38
翌朝、期待していた甲板での出航準備で俺はテンション高めだった。
筏を引き揚げ舷側に固定し、セールやマストを確認して、ロープ類も異常がないか動作確認をして、錨を引き揚げ、合図を待って一斉に帆を下ろす。
感動の瞬間だ。
これが見たくて朝も早から甲板を駆けずり回って働いていたのだ。
階下の櫂の準備と違って太陽の光を浴びて作業できるので気分がいい。
トップセールに乗って遥か沖まで見渡した時の高揚感といったら昨日の晩の不安が馬鹿らしいほどだ。
広い広い海にポツンと浮かぶこの船に自分が居ることが誇らしく思えた。
さあ! 帆が風を受けて膨らみ船が進み出す瞬間が、、、、訪れない。。。
風がないのだ。
思えば、甲板組の皆がだらだらやる気がないように働いていたのはそういうことだったのか。
みんなは風がないから急ぐことないってわかっていたんだ。
そう思うと元気いっぱいで働いてたのがちょっと恥ずかしい。
そこにメインマストに登っていた士官が首を振りながら降りて来た。
「どうだ?」
「見える範囲に雲も白波も見当たりません。完全に凪です」
「そうか、ご苦労」
目をやるとみんな日陰にごそごそと這い込んでいく。
風が吹くまでやれることはナシか。
俺もしょんぼりとメインマストの影に座り込んだ。
持ち場のロープとは少し離れているがキコも何も言わない。
進まなきゃタッキングもクソもないのだ。
しばらくそのまま日陰に座り込み、何回か鐘の音を聞いた。
暇だ。
せめて掃除くらいすることはないのか。
でも昨日、竜巻を抜けてみんな念入りに手入れをしたばかりだからなあ。
俺は立ち上がってキコに訊いてみた。
「何かやることないですか?」
キコは目も開けず黙って首を横に振った。
俺はそのままブリッジに向かい、上に居る士官に声をかけた。
「何かやることはないですか?」
「休んでいろ。、、、うん? オミクロンか。確かお前、投網ができるんだっけ?」
「はい、村でやってました」
「じゃあ魚が獲れるかやってみろ」
「はい、ありがとうございます!」
初めて見る下士官がブリッジから降りて来た。
「一番小さなボートを船尾に降ろせ!」
士官の一喝でみながもぞもぞと日陰から這い出してきた。
そして甲板に伏せて置いてあった小さいボートにロープを掛け、舷側に降ろしていく。
「網だ」
声を掛けられ振り返るとさっきの士官が網を手に持って立っていた。
倉庫から出してきたのだろう。
「七点鐘までだ。期待はしてないが、まあやってみろ」
俺は網を受け取りその場で広げて絡みや破れがないか点検した。
重りが2個ほど取れて無くなっているが、それくらいなら大丈夫だろう。
俺は立ち上がった。
もう士官もみんなも誰も居なくなっていた。
本当に誰も期待してないんだな。
俺は網を抱えて梯子を降り、ボートまで泳いで渡った。
結構距離がある。
といっても十数メートルだがちょっと不安になる。
魔物とかサメとか出ないだろうな。
ボートにたどり着くとよじ登ってロープの端をボートに固定し、早速網を投げてみた。
網は飛沫をあげながら丸く広がり海面を掴んだ。
悪くない。
つい3日前まで村で練習してたのだ。
腕は落ちてない。
何度か投げては揚げてを繰り返したが手応えは全くない。
休みながら海面をよく見るとクラゲが目に入った。
何も居ない訳じゃないようだ。
更に海面をよく見ると、長細い影が見えた。
昆布のような海藻が流されているのだろう。
ああいう浮遊物の下に小魚が居たりするよな。
俺はそう思って昆布に向かって網を投げた。
どれくらい沈めるといいのかよく分からないが、完全に沈む前に引き揚げてみると手応えがあった。
確実に重い。
ぐいぐいと引き揚げると見事に昆布をゲットしていた。
こんなものを引き揚げて喜ぶのは日本人だけかもしれないが、ご多分に漏れず俺は嬉しかった。
これがあれば昆布出汁が取れるのだ。
粥に旨味が加えられる。
網から昆布を外していると何匹か小魚も入っていた。
秋刀魚のような青魚だ。
昆布の陰に入って泳いでいたのだろう。
これまた俺しか喜ばない獲物が獲れたな。
しかも皆に行き渡る量じゃない。
それから何度か網を投げたが何もかからなかった。
すると、ボートがするすると動き出した。
振り返ると舷側に取り付いた男達がロープを引いていた。
もう七点鐘だったらしい。
船に戻るとみんなそれなりに期待していたようで、士官も含め甲板組が寄ってきた。
「すみません。小さいのが三匹しか獲れませんでした」
「おお、それでも獲れたんだ。お前やるな」
「いやいや、これじゃみんなに行き渡りません」
「まあ、何も獲れないよりはいいだろ。これどうやって食うんだ?」
「僕は生で食べるのが好きですけど、、、」
そこにいた全員が嫌な顔をした。
そんなキモチワルイものが食えるかって感じだ。
「あの、他の魚と同じで塩漬けにして干すと日持ちもするし味も良くなります」
慌ててそう付け加えると、みな少し安心したようだった。
ふと見るとキコが昆布を丸めて捨てようとしていた。
俺は慌てて飛びついた。
「ダメです! それはゴミではありません!」
は? 何言ってんだ?
