた。
「死んじゃったりしてまして。なかなか出会えないんですよねぇ、本当のことを知っている人に。だからイーロンさんにたどり着けて、本当に幸運でした」
「詳しいことはわからんよ。封筒には文字が書いてあって、情婦からは『これを貴族とやり取りしている商人に見せて、わかるやつに渡してやって』って言われて駄賃をもらっただけだ。俺がもし字が読めたら、俺が届けているさ」
イーロンは口の両端を引き下げて肩をすくめた。
「食品卸の商人は貴族とやり取りするじゃないか。だから字も読めるし書ける。俺はもっぱら鉄砲で獣を撃つだけだ。んで、それを食用にさばいて商人に売る。それを商人が貴族に売りに行く。な?」
「なるほど、なるほど。では、その食品卸の商人の居場所を教えていただけますか?」
「そいつは……あんたの払うカネ次第だな」
にやりとイーロンが笑う。顎髭も相まってなんとも強欲に見えた。
青年は少しだけ苦笑いを浮かべると、外套をさばいて腰ベルトから財布を取り出す。
そのとき、拳銃のホルダーがちらりとサイレウスにも見えた。
(銃士……? 隣国の? なぜそんな男が)
イーロンにも銃の存在はわかったらしい。
少しばかり警戒の色を浮かべた。さっきまでの「カモ」を見るような眼が改まる。
そこで初めてイーロンは、わざとこの青年が拳銃を見せたのだと気づく。
(うまいな……)
人生で初めて下町に来たサイレウスとは違い、この青年は生まれも育ちもよさそうなのに自分とはまるで違う。
目の前で青年はイーロンと金額の交渉を始めるのだが、そのまとめ方もまたうまい。
時折発音の訛りが気になるぐらいで、やり取りもスマートだ。
「結構。ではその値段で」
青年は支払いのために立ち上がる。
きれいな刺繍が施された札入れの紐をほどくと、イーロンが満面の笑みを浮かべて手を伸ばす。
サイレウスはようやく我に返り、ぐい、と青年の手をつかんだ。
「はい?」
不思議そうに小首をかしげる青年にサイレウスは前のめりで尋ねる。
「ど……どうしてその手紙の行方が気になるのです。……ああ、というかどうしてその手紙がそんなに……?」
「さあ。どうしてでしょうねぇ」
青年は朗らかに笑った。
「あなたも手紙が気になってイーロンさんのところにまで来たのでしょう? では、あなたはどうしてそんなに手紙が気になるのです?」
逆に問われて言葉に詰まった。
うぐ、と息をのみ、青年の手を握ったままサイレウスは言う。
「……その手紙は、隣国から来たのですね? 手紙の主は隣国にいる。そうですね?」
「さあ、いまもいるんでしょうかねぇ。大陸は広いし、人の命などどこで尽きるやらわかりはなしない」
ふふふ、と笑う青年を見つめ、サイレウスは血の気が引いた。
そうだ。
隣国からさらに他国に移動している可能性はある。
なにしろ母は死んだのだ。
ある意味自由になったアルテイシアの行動など想像もつかない。
なにより。
そもそも生きているのか?
