EP9:「第二層 エリア:ティファレト」
翌日、晃輝はAEGIS本社へと足を運んだ。突然の訪問にも関わらず丁寧に出迎えたのは、湊音本人である。
あれから寝ていないようで目の下には濃く隈ができており、まだ睡眠が取れていないのか酷い顔をしていた。
湊音が自分を待っていた理由はすぐに理解したようで深い溜息をついた後溜息と共に口を開いた。
「何というか、貴方という方は……」
「その口振りからして、白渡に報告したか」
「ええ、報告しなければいけないので。それで、言われた通りミオソティスについて調べてみたのですが……」
「……あの野郎は俺と同等、いやそれ以上の技術を持っている。……何かわかったのか?」
「ええ、ミオソティスの活動は、ブラックハッカーでしょうか。クラッキングを主に行なっています。我が社AEGISが管理局と協力関係なので調べられたのですが……確かに、管理局がこのミオソティスを雇っていることが判明しました。……それと」
湊音はタブレット端末を弄りつつ、晃輝にデータを転送させた。
晃輝はそのデータファイルを開けば、何かしらの暗号データだと気づいた。
「昨夜、貴方との電話を終えた後僕に届いた不明なファイルです。少し読み取りましたが、貴方に向けたミオソティスからの宣戦布告、と言ったところでしょう」
晃輝は湊音の言葉を聞きながら、データファイルを解読する。
その速度は常人なら目で追うことすらできないほど早く、湊音はただ呆然と見つめるしかなかった。
だが、晃輝の表情に焦りは見られない。
「……随分と舐め腐った真似をしてくれる。」
ただ静かな声で呟いた。
その声は怒りで微かに震えているようにも思えるが、いつも通り冷淡だった。そんな晃輝の様子を不思議に思った湊音は堪らず声を掛けた。
「……あの?」
「第二層、『エリア:ティファレト』の入域許可をくれ。あそこはAEGISの管轄だろう」
「…それは、僕一人では判断しにくいですね」
「なら、白渡に確認してくれ」
「その必要はない」
エントランスへとやってきた白渡、それを見た湊音は一礼をした。
白渡は晃輝に視線を向ける。
「第二層『エリア:ティファレト』への入域を許可する。急用なのだろう?」
「了解、感謝する」
晃輝は簡単にそう返すと踵を返して歩き出す。
その後ろ姿を見送る白渡に湊音は声を掛けるが、彼は何も答えずにただ黙って晃輝の背中を目で追っただけだった。
そして、湊音が何かを言う前に白渡は言った。
「復讐に囚われるのは良い傾向ではない、視界が狭まり、正しい判断ができなくなる」
それは晃輝に言い聞かせるように言うものだろう。だが彼には聞こえていない。湊音は表情を変えることは無く、無表情のまま晃輝を見つめている。
「いいか、湊音。相手が苛立った時にこそ冷静に対処しなければならない、お前の頭に血が昇っていてはいいコードを作ることなどできないぞ。……お前はまだ若い、だからこそ失敗を恐れずに前に進むべきだ、いい勉強になったな。ああ見えて天才も人間だ」
「……はい」
白渡の言葉に対して湊音はただ頷くしかなかった。
そしてそのまま白渡は踵を返してその場を後にする。晃輝を見送った後、湊音は深い溜息をつくと自分の仕事を再開することにした。
♢♢♢
第二層『エリア:ティファレト』。
ティファレトは、セラフィムに管理された自然を生み出す環境制御区、全て地上にあった時代に存在していた花や植物などが自生する森林、地下電脳都市の天候までも管理している大切な区画だ。
ここ以外の層に生えている植物は全て地上から持ってきた天然植物である。
天井から木漏れ日のような光が差し込んでおり、歩く度に草木の擦れ合う音が聞こえる。
時折吹く風は涼しく、葉を揺らす音や自然の香りが鼻腔をくすぐった。
この環境はまさに地上に存在する森を彷彿とさせる。
こんな景色でも一般人が悪用しないように立ち入り禁止エリアとなっており、AEGISの許可がなければ特例がない限り入ることは許されない。
