EP19:「真実を知って」
管理局、とあるモニタールーム。
雇われている秀才ハッカー、ミオソティスの名を持つ雨宮琉夜は晃輝が管理局に確保されたという情報を受け、ゲーミングチェアに背を持たれさせながら、息を吐いた。
「……橘紫織は信用出来ない。シンギュラーを自分のものにしようとするのは間違いない。それに……イェソドに近づいたなら、シンギュラーはもう真実に気づいている」
必ず殺してやるとは誓ったが、そうも言っていられなくなった。正確には殺したかったのは、天才の技術、精神だった。
晃輝が死んでしまえば、人類としての証明ができなくなる。
そうなれば誰が人類であるという答えを出すことが出来るのだろうか。
「それも時間の問題か」
ウイルスエネルギーに感染している事は間違いないだろう、完全に寛解したとしてもまた発症する可能性がある。
その場合、管理局はどの対応するのだろうか。普通であれば、治療をするだろうが紫織の事だ、晃輝を感染させたまま放置し実験する可能性がある。
そうなれば、間違いなく死ぬ。
「紫織にとっては、……シンギュラーが死んだ方が好都合なんだろうな」
椅子にもたれながら、もう一度ため息をつく。しかしどうしたものかと悩んでいた。
晃輝が自分の死を受け入れるとも思えない、だとしたら何らかの策を打っていると予測を立てることができる。
それに紫織の企みを阻止しなければ最悪の結末を辿る可能性が考えられる。
「……これもお前の思惑通りなんだろう?蒼井晃輝」
潰すのであれば、内部から瓦解させれば統率は取れなくなる。晃輝は、恐らく"わざと"なのだろう。
誰に聞かせるわけでもなくただ呟いて、視線を上へと移すと部屋を見渡す。
ガラス越しに見える空は青い色を写し出していてどこまでも続いていた。
「……行くか」
ポツリと独り言ちた後立ち上がる。
机の上に置いてある護身用の拳銃を手に取り、ホルスターに入れると自室を後にする。目指す場所は当然決まっていた――。
♢♢♢
管理局、その地下。
ハッキングが不可能である無音独房。
無音室の外側は電波を阻害する層。内側は無音シールドを展開して防音設備を整えてある最新技術が施されたこの部屋では一切の音声等が全くと言って良いほど遮断されてしまう。
そんな中にいる人物こそが捕らえられた蒼井晃輝だった。
「……無音、とは、……確かにこれなら外部の音は聞こえてこないだろうな。完全に俺対策か」
何も音が聞こえない、耳が痛くなってくる。
それに、逃走されないように拘束衣まで着せられており、鎖で繋ぎ止められていた。
確認すれば四隅には24時間体制の監視カメラがあり、これでは逃げ出せる隙間もなかった。
もし逃げようものなら即座に射殺するために警備兵が常駐しているのは確実だろう。
「(成程、仕組みは中々に面白いな)」
何も音が聞こえない、全くの無音は精神を安定させないどころか蝕んでくる。
静かであればあるほど、耳がよく聞こえるようになる。最初に心臓音が聞こえ始め、肺の音も時折聞こえる。胃が動く音すら、煩わしく感じる。
つまり自分自身の音を聞き続ける事が精神的苦痛となり、幻覚や幻聴まで聞こえてくるようになる。
晃輝が装着しているヘッドフォンも押収され、脳内思考の制御が出来なくなっており、尚更逆効果である。
脳内もぐちゃぐちゃになる、自分が誰なのか、何がしたくて何をしているのかわからない状態に陥っていった。
「……あぁ、くそ、……ダメだ」
思考するだけで疲弊している晃輝は自身の現状を理解しつつあった。
晃輝といえど限界というものは存在する。無理をして体を動かそうとすると眩暈と頭痛に見舞われてしまっていた。
「……?」
独房の電子扉のロックが解除され、照明が赤から緑へ点滅する。
扉の向こうから、入ってきたのはライダージャケットを着た薄氷色の髪を持った青年だった。
「対面では、初めましてだな。シンギュラー、いや、蒼井晃輝。……俺が、ミオソティス……あー、雨宮琉夜だ、よろしく」
「……、雨宮……?」
ミオソティス、エルをハッキングさせ晃輝のハッキング技術を盗んだハッカー。
何よりミオソティスと名乗ったことより、その後に名乗った名前に晃輝は驚きを隠せなかった。
