07
その日も俺はギルドで魔術の練習をしていた。
失敗はしているが水は出ているのだからと、樽に真水を足す訓練が与えられた。
樽に水をジョボジョボ落としながら早く詠唱したり、大きな声で詠唱したり、魔力の流れを意識したり、水を多く出したり少なくしたり。
思い付く限りの工夫をしながら未完成なウォーターボールをジョボジョボと落とし続ける。
毎日千回打ち込めばきっと何かが見えてくる筈だ、そうだ千本ノックだ。
「おい、もうじき陽が落ちる。家へ帰んな」
おっともうそんな時間か、早く帰らないと。あまり暗くなると鶏たちの餌の食いが悪くなるのだ。
何やらご近所さんで、ごちゃごちゃ言い出す連中も出始めたことだし、あまりギルドに入り浸っているのは良くない。
シオンのかあちゃんも俺が塾に行くようになって人が変わってしまったと言ってたとか。
正確には人が変わったからギルドに通ってるんだがな。順番が逆だ。
「じゃあ帰ります。また明日」
「おっと、ちょい待ち」
帰ろうとしたら、トレスに呼び止められた。彼はあまりフレンドリーに話しかけてくるタイプではないしギルド内でも少し浮いている感じがある。ワルというと言い過ぎだが、スレてるというか何というか。。。
ちなみに今はトレスしか居ない。バルドムとラムダは倉庫で棚卸しだ。
「これ続けられるか?」
こないだの吸魔石より少し小ぶりの石を渡された。
「魔石になったら買い取ってやる」
「いくらで?」
「銅貨ニ枚」
「安くない?」
「元手が掛かってるだろうが」
「金貨一枚の価値があるんでしょう?」
「デカい石の店頭価格はな。このサイズじゃ買い取り価格は銀貨一枚てとこだ」
「じゃあ銅貨五枚」
「しゃーねーな、銅貨四枚だ」
「やった、ラッキー」
「このことバルドムには言うなよ」
「規則違反なの?」
「禁じられてる訳じゃねえけどバルドムに知れるとギルドを通すことになるだろうな」
「おっと、それは手取りが減りそうだ」
「そういうことだ。じゃあな」
「うん、じゃあ」
俺は家へと走り出した。アルバイトをゲットしたぜ。これを元手に自分で吸魔石を買えば定期収入になる。
いつかこの村を出た時に食い扶持があるのは心強い。吸魔石作りを副業に冒険者になるのも良いし、あるいは上手くすれば王都で石屋を営むのも可能かもしれない。
いつか村を出た時に。
そうだ、きっと俺はこの村を出るだろう。
俺の成長を喜んでくれてるとうさんとかあさんのことが頭をよぎり、胸がチクリとした。
◇
翌日、その日も俺は大人たちに混じって海に立っていた。
海に立ち始めて既にひと月経っているが、まだ魚を突けたことはない。
水の屈折率の関係か、見えた所に銛を落としたつもりでも全然違う場所でかすりもしない。
海は常に揺れているので屈折率は秒ごとに変化し、魚影は太陽の反射の影に一瞬だけ明滅するのみなのだ。
今日もどうせ獲れやしないと諦めの境地で何処を見るともなく自分の足元を眺めていると、繁るワカメの影に銀色に光る尾びれの様なものが見えた。俺はワカメごと貫く気持ちで突いた。大きく振りかぶったりしないで最短距離を出来るだけ速く。
そうすると、いつもの砂に銛が刺さる軽い感じはなくてガツンと手応えがあった。
と同時にブルブルと暴れだす銛。
慌てて銛を引き上げようにもとてつもない力で銛先が走ろうとする。思わず悲鳴のような声が口から溢れるととうさんが振り返った。
「魚、獲れた!」
そう言い直すと。とうさんは
「あげろ!」
と言った。
俺は足を踏ん張り直して腰を落とし銛全体を海に沈めるようにして一気に魚を突き上げた。
大物を上げる大人がそうしていたのをいつも羨ましく眺めていたのだ。
すると1メートルはある鮭のような魚が海面が引き上げられた。
魚は太陽に照らされキラキラと輝き、力強く暴れていた。
「よくやった! 浜にあげちまえ」
とうさんがそう言うのが聞こえた。
俺は振り返って頷き浜へと歩いた。
足がガクガクした。
思った以上の興奮で身体が上手く動かなかった。
浜にあがり、魚に逃げられないよう充分に海から離れた。
そして砂に突き立てるように魚を降した。
魚はまだ生きており口をパクパクさせている。
俺は銛を抜こうと魚を足で踏んだ。
すると魚はまた勢いよく暴れ出した。
俺は少し怖くなったが堪えてもう一度魚を踏んだ。
魚はまた暴れたが俺は怯まず、勢いよく銛を抜いた。
魚はまだ暴れていたがもうさっきほどの勢いはなかった。
俺の体中に喜びが迸った。
「やったー!!!!! 獲ったぞー!!!!!」
俺は力の限り叫んだ。
ちょっと声が裏返ったけど構うもんか。
振り返ると海に立つ男たちがみんなこっちを見て拍手をしていた。
逆光でよく見えないがとうさんが微笑んでいるのが分かった。
そんな、村人なら誰でもやってることが出来て嬉しいかと問われれば、こう答えよう。
嬉しい。大変嬉しい。
こんなに海が美しく輝いて、温かく感じられたことは今までない。
俺の獲物は堂々と大きく、銀色の胸びれを動かしてまだ息をしている。
俺は誇らしい気持ちで初めての獲物を眺めた。
◇
その夜、俺はかあさんに初めての獲物について散々自慢した。
何度話しても飽きなかった。
とうさんも褒めてくれた。
とうさんは18歳の時にこの村に連れて来られた。かあさんも一緒にだ。
ギルドの用意してくれた食料は少なく、日が昇る前に海に立ち、日が昇ったら村の建設に邁進した。
桟橋、漁具をしまう小屋、薫製小屋、倉庫、皆の家々。
造らなければ何もなかったそうだ。
連れて来られた全員が海での漁は初体験。
何日も何日も魚は獲れず貝ばかりを食べて過ごしたそうだ。
このまま冬になっても貝がふんだんに漁れるかどうか、誰も知らなかった。
夏も終わりかという頃、とうさんが初めての獲物を獲った。
それもやはり俺と同じく鮭だったそうだ。
カビの生えた堅パンと貝ばかり食べていた皆が歓喜した。
本来なら塩蔵にしてギルドに納めなければならない獲物だったがスープにして皆で分けた。
それをきっかけにボチボチではあるが村では魚が獲れるようになっていったそうだ。
「お前が俺と同じ魚を獲ってくれて嬉しいぞ」
とうさんがそう言った。
かあさんは涙を浮かべていた。
俺はなんだかこのままこの村で漁師として生きていくのも悪くない気がしていた。