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隣の部屋にロレンツォとアウグストが帰ってきた音がしたので、先ずは洗濯物を乾かしてしまう。
口の中でぶつぶつと詠唱しながら精霊に頼む。
狭い室内のせいか湿気が一気に上がった。
換気したくて窓だけでなくドアを開けてバフバフした。
「何をしている」
「え、湿気凄くないですか?」
「風魔術を使えばいいだろう」
「あ、そっか」
王子が詠唱して窓の外に向かってテンペストを放った。
一気に空気が吹き出されて風の流れでドアが大きな音を立てて閉まった。
やるな、王子。
「どうされました?」
ノックと共にそうロレンツォに声を掛けられた。
「入れ。何でもない」
「ちょっと服を乾かしてただけなんです」
「なるほど洗濯ですか」
俺と王子は乾いた服を取り込んでベッドの上に投げた。
「冒険者ギルドはどうだった?」
「まあ、これといって別に。冒険者カードを回収してきて欲しかったと文句を言われたくらいです」
ああ、身元確認か。
確かに。
「死人のポケットを探れと?」
「ええ。しかし狼の遠吠えが聞こえたからすぐにその場を離れたと言っておきました」
「ふむ」
ロレンツォのローブから水滴がポタポタ落ちている。
早めに脱いだ方がいいぞ?
「しかし街はあまり良い状態ではありませんな」
ため息混じりでロレンツォがそう言った。
「どうかしたんです?」
「ええまあ、、、ちょっと長くなりそうなんで先に着替えて来ますね。この話は食事の時にでも」
そう言ってロレンツォは部屋を出て行った。
「何ですかね?」
「言葉の通りだろう。我も少々同じように感じたな」
王子はベッドに腰掛けた。
「街に来る道すがら、雨の中落穂拾いをしてる民がおったろう」
「落穂拾い?」
アレか、俺も気になってたやつか。
「あ奴らは農家ではなくてな。刈り入れ時に落ちた麦の穂を拾っているのだ」
「ええっと、、、?」
「脱走民だ。他の地で農家をしていた者がその土地を捨てて来たものだ」
この世界の農民は全員農奴なんだよな。
それって重罪なのでは。
「麦の伝染病でもあったか、流行病に村ごと感染して逃げたのか、あるいは天災かも分からんがな」
そういうパターンもあるのか。
てか『落穂拾い』ってタイトルの有名な絵画がなかっけ?
アレってそんな鬱な内容の絵だったの?
なんかもっと牧歌的な幸せな絵かと思ってたわ。
「そういう時は冒険者ギルドにも求職者が押し寄せるらしくてな」
「ああ、、、じゃあ、あの馬泥棒もそういう系だったかも知れませんね」
「そうだな」
王子は沈痛な面持ちで俯いた。
あの盗賊にも食料でも分けてやって小遣いでも渡せば良かったかしら。
いや、それでは根本的な解決にはならないよな。
刀を抜いて向かって来たのはあっちだ。
「ま、ひとまず服を着てしまおう」
「そうですね」
ロレンツォとアウグストの服も乾かしてあげねば。
俺たちは服を着て靴を履いた。
靴は乾かすのを忘れててまだ中が湿っていた。
宿から借りた洗濯桶を持って隣の部屋に行くとやはり二人ともパンツ一丁だった。
「僕が乾かしますんで洗っちゃってください。なんならブーツも」
「おお、助かります」
二人のブーツは泥だらけだ。
桶に水を張るとアウグストがいきなりブーツから洗おうとしてロレンツォに怒られていた。
そうだぞアウグスト。
こうした場合にはキレイなものから洗わないと。
やっぱコイツ少し人生経験が足らんな。
王子は教えなくてもちゃんとできてた。
きっと地頭が良いんだな。
いや、王都までの旅を経験してるからか。
洗濯乾燥が終わって精霊が乾かした服を身につけるとアウグストが感嘆の声をあげた。
「この魔術の為だけにエルフの里に留学する価値がありますな」
だよな。
分かるー。
一旦脱いだ濡れた服を着るのって何であんなに嫌なんだろうね。
「では、参りますか」
「うむ」
階段を降りて食堂に向かう。
ウエイターに案内されて席に着くとワインとつまみを注文。
メインの食事の種類は選べないみたい。
こないだの宿でもそうだったし、そういうものなのかも知れない。
つまみはチーズとバターと干した豆。
え、バターをそのまま食うの?
と思ったが、干し豆にバターをなすり付けて食うとめっちゃ美味かった。
アブラ最高!
