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EP10:「私のマスター」

『……』


 エルの電脳空間はグリッチが侵食している、そのせいか、彼女の身体は所々にノイズのような物が走っている。

 それはまるでバグのようにも見えた。

 晃輝はそんなエルを見て、眉を顰める。


 だがエルは何も答えない。ただ黙って晃輝を見ているだけだ。

 しかしその表情にはどこか悲しさを感じさせるようなものだった、だがそれもすぐに消える。

 そして開かれた瞳の色は褪せており、エラーを示す赤色に染まっていた。


『攻撃対象、蒼井晃輝。カウンターハッキング開始』


 エルはそう告げると、サーバールーム内の全ての機械が晃輝のハッキングを妨害するべく動き出す。

 だがそれは無駄な足掻きでしかなく、晃輝のハッキング速度には到底追いつかない。

 しかし、エルは諦めずに抵抗を続ける。


『攻撃対象のハッキング速度上昇中、再演算開始』

「お前のコードは既に俺のものだ、過去のデータを使えばあらゆる規則を改変、淘汰できる」

『回答拒否』


 晃輝の言葉に対する彼女の言葉はシンプルで冷たいものだった。

 しかしそれさえもこの状況下ではより悪寒を感じさせられる。そんなエルの姿を見ても晃輝は一切表情を変えなかった。

 電脳空間でのハッキングは、精神干渉にもなる。

 それは危険であり、許されない行動でもあった。通常のハッキングとは違い脳味噌をそのまま晒し出すようなものだからだ。

 失敗すれば影響は電脳空間から現実へ、死へと直結する。


 更に、電脳空間となったメリットはエルにもあった、晃輝が得意な土俵へと上げたと同時にエルにも得意な土俵となる。


 互いに譲らない攻防、根比べといったほうが正しいだろうか。

 それだけやりあえば互いに消耗は計り知れない。


『演算完了。攻撃開始』


 電脳空間に浮かぶ電子状の光球、それはエルが作り出したものだ。

 その数は数十個、それが一斉に晃輝に向かって放たれるが、晃輝はいとも簡単に避ける。


「……回避、着地点、速度、……解析完了だな」


 晃輝はそう告げる。

 光球を読み込んだのか、彼に触れる前に消滅、分解されていく。


「さて、反撃と行こうか」


 晃輝の電脳空間への干渉によりサーバールームのシステムに異常が生じる。

 そしてそれはエルによってすぐに修復されるのだが、その一瞬を見逃すほど甘くはない。


『解析不能。緊急措置適用』


 エルは慌てた様子でプログラム言語を口にし始めると、また別の数字の羅列が現れ徐々に変化し始める。


『攻撃開——』


 エルが言葉を放った瞬間、回避し終わった晃輝は一拍叩く。

 その音に気づいたエルは動きを止め、すぐに異変に気付いた。


「——ハッキング完了。俺に対して一秒でも隙を見せたら終わるんだよ、エル」


 あっという間にエルのサーバーは晃輝によってハッキングされ、全てのデータが掌握される。

 管理権限に対してハッキングを実行すれば、文字通り無になった。


「はぁ……っ」


 だが過剰な脳への負荷が掛かり続けた。

脳より器の方が早く限界を迎えようとしていた。

 強引なハッキングにより脳内は激しく循環し続けた為か思考回路にノイズが混じっていた。


 エルはそんな晃輝を見て、何も思わない。

 いつもなら「マスター!」と心配した声を上げてくれていた事だろう。


「……オーバーライト」


 晃輝はそう告げる。

 サーバールームのシステムが書き換えられる。

 今度はより複雑に、より強固に、そしてより強靭なプログラムへと変貌する。その速度は常人の目では追えない。

 エルが何度も晃輝が書き換えたシステムに対して、上書きや書き換えを試みようとしたが。


『異常検知。再演算開始。エラー。アクセスエラー』

「……エル、お前の根本的なものはそのままだな。流石にミオソティスも心のプログラムまではゼロから作れなかったか。だから俺の作り上げた心のプログラムを改悪したって訳か」