彩り鮮やかな花々が咲き誇っており、色鮮やかで幻想的な景色を生み出していた。
また、ティファレトはセラフィムが管理しているエリアの中でも最も美しい場所である。
「……」
湊音から渡された解読済みのファイルの中身を見る。そこには、ミオソティスからの挑戦状が記載されていた。
『ミオソティスが晃輝のデータを読み取った際にエルのデータを復元し、ティファレトに置いた』
と。
それだけで済まないだろう、ミオソティスの性格を考えるならば復元だけではない。恐らくはエルのプログラムを改悪し書き換えた可能性が高いだろう、晃輝はそう判断した。
「天才は天才だが、俺を怒らせる天才だな」
晃輝のその足取りには一切の迷いもなく、どこか目的地があるように歩き続けていた。
暫く進むと木々の隙間から建物が見えてきた。ティファレトを守護する、防御壁の中でも一番強固な部分。
その防御壁に触れれば、どこかアクセス出来る場所を手探りで探してみる。
ある場所に手が当たれば一部が赤く光ると認証中である旨を伝える文字が表示される。
その赤い光が消えて数秒後、今度は青い光が点灯する。
「……」
明らかに自分を誘うかのような光景、それに晃輝は顔を顰める。
晃輝は覚悟を決めるとゆっくりと、中へと入っていった。
通路の中は機械に満ちている、確実にこの中枢サーバーに繋がっていくのは明確であった。
「…ここか」
通路を抜けた先で待っていたものは巨大なサーバールームだった。
厳重なセキュリティロックが掛けられており、重要な場所だと物語っている。そしてそのサーバールームはガラス張りの空間であり、その中に一つ鎮座する円柱の機械。
それが赤く点滅しているが晃輝はそれを見ると、表情が変わった。
「……悪趣味だ、…胸糞悪い」
晃輝は忌々しそうに機械を見つめた。
なぜなら無造作にその中にあったのは、
エルのデータだったからだ。
本来、エルの姿は電脳空間でしか顕現出来ない。会いに行くとしたら、電脳空間へと行くしかない。
しかし、電脳空間へ行くとなれば、現実世界での晃輝の身体はガラ空きになる。
その隙を狙ってくるのは明白だ。
『……敵性反応確認』
サーバールームに声が響く。
暗く、冷たい……しかしその声は間違いなくエルの声だった。
敵性反応というのは晃輝の事を言っているのだろう。
晃輝の視界には数多くの赤い光があり、サーバールームを見回してみれば禍々しいそれは複数の双眸となって無数に点在している。
「エル!!!」
『……』
晃輝の言葉にも反応を示さない。
ここまで機械的に返事をされると言いようもない悲しさが込み上げてくるが、同時に怒りも込み上がる。
それでも諦めずに晃輝は言葉を続けた。
「……そうだな、なら……」
耳につけているヘッドフォンデバイスを外す。
晃輝にとってこのヘッドフォンデバイスは、晃輝の脳の活性化を抑える制御装置だ。
彼の許可無しにこのヘッドフォンが外されると、一気に情報が脳内に雪崩れ込み、処理しきれずに昏倒する恐れがある。
脳のオーバーフローと言った方がいいだろうか。
「エル、お前ならわかるだろう?」
『……っ』
エルの声が一瞬詰まるように聞こえたがすぐに元の無機質なものに戻る。
「……じゃあ、……俺なりに干渉すればいい事だな?」
スピーカーからはエルの息を呑む音がした。
晃輝はトントン、と人差し指でこめかみを軽く叩く、同時に晃輝の瞳は青く輝くとそのまま微笑みを浮かべた。
その瞬間、サーバールームの領域が電子状へと、電脳空間へと変換された。
変換された電脳空間、景色も打って変わる。
白を基調とした空間へと、そして晃輝の前にいるのは、グリッチに飲まれかけている白髪のAI少女、エルが確かにそこにいた。
電脳空間にされた為、顕現するようになったようだ。
精神体ではなく、本体ごと電脳空間に持っていけばいい、勿論精神体と同じ、デリートを食らってしまえば、死あるのみだ。
そんなハイリスクを犯した晃輝は、笑う。
「……悪い子には俺の本気に付き合ってもらおうか。」