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通常通りに授業が始まって生活リズムというものが分かってきた。
朝五時から割り当てられた仕事をこなす。六時半から朝食。身だしなみを整えて八時には一限目が始まる。寮から教室までは二十〜三十分かかるからかなり忙しい。
朝の仕事は週ごとに持ち場が替わりローテーションしていく。
俺たちは先週は畑だったのだが今週は水路だ。敷地内の水路を上流からデッキブラシで擦っていく。何気に楽しい。しかし上級生によると冬は地獄とのこと。水に踏み込めば足が凍るように冷たく、陸地からやれば腰を屈めなくてはならず、どちらにしても地獄の苦しみらしい。
朝の仕事はキツかったり汚れ仕事だったりするので、高位なお貴族さまの中にはやるふりをして見ているだけのもいる。従者が代わりに働く。たまに巡回に来る監督官が来た時だけ働く。楽しようとする奴はどこにでもいるよな。その点、王子はしっかり働いている。むしろこうした労働が新鮮で楽しいらしい。流石王子だ。尊敬できる。
午前の座学はひと授業五十分で昼までに五時限ある。授業ごとに教室を移動するのでこれまたかなり忙しい。教科書は教室に入る時に借りて帰る時に返さなくてはならない。板書だけの時もある。必要と思ったらノートに書き写しておく必要がある。
ノート、羽ペン、インクは購買で買うことができるのだが、紙は茶色いガサガサな粗悪な紙、インクはテンタクルの墨だそうで、これは時間が経つと薄れていくのだそうだ。ちゃんと書き残したい場合は高い油性インクを使わねばならない。インクは量り売りで容れ物は別売だ。羽ペンの羽は売ってはいるが鶏の世話でも運が良ければ入手可能らしい。しかし羽欲しさに鶏を毟ると厳罰とのこと。平民は削った木の棒を使ってるのも居るが、やはり滑らかさが足りないのだそうだ。
さて、紙やインクを買う金のない平民はどうするのか? 彼らは前借りすることができる。軍に入ってからの給与から天引きされるのだそうだ。
このように何気に出費が嵩むのでついつい自作を考えてしまう。鳩を見れば羽が使えそうとか、墨が作れないかとかさ。墨って要するに煤を膠で固めたものでしょ。膠はこの世界でもメジャーな接着剤だから手に入れられると思うのだ。逆に硯が難しいか。いや、素焼きの皿とかでもいけそうだな。
思いついた事を書き残す筆記用具が手に入って嬉しいのであれこれ書き残しておく。
そうなのだ、実は俺は割りかし懐が暖かいのだ。ポリオリから小遣いが支給されてるしロンドから渡された旅費もほとんど手付かずだし魔石の売り上げもある。無駄遣いはできないが安い藁半紙くらいなら好きに買えるのだ。むほほ。
購買には筆記用具以外にも蝋燭やランプ。ランプに使う替え芯や油も売っている。繕い物をする為の針や糸もあるし、パンツや靴下などの消耗品なんかもあるらしい。
ついつい通いたくなるが、気に食わない点もある。小さな窓口で一人一人にしか対応しないのである。なので混んでると凄く待つし、いつも行列が出来ている。しかも何も買わない事を許さない圧が凄い。知らなかったのだが、露店以外の店というものは大体こんな感じらしい。扱うものが安くないのもあって万引きを絶対に許さない仕組みなのだ。
「ちょっと購買に行ってきますね」
「昨日も行ったではないか。好きだな」
「また思いついたことがありまして、膠が買えないかなと」
「それならありそうだな」
「王子も行きます?」
「我はいい、正直ちょっと苦手だ」
「分かります」
そうなのだ。店主は軍の人間ではなく、いわゆる商人なので狡っからく騙されてる気持ちにさせられるのだ。俺はまだ貴族だから丁寧に相手してもらえるが、相手が紙やインクだけ買いに来た平民だと、あからさまに横暴な態度を取る。値段もあってないようなものだ。正直嫌な気持ちになる。それでも俺は膠が欲しいのだ。だって墨が作れれば一攫千金のチャンスではないか。
行列に並び自分の番が来るのをじっと待つ。
「次のお客様どうぞ。おや、坊ちゃん本日もお越しで」
「何度もすみません。膠は取り扱いがありますか?」
「骨膠ですか? 皮膠ですか?」
「どのように違うのですか?」
「骨膠は硬く固まります。皮膠は少し弾力がありますな」
「では両方ください」
「他には?」
「特に要りません。あ、いや。刷毛なんかはありますか?」
「ああ、なるほど。ございますとも。顔料や乳鉢とセットのものがございます。亜麻仁油も入ってすぐに始められますよ」
「いえ、絵を描く訳ではないんです。刷毛だけ欲しいのですが」
「申し訳ありません。これはセットでないとお売りできないのです」
小柄で鉤鼻の店主は小狡く微笑んだ。
こういうところが嫌だよな。顔料なんて馬鹿みたいに高いに決まってるじゃないか。刷毛なんて滅多に出ないから他のもセットで押し付けたいだけなのだろう。見え見えだぜ。
「そうですか残念です。では膠だけお願いします」
「ご一緒に紙とインクはいかかですか?」
「昨日買いましたのでまだ残っていますから」
「買っておけばまた次に来る手間が省けますよ?」
ああ、面倒くさい。一喝してやりたい気もするが、そんな事をしたら二度と何も売ってはくれなくなるのだろう。
仕方ないので紙も一緒に買って帰った。インクはインク壺を持参してないと断った。
もっとぱっぱと客を回した方が儲かると思うんだが違うのだろうか?
分かってはいたがやはり嫌な気持ちになって部屋に帰った。
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