第53話 『女王の帰宅』
「ミア。すまない。こんな方法でしかおまえの恨みを晴らせない。きっとおまえは喜ばないよな。でも俺はやると決めたんだ。もう後戻りは出来ない」
クローディアの最後の応援演説を見届けたイライアスは1人、墓地を訪れていた。
亡き恋人ミアの墓だ。
そしてここを訪れるのは今日が最後だとイライアスは心に決めていた。
しばし墓石の前に佇み、イライアスはかつての思い出に浸る。
ミアを愛し、彼女と過ごした人生最良の日々。
あの時間にイライアスのこれまでの人生の幸せはほとんど凝縮されていると言ってもいい。
イライアスは唇を震わせた。
「もう俺にはここを訪れる資格はない。ミア。どうか安らかに眠ってくれ」
そう言うとイライアスは懐から1通の手紙を取り出すのだった。
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大統領の馬車に送り届けられて迎賓館に到着したクローディアは、館の前に別の馬車が止まっているのを見て眉を潜めた。
「来客かしら?」
そんなクローディアを出迎えたのはウィレミナだ。
「クローディア! ようやくお帰りですか。お姿が見えなかったので今、ジリアンさんたちが大統領の公邸までお迎えに向かったところです」
「ごめんなさい。ウィレミナ。ジリアンたちとは入れ違いになってしまったわね。後で彼女たちにも謝っておくわ。ところで……誰か来ているの?」
その問いにウィレミナは困った顔で頷いた。
「マージョリー・スノウです。クローディアは不在だと伝えたのですが、戻るまで待つと言われまして」
その報告にクローディアは内心でウンザリとした。
今、一番会いたくない相手が押しかけてきている。
それでもクローディアは辟易とする感情を押し殺してウィレミナに言った。
「すぐに向かうわ」
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「まあクローディア。お忙しいところ申し訳ございません。応援演説お疲れ様でした。相変わらず見事な演説でしたわ」
クローディアが客室に入ると、そこで待っていたマージョリー・スノウが立ち上がり、パッと両手を広げてそう言った。
その顔には満面の笑みが広がっている。
クローディアは内心の苛立ちを隠して自らも笑顔を浮かべた。
「いらっしゃい。マージョリー。わざわざありがとう。待たせてごめんなさい」
椅子に座るようマージョリーに勧めると、彼女が腰を下ろすのを見てからクローディアも対面の椅子に座った。
「いいえ。私が勝手に押しかけたのですから、謝らないで下さいな。それより今日はどうしてもお伝えしたいことがありますの」
そう言うとマージョリーは1通の手紙を取り出し、それをテーブルの上に広げて置く。
それはイライアスの署名が成された、縁談を進めるという同意書だった。
それを見たクローディアは頭が重くなるのを感じる。
(イライアス……本気なのね)
一方のマージョリーは喜色満面でクローディアに視線を送った。
「これはまだ内々の書面なので部外者のあなたにお見せするのは憚られるのだけれど、どうしてもいち早くお知らせしたくて。イライアス様。私と結婚したいそうよ」
「……そう。それはおめでとう」
そう言いながらクローディアは自分が笑顔でそう言えているのか少々不安になった。
(わざわざ挑発しに来たのね。勝ち誇った顔して、さぞかし気分がいいんでしょうね)
そんなことを思うクローディアの内心を見透かすかのように、マージョリーは冷笑を浮かべる。
「ようやく彼と結ばれるわ。クローディア。あなたも彼と噂になって迷惑だったでしょう? もう大丈夫よ。彼、私を選んだから。あ、気を悪くしないでね。あなたも十分お綺麗よ。ただイライアス様の好みが私だっただけだから」
喜びのあまり挑発が露骨になっている。
そんなマージョリーにクローディアは冷ややかな気持ちを抱いた。
そして静かに問う。
「マージョリー。あなたよほど彼のことが好きなのね。彼のどんなところを好きになったのかしら?」
クローディアの問いにマージョリーはわずかに目を瞬かせるが、すぐに恍惚の表情で言った。
「ええ。好きよ。あの気品のあるお顔立ち、美しい黒髪、貴族らしい立ち振る舞い、女性に対して紳士的なところ、お家柄も将来性も申し分ないわ。あれ以上の男性がいるかしら?」
その話を聞きながらクローディアは、マージョリーが自分とは決定的に違うことを感じていた。
クローディアはボルドが好きだったが、彼の容姿の良さが好きだったわけではない。
彼の心の奥から滲み出る優しさと、一途に1人の女性を愛する愛情深さに惹かれて恋に落ちたのだ。
恋に落ちたからこそ彼の容姿も愛しく思えたのだ。
それに対してマージョリーは表面的な部分しか見えていない。
イライアスは確かに結婚相手としては好条件だろう。
しかし彼の本当の良さ、人としての魅力はそんなところではないとハッキリ言えるほどにはクローディアも付き合いを深めてきた。
マージョリーは彼をいかに自分の結婚相手としてふさわしいか、自分を引き立ててくれる存在かというところしか見えていない。
そう感じ、クローディアはイライアスがボルドによく似ているのだと初めて思った。
見返りを求めぬ優しさ。
そして一途に女を愛するその愛情の深さ。
そこがよく似ているのだ。
そう思えば思うほど、眼の前にいる女がこんな浅い思いでイライアスと結婚しようとしていることが何だか腹立たしく思えてきた。
そんなクローディアの苛立ちを横目にマージョリーは立ち上がる。
「私たちの婚約発表は明日の夜9時。大統領の最終演説会の後に発表いたしますわ。あなたもぜひいらしてね。クローディア」
そう言うとマージョリーは自身の完全勝利を確信した顔で、悠然と客室を後にする。
残されたクローディアは拳を強く握り、じっと虚空を見つめるのだった。