第50話 『女王の戸惑い』
「明日の最終演説会に向けて大統領は気力・体力ともに充実しております! 3期目に向けて意欲十分で臨まれる大統領にどうか皆様のご支援をよろしくお願いいたします!」
応援演説8日目。
クローディアが疲れをものともせずにそう声を張り上げると、広場に集まった民衆から大きな拍手と歓声が上がる。
降り注ぐ喝采の中、大統領とクローディアは固く握手を交わして笑顔で民衆に手を振った。
これにてクローディアの応援演説は日程終了となり、候補者による最終演説会が行われる明日は1日休みとなる。
いよいよ大統領選挙も大詰めを迎えようとしていた。
☆☆☆☆☆☆
「ふぅ。とりあえずはこれで御役御免ね」
控え室に戻ったクローディアはそう言うと、ウィレミナが手渡してくれたグラスの水をグッと飲み干す。
大声を張り上げて乾いた喉に流れ込む水の美味さを堪能しつつ、クローディアは達成感を覚えた。
やるべきことはやったのだ。
「後は祝勝会でのご挨拶のみですね。ひとまずお疲れ様でございました」
そう言うウィレミナに笑顔で空のグラスを返すと、そこにジリアンが入ってきた。
「クローディア。イライアス様が話があるそうです。いかがいたしますか?」
「イライアスが? 通して」
ほどなくして姿を見せたイライアスの表情がいつもと違うような気がして、クローディアはわずかに顔を曇らせる。
「クローディア。応援演説最終日。お疲れ様。面倒な仕事を引き受けてくれてありがとう。あらためて心から礼を言うよ」
そう言うとイライアスは笑顔を見せる。
だがその顔もどこか疲れているように見えたクローディアは、傍で控えているウィレミナに声をかけた。
「ウィレミナ。少し外してくれる? イライアスと2人で話がしたいから」
「かしこまりました」
ウィレミナが控え室を後にして、イライアスと2人きりになるとクローディアは彼に椅子を勧めた。
「座ったら? 何か話したいことがあるって顔をしているわよ」
「……君は何でもお見通しだな」
そう言って苦い笑みを浮かべると、イライアスはクローディアの対面に腰を下ろす。
そしてすぐに話を切り出した。
「今日は……俺の考えを伝えに来た。そして君に謝罪をしなければならない」
そう言うとイライアスは淡々とした口調で話した。
スノウ家から正式に縁談の打診があったこと。
そしてそれに対する大統領の反応。
「……そう。それであなたの考えは?」
クローディアはそう尋ねながら嫌な予感をヒシヒシと感じていた。
いや、イライアスの奇妙に達観したような表情と口ぶりから、彼が何を言おうとしているのかクローディアにはおおよその予想がついてしまう。
「マージョリーとの縁談を……進めることにしたよ」
「……それはあなたの希望ではないでしょう? それでいいの? 家のため? それとも父親のため?」
クローディアはそう聞かずにはいられなかったが、努めて平静な口調で尋ねた。
それを受けたイライアスもまた努めて平静であろうとしていた。
「……俺自身のためだ」
「マージョリーとの結婚には利点があるから?」
「利点なんて今の俺には必要ない。やっぱり……やっぱり俺はミアを死に追いやった者たちを許せない。だから……」
そう言うイライアスの目に暗い光が燻っていた。
それは憎悪であり執念である。
「一生かけて真実を明らかにし、復讐と断罪を果たすために俺はマージョリーと夫婦になる。ミアの死の重さを何が何でもマージョリーに分からせてやるためだ。そのためならば俺は……自分の人生を捨てる」
そう言ったイライアスの顔は奇妙なほど冷静だった。
その目に宿る暗い光とは裏腹に、どこか冷めた顔をしているのだ。
怒りも悲しみも微塵も感じさせないその表情は、全ての感情が抜け落ちてしまったかのように思えて、クローディアは戸惑いの中で言葉を失っていた。
「イライアス……」
「クローディア。君には本当に申し訳ないことをしていると自覚している。他人事だというのに君は先日、俺に真正面から意見をぶつけてくれた。君にはそんなことをする理由もないというのに、それでも俺を嗜めてくれた。なのに俺はこうして愚かな道を選ぼうとしている。君の親切心を無碍にする、どうしようもない馬鹿者だ」
そう言うイライアスの顔は本当に悲しそうであり、クローディアに対して申し訳ない気持ちがありありと表れていた。
たまらずにクローディアは身を乗り出して言う。
「そんな愚かな道にあなたが踏み込むのを、黙って見ていられない」
「ありがとう。でも俺はこれをやらなきゃ、腹の底で今も渦巻く怒りの炎を消せないんだ」
そう言うとイライアスは立ち上がる。
「心配しなくていい。マージョリーが妻になっても、新都ダニアとの同盟関係には絶対にとやかく言わせないから」
「そんなことを心配しているわけじゃ……」
「分かっている。だけど、どうかお願いだ。クローディア。俺が考え抜いて決めたことだ。尊重してほしい」
それだけ言うとイライアスはクローディアに背を向けて控え室から出ていった。
クローディアは悲しいまでに決然とした彼の背中に、何と声をかけていいのか分からなかった。