「ああ、俺は雨宮聖歌の遺伝子を持ったレプリカントって奴だ。人間に見えるが、人間じゃない。……無音独房とは全く酷い事をするな、紫織も。……さて」
琉夜は背後にある電子扉にロックをかけ、四隅の監視カメラを見回した。
無音室であるが故に監視カメラで録音できないのが幸いか。
「……話をしようか、天才。イェソドに近づいて、何を見た?」
晃輝は、黙っていても無駄だろうと思い、静かに口を開いた。
「エネルギーだ、核物質に近いエネルギーだと思ったが感染性の高いウイルスエネルギーだ」
「違う。感染するのは当たり前だ、感染して自分をハッキングし、何を見た?」
何かを試すような表情で問う琉夜に苛立ちを覚えた晃輝は眉間に皺を寄せていく。
「……、……お前はどこまで知っている?」
「”この世界の真実全てだ“。嗚呼、希望を持っているだろうが俺でもセラフィムの居場所は分からん。なんせ管理局に雇われているだけで、セラフィムの場所なんて教えてもらっていないからね」
どうにか琉夜の声を音と認識して、ようやく頭が働き始めているようだ。
少しでも違う音があれば、そこに集中出来る。
「ミオソティス、……いや雨宮琉夜。どうしてわざわざ俺に接触するような真似をとったのか教えろ。お前がここに立っている目的は何だ」
「……アンタ、このまま死にたいのか? 紫織に、管理局に、実験されて殺されるだけだぞ」
「死にたくねえに決まってるだろ。まだやり残したことが山積みなんだ」
琉夜は即答する彼に満足したのか、肩を竦める仕草を見せる。
どうやら琉夜への返答は正解だったらしい、彼の質問攻めで情報を引き出しているのは琉夜も同じなのだが。
「……なぁ、シンギュラー。アンタ、俺がここに来ることまで計算済みだな?」
琉夜の言葉に、晃輝は黙ったまま小さく笑みだけ見せる。無言の時が続き互いに見つめ合うだけの時間が過ぎてゆく。
しかし両者の間には鋭い空気が流れていた。どちらも探り合っている。
しばらくした後沈黙を破るように、喋り始めたのは琉夜の方だった。
「……どこまで見通しているんだ? アンタの頭の中はどうなってるんだ」
「それは俺も知りたいね」
冗談を言うかのように答えると一つため息をつき、真剣な表情を作ると核心に触れた話に踏み込むために口を開いた。
「……紫織の目的は、"セラフィムに蒼井晃輝の脳を取り込ませ、完全自律型演算機"として、完成させることだ。アンタは賢いからわかるだろう? セラフィムに取り込まれる、即ちセラフィムと同化する事だ」
「……」
黙って聞いてはいるがその表情はまるで獲物を狙う獣の如く鋭い目をしていた。内心は穏やかではないだろう。
それほどまでに危険な状態だということは誰から見ても一目瞭然だった。
「そしてその先に待っているものは"全人類の再構築„……唯一の人類であるアンタのデータを取り込んだセラフィムは、セフィロトに住む全人類を本当の人類にさせる昇華計画を決行するだろうね」
「テセウスの船、か」
「ご名答、人類になったとしてもその者は、自分自身として名乗れるか。……気持ち悪いもんだぜ? 先人の記憶や体を持ったまま、新しく生きるのは」
皮肉めいた笑みを浮かべてそう言う琉夜。ため息を吐いて、晃輝に近づく。
一歩ずつ足音を立てながら迫る。
目の前まで来るとしゃがみ込み目線を合わせてから、低く圧し掛かるような声で告げる。
「お前に選択肢をやる。自分で選べよ。セラフィムに取り込まれて死を迎えるか、もしくは、俺と協力して計画を阻止するか。天才くんなら分かるよな?」
「……エルをハッキングしたことは許してやるよ、ミオソティス。今はお前と協力してやる。その後のことは勝手にさせてもらうが構わないんだな?」
自信有り気に答えたあと確認するかのように尋ねる。
それに対して肯定するように笑みを浮かべた後、静かに目を閉じて再度開きながら呟いた。
「それで構わない。俺はアンタを技術で殺したくて仕方がない。だから今死んでもらっちゃ困るんだよ」
「はは、寝言は寝て言え」
鼻で笑うように笑いながら、晃輝は答えた。
「……まずは、今はそのまま暫くいろ。紫織にバレたくないんでね」
お互いに目的を確認し終えるとそれ以上は何も発さずに別れた。
♢♢♢
「やっぱ、全部計算通りだったか」
