EP2:「フルダイブ」
『セントラルエリア:ケセド』。
そのエリアには、多くの企業や商業施設が立ち並び賑わっている。高層マンションなど住宅も立ち並び、ケセドはまさに都市の中心だ。
多くの人間がここに暮らしていることだろう。
「マスター、ハッキングの準備が完了しました」
ハッカーとは電脳空間に潜り込み、様々な電子機器を無力化したり弄ったりする者達の事を指す。
勿論悪用する者も居れば、企業に所属して信頼性の面を強化する者もいる。
そんな中、晃輝はどこにも属さない独立ハッカーだ。
所属しない分、忖度なしであらゆる企業の依頼を受け持って活動しているのだ。
晃輝のハッキング方法は他とは違っていた。現実ではなく、電脳世界へと精神を飛ばす特殊な技術だ。
普通は電子機器を使い外部から入力し、侵入する方法だが晃輝はそれを使わなかった。内部から侵入する方法として電脳空間にダイブする方法を編み出した。
フルダイブ。
うなじに取り付けられた接続部から肉体及び脳への神経パルスをブロックするとともに、現実にある五感及び身体情報を脳へと送り込むことでフルダイブを行う。
自分と同様の人型のアバターを電脳空間に送り込む、と言った方がわかりやすいだろうか。
これにより、より深くハッキングを行うことが出来る。
だが、この技術は脳に過度な負担が掛かる為、晃輝しか行えない方法だ。
だがそのデメリットとして、現実世界にある本体は無防備になり、また電脳空間で脳に深刻なダメージを受けてしまえば、接続部からの高出力の電磁パルスで脳を破壊、死亡するというもの。
だが晃輝は、そのデメリットを物ともせずハッキングを行う。
電脳空間でのハッキングは、現実世界で行えないので当然と言えば当然だが、晃輝の技術の高さが伺えるだろう。
「ハッキング開始」
「了解、マスター」
エルが答えると同時に晃輝の意識は電脳空間へと吸い込まれていく。
「……さて」
目が覚めた晃輝の目に見える空間は、あまりにも無機質、白と黒が広がった、まるで遺影のような空間。
ただ、広く、白く、黒く。そして、何もない。浮いているのは電子の光球が幾つかだ。
「相変わらず殺風景な空間だな」
そう呟くと晃輝は慣れた手つきで浮かぶ電脳空間内のキーボードを呼び出し操作していく。
次に目の前に現れたのは淡い光を放つディスプレイ、右から左へ次々と流れてくるデータの数。
「マスター」
ふわりと、小さな少女が舞い降りてくる。
無機質な電脳空間でも唯一楽しみにしていることがある、フルダイブはそのためにあると言っても過言ではない。
現実世界では見えなかった晃輝が作り上げたAI。
電脳空間で見る事が、触れることが出来るのが、エルだった。
身長が140cmへと変わり、足元はノイズで欠けている。白のミディアムヘア、桃色の可愛らしいまんまるの瞳、毛先だけが桃色、白いワンピース一枚の姿だ。
「マスター、敵性反応あり。ウイルスを展開されています」
「エルはウイルス除去を。俺はこのままサーバーにハッキングをかける」
晃輝は自らの持つ感覚を研ぎ澄まして管理局のサーバーへの侵入を試みる。
エルは晃輝をサポートするようにハッキング時の集中モードである晃輝の周りに視線を向けている。
そして数瞬した後、エルの視線が素早く動き始める。無駄な動きはなく、ただ目の前を流れる膨大なデータの羅列を眺めていた。
そんな電子の海の中、晃輝はプログラムの状況を確認し、厳重なアクセス制限を解いていく。
この管理局のメインサーバーは、本来であれば立ち入る事が出来ないほどに厳重なセキュリティが掛かっている。
触れれば即時にコンピュータウイルスが侵入をしかけ、ファイルが完全に破壊されていくだろう。
普通のハッカーでもメインサーバーにアクセスすることは不可能。
だが、それが晃輝にとっては朝飯前だ。
「マスター、敵性反応が消滅。全てのウイルスが除去されました」
「了解した」
電脳空間では現実とは違い、肉体は存在せず、脳だけが活動をしている状態だ。
その為、現実世界での肉体の感覚は遮断されている。だが電脳世界では五感全てが再現されおり、それを使いこなすことが出来ればより深くまで潜れるようになるだろう。
「丁度此方もセキュリティをクリアしたところだ」
手を横に動かし、広げれば、その動作だけでアクセス制限をぶち破る。
メインサーバーへと侵入完了すれば、ふわり、と電子の海を漂うように、身体を浮かせてサーバーへと飛んでいく。
