第51話 『女王の義憤』
「……クローディア。どうされましたか?」
そう声をかけられ、クローディアは初めて目の前にウィレミナがいることに気が付いた。
「あ……ウィレミナ。いえ、何でもないわ」
そう言うクローディアだが、その表情は冴えず、ウィレミナは心配そうに尋ねた。
「イライアス様と何かありましたか?」
その質問には答えず、クローディアは先ほどのイライアスの話を頭の中で反芻した。
復讐のための望まぬ結婚。
その先に幸せになる者はいない。
だが、それでもイライアスはその道を突き進むと言った。
クローディアがそれを止めることが出来なかったのは、1人の人間が己の人生をかなぐり捨ててでも復讐を果たそうとする強い怒りの炎を彼の中に見たからだ。
それはまるで玉砕覚悟で突っ込んで行くときのダニアの戦士のようだった。
いつも理性的な彼にそのような狂気の決断をさせてしまうほど、彼の怒りは深く激しいのだとあらためて思い知らされる。
(イライアス……)
クローディアの頭の中で、これまでのイライアスとの日々が思い返される。
お喋りでお調子者な一面はあるが、それでも彼は人の気持ちを慮り気遣いを見せる根本的な優しさを持つ善人だ。
その彼が今まさに、憎悪の谷に身を堕とそうとしている。
それをただ見ていることしか出来ないのか。
クローディアは胸に渦巻く焦燥感に苛まれながら、ふとボルドの顔を思い浮かべた。
彼ならこんな時、どうするだろうか。
彼なら……彼ならきっと。
「…‥ダメだわ。このままじゃ」
そう言うとクローディアは無意識のうちに立ち上がっていた。
そして驚くウィレミナに告げる。
「大統領のところに行ってくるわ」
「え? ク、クローディア?」
唖然とするウィレミナを置き去りに、クローディアは急ぎ足で控え室を出て行くのだった。
☆☆☆☆☆☆
「大統領!」
演説を終えて自身の控え室から帰りの馬車に向かおうとしている大統領をクローディアは呼び止めた。
大統領は少し驚いたような顔をするが、すぐにその顔に紳士的な笑みを浮かべる。
「クローディア殿。先ほどはご苦労だった。おかげで大いに盛り上がった。感謝するよ」
「恐れ入りますわ。大統領。実は火急の件でお話ししたいことがあります。少しだけお時間をいただけませんか?」
そう願うクローディアに大統領は眉を潜める。
「いや、これから公邸に戻り、明日の最終演説会の準備をせねばならぬのだ。申し訳ないが……」
「少しでいいのです。お願いします」
引き下がらないクローディアに、わずかに怪訝な顔を見せる大統領だが、すぐに鷹揚な笑みを見せた。
「左様か。では移動の馬車の中でよろしければ」
そう言ってクローディアを馬車に誘う大統領に礼を述べ、彼女は上等な馬車に乗り込んだ。
そしてすぐに出発して揺れ始める馬車の中で、クローディアは話を切り出す。
「単刀直入にお聞きします。イライアス殿の縁談について大統領はどのようにお考えですか?」
その問いに大統領は思わず目を丸くする。
やがてその目が面白いものを見るかのように細められた。
数々の女性と浮名を流してきた男だけあって、初老の年齢に差し掛かってなおその顔立ちは整っている。
「……これはこれは。あなたが息子の縁談についてご興味をお持ちとは意外だ。クローディア。その質問に答える前に、こちらから質問してもよろしいか?」
「……何なりと」
「それを私に尋ねる理由を知りたい。なぜあなたは私の考えを知りたいのか」
そう言うと大統領はジッとクローディアの目を見つめる。
穏やかだか心の奥底まで見通そうとするかのような視線だ。
しかしクローディアは自分より遥かに年上の男の目を臆することなく見つめ返す。
「イライアス殿はこの縁談を心からは望まれていません。彼は我らの盟友であり恩人でもあります。彼が望まぬのであれば縁談を押し進めるのはワタシとしても心苦しい。差し出がましいのを承知で大統領に再考をお願いしたいと思っております」
「なるほど。息子があなたに相談したのですか。いや、我が家のことでご迷惑をおかけして申し訳ない。ですがそれは息子の選択です」
「大統領。彼はあなたのご子息という重責を背負う身です。本人の希望通りに生きられるわけではありません。家のために自らを犠牲にする決断をしているはずです。大切なご子息にそんな思いをさせるのは大統領も本意ではないのでは?」
そう言うクローディアに大統領の目が静かに光る。
先ほどまでとは打って変わって強い意志をたたえた目だ。
「クローディア殿。あなたも一国の女王ならばお分かりでしょう。国を背負って立つ者は自身の希望を優先することなど出来ないのだと」
そう言うと大統領は身を乗り出してクローディアに言う。
「友を思い、義憤に駆られるお心は立派だ。ですがこれは我らの家の問題です。いかにイライアスと懇意にしていただいているとはいえ、あなたに口出しする権利はありません。違いますかな? クローディア殿」
大統領の目には断固として譲らぬ帝王の趣があり、さすがにクローディアも息を飲むのだった。




