第58話 『女王の到着』
「うぅ……」
バンフォールドは目を覚ますと自分が縄で縛られて椅子に座らされていることに気が付いた。
場所はどこだか分からないが、薄暗い倉庫のような屋内だ。
そして数メートル先の暗がりに何者かがいる。
目を凝らすと、それが黒い頭巾を被った女だということが分かった。
「お目覚めですね。バンフォールド氏」
そう言った女の声で、彼女が自分を襲った人物だと悟ったバンフォールドは怒りの声を上げようとした。
だが、何やら意識が茫洋としていて口がうまく回らない。
それどころか全身の力が抜けてしまっているかのように体が上手く動かせなかった。
「残念ですが抵抗できないよう一服盛らせていただきました。ただ命までは取りませんよ。今回はそういう仕事ではないので。あなたには色々と情報を教えてもらいたいんですよ。スノウ家のマージョリーと繋がっていますよね?」
その話にバンフォールドは思わず目を剥くが、ヤクザ者の矜持で必死に首を動かして横に振った。
そこでバンフォールドは初めて気が付いた。
自分の右隣に2人の男が座り込んでいるのを。
そしてその2人は共にバンフォールドがよく知っている者たちだった。
「あなたの用心棒のウォーレス氏と小間使いのアーロン氏です」
ここ数日、姿が見えなかった2人だ。
おかしなことが起きていると思っていたが、まさかこんな場所に囚われているとは思いもよらなかった。
愕然とするバンフォールドはその2人が自分とは違って一切拘束されていないことに気付き、目を白黒させる。
そんな彼に黒頭巾の女は言った。
「彼らにはもう縄は必要ありません。こちらに協力的なので。色々なことを喋ってくれましたよ。マージョリーとの繋がり、平民の娘ミアに対する数々の嫌がらせの内容。すべてあなたが関わっていることもね」
そう言うと黒頭巾の女は口の周りを厚手の布で二重に覆った。
それを見た途端、ウォーレスとアーロンが目に見えて怯え出す。
大の男がガタガタと全身を震わせるその様子に、バンフォールドは目を剥いた。
没落貴族の不良息子でしかない若輩のアーロンはともかく、ウォーレスはバンフォールドが抱える最強の用心棒だ。
高い給金を払っているのは、ウォーレスが確かな腕を持つ元軍人であり何人も人を殺してきた凄腕の戦士だからだ。
その男が、あれだけ怯えている。
精悍だったはずの顔つきも以前とはまるで別人になっていた。
「な、何を……したんだ」
そう怯えるバンフォールドの前で、女はいつの間にか両手に一つずつグラスを持っていた。
グラスの中には共に透明な液体が3分の1ほど入っており、それを一つのグラスに混ぜ合わせると、途端に泡立ち白い煙が立ち始める。
「始めましょうか。かなり苦しむので早めに降参したほうがいいですよ」
そう言うと黒頭巾の女は無慈悲に一歩また一歩とバンフォールドに近付いていくのだった。
☆☆☆☆☆☆
「イライアス様! 待ち切れなくてもう来てしまいましたわ。私のほうが早いと思ったのに、まさかイライアス様が先にいらしているなんて感激です」
扉を開いて控え室に入って来たマージョリーは、イライアスの姿を見るなりそう言って歓喜の表情を浮かべた。
最終演説会の開かれる公会堂の控え室が、マージョリーから指定された待ち合わせ場所だ。
イライアスは待ち合わせ時刻より1時間以上も早く、この場で控えていた。
早々に決めた覚悟が揺らがぬよう、自らを追い込んだのだ。
イライアスはマージョリーに向けて最上級の笑みを浮かべる。
「マージョリー殿をお待たせするわけにはまいりませんから。しかし少々勇み足でしたかな」
そう言う主の紳士的な態度を後方から見つめながら、エミリーとエミリアは表情ひとつ変えずに控えている。
彼女たちはただ見守るのみだ。
これが主の選んだ道なのだから。
「嬉しい。ようやくこの日が来たのですね。私、良き妻になりますわ。イライアス様のお喜びになるような良き妻に」
そう言うマージョリーに深々と頭を下げると、イライアスは彼女の手を取って豪華な椅子の置かれた応接スペースに導いた。
エミリーとエミリアが数々の茶菓子をテーブルの上に並べ、良い香りの高級な茶を淹れる。
「さあ、まだ発表まで時間がありますゆえ、ごゆるりとお話でもいたしましょう」
そう言うイライアスにマージョリーは恍惚とした表情で頷いた。
そんな彼女の顔を笑顔で見つめながら、イライアスは心の底に冷たい憎しみの炎が揺れるのを感じるのだった。
☆☆☆☆☆☆
最終演説会は会場である公会堂に入れる人数が限られるので、午前、午後、夜の3回に分けて行われる。
そのうち夜の部だけは立食形式で行われ、候補者らの演説が終わった後もしばし歓談が続くことになっていた。
すでに午前と午後の部は終わっており、現在は夜の演説会が始まろうしている。
そんな中、夕闇を照らし出すように煌々と篝火が灯る公会堂の前に、一台の馬車が到着した。
「クローディア。着きました」
ウィレミナの声に目を開けると、クローディアは静かに馬車から降り立つのだった。




