第55話 『女王の心』
1人で墓地を訪れたクローディアは、花束をミアの墓石の前に供えた。
彼女がこの墓地を訪れるのは二度目だ。
「ミア……あなたとは会ったこともないけれど、勝手に花を供えるのを許してね」
そう言いながらクローディアはミアの名が刻まれた墓石を見つめた。
若き彼女の墓は、見ているだけであまりにも悲しい。
イライアスはここに立ち、幾度も悲しみや絶望を覚えたのだろう。
そう考えると彼が気の毒で仕方が無かった。
「あなたが愛した彼は今……迷いの霧の中を抜けて次の一歩を踏み出してしまったわ。それは悲しい一歩よ。きっと彼の望む道とは違う。それなのに彼はその道を進まなきゃならないの。ミア。どうしたらいい?」
クローディアは顔も見たこともないミアにそう問いかけた。
もちろん答えは無く、墓地の中に虚しく風が吹き渡る。
すると墓地の脇に群生する木々が風に揺れ、緑色の葉が舞い散った。
その葉のうちの一枚がミアの墓石の上に舞い落ちる。
クローディアはそれを手で払い落そうと墓石の上に身を乗り出した。
そして気付いたのだ。
墓石の裏側に一枚の煉瓦が置かれ、その下に一通の手紙が挟まれていることに。
「何かしら……」
クローディアは思わずその煉瓦をどけて、手紙を拾い上げた。
するとそこにはこう書かれている。
【最愛のミアへ】
イライアスの書いた手紙だとすぐに分かる。
クローディアは思わず息を飲んだ。
自分には開封してはいけない手紙だと分かっている。
だがクローディアは何かに突き動かされるようにその手紙を開封した。
「ミア。ごめんなさい。読むわね」
そう言うとクローディアは手紙の中に走るイライアスの筆跡に目を走らせる。
まるで時が止まったかのように、クローディアはその手紙を読みふけった。
☆☆☆☆☆☆
ミア。
おまえと出会えたことが、俺の人生の中で最も幸運なことだったことは、どんなに言葉にしても言い尽くせないほどだ。
初めて会った時におまえは俺を叱ったね。
貴族だからといって偉ぶるな、と。
正直に言うとおまえは怒るかもしれないけれど、最初は何て嫌な女だと思ったんだ。
だけどすぐにそうではないと分かった。
おまえは身分の差に臆することなく、俺に接してくれた。
それがおまえという女性なんだ。
それから俺はすぐにおまえを好きになった。
毎日、おまえのことばかり考えていたんだ。
朝も夜もおまえに会いたくて、少しの時間でもおまえの声が聞きたくて、あの頃の俺は本当におまえに夢中だった。
おまえがいなくなった今でも、おまえを愛した日々は色褪せずに俺の心に焼き付いているよ。
あの日々があったから俺は今も生きていられるんだ。
思い出すだけで、胸が熱くなるんだ。
ミア。
会いたい。
おまえに会いたいよ。
もう二度とおまえの顔も見られず声も聞くことが出来ないなんて、今でも信じられない。
どうして俺の前から突然いなくなってしまったんだ。
これから俺は……きっとおまえを悲しませる道を歩むだろう。
だから、いつか俺が死んでおまえの元に行く時は、また俺を叱ってほしい。
憎しみに囚われて、ついに脱け出すことが出来なかった俺のことを。
そうなる時を楽しみに、俺は残りの人生を生きていくよ。
それともう一つ……おまえに伝えなきゃならないことがあるんだ。
俺は最近……1人の女性と出会った。
彼女はおまえと同じで、俺に真正面から意見をぶつけてくれる人だ。
間違ったことは間違っていると言ってくれるんだ。
正直、おまえには怒られるかもしれないけれど、俺は彼女に惹かれている。
もう誰のことも好きになったりしないと思っていたのに、俺も案外いい加減だな。
でも俺はミアに恋や愛を教えてもらった。
人を好きになる感情を教えてもらった。
それは確かに俺の心の中に根付いている、幸せな気持ちなんだ。
またそういう気持ちになれたのは、全部ミアのおかげだよ。
まあ彼女とはこの先もただの友人で終わるだろうけれど、それでいいんだ。
彼女には俺なんかよりふさわしい人がいるはずだから。
そもそも相手にされないだろうしな。
ミア。
ごめんな。
せっかくおまえが愛してくれた男は、もう幸せな人生を送ることは出来ないだろう。
誰のことも愛することはないだろう。
でも、それでいいんだ。
もう一生分の幸せはおまえにもらったから。
ミア。
ありがとう。
おまえへの愛を俺の生涯最後の愛として……ここに捧げる。
いつかあの世で会えたら、また笑ってほしい。
それだけを楽しみに残りの人生を生きていくよ。
さようなら。
ミア。
☆☆☆☆☆☆
手紙を読み終えた時、クローディアは胸が詰まり、うまく呼吸をすることが出来なかった。
イライアスの気持ちが……ミアへの深く真摯な愛がクローディアの胸に伝わってくる。
こんなにも人は誰かを愛することが出来るのだ。
そしてイライアスの胸にはどうすることも出来ない、深い深い谷のような悲しみが刻まれている。
そう知ったクローディアは込み上げる感情に耐え切れずに、その双眸から涙が溢れ出るのを止められなかった。
「……イライアス。馬鹿よ……あなた本当に……」
自分がボルドに恋い焦がれた日々のことがクローディアの脳裏に思い起こされる。
自分はまだ幸せなのだ。
なぜなら愛した男は元気に今も生きている。
その顔を見ることも声を聞くことも出来る。
何よりボルドが幸せな人生を送っていることを自分は目の当たりにすることが出来るのだから。
だがイライアスにはそれが出来ない。
もうどんなに願っても愛した女性に会うことは出来ないのだ。
そう思うとクローディアの胸に彼の悲しみに寄り添い、彼を支えなくてはならないという強い気持ちが湧き上がってくる。
クローディアは溢れ出る涙を拭うこともせずにその場にしゃがみ込み、冷たい墓石に手を触れた。
「ミア……彼は……イライアスは……幸せにならなくちゃいけない。こんなにも深く尊く人を愛せる人が不幸になっては駄目よ。彼のこと……私に任せてくれる? きっと彼の道を正して見せるから。約束する」
そう言うとクローディアは涙を拭う。
心はすでに決まっていた。




