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幽霊11 太助と玲子

 朝起きて、隣に誰かがいるというのは太助にとって不思議な感覚だった。


「おはよー」

 気だるそうにそういって、彼女自身は寝てなどいないのだろうに、朝の雰囲気を作り出す。


「おはようございます……」

 なにをするでもなく、玲子はただ部屋の真ん中に佇み、こちらに視線を投げかけている。


「遅れるよ、出勤時間」

「え?」


 起床予定時刻をとうに過ぎているが、目覚まし時計を止めた記憶がまったくない。


「さあ急いで急いで!」


 急かされると余計に混乱してしまい、まず何をすべきかというところに思考がたどり着かない。


「カーテン開けて、明るくして。着替え、洗顔。ご飯食べる時間はなさそうだから、歯を磨いて」


 言われるがまま、遮光カーテンを開く。眩しい朝日が部屋に飛び込んでくる。

 手を合わせ、少しのあいだ目を瞑る。


「もう、この忙しいのに何してんの」

「お天道様にご挨拶ですよ。今日も明るい朝をありがとうございますって」


「なにそれ、変なの。さあはやく早く!」

 ぴょんぴょん、と跳ねて玲子が太助を急かした。


「わかってますって。そう急かさないで」

 身支度を済ませ、玄関を出る。いつもなら玲子がいってらっしゃい、と見送ってくれるのだが、今日は違った。


「ねえ、私も一緒に行っていい?」

「へ?」

「だって、私一人だと、このあたりを離れられないんだもん。太助くんと一緒ならきっと遠くへ行っても大丈夫」


 玲子は以前、このマンションから離れると徐々に視界が暗くなり、何も見えなくなってしまうと言っていた。ただ、生きた誰かについていくと、その周りだけは明るく見えるのだとも。


「太助くんの周りはいつも明るいから。きっと遠くへ行っても外が見える気がするの。邪魔にならないようにするからさ!」


 玲子は幽霊になってからというもの、自由に遠出ができなかったという。幸い、太助の仕事は車での移動が多い。助手席に玲子がいる分には構わないだろう。それに、他の人間には玲子は見えないのだろうから。


「わかりました。いいですよ。じゃ、急ぎましょう」

「やったぁ!」


 自家用車で会社へ向かい、そこで会社のトラックに乗り換える。

 各所の自販機へ移動して、補充や点検、ゴミの回収を行って、また次のポイントへ。


「手際いいね」

「そろそろ就職して3ヶ月になりますし」


 助手席の玲子はときどき短い会話をするだけで、あとは窓の外をずっと眺めていた。


 公園の自販機をメンテナンスしたあと、そこで軽く昼食にする。近くのコンビニに走り、適当に弁当を買って車に戻った。


「大変なんだね、仕事」

「まあ……でも僕に合ってますよ。一人でできる仕事だし、力仕事は得意分野だし」


「そっか。こうやって仕事してくれる人がいるから便利にジュースが飲めたんだねぇ」


 感慨深そうにそういったあと、玲子は太助が食事をするのをぼんやりと眺めていた。


 玲子は食事をしない。幽霊なのだから当然だろうが、一緒に食事ができないのは、なんとはなしに心苦しい。


「おいしい?」

「まあ……」

 それはよかった、と笑うと、玲子は窓の外に視線を移した。


「ここ、来たことがある……」


 駅前の公園である。駐車場が整備され、その近くに数台の自販機が置かれている。そのうちの一つが太助の会社のものだ。


 平日昼間の公園はそれほど人が多くなく、ウォーキングをしている老夫婦や、昼休みのサラリーマンがちらほらと居るくらいだ。


「何か思い出したんですか」

「うん。ここ、夜桜が綺麗なんだよ。ライトアップされて」


「お花見ですかね」

「うん。見に来た気がする。誰かと」

「恋人……ですか」


 前の職場で、花見の季節に同僚に茶化されたことがある。お前も早く一緒に花見に行く恋人くらい作れ、と。その時は、そんなことには興味もなく、はあ、と気のない返事を返したものだ。


 普段は草花になど見向きもしない人間が、桜の季節になると浮かれ騒ぐ。太助にはそれがどうも馴染めなかった。


「恋人……かなぁ。でも、好きな人だったかもしれない。男の人……。私よりちょっと背が高くて、その背中を見て歩いたんだ」


 聞いたのは自分なのに、そんな答えを聞くと胸がざわついた。


「やっぱりお花見は恋人と行くものですか」

「そんなことないよー。むしろ友達同士の方が多いんじゃない? 大勢でわいわいやる方が楽しそうだし」


「じゃあ、桜の季節になったら、僕らもやりましょう」

 コンビニ弁当をかき込みながら、玲子の方は見ないで言った。


「え?」

 玲子が窓の外から視線をこちらに移したのがわかる。


「ほら、東雲さんとか、朝霧さんとかも一緒に。なんなら、前のアパートの仲間たちみんな連れてやりましょう。あやかしたちは、そういう宴が好きだから、きっと喜んで来てくれますよ」


 視線は弁当から移さない。というより、移せなかった。

「太助くん……」


「まあ、その……つぎの春まで、玲子さんがこの世にいなければならないのなら、ですけれど」


 玲子は、いつあの世に行ってもおかしくない。というより、あの世に行かなければいけない存在なのだ。引き止めるようなことを言ってはいけないと、いまさら思い直す。


「ごめんなさい。早く未練を解消して旅立たなければいけないっていうのに」


「ううん、ありがと。楽しみだなぁ、お花見」


 嬉しそうな声音に、太助は安堵した。玲子はふたたび視線を窓の外に移して、今は花のない桜の木を見上げていた。

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