鎌鼬10 過去と決意
「以上で説明を終わります。ご不明点はありませんか」
「妖怪の件はぜんぜん書いてないんだね」
「それはまあ……契約は通常の賃貸契約ですからね」
「妖怪の話は別件でしてくれるんでしょ?」
悠弥は、そうですねぇ……と言葉を濁す。
「とりあえず、仕事はこれでおしまいにしようよ。契約書は、部屋の鍵をもらう時に交換でいいんだよね。契約金は明日振り込む、と」
「完璧です」
「オッケー、了解。じゃ、ここからは完全プライベートね。ていうわけで、敬語もなし。悠弥って呼んでいい? 私のことも美琴でいいよ」
悠弥が頷くのを待って、美琴は残りのビールを飲み干した。
「ね、ライブどうだった?」
ようやく二口めのビールを口にした悠弥に、大皿のサラダを取り分けながら美琴が問う。
「すごくよかったですよ。音楽の良し悪しは詳しくないけど、俺は美琴さんの歌が好きだったな」
美琴は少し照れくさそうに目をそらし、サラダの乗った小皿を手渡した。
「ほら、敬語なしって。……ありがと。好きだって言ってもらうのが一番嬉しいんだ」
そう言って、今度はメニューを悠弥の方に向けてよこす。
料理の追加とビールのおかわりを頼んでから、美琴が切り出した。
「ねえ、妖怪に会ったの?」
「そうとわかる姿では、まだ一度も」
「じゃあ、わからないような姿では会ってるってこと?」
「そうなるかな。実は俺もまだ半信半疑なんだけど。あのアパートに住んでる人たちが妖怪だなんて思えなかったし」
悠弥は、ことの経緯を少しだけ話した。
メゾン江崎に住み始めた時は、あやかしが住んでいるとは知らなかったこと。何度か住人たちとも顔を合わせたが、これといって不審な点はなかったこと。
時折、外国人が使うような、ちょっとおかしな日本語を話すことがあるくらいで、コミュニケーションにも特に問題はなさそうだったこと。
「へぇ。じゃあほんとに、言われなければわからないって感じなんだね」
「そういうこと。古参の妖怪なんかは、すっかり人間に馴染んでいて……」
言いかけてそこで悠弥は言葉を切る。
俳優やら市役所職員をやっているらしい、などと言って良いものか。
「有名人も妖怪だったりして?」
悠弥は己が飲み込んだ言葉を言い当てられ、思わず動揺する。
「なんでそう思った?」
だって、と美琴は小さくつぶやいた。
「わかるんだもん」
「……まさか美琴も……」
悠弥の言わんとしていることを察し、美琴は手をパタパタと振る。
「違う違う! 私は人間! だと思うよ」
(思うよってなんだよ)
胸中で突っ込みを入れたところで、追加のドリンクと料理が運ばれてくる。
美琴がありがと、と淡白な調子でそれを受け取り、空いたジョッキを手渡して店員の退出を急かした。
「でもさ、自分が人間かどうかなんてわかんなくない?」
「自分が人間かどうか……?」
「だって、生まれた時のことなんて覚えてないでしょ。人間だと思って育ってきたけどさ、それが本当かどうかなんてわかんない。人間として育てられてきたってだけで、本当は妖怪なのかもしれないよ」
「うーん……わからないなんてこと、あるかな……」
「こんなこと思うのは漫画とか映画の見すぎかなー、と思ってたんだけど。妖怪がいるなんて話を真面目にされちゃ、そんなこともあるかも……なーんて思っちゃうな」
「試しに親に聞いてみるか? 急にどうしたんだって心配されるかもしれないけど」
冗談めかして言った悠弥だが、一瞬だけ、美琴は言い淀む。
「聞ければいいんだけどねー。もう聞けないんだ。いないの、両親。私が小学生の頃に二人とも死んじゃった。二人いっぺんに交通事故だよ。まったく、残された子供の苦労も知らないでさ」
変わらぬ明るい調子のようだが、少しだけ声のトーンが落ちている。
アパートの入居申込書に書かれた緊急連絡先の続柄が伯父だったのはそのためか。
悠弥は得心した。通常は父母のどちらかを記載することが多いので、気になってはいたのだ。
「そうか……そりゃあ……ごめん」
「やだなぁ! そうしんみりしないでよ。そういう話がしたいんじゃないんだから!」
大根の煮物をつつきながら、美琴が声を大きくした。
悠弥は小さく頷いて、気まずさをも飲み込むようにビールを流し込んだ。
「さっきの、その……あやかしがわかるって話だけど……」
「ああ、うん。なんとなくね。ちょっと普通じゃない人っているじゃない?」
「たとえば?」
「うーん、そうだなぁ。あ、こないだドラマに出てたあの人……」
そう言って美琴が口にした女優の名は、遥があの人は狐だと言っていたその人だった。
「なんで……」
「もしかしてアタリ?! やっぱり私ってカンがいいみたいね!」
「なんでだ……俺、全然わかんねぇ」
「うちね、お母さんがちょっとそういうの、わかる人だったみたい」
「お母さんが?」
「そう。霊感っていうのかな」
「美琴はサラブレッドってことか」
「うーん、でも私は幽霊なんて見えたことないし。お母さんともそんな話はあんまりしなかったから、本当にそうなのかはわかんない」
話しつつ、美琴は料理を小皿に取り分けては悠弥に渡した。
「でもね、一つだけ言われたことがある」
「なんて?」
「あまり人前で歌を歌ってはいけないよ」
「いや、めっちゃ歌ってるよな」
「うん、ふふふ」
美琴は満面の笑みで悠弥の言葉を受ける。
「なんでダメだって?」
「あなたの声は良くないものも引き寄せてしまうから、って言われた」
「おいおい……」
あはは、と美琴は大袈裟に笑って続ける。
「大丈夫だよ。別に、今までずっとなんともなかったもん」
「なんでよりによって歌手になろうと思ったんだ」
「もともとピアノは習ってたし、歌うのが好きだったし。あとは、なりゆき。高校の先輩がバンドやっててね。誘われて歌いはじめたのがキッカケ」
その先輩の後を追うように、卒業後は東京へ出たという。
「ソロ活動をはじめて、なんとなく軌道に乗って。メジャー契約の話もきたけど。それと同時に先輩が地元で店を開くって話が来て」
「店の方に乗ったってわけだ」
「そーゆーこと」
「もったいないような気がするけどなぁ。メジャーデビュー断るなんて」
ううん、と美琴は小さく頭を振った。
「いいの。音楽を続けるにも色々あるし、なによりこのチャンスを逃したら、もうここへは帰ってこられない気がして。悩まなかったって言ったら嘘だけど。昨日悠弥と会って、心が決まった」
「そっか……よかった……で、いいんだよな」
帰郷を後押ししてしまったものの、まさかそんな大きな決断が秘められていたとは思いもよらなかった。
「もちろん! いいに決まってるじゃん! 私、絶対いい選択したって思ってる。ありがとね、悠弥!」
その笑顔は、ライブで見たのと同じ晴ればれとした笑顔で、悠弥は少し胸のつかえが取れた気がした。