というキコの顔。
「カリカリになるまで干すと非常に優秀な調味料になるんです!」
ホントかよ?
という全員の顔を無視して俺は昆布を回収した。
そしてその場に居た副船長に昆布をマストにぶら下げて干す許可を得た。
そうすると八点鐘が鳴り響き、階下に向かわなければならくなった。
俺は慌てて昆布を吊すと走って櫂へ向かおうとした。
すると副船長が待っていたのか声をかけてきた。
「おいオミクロン、今日も飯番を頼まれてくれるか?」
「はい。あの、ロッコさんは?」
「あまり良くない。今まで相当無理をしていたようでな」
「そうですか、わかりました」
「うむ、助かる」
ちょうど良かった。
秋刀魚の下処理もしたかったし、ロッコ氏に言って粥に麦を入れてもらおうと考えていたのだ。
自分でやれば文句は言われまい。
俺はとっとと厨房に降りると秋刀魚を3枚に下ろし、小さな樽で海水に漬けた。
なんで開きじゃないのかって?
この世界の連中がキレイに骨を避けて食えるワケがないだろう?
無駄な戦いには挑まない。
それが俺のポリシーさ。
それはそうと、骨抜きに使うハマグリの貝殻がないのが残念だ。
当然トゲ抜きの類いもない。
米の残りを確認したらすぐさま船倉へGo!
昨日穀物の袋があるのは見ていたから多分それが麦だろう。
船倉は真っ暗だった。
窓がないから仕方ないよね。
昨日キコが使ってた光の魔術の弱いやつを覚えておきたい。
便利だよな、アレ。
手探りで穀物袋を探り当てると中身を持参の小さな麻袋に移した。
穀物袋はデカくて重いので使う分だけ頂いていくことにしたのだ。
厨房に戻ると麻袋を開けて中身を確認する。
確かに麦だ。
オートミールや押麦的なヤツではなく米みたいに丸く膨らんだ奴だ。
俺は升で米9杯に対して麦を1杯入れることにした。
1割くらいならイケるだろう。
そして得意の不完全ウォーターボールを出しながら洗っていく。
じゃくじゃく洗っては流し、じゃくじゃく洗っては流す。
麦は洗わなくて良いって言うけど、結構臭みがあるから洗ったほうがいいよね。
だから俺は麦も米も一緒に洗う。
水加減も一緒だ。
麦と米合わせて升10杯なら米10杯分の水加減だ。
ちなみに粥なのだが、お粥にしては重ため、ギリギリ箸で食えるくらいの硬さに炊きたいので5倍の水量だ。
俗に言う5倍粥というやつである。
なんでそんなに粥に詳しいかって?