 晃輝はすっと目を細めると、疲れた様子で息をつく。

 データ干渉はもちろん処理スピードにも相当な負荷がかかる事は彼も知っていた。

 だがそれを今まではエルが処理してくれていた、そのお蔭で晃輝の脳に負荷がかかる事はなかったのだが。

 しかし、今回は違う、全て一人で行わなければならない為、余計に力を使わなければならなかった。


「エル、お前のマスターの名前を言ってみろ」


 晃輝の問いかけに、エルは一瞬驚いた後沈黙を貫いた。

 何度も呪文のように「マスター」と声を上げているが言葉を発そうとする度にエラーが出てくる。

 確実にエルの反応速度が落ちてきていることに晃輝は気づいていた。

 そして処理落ちし、エルの動きが完全に止まった瞬間だった。


「……捕まえた、もう逃さない」


 晃輝は手を伸ばし、拳を握る。

 その瞬間、掌握した電脳空間が反応して、電子状の鎖がエルの身体に巻き付いた。


『……、マ、ス…ター……、わた、しは……』

「ようやく、返事をしやがったな、寝坊助」

『……、ま、すたー、……』

「…お前の声を聞けて、安心したよ」


 晃輝がぽつりと呟いたその言葉を聞いた瞬間、エルの目から一筋の涙が流れる。

 AIが涙を流すことなどありえないというのに。

 その涙は止まることなく溢れ続けた。エルは嗚咽混じりに「マスター」と何度も繰り返している。


「……戻ってこい、馬鹿」


 晃輝は小さく息を吸う、ミオソティスが改竄させたエルのデータを、時間をかけて復元させる。

 晃輝にとってもこれは高リスクの行動だ。血管に熱が篭り熱くなる感覚に襲われるも、晃輝は耐えて作業を続ける。


「……っ、はぁ、……活動限界が、近いか」


 そろそろヘッドフォンデバイスをつけなければ危険な状況になるだろう。

 だが今ここでやめてしまえばデータはまた改竄されるだろう。

 更にミオソティスがここを見ていない訳がないと踏んで、徹底的に元通りにするしかない。


『マスター』


 エルの声は弾むように、身体はぎこちなく感情表現が上手く出来ていないがそれでも晃輝にとっては十分だった。


「……大丈夫だ、……だから、もう泣くな」

『……ありが、——』


 改竄されたデータの修復完了。


 そして同時にエルのその言葉を最後に電子状の鎖が解き放たれて、落ちようとした所を晃輝が受け止める。


「おかえり、エル」


 晃輝は小さく、優しく、呟く。

 まるで夢でも見ていたかのようだ。

 しかし、晃輝の腕には確かにエルがいる、その温かさが現実だと物語っていた。


「……っ……はぁ……」


 晃輝は大きく息を吐くと共にその場に座り込んだ。そしてヘッドフォンデバイスへと手を伸ばし装着すると、脳の活性化を抑える。


「私、マスターに伝えたい事があります」

「……ん」


 エルの言葉に晃輝はただ静かに頷いただけだったが、その視線はどこか優しいものだった。

 エルもまたそんな視線を受けて嬉しそうに微笑むとゆっくりと口を開く。



「——愛してます」



 それだけで満足だったのか、エルは微笑むと目を閉じた。

 エルの姿が、電子状に消滅すれば電脳空間も現実へと引き戻され、元のサーバールームへと戻る。

 エルの代わりに、晃輝の手には小さなメモリーが残されていた。


「……俺も愛してる」


 その小さなメモリーを握り締め、晃輝はそう呟く。

 そしてしばらくの間、そのメモリーを愛おしそうに見つめていた。





 



♢♢♢





 



「寒い。」


 とあるモニタールームで観測していたのは、ミオソティスだった。

 薄暗い室内にモニターの明かりが散らばっていた。

 ティファレトでの出来事を見ていたのだろう。つまらなさそうにモニター内の映像を早送りにしていたのは、その表情と行動をみても明らかに苛立ちからか。


「……つまらない、安っぽい茶番劇にするのは得意みたいだな。蒼井晃輝」


 ミオソティスの冷たい声が室内に響き渡る。

 ティファレトのサーバールームを映すモニター内、映像の先に映る晃輝を睨みつけるようにモニター越しに触れる。

 すると暫く経ち、モニターの中の晃輝が、動き始めた。


 そして立ち止まったのはモニターを映す監視カメラの目の前だった。

 監視カメラ越しに目が合えば、晃輝は不敵に笑った。


『よお、ミオソティス。見ているんだろう?

 エルを直してくれてありがとうな? お陰で、今度はお前にハックされない強い存在に出来た。お前がいたから助かったんだ、で、今度は何を企んでいるんだ?』

「……は、」


 晃輝の言葉に思わず笑いが込み上げるミオソティス。


「バレていたか。流石だな」

 

 監視カメラ越しにいるであろう晃輝に対して、ミオソティスは拍手をする。


『お前がデータを弄って、エルを改竄させた事は分かっている。だから、これだけは言っておこう。』


 監視カメラを通してでもわかる、強い眼力で相手を見据えて話を続ける。

 その姿はまるで鋭く尖る剣のようで氷のように凍えていく冷気をミオソティスは感じた。


『お前の技術は完璧だ、だが俺の技術をそのまま使うのは悪手だ、俺の模倣をすればお前の進歩は衰退にしかならない。



じゃあな、()()()()



 ミオソティスが何か言う前に晃輝は監視カメラに目掛けて、足蹴りを入れる。

 映し出されていたモニターは割れ、砂嵐となり、やがて映像が映らなくなった。


「……、()()だと?」


 通信機能、及び監視カメラが使えなくなった所為で完全に回線遮断される。

 天才に言われたくはない、天才だからそう言ったのだろうが、ミオソティスにとって一番言われたくない言葉だった。


 天才は努力の気持ちを理解できない、天才だから出来る事を前提に考える。

 それが努力で勝ち上がり、秀才となったミオソティスからすると、最も吐き気と虫酸が走るものだった。


 晃輝に言われた言葉を思い出せば出すほど苛立ちが募ってくる。

 彼の技術を奪い使えばあの傲慢で不遜な天才を引きずり落とせるんじゃないかと考えて、試行錯誤するもあと一歩の所まで行っても、なかなか到達出来ないのはミオソティス本人が分かっていた事だ。

 

 だからこそもどかしい思いをし続けていた。幾らデータを弄っても、どれだけプログラムを改竄しても彼はそれを上書きして更に強い物へと変えていく。


 その才能に何度も嫉妬し、羨み、妬んだことか。


「絶対に引き摺り下ろしてやるよ。蒼井晃輝」


秀才(ミオソティス)」と「天才(シンギュラー)」、「天才」の晃輝に勝つ為に。


 ミオソティスがモニタールームの電気を消すと暗闇に包まれ、そして静寂だけが残った。

空想科学日間ランキング3位に入るとは思わなかった。驚きです。本当にありがとうございました。


これにて第一章終了です。

天才と天才、と思いきや秀才と天才。



ここまで読んで下さってありがとうございます。

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