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そうこうしているうちにオラヴィやシリリャと約束をした日が明日に迫った。
この一週間はかなり頑張ってサナ語のメモの辞書化を進めた。
ついでに掛け算九九も段ごとに書き出しておいた。
掛け算早見表も作った。
結局、辞書その他は二冊書かずにそのまま文書館に納めることにした。
そもそも本は俺が持ち歩くには高価過ぎるし、旅をするなら荷物が重くなるのは避けたい。
本って意外と重いのだ。
しかも表紙を付けて綴じるのにも革職人に出して数ヵ月掛かるらしくて時間的にも無理だった。
この世界では本は中身だけが流通し、表紙は自分で注文して付けるものらしい。
費用は怖くて聞かなかったよ。
何でそんなに急いでいるかって、俺もアカデミーに行くことになったからだ。
今はまだ四月だが、六月半ばになれば王都へ出発しなければならない。
それまでに終わらせられることは終わらせなければならない。
貴族の授業は結局テレジオ様がやってくれることになった。
第一王子であるアルベルト様がテレジオ様を貸し出してくれたのだ。
聞くところに寄ると、アルベルト様も貴族の名前を覚えるのが苦手で勉強を避けたままアカデミーに入ったら人間関係を作るのにえらい苦労をしたとの事で、本気で心配してくださっている。
学生とはいえ下手な相手に下手な口はきけないし、近寄ってくる相手の実家の懐事情や力関係も把握していないとうっかり仲良くも出来ないのだという。
学生時代にもう政治が始まってるなんてなんだか気の毒な気もするが、これも王族の責務なら仕方ない。
夜にもアルベルト王子自らがクラウディオ王子の部屋に押しかけて小テストなどを行なっているらしい。
復習は大事。
そして王子も今までになく必死に貴族の勉強をしていた。
そうしないと明日の飲み会にも参加できなくなってしまいそうだもんな。
てか、行けるんだろうか?
外出の予定が知られて第一王子まで来たがったらどうするんだろう?
相続権筆頭の御方を夜遊びなんかに連れ出したなんてバレたら下手すりゃ内乱罪か誘拐罪で打首にされてしまいそうだ。
王子や長官が一緒なら大丈夫かもしれないが俺は部外者なのだ。
責任を負わされそうな気もする。
気軽に同行を了承しなければ良かった。
何で俺はいつもこんなに頭が回らないんだろう?
独り文書館でウジウジしているとメイドさんが呼びに来た。
「オミさま、執事長から伝言です。お約束の贈り物の準備ができたそうです」
「ありがとう。すぐ行く」
いつもの赤毛のメイド氏に笑顔で応えた。
メイド氏は表情こそ変えなかったが、満足そうに頷くと踵を返した。
今の対応は満点だっただろう。
ペコペコするのではなく、ニコやかにお礼。
これが余裕ある、できる男の大人ムーブだ。
これをしっかり身につければ俺にもモテ期がまた訪れるかもしれない。
まだインクの乾いてない文書を広げたまま書棚に片付けていると司書のトンマーゾがバカデカため息を吐いた。
「お主、あのメイドに手を出したのか?」
「え! ななな何を、、、手なんか出してないですよ!」
「ほう、そうか。ならば良いのだが。そうよな、そんな暇があるのならとっくに辞書を書き上げておって不思議じゃないものな」
「こうやって毎日来て書いてるじゃないですか!」
「そうかの。で、お主国史編纂はどうするんじゃ?」
そうなのだ。
近代史まで全てが終わっていないのに王子の授業が貴族にほぼ全振りになったので放置されているのだ。
「僕は部外者なんだからトンマーゾさんとマッテオさんで仲良く続ければいいじゃないですか?」
「老人二人っきりで寂しく? 王子に授業していた時は文書館に入りきらないくらい人が押し寄せていたのに、授業をやらなくなった途端にこれじゃ」
確かにこの数日の利用者は俺しか居ない。
あの賑やかさに慣れてすっかり寂しくなってしまったのだろう。
「前の感じに戻っただけじゃないですか、、、」
「何を言う、文書館は不人気と申すか!」
「違いますって。トンマーゾ司書とマッテオ参謀で兵士を集めて勉強会を開けばいいじゃないですか」
「ワシらにそんな権限はない。ワシはただの文書館の管理人だしマッテオは元参謀で引退した身じゃ」
もう拗ねちゃって面倒くさい。
「あの、、、人を待たせてるんでもう行きますね」
「おう。行け行け、若者は老人の言うことなぞ聞かずに行けばいいんじゃ」
相当拗らせてるな。
てか本当に勉強会の主催とかってしちゃいけないんだろうか?
絶対、兵の為になるし、そもそも娯楽のないこの城でめっちゃ需要があると思うんだけどな。
王子や俺が居なくなっても文書館の歴史授業を続けさせるには誰に相談すれば良いだろうか?
マッテオ爺ちゃんの歴史講談はマジ面白いからな。
なんならポリオリ無形文化遺産とかに認定しても良いほどだ。
そんなことを考えながら俺は執事長氏の執務室へ急いだ。
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