「エル、俺はこれから管理局のメインサーバー内の情報を全て抜き取ってくる」
「お気をつけて」
晃輝の言葉に答えるかのようにエルの声。
彼女は常に晃輝のサポートとして側についている存在だが、そのサポート能力は計り知れないものだった。
「さてと、まずはこのデータからだな」
晃輝が目をつけたのは管理局内の極秘資料だ。
その資料には管理局の機密情報が記されているだろう。
それを抜き取ることが出来れば大きなアドバンテージとなるはずだ。
「マスター! 危険です! これは——」
エルが突然焦ったように声を荒げながら警告を促す。
その声に気づいて目の前を見ると電脳空間全体が赤く点滅し、危険を知らせていた。
晃輝が映している画面にはエラーコード、それと同時に一際大きなクラッキング音が流れ込んでくる。
「ッが……!!?」
電脳空間での精神干渉、外部による精神干渉は非常に危険だ。下手をすれば現実世界にまで影響を及ぼしかねない。
「ゴーストハック、だと……?!」
「マスター!!」
「エル、今すぐに、俺のリンクを切れ……ッ!!」
「了解しました、直ちに切断致します……!」
焦燥感に駆られながら晃輝が声を荒げると同時に視界が暗転し、ブラックアウトした画面の様に何も見えなくなったがそれも一瞬の出来事だった。
次の瞬間には視界が開かれていき、真っ白な空間に放り出されていた様に見えたものの、すぐに現実にある晃輝の部屋に戻された。
「……ッ」
リンクされているプラグを急いで抜き取り、脂汗を滲ませながら目元を抑えた。
「マスター、大丈夫ですか……?」
心配するかのようにエルがデスクトップから声を掛けてくる。
その問いに対して無言で顔を向ければ心配しているような顔でこちらを見つめ返してきていた。
そんな視線に対して思わず苦笑してしまうものの直ぐに真顔に戻すように切り替えた。
「……エル、管理局のサーバーに緊急防衛プログラムはあったのか?」
「いえ、存在していれば報告しています。……恐らく、外部からのハッキングかと思われます」
「……俺の精神に干渉してきただと……、普通のハッカーじゃそんなこと出来るわけがない……」
晃輝の精神は、彼自身によって高度なセキュリティが掛けられている。
その堅いセキュリティを潜り抜けるには、それこそ同等の技術を持つハッカー並の技量が必要になってくるだろう。
「マスターの作ったセキュリティはそう簡単に破れるものでは……、それに、電脳空間でマスターのシステムに干渉できるのは——」
「……セラフィムだろうな」
エルが言い終えるよりも先に晃輝は結論を導き出した、しかしそれは限りなく正解に近いものだが完全な答えとはいえないものだっただろう。
晃輝の高度なプログラムを突破出来るのはセラフィムしかいない。
「個人サーバーに干渉するほどか……? あのセラフィムが?」
そう、いくらセラフィムでも個人サーバまで干渉して来る事はまず有り得ない。もしあるとすればそれは……。
「セラフィムは雨宮聖歌が生み出した、ならばセラフィムが個人的な感情でマスターに接触した、という事でしょう。私のように自我を持っていても不思議ではありません」
「……」
エルの言葉に思わず考え込む晃輝だったがそれも僅かな間だけだったようですぐに顔を上げていた。
「今、電脳空間にダイブするのは危険だ。エル、そっちでもデータに不審な点はないか? お前にハッキングされた形跡はないか?」
「今は第三者による干渉の形跡はありません」
「そうか、ならいい」
しかし、それでもまだ不安は残っているのか表情は険しいままだった。
そんな晃輝を見てか、エルが口を開く。
「マスター、私は貴方の味方です。だから安心してください。何があっても私が守りますから」
「……ああ、そうだな」
エルの言葉に小さく笑みを浮かべる晃輝だったがすぐに真剣な表情へと戻る。
「管理局、……一体、何を得るつもりだ。自由か、秩序か、あるいは……」
そこで言葉を切り、再び視線を下に向けたまま黙り込んでしまうのだった。
しかし数秒後に顔を上げる。
「マスター?」
「……いや、何でもない。……エル、出掛けるぞ、AEGISに向かう」
「了解しました」
晃輝の言葉にエルは素早く反応し、晃輝はパソコンを閉じて動き出す。
それを見た後晃輝はゆっくりと立ち上がり外出の準備をし始めるのだった。