晃輝が投獄されている無音独房から退室した琉夜。晃輝は遅かれ早かれ、管理局にわざと捕らえられる事によって、内部から瓦解させようとする手法らしい。
予想外だったのはイェソドに存在するエネルギーの正体と、人類の真相だけだっただろう。
場所がイェソドでなくとも、ここまで全て晃輝の計画通りに人々が動いていると琉夜は推測出来た。
「っは、……バケモンがよ。俺がこうやって動くのも、想定済みだってか」
そのまま真っ直ぐに廊下を歩き続けて行く。
すると一つの部屋から、出てきた人物と出会う。その人物を見て、思わず足を止めてしまった。
「……ミオソティス、いえ、雨宮琉夜と呼んだ方がいいでしょうか?」
現れたのは、紫織だった。
紫織の姿を認識した瞬間、嫌な顔を隠そうともせずに、げんなりした表情を見せる。紫織の方もいつも通りの表情であるが目が笑っていなかった。
「好きに呼べよ」
「ではその様に。それにしても、此処に何の用ですか?」
「……一度、この目でシンギュラーを見たかっただけだ」
「そう、彼とはあまり接触しない様にお願いします。彼は、感染しておりますので」
「……フェイタルか」
イェソドで生成していたウイルスエネルギーの名称。
その正体を知っている琉夜はその名を口にした。
高濃度放射性自己増幅型永久エネルギー。通称"フェイタル"。
有用なエネルギー物質である反面、広範かつ長期にわたり環境を汚染する性質を持つ一種の生体物質、情報媒体物質。
言うなればエネルギー生命体であり、微弱ながら意思が存在する。
セフィロトにおけるエネルギーの正体、それがイェソドで生成していたウイルスエネルギーの正体だった。
「……俺たちは感染しないだろうが」
「そうですね、我々は感染者ではない。ですが、万が一があります。念のため気をつけてください」
「……ああ、わかってるよ」
そう言うと再び歩き出す。
これ以上話すことはないといった様子で素っ気なく答えて去る姿に紫織は少しだけ違和感を覚えた。
「雨宮琉夜」
「……何だ」
「何か企んでいるようですね?」
「どうだろうね、ただ、俺はこの世界の行き先を見てみたくなった、それだけだ」
琉夜の言葉に首を傾げる紫織。どういう風の吹き回しだ、という疑問を覚えながらも今は問い詰める事も無く、琉夜から視線を外して歩いていった。
「……本音だからな」
琉夜は、管理局に用意されたモニタールームへと戻った。
椅子に座り、すぐにPCを操作し始める。
「……まずは、シンギュラーの無音独房にある監視カメラの録画データに細工をして、映像記録を短めに編集しておくか」
そう言うと慣れた手つきでキーボードを叩きはじめた。
その姿は先程までとは打って変わり真面目な姿。
別人かと思うような雰囲気を放っており、ハッカーとしてのいつもの調子に戻っていた。
「次に、……」
管理局と対立したとされるAEGISにどうにかコンタクトを取るべきか。
しかし普通に送信すればバレてしまうだろう、そこで琉夜は一計を案じた。
AEGISは管理局と対立している、その事実を知っている琉夜はこれを利用しようと画策し、実行に移した。
「……よし、送信完了。あとは返事待ちだ」
ものの数秒で処理を終えると満足げな顔で椅子にもたれかかる。
そして背もたれに体重を預けて天井を見上げると目を細めた。
「……セラフィム、……管理局。……セラフィムはセフィロトを管理するAIだ、だが全て紫織の都合で、管理局を動かしている。……この世界が都合が良いようにできているように」
ぶつぶつ言いながら考えをまとめるべく声に出しているうちにひとつの仮説が生まれる。
その可能性を考えるに至った瞬間背筋が凍る気がした。
「……雨宮聖歌、アンタは、どこまで未来を見通している……?」
一つの仮説が浮かび上がってしまった、非現実的だが無視できない事実でもある。
確信を得た訳ではない、だが確実に言えることは一つだけあった。
「……そのために、俺を作った、ってか?」
自嘲気味に笑いを零しながら呟く。
もしもこれが本当なら自分は利用されていることになる。
まるで駒のように扱われているような気がして吐き気がする程不快に感じた。
「クソッタレ」
琉夜は静かな部屋の中で吐き捨てるように言った。