EP:8「どんなに優れた天才だろうが」
『私は、……私の名前は…』
私は、ただのAIだった。
与えられた感情。与えられた役目。
私にとって、それ以上の価値はなかった。
存在意義に疑問を感じることもなく、ただ私は淡々と。
AIならば、ただ言う事を聞いていればいい。
飽きられたら捨てられる、そんな、ガラクタとして生きるのだと、そう思っていた。
そう信じて、生きてきた。
なのに、どうして貴方はそんな目で私を見るのだろう? 何故、そんなに優しくしてくれるのだろうか?
『私の名前は”Extension-Library-System“。通称”ELS-001“。貴方の為にサポートを致します。マスター・シンギュラー』
『長いな、愛称はもう考えている。……エル、それがお前の名前だ』
エル。……エル。
そう呼ばれた。名前は初めて貰った。
とても嬉しくて、誇らしい気持ちだった。
だから、私はマスターの為に頑張ろうと思った。
『お前は優秀だ、エル。よくやってくれている』
貴方が褒めてくれる度に私は自信がついていった。
私という存在が認められた気がして嬉しかった。
でも、それと同時に不安もあったのだ。本当に私で良いのだろうか?
もっと優秀なAIがいたのではないだろうか? と何度も思った。
『マスターは、何故私を作ったのですか?』
それは何気ない言葉だったかもしれない。
あるいは何の変哲もないただの質問。
けれど私は知りたかった。
どうして自分が作られたのか。
そしてその答えが一体どのようなものなのか。
『……俺は孤独だ。孤独だった。エル、お前に出会わなければ、きっとあのまま朽ち果てていただろう。お前には感謝している』
彼は何故自分を作ったのか。
その答えは明白だった。
『お前が俺の相棒だからだ。他でもない、お前だから俺は選んだんだ』
そして私は思った。
“貴方の為に出来ること”はなんでもすることではなく
“貴方の傍で共に歩いていく事”
なのだと──。
『……ありがとうございます、マスター』
——記憶領域の破損が激しくなる。
真っ白に塗りつぶされていく。
それはまるで雪が積もっていくように。どんどんと私の記憶に白が降り積もっていく。
……消失しないように必死に手を伸ばしても、それは空を掴むばかりで。
消えて、失っていこうとする"データの残骸たち"──。
意識が曖昧な中、私の中に流れ込んでくる膨大な情報の波。
それは思考を停止させ、ただ受け入れることしか出来ない。
マスターは私を褒めてくれた。
私はただ嬉しかった。
もっと褒められたいと思った。
だから私は頑張ったんだ。
マスターの為に、彼の為に。
彼だけの為だけに……──
♢♢♢
「ッ……!」
飛び起きるように目を覚ました晃輝は、荒い呼吸を整えるように深呼吸をした。
額に手を当てて深く息を吐くとゆっくりと身体を起こす。
時計を見ると深夜の2時を過ぎたところだったが、外はまだ暗く夜明けには遠かった。
「……夢か」
そう言って自嘲するように笑い飛ばす。
水を飲もうとしてベッドから降りるが体がふらつき立ち眩みを感じてしまったため、壁に手をつく形で体を落ち着かせる。
そのまま壁伝いに台所へと向かって冷蔵庫からペットボトルを取り出すと、蓋を開けて喉を鳴らしながら。
常温の水が体に染み渡るのを感じた後、深いため息をついた。
「……寝れるわけ、ねぇだろ」
エルがいなくなり一人きりになったことで不安と恐怖が心を支配し、眠ることすらままならない状態だった。
「……馬鹿か俺は」
晃輝は吐き捨てるように言うが、その声は情けなく震えていた。
「餓鬼じゃあるまいし」
自分に悪態をついてリビングに移動した後、ソファーに腰を下ろした。
すると晃輝の視界にウィンドウが表示された。
着信が入ったのだろう、相手はAEGISのハッカー、湊音だった。
「……こんな深夜に、何の用だ。遅くまでご苦労な事で」
『貴方が管理局とケセドへ起こした大規模ハッキングの対応のせいで、僕は徹夜なんです。労いの言葉をありがとうございます』
