第34話 『女王の変化』
「昨夜はお疲れ様。クローディア。おかげで夜会が大いに盛り上がり、父も喜んでいた。ありがとう。感謝している」
波乱含みの夜会から一夜明けた翌朝。
イライアスが手土産の菓子を持ち、クローディアの宿泊する迎賓館を訪れた。
彼はクローディアが疲れているだろうからと気を使い、アーシュラに椅子を勧められてもこれを固辞する。
「休みの日の朝から申し訳ない。御礼だけ言いに来たから、すぐに帰るよ」
そう言って立ち去ろうとするイライアスをクローディアは呼び止めた。
「あの、ゆうべはごめんなさい。イライアス。あなたを困らせてしまったわね」
そう言って詫びるクローディアにイライアスは目を丸くして、それから面白そうに笑った。
「いや……そんなことを言われるとはね。ハハハ」
「何で笑うのよ。正直、自分でも馬鹿なことしたなと思っているんだから」
「そうなのか。だけど馬鹿なことだなんてとんでもない。あれのおかげで夜会は大きく盛り上がったし、君の魅力が皆に伝わったと思う。ということは父上にとっては大成功だったわけさ。まあ正直、君の動きについていくのはとてつもなく疲れたけれどね」
イライアスはそう言うと珍しく子供のような表情を見せた。
「それに……個人的にはちょっと胸がスッキリしたんだ。楽しかったよ」
そう笑うイライアスの顔が誰かに似ている気がして、クローディアはほんの数瞬の間だけその顔に見入ってしまった。
だがクローディアはすぐにハッと我に帰り、彼の言葉を聞いて胸に浮かぶ疑問を思わず口にしそうになる。
「あなたは……」
マージョリーのことを憎んでいないか聞こうとしたが、そこでアーシュラが咳払いをした。
イライアスの過去のことは彼の口から直接聞いたことではなく、アーシュラが調べたものだ。
そんなことを彼に知られるわけにはいかない。
クローディアは思い直し、少し頭を冷やしながら言った。
「……マージョリーに恥をかかせてしまったわね。彼女、怒っていたでしょう? 彼女にも後で謝りにいくわ」
「いや、それはやめておいたほうがいい。火に油を注ぐだけだから」
そう言うとイライアスは手土産をアーシュラに手渡す。
「マージョリーのことは俺が宥めておいたから。人気者の君に嫉妬しているんだ彼女は。我の強い人だからね。まあ、あまり触れない方がいい。君がダニアに帰ればケロッとしていつも通りになるだろうさ」
「そう。彼女のこと、よく分かっているのね」
クローディアがそう言うとほんの束の間、イライアスは黙り込んだ。
その目にわずかに冷たい光が滲むのをクローディアは見逃さない。
しかしイライアスはすぐにいつもの友好的な表情に戻って一礼した。
「では。良い休日を。ゆっくり休んでほしい」
笑顔でそう言うとイライアスは退室していった。
彼の足音が廊下を遠ざかって行くのを聞きながら、アーシュラはクローディアに目を向けて淡々と言った。
「クローディア。余計なことを彼に聞こうとしましたね。あなたらしくもない」
「……悪かったわ。でも、ハッキリ分かった。イライアスはマージョリーのことはよく思っていない。立場があるから表面上は取り繕っているだけなのね。ちゃんと人の心が分かる人みたいで安心したわ」
クローディアの気持ちはアーシュラにも分かる。
貴人には立場のために望まぬ相手と結婚しなけれならないことがある。
馬鹿馬鹿しいことだが、そうした宿命に縛られる者もこの人間社会には確かにいるのだ。
だが、それでも人の心までは縛れない。
イライアスがかつての恋人を死に追いやったと疑われるマージョリーに対して、心を許していないことは彼の人間性を信用に値するものだと印象付けてくれる。
もしイライアスが心までもマージョリーに売り渡す人物だとしたら、そんな人物を信用してこの先も取引相手として付き合うことは難しいだろう。
その道理はアーシュラにも分かる。
(だけど……それだけじゃない)
アーシュラはクローディアに優しげな視線を向ける。
クローディアがイライアスの心持ちを知りたがっている理由をアーシュラは感じ取っていた。
クローディアは愛する者を失った自身の経験を、イライアスに重ねているのだ
失恋と死別ではかなり違うが、どのようにイライアスが自分自身の悲しみと向き合い、日々を過ごしているのかをクローディアは知りたいのだ。
新たな一歩を踏み出すために。
(クローディアに少し……変化が出てきたのかもしれない)
アーシュラはそれを良い傾向だと思った。
クローディアの心の傷が一日も早く癒え、新たな幸せを得て欲しいと思うからだ。
部下として、友として。
そんなふうにアーシュラが主を見つめていると、クローディアはハッとした顔で彼女に目を向けた。
「あ……静かに過ごせる場所を彼に聞くのを忘れたわ」
「……仕方ありませんね。今日のところは迎賓館の裏庭で茶会でもしましょう。身内だけで」
そう言ってアーシュラは苦笑するのだった。