少なくとも母がいればアルテイシアは生きていただろう。
だが、母亡きいま、彼女は生きていけるのだろうか。
「ねぇ、イーロンさん。この方はいったいどなたなのでしょう」
青年の声に、サイレウスはふたたび我に返った。
「さあ。さっきも言ったように俺は素性なんて聞いちゃいねぇしな。あんたのことも俺は誰だか知らんよ」
「それはそうだ」
イーロンと青年が笑いあう。
サイレウスははじかれたように青年から手を離すと、部屋を飛び出した。
こうしてはいられない。
王に報告しなければ。
隣国にまだいる可能性がある。
ならば。
聖女を保護しなければ。
「またのお越しを」
カウンターの前を走って抜けると、男がぼそりと言った。
ぎぃ、と扉をきしませて外に出る。
馬を預けている宿まで駆けだしたところ、ぐい、と背後から手をつかまれた。
ぎょっとして振り返り、おもわず佩剣をつかもうとしたら、その手も上から押さえつけられた。
ふりほどき、喉をほとばしりそうな悲鳴を必死でこらえる。
「なにもしませんよ。少しお話がしたくて」
そこにはおどけたように両手を上げた片眼鏡の青年がいた。
「話し……とは?」
最大限警戒しながら尋ねる。背中にピリピリとした緊張感を感じた。まるで猫にでもなった気分だ。
対して、青年はにこやかに笑顔を浮かべたまま、上げていた手をサイレウスに伸ばす。
びくりと肩を震わせたサイレウスのすぐそばを、馬車が駆け抜けていった。
木賃宿の前は広めの街道になっている。
馬車だけではなく行商人も多く、荷車を引いた男が舌打ちしてサイレウスの側を通り過ぎる。
「邪魔になります。もう少し端によるか、どこか店に入りますか?」
苦笑いされ、サイレウスは顔を赤らめながら首を横に振った。この青年も貴族っぽいのになぜだか自分だけが世間知らずだと思わされる。
青年に誘導されるように、店と店が接している隙間に移動した。
「失礼ですが、貴殿はマーガレットさんのご子息では?」
いきなり切り出され、サイレウスは目を見開く。ようやく口が利けるようになったのは口を何度かぱくぱくさせてからだった。
「ど……どうして、それを」
「どうしてもなにも」
青年は店舗の壁に左肩を押し付けるようにしてもたれると、愉快気に笑った。
「ぼくは手紙の到着点を探していて、あなたは手紙の出発点を探しているようだったから。あの手紙を受け取るのは、マーガレットさんのご子息。しかも貴殿は」
くすり、と青年は目元を緩めた。
「フードを目深にかぶっておられた。ぼくみたいな外国人なら、髪色や目を隠すためにフードをかぶっているのかな、と思うけど。貴殿のようにこの国の人間であるのに変装ということは……。それなりの身分を隠したいのかな、と」
呆気にとられるサイレウスの前で、青年は片眼鏡の奥の瞳を細める。
「マーガレットさんも身分を隠しておられた。ということはそれなりの地位におられたのでは?」
「……あなたは、どうしてあの手紙の到着点を知りたいと思うんです?」
サイレウスは眉根を寄せ、再び猫のように警戒した。
「最初は神殿に探りをいれようとしたんですよ。だけど、逆に警戒されちゃって……。あいつら神職のくせに嘘ばっか言うしねぇ。次に手紙を辿ることにしたんですよね。ところがさっきも言ったように、かかわった人が結構死んでるんです」
「死ぬ……って」
戸惑うサイレウスに、青年は口をへの字に曲げて見せた。
「情報だけ奪われて殺されたのかな。どうもそんな感じだ。だからイーロンさんが生きててくれて本当によかったですよ」
「こ……殺されるって……誰に」
するり、と青年はサイレウスを指差す。
ぎょっとしたが、地鳴りのような蹄の音に気付き、振り返る。
「ああいった人に、じゃないですか?」
背後からは青年の声が聞こえたが、サイレウスは身動きもできずにこちらに疾走してくる騎馬の群れを見る。
行商人を蹴散らし、馬車を押しのけて駆ける騎乗の騎士たちは、肩に〝双頭の鷲〟の腕章をつけていた。
(……王太子殿下の……近衛兵)
茫然と立ち尽くしていたサイレウスだが、騎馬が速度を落としたことに気づいて、慌てて物陰に身を隠した。周囲を見回すが、もうあの青年はいない。
「どけ!」
「ドアを開けろ!」
騎士たちはさっきまでサイレウスたちがいた木賃宿に次々と飛び込んでいく。
「イーロンという男はどこだ!」
「イーロンを探せ!」
怒鳴り声が木賃宿内から聞こえてきた。
『かかわった人が結構死んでるんですよ』
あの青年の言葉が耳によみがえり、サイレウスはぞくりと身体を震わせる。
そういえば彼はどこだ。
店舗と店舗の隙間。奥へ奥へとどんどん身を隠しながら、サイレウスは周囲をうかがうが。
あの片眼鏡をかけた外国人の青年の姿はどこにもなかった。