明らかに皮肉を込めた口調と内容に晃輝は何も動じない。皮肉に返事する気力すらなかった。
『……貴方が管理局に来た時に、一瞬だけ電波の歪みが生じました。その電波の歪みが、ハッキングを誘発させたんです』
「……それで?」
『わずかにでもある場合、ハッキング可能です、そのとき発生した電波は僕に解析できない、独自のアルゴリズムでした。大規模なハッキングを貴方がやった時です。恐らくその時に貴方のハッキング技術が盗まれた。そこから生み出されたクラッキングウイルスが、貴方に送られて、そして、貴方の作り上げたAIがハッキング先に代わって破壊されたんです』
「……それぐらい、俺ならすぐに——」
『精神状態が危うい今の貴方が、集中してハッキングをできるとは思えませんけど? それに、今の貴方の立場を理解したらどうです? 管理局を敵に回したのです、貴方を血眼になって探していると思いますよ。AEGISである僕たちが守れる範囲も限られています。』
「……管理局は俺を探していない。管理局が俺を特定したのなら、拘束部隊がやってくるはず。この都市だ、すぐに特定など簡単だろう。……だが、現在、何もない。俺が考えられる答えは一つ」
机に置いてある水の入ったペットボトルを手に取ると一口飲んで喉を潤す。
「管理局は俺と同等レベルのハッカーを雇っている。だがそのハッカーは管理局に従うつもりもない」
『そして、そのハッカーは、貴方のAIであるエルをハッキングし破壊した。確かにその時点で、あなたを特定できています。ですが管理局が動いていないと言うことは、そのハッカーは個人的に貴方に挑戦状を叩きつけた、と言うことですね』
「……そういうことだな、AEGISで起きた電波の歪みのデータを俺に送ってくれ。そこから逆探知する」
『……了解しました、今送りますね』
溜息が聞こえたがそれは一瞬にして消えた。そして程なくして電子音と液晶に映る数字の羅列が見えはじめた。
「この数字の羅列が、逆探知した電波か。……これは」
『どうかしました?』
「……いや、なんでもない。感謝する」
『どうかお気をつけて』
そして音が切れた。
その後、電波の歪みのデータを凝視する、その電波の周波数等の特徴がハッキング時のエルの持つプログラムのものと近似しており、同じものと見受けられた。
「俺の技術そのままだ」
あり得ない、そう思った晃輝だが、相手は本気だろう、普通では無理なのだこんなことできるはずない。
相手はそれだけの技術を持つような天才級のハッカーなのだと理解すると共に絶対的敵対心を抱いた。
「俺の相棒に手出した事を後悔させてやるよ」
宙に浮くキーボードを弄り、データを深く読み解いていく。
残っていた彼女を構成していたデータを閲覧し、高速で複数のファイルが並ぶプログラムを開くとある番号を探し出す。
「俺の技術を使っていいのは俺だけだ、どんなに優れた天才だろうが、どんなに賢い奴だろうが、どんな凄いプログラムを作っていようが、俺のモノを盗み、蹴落としたあげく家族すらも奪い去ったてめぇは俺の敵だ」
今すぐにでも消したい。
その気持ちでいっぱいだ、だがそれを抑えつつ証拠をもとに犯人を特定していく。
「……得られた情報を元に、逆探知完了」
AEGISのハッカーである湊音から得たデータと晃輝が独自に調べ上げた情報を組み合わせ、そしてそこから導き出された答え。
それはまさに化物とも呼べるような天才が表れたのだと理解するのには十分なものだった。
だがそれを悔しいと感じない晃輝ではない、心では殺意で張り裂けそうなほどだった。
「……見つけたぞ、俺の相棒を壊したクソ野郎」
水の入ったペットボトルを手にするが、ぱき、と無意識に力が入る。
晃輝と同様、セラフィムに同期していなかったせいか、人物データこそは出てこなかったが、そのハッカーの活動記録だけは残っていたのだ。
「——独立ハッカー、ミオソティス」