小さい頃はばあちゃんと同居してたからな。
あの年代の人は米の炊き加減にうるさいんだよ。
そうこうしてたら米が研ぎ終わったので水加減をして火をつけるその前に。
昨日、引き出しを漁った時に見つけた紙包を開けてみる。
やはりベーコンだった。
ロッコめ隠してやがったな。
使って良いか一応確認しよう。
俺は甲板を経由して医務室に向かうと、まず奥にいたパラディーノ医師に挨拶をした。
「センセイお疲れ様です」
「おお、オミクロンか。どうしたね?」
「ちょっとロッコさんに厨房の事を聞きたいんですけど大丈夫ですかね?」
「もちろんだ。大事な事なのだろう?」
パラディーノ医師はイビキをかいて寝てるロッコを起こしてくれた。
「うん? ああ、お前か。今日も厨房代わってくれんだってな。ありがとうよ」
「いえいえ、良いんです。それより引き出しの奥に隠してあったベーコン。今日出しちゃって良いですかね?」
「別に隠してた訳じゃねえよ。あんな小さいの出すと逆に反感を買うぞ?」
「大丈夫です」
「ま、良いならいいけどよ」
「ありがとうございます」
俺は厨房に取って返すとベーコンを細かく刻んで寸胴に入れた。
ついでにドライトマトも荒く刻んで入れた。
今日は洋風の粥である。
リゾットというか洋風炊き込み粥というかそんな感じになる予定だ。
玉ねぎくらいあれば入れたいんだが、今日はまあいいだろう。
俺は竈門に炭を入れると火をつけた。
塩を入れるのを忘れていたので昨日より少なく入れる。
今日はベーコンとドライトマトの塩気もあるからな。
蓋をすれば後は特にやることもない。
皿とスプーン積み上げて、食堂を掃除してテーブルや椅子を拭き上げ、水差しに真水を満たしアイスボールを数個浮かべておく。
ついでに厨房にもおが屑を撒いて掃き掃除をし、気になるところは磨いていく。
出たゴミは海に捨てろとのことだったので胸が痛むが海に捨てた。
こんな不法投棄を写真に撮られてSNSとかで晒されたら炎上間違いなしだ。
あれ?
核廃棄物の海洋投棄は割と最近まで違法ではなかったんだっけ?
なら大丈夫だな。
まだ中世って感じだしな。
そんなことを考えながら厨房に戻るといい感じに鍋が沸いていた。
底から混ぜて、少し味見をする。
うん、美味い。
トマトの酸味が溶け込み、ベーコンのスモーク感と脂っ気で旨味が強化されてる感じがある。
麦の食感もアクセントだと思えば悪くない。
間も無くするとキコが顔を出した。
「どうだ? 問題ないか?」
「大丈夫です」
「どれどれ」
味見を求めて来たのでスプーンを渡す。
「お、今日のは色付きじゃねえか」
「ドライトマトを一緒に炊き込んじゃいました」
キコはスプーンを口に入れると目を見開いた。
「美味い! 肉だな?」
「よくお分かりで。ベーコンも一緒に炊き込んであります」
「マジか! おーい、今日の飯は肉入りだぞー!」
キコは走って出て行った。
アイツはもう大丈夫そうだな。
元気いっぱいじゃねえか。
本来なら本日3回めの四点鐘が鳴ってから食事な筈だが、早々に集まって来て粥がよそわれるのを待った。
「四点鐘まで待たなくて良いんですか?」
「ああ、今日は夜間航行の待機だ」
「そうよ、だから飯の時間は何時でもいいんだ」
まだ熱いのでみんなヒーヒー言いながら粥を口に運んだ。
「美味い!」
「トマトの酸味がいいな」
「豚のアブラが最高だわ」
「麦のプチプチがあると全然違う食い物になるな」
「水が冷えてて美味い!
「ホントだ、氷が浮いてら」
一昨日とは打って変わって騒がしい食事となった。
みなが口を揃えて「明日もこれが良い」とのことだがベーコンはこれで終いだ。
次のターンも、士官達も、明らかに上機嫌だった。
美味い飯は正義だよな。
洗い物を終え、小鍋に取り分けておいた長官と俺のぶんを温め直して部屋に持って行った。
「む、これは美味いな。こんな調理の仕方があるのか、、、」
「村ではなんでもごった煮でしたからね」
「明日もまたこれを作れるか?」
「もうベーコンがないんで無理ですね」
「、、、、」
長官は立ち上がり物入れをゴソゴソと漁って何かを取り出した。
紙に包まれたベーコンだった。
隠し持ってたのは長官だったか。




