172
いつの間にか俺はベッドで寝てしまっていたらしい。
いつもの赤毛メイドさんに肩を揺さぶられて目を覚ました。
「すみません、戸口からお声掛けしてもお目覚めにならなかったので、、、」
きっとノックもしたのだろう。
思いの外深く眠っていたらしい。
「クラウディオ王子が部屋に来るようにと」
俺はメイドさんにお礼を言ってベッドから降りると顔を洗い口をゆすいだ。
シャツがズボンからはみ出ていたのを押し込んで部屋を出た。
出るとメイドさんが蝋燭を手に待っていてくれた。
この時間になると城の廊下はほぼ真っ暗だ。
「あ、すみません。ありがとうございます」
蝋燭を受け取ろうとするとやんわり断られた。
「部屋までお連れします」
そうか、俺が蝋燭を受け取ってしまうとメイドさんが真っ暗な廊下に取り残されてしまうのか。
「すみません、お願いします」
頭を下げるとメイドさんは少しばかり躊躇して口を開いた。
「オミさま、メイドに頭を下げないというのは、もうよろしいので?」
あ、しまった。
そうだった。
いや待て、落ち葉はらいが終わったからもういいのでは?
「もういいのではないかと、、、?」
メイドさんは納得がいかない様子で頷くと歩き始めた。
俺は後ろを付いていく。
今何時くらいだろうか?
この世界では陽が落ちたら殆どの人が寝てしまう。
真っ暗な階段を登り、目前に揺れるメイドさんの尻に付いていく。
メイド服はゆったりとしていて身体のラインが浮かぶようなものではないが、若い女性の尻が目の前にあったら目で追ってしまうのは仕方のないことだ。
揺れる長めのスカート。
暗がりからリズミカルに現れる形の良い素足の足首。
寝る前までかなり重たい気持ちになっていたがこうして集中できるものがあると気が紛れる。
自分でも呆れるほど馬鹿馬鹿しいが生きる希望が湧いて来るのを感じた。
異性が持つパワーというのは凄いものだな。
そうこうしていると王子の部屋にたどり着いた。
メイドさんがドアをノックする。
「オミさまをお連れしました」
「うむ、入れ」
王子の部屋に入ると机の上だけでなく壁面に作り付けられた燭台にも明かりが灯り、普段と雰囲気が全然違う。
「よく来た」
「いえいえ。あれ、長官はまだですか?」
「うむ、母君にお主を宮に連れて来るよう言われてな。そちらで話をする事になった」
「え、男が入って大丈夫なんですか?」
「何を言っている? 宮というのは我々王家の居住区のことだ。当然男も居るし、王族でない者が入ることもある」
そうだったか。
なんか後宮とか大奥みたいのを想像してたよ。
「失礼しました。勘違いでした」
「うむ、では参ろう」
王子に連れられて階段を登る。
登るとそこには明かりが灯っていて槍を持った兵ふたりが入り口を守っていた。
王子を認めると槍をどけて扉を開いてくれた。
俺ひとりだったら絶対に開けてくれないのだろう。
それどころか槍で突っつかれる。
扉の向こうは幅広の廊下の壁に燭台が立ち並び、明るかった。
さらに進むと小さめなホールがあり扉が並んでいる。
「そこが我の部屋だ」
王子がひとつの扉を指差した。
折角教えてくれても二度とこのフロアには来れないだろう。
更に奥にまた兵が守る扉があり、そこを抜けて行き着いた部屋が目的の部屋だった。
「クラウディオです。オミクロンを連れてきました」
「どうぞ、お入りなさい」
扉を開けると香水の匂いが香った。
向かい合わせに置かれたソファに領主夫人が腰掛けていた。
向かいには長官が座っている。
「ようこそ」
領主夫人はパーティで着ていた豪奢なドレスではなくシンプルなシャツにゆったりとした長いスカートを召していた。
髪も下ろしていて昨日と雰囲気が全然違う。
そして驚いたことに長官も軍服ではなく夫人と同じようなシャツとスカートだった。
髪も下ろしている。
軍服以外の長官の服を初めて見た。
寝る時もいつも軍服の上着を脱いだシャツとパンツのまだった。
船の上では夜にわざわざ着替えないことが当たり前だったのだ。
思えば髪を下ろしているのも初めて見たかも。
結い上げて団子にしているか帽子にたくし込む姿しか見てないような。
「お座りなさい」
夫人がそう言うと長官が横にずれてくれたのでそちらに腰を掛ける。
王子は化粧台と思われる机から椅子を取りそちらに座った。
お母さんの横には座らないのか。
「オミクロン、あなた異世界人だそうね」
いきなり本題だった。
長官の方を見るが長官は無反応だった。
「リサから聞いたわ。未来人だとか。そうなの?」
未来人?