普段からナッツは食っているが、食事の脂肪分が足りないのかもな。
カラダが欲している感じがする。
バターもチーズもワインと良く合う。
チーズはガサガサなオレンジ色のハードタイプと白っぽいソフトタイプの二種類。
バルベリーニは酪農も盛んと聞いていたけど、なるほど中々だな。
道中あまり牛を多く見た印象はないけど、そういえば地形のアップダウンが少なかった気がする。
ずーっと肥沃な平地なのかも。
豊かなわけだ。
「さっきの話ですが、、、」
ロレンツォが口を開いた。
「かなりの数の脱走民が入って来ているようです」
「そうか。雨の中落穂拾いをしている母子が多かったからそうではないかと思っていたのだ」
「何処からでしょう?」
アウグストが疑問を口にした。
「飢饉や蝗害の情報は出発前には聞いていませんでしたが、、、」
そうした兆候があれば春にキャラバンが来た時に噂が回る筈だもんな。
「蝗害なら夏から秋だ。我々が知らない可能性はある」
「流行病も一気に広がるからな」
「しかし春に病とはあまり聞いたことがありません」
「確かに」
そこに料理が運ばれて来た。
すかさずロレンツォが給仕に声を掛ける。
「久しぶりに夏城に来たのだが、前とは少し雰囲気が違うように感じるのだが、、、」
給仕はパンの入った籠を置きながら少し眉を顰めた。
「ええ。少しばかり余所者が増えまして、、、」
「彼らは何処から?」
「西の方からだとか」
「西?」
「あっちの獣族との小競り合いがちょっとばかり激化してるようで」
「それはもっと北の話ではないのか?」
「私も詳しくは知りませんが、リンゼンデンもバルベリーニも西部開拓を推し進めてますでしょう? 獣族は縄張り意識が強いらしいじゃないですか」
縄張り意識が高いのは人族も同じだとは思うが、まあそういう言い方になるか。
「では、メインをお持ちしますので」
給仕は笑顔を残して背を向けた。
「獣族と揉めているのはロカルノだけではなかったのだな」
「アーメリア統一以降、これといった戦がありませんでしたから民が増えているのでしょうな」
「このまま西の開拓が進めば獣族との全面戦争もあり得るか」
皆が黙り込んだ。
「お待たせしました。お食事はこちらの白とお楽しみください」
また給仕が現れメインのスープと新たなワインを置いていった。
スープはキャベツと豆のスープ。
しかし大ぶりな脂たっぷりの肉がゴロリと入っている。
めっちゃ美味そう。
俺は手を合わせてからスプーンを手にした。
「先日から気になっていたのだが、オミはイリスではないと言っているクセに祈りを捧げてから飯を食うよな」
王子に突っ込まれた。
俺は答える前にスープを掬って口にする。
美味い!
キャベツは酢漬けのようで酸味が強い。
豆はよく煮込まれてねっとりとした舌触り。
そしてなにしろ肉の旨みとアブラよ!
酸味で爽やかだがコッテリとして唾液が溢れてくる。
スープに混ぜ込んである粒々はマスタードだろうか?
合わせろと言われた白を口に含んでみれば味も香りも甘味が強い。
甘いワインは好みではないが、確かに酸っぱいスープと合わせるならこうした甘いワインが合うかも知れない。
極上の食事だ。
「おいオミ。我を無視するとは随分と良い御身分になったものだな」
「あっ、すみません! あまりに美味かったもんで意識が飛んでました!」
王子は苦笑しながら肉を口にした。
「あー、こりゃ確かに美味いな。これは牛の腹の肉か? こんなに柔らかくするのにどれだけ煮るのだろうな」
他の二人も食べ出した。
目を見開いて肉を咀嚼する。
そしてワインを飲み、ため息。
「さっきはすみませんでした。食事の祈りですが、僕の故郷では食材の命や、その食材を育てたり採ってきたりする人の労働、調理をする人やら何やら、その食事に関わる全てに感謝して飯を食え、と教わって育ってきたんですよ」
王子が意外そうな表情をした。
「食材の命?」
「ええ。このスープに入ってる牛さんだってもっと長生きしたかった筈じゃないですか。それを殺して頂くんですからせめて感謝しろと、そういう事です」
「へえ、そんな事を考えていては飯が不味くなるのではないか?」
「僕はそこまでナイーブではありませんので大丈夫です。肉は美味しいです」
アウグストも不思議そうに聞いてくる。
「ではオミ殿は神には感謝していないのですか?」
「そうだぞ、普通は食事を与えて下さった神に感謝するものだ」
神ねえ。
「大変不信心で申し訳ないのですが、僕は何かを神様から頂いたという実感を持ったことはないんですよねえ」
「ほう」
「今日のこの食事は、一緒に旅をしてくれている王子やみなさんから与えられたものですし、旅の資金を与えてくれたのはアダルベルト様ですし、更にその原資はポリオリに住む皆さんが稼いで納めた税ですから、むしろそうした方々に感謝したいです」
王子は納得がいかないような感じで頷いた。
「ふむ、理屈は分かったが、、、ならばオミ。お主は我にもっと感謝しても良いのだぞ?」
「もちろんです。このような旅の経験をさせていただき王子には感謝しています。その旅の安全を支えてくれるおふたりにも感謝しています。ありがとうございます」
俺は頭を下げた。
王子は何やら少し肩をすくめてから食事を再開した。
「ふむ。まあ、、、悪くない考え方だな。余りに庶民的だが」
アウグストは薄くはにかみ、ロレンツォは何やら満足げに頷いた。
だから庶民なんだっての。
いつもありがとうございます!




