第38話 『女王の説得』
「今でも思うよ。あの日に戻れたら……」
イライアスの顔が見たこともないほど悲しみに歪むのを目の当たりにしたクローディアは、彼に初めて人の弱さのようなものを見た気がした。
クローディアの知る彼は常に飄々としていて、相手を受け入れる度量を持ちながらも、絶対に心の隙を見せない男だったからだ。
「イライアス……お気の毒ね。雨が止んだら私も彼女のお墓に祈っても?」
「……ああ。ありがとう」
どんなに後悔しても死んだ者は甦らない。
そして死んだ者は何かを思ったりしないのだ。
イライアスが自暴自棄になって生きようが、復讐の鬼と化そうが、命ある者である彼の行いは彼自身に返って来るだけだ。
だから死んだ者のために自分の人生を無碍にすることは、ただいたずらに自分の命と人生を傷つける自傷行為でしかない。
しかしクローディアは彼にそうは言えなかった。
「あなたの心が安らかになることを祈るわ」
「そんな日が来るとは思えないけどな……」
自嘲気味にそう言うイライアスにクローディアは静かに話を続ける。
「あなたは……この国の為政者になりたいの?」
「ああ。そのために今を生きている」
大統領の息子とはいえ、その座を欲するのであれば選挙に出て勝たなければならない。
おそらくイライアスは将来のために種々の準備をしていることは間違いない。
だが、その原動力が憎しみや復讐心であるのならば……クローディアはそう危惧して神妙な面持ちで口を開いた。
「それなら……心を改めなさい」
「え……?」
思わず戸惑う表情を見せるイライアスの目をクローディアはまっすぐに見つめた。
「今、あなたの腹の底にある感情を基に動き続ければ、いつかは目が曇り判断を誤る」
「……」
クローディアの言葉にイライアスは黙り込む。
彼は聡い男だ。
クローディアが言ったことはすぐに理解しただろう。
「為政者は常に民の顔を見なければいけないわ。そうしなければ自分自身や一部の有力者たちの欲望の渦に飲み込まれてしまう。そうやって国は……政治は腐っていくのよ」
女王としてダニアの分家を率いてきたクローディアの言葉は重い。
毅然として高潔なその言葉にイライアスは思わず自身を恥じる気持ちが湧き上がるのを感じた。
国を動かす指導者という立場に就くという職責に対し、自分は真摯に向き合ってきたとは言えない。
だがイライアスの胸には消えない憎しみの炎がある。
それを消すことなど到底できそうにない。
そんな彼にクローディアは言った。
「亡くなった彼女に誇れるあなたでいてほしい。ワタシはそう思うわ。そしてあなたはきっと民のために国を良くする指導者になれる。だからその目を憎しみで曇らせないで。これから国同士の付き合いをしていく同志として、あなたには真摯に国の政に向き合ってほしいの」
「君の言うことは正しい。俺もそうありたいと思う。だが俺は……この胸の憎しみや後悔を消すことは出来ない。だから俺にはきっと良き長になる資質はないんだ」
イライアスはそう言うがクローディア引き下がらない。
「憎しみも後悔も人なら誰でも持っている当たり前の感情だわ。でもあなたはそれに飲み込まれることなく理性的な考えが出来るはず。これでも人を見る目はあるつもりよ。だからもう一度、行く先の道を見つめ直してみて。この国と……あなた自身のために」
そう言うとクローディアは立ち上がる。
雨はいつの間にか小降りになっていた。
クローディアは東屋から歩み出て、ミアの墓石の前でしゃがみ込んだ。
そして祈りを捧げる。
小雨の中に浮かび上がるクローディアの姿を見つめて尚、イライアスは苦悩の表情を浮かべた。
その脳裏には愛した女の悲しき亡骸を見た時の残酷な光景が焼き付いている。
そして彼は頭の中で先ほどのクローディアの言葉を反芻すると立ち上がった。
そして祈りを捧げるクローディアの背後に立つ。
「ありがとう。クローディア。だけど……俺も君も平民ではない。ミアが最後に感じた絶望を同じように感じ取ることは出来ないだろう。俺と出会わなければミアは、こんな冷たい土の中に眠ることはなかったんだ。何をしようともその事実だけは変わらない」
そう言うとイライアスはその場にクローディアを残して墓地から立ち去って行った。
「イライアス……」
寂しげなその背中を見送ると、クローディアは再び墓石に目を落とす。
「ミア。あなた。イライアスにとても愛されていたのね。でも今、彼は苦しんでいる。彼が道を誤らないよう天国から見守ってあげて」
そう言うとクローディアは空を見上げる。
雨は小振りになったが、空を覆う分厚い雲はまだ晴れそうになかった。