どういうことだろうか?
俺には分からない。
困っていると長官が教えてくれた。
「未来人というのは我々の技術力や科学力よりも進んだ世界から来た者を指す。お主は空飛ぶ乗り物がある世界から来たと言っていたな」
「はい。その通りです」
夫人が頷く。
「あなたは空飛ぶ乗り物や馬の要らない車など、この国に無いものを作れるかしら?」
「いいえ、どのような仕組みなのかは知識として知っていますが、加工技術や燃料など難しい点が多く僕にはちょっと手に負えません」
「そう、、、」
夫人は少し間を置いてまた問うてきた。
「あなたの知識でこの世界でも役に立つもの、実際役に立ったものはあるかしら?」
え、そう聞かれるとちゃんと考えた事がなかったな。
ええと、ええと、、、。
「時間が掛かっても構いません。よくお考えになって」
「ええと、船で長旅をする者がかかる足萎え病の予防については知識がありました。同じ問題が私の世界でも起こりましたので」
夫人は黙って頷く。
「あとは海藻についてとか料理についてとかあまり役に立たないものばかりです」
長官も王子も口を挟まない。
この場を完全にコントロールしているのは夫人なのだ。
これが貴婦人のパワーか。
結構な圧があるな。
「あなたの世界にあったもので一番懐かしい、或いはあったら便利と思う物は何かしら?」
パッと思いつくのはインターネットだ。
ウィキペディアがあったら蒸気機関くらいはドワーフに発注すれば可能なのではないか。
でもきっとそういうことを聞いてるんじゃないよね?
「僕の世界では紙が安く手に入りました。そして書物ですが同じものを大量に刷ることが出来ました。それが知識や技術の流布と発展に大きく寄与していたと思います」
夫人はつまらなそうに頷いた。
知ってたかしら?
「これは例え話ですが、特別な魔法か何かでひとつあなたの世界から持ち込む事ができるとしたら何を持ってきますか? どのようなものでも構いません」
となればやはりアレだ。
「端末だけあっても仕方ないものですが、僕がよくあれば良いのにと思うのはインターネットです」
「それはどのような物ですか?」
説明が難しい。
「私の世界に溢れるあらゆる情報や知識を詰め込んだものです。我々はそれに手のひらサイズの道具で呼び出し、閲覧することが出来ました」
「それは何でも書いてある書物のような物かしら?」
「そのような側面もあります。しかし、写真や動画、音声などあらゆる媒体で記録されたものが世界中に分散されて保管されており、その情報に個々が持つ小さな板に映し出されるのです。私の世界では言語が数えきれぬ程ありましたが、文字に限れば自分が話せぬ言葉も自分の言葉に変換する事が可能でした。それが有れば車や飛行機の燃料や動力部分くらいは作れるのではないかと思います」
夫人の目に力が篭る。
「その技術をあなた方は普段、どんな風に役立てていたのですか?」
余り言いたくないな。
「もちろん仕事や勉強に使える技術なのですが、僕のような低俗な庶民はくだらない噂話や日々の愚痴を言い合うなど、主に暇な時間を潰す為に使っていました」
夫人は微かに肩を落とした。
「そうですか。あなたは確かにそのような進んだ世界から来たのですね。そして未来人があまり役に立たないという噂は本当なのですね」
役に立たなくて申し訳ないね。
実際その通りなのだ。
今度は俺が肩を落とす番だった。