第59話 『女王の進撃』
大統領の息子であるイライアスが婚約する。
首都の各所でそんな噂が流れ始めたのは、最終演説会が行われるこの日の朝からだった。
朝市から吹聴され始めたその噂はまたたく間に市井に広がっていき、相手は誰なんだと様々な憶測が飛び交っていた。
それらの噂の主は、マージョリーから依頼を受けたカリスタの手配した者たちだということを知る者はいない。
全てはマージョリーが人々の耳目を集め、婚約発表を効果的に世間に波及させるべく仕組んだことだ。
大統領選挙の投票を明日に控えていることもあり、浮足立った街には平時よりも速く濃く、噂話が染み渡っていった。
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共和国首都で繰り広げられる大統領選挙。
現・大統領を含めた数名の候補者たちが有権者たちに自らの政策を主張できる最後の機会である最終演説会も大詰めを迎えていた。
最後の登壇者である現・大統領が聴衆に向け、声を振り絞って自身の政策主張を終えた。
聴衆は熱狂的な歓声でこれを称える。
明日の投票日に向けて大統領は確かな手ごたえを掴んでいた。
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演説会場の熱狂的な歓声は、イライアスとマージョリーのいる控え室まで聞こえてくる。
「盛り上がっておりますね。お父様の勝利は確実でしょう。あらやだ。私ったらお父様だなんて、少し気が早すぎますわよね」
上機嫌でそう言うとマージョリーは茶で喉を湿らせる。
先ほどから饒舌で喋り続けているため、喉が渇いたのだろう。
すぐにエミリーが代わりのお茶をマージョリーに用意する。
「イライアス様。婚約発表が終わったら、父に挨拶にいらしていただきたいの。今夜の発表のことはまだ父にも母にも話しておりませんのよ。驚かせようと思いまして」
「そうでしたか。喜んでお伺いいたしますよ」
そう言いながらイライアスは自分の演技に辟易としていた。
こんなにもにこやかにマージョリーと接しながら、腹の底には彼女への冷ややかな怒りが鉄塊のように横たわっている。
自分は彼女と夫婦となり、こうした心持ちで生きていくのだ。
早く慣れなくては。
そんなことを肝に銘じていたその時、コンコンと扉が叩かれ、白く清潔な制服に身を包んた2人の男女が部屋に入ってきた。
「イライアス様。マージョリー様。お時間です」
それを聞いたマージョリーがにこやかにイライアスに視線を送る。
「私が手配していた係員たちですわ」
そう言うとマージョリーは立ち上がった。
そしてイライアスに向けて手を差し出す。
イライアスはその手を見て呼吸を止めた。
(この手を取れば……もう後戻りは出来ない。だが、これでいい。これが俺の……)
イライアスが意を決してマージョリーの手を取ろうとしたその時だった。
「待ちなさい」
凛とした声が響き、1人の女性が颯爽と控え室に乗り込んで来た。
その姿にイライアスもマージョリーも驚いて立ち尽くす。
「なっ……」
「ク、クローディア……」
真紅の色を基調とした情熱的なドレスに身を包んでその場に現れたのは、銀髪の女王クローディアだった。
「お邪魔するわよ」
そう言うとクローディアは係員たちを押し退けて、イライアスの前に歩み出た。
驚いて絶句しているイライアスの隣で、マージョリーは不機嫌そうに眉間に皺を寄せている。
「あら。クローディア。私たちにお祝いでも言いに来て下さったのかしら?」
「いいえ。あなたたちをお祝いする気なんてワタシにはないわ。マージョリー」
クローディアのその言葉に、マージョリーの顔が見る見るうちに赤く怒気に染まっていく。
「ではクローディア。一体何の御用かしら? 私たちはこれから婚約を発表するから忙しいの。今すぐにお引き取り願えますかしら?」
「いいえ。マージョリー。お引き取りいただくのは、あなたのほうよ」
そう言うとクローディアはイライアスの手を取った。
そして驚くイライアスに言う。
「イライアス。あなたのこと、このまま見過ごすわけにはいかないわ。ワタシと来なさい」
そう言うとクローディアは有無を言わせずイライアスを引っ張って、控え室の外へと出て行った。
突然の出来事に面食らったのはマージョリーだ。
「なっ……ま、待ちなさい!」
そう言って2人の後を追おうとするマージョリーだが、係員たちがそんな彼女の行く手を阻む。
マージョリーはワケが分からずに目を白黒させて声を荒げた。
「あ、あなたたち……何をしているの! そこをどきなさい!」
「申し訳ございません。ここはお通しできません」
「何ですって?」
「カリスタさんは捕らえられました。私たちにはもう別の雇い主がいるので」
その言葉にマージョリーは愕然とするのだった。




