第31話 『女王の憤り』
「イライアス様には平民の恋人がいたのよ」
そう話すのは井戸端会議の中心にいる年嵩の下女だ。
いかにも噂好きなその下女はアーシュラにとっては貴重な情報源だった。
彼女が気持ちよく話せるよう仕向けるのがアーシュラの仕事だ。
アーシュラは驚きの中にも興奮の入り混じったような顔を下女に向ける。
「ええ? 平民の娘ですか? 信じられません。イライアス様とはご身分が違い過ぎますし、そんなこと許されないのでは?」
自分でも恥ずかしくなるような演技だが、それは何も知らない初心な娘に世間を教えてやろうという下女の下世話な心をたいそう刺激した。
「許されるわけないじゃない。だからイライアス様はその平民の娘と秘密の逢瀬を重ねていたってわけ。でもそれがマージョリーお嬢様のお耳に入ってしまったのよ」
ベテラン下女の話に周りの者たちが面白がって顔を上気させる。
アーシュラはこの雰囲気に内心で辟易しながら話をうまく聞き出していった。
☆☆☆☆☆☆
「クローディア。遅くなりました」
そう言って主の控え室を訪れたアーシュラは思わず息を飲んだ。
そこは夜会の行われる会場の控え室であり、今まさにクローディアは夜会用の美しいドレスに身を包んでいた。
鮮やかな青を基調とした豪華なドレスが、クローディアの美しい銀色の髪と合わさって良く映える。
「……お綺麗です。クローディア」
「ありがとう。アーシュラ。夜会が始まるまでもう少し時間があるから少し休憩しましょ。会場には例の女も来てるわよ」
そう言うクローディアにアーシュラは人払いを頼んだ。
小姓らが退室した控え室に2人きりになると、アーシュラは話を切り出す。
「縁談の話ですが、どうやらイライアス様は乗り気ではないようです」
「へえ。そう。まあ政略結婚なんて、乗り気の人の方が少ないでしょうね」
特段興味なさそうにそう言うクローディアにアーシュラは声を潜めて続ける。
「マージョリーは少し注意が必要な人物です」
「どういうこと?」
「この話はイライアス様の私的なご事情を含みますので、その点ご留意下さい。マージョリーの人柄を知っておかれたほうがいいかと思いますので、お話しします」
そう言うとアーシュラはお茶を一飲みして息をついてから続けた。
「イライアス様には平民の恋人がいました。マージョリーとの縁談話が持ち上がるよりも以前からの仲だそうです」
その話にクローディアは意外そうな顔を見せる。
「平民? 彼、功名心が強そうだから、それこそマージョリーのような家柄の良い女しか相手にしなさそうだけど」
そう言うとクローディアは話の続きを促す。
「平民の娘の名はミア。スノウ家の下働きで衣料の仕立てをしていた家の娘です。今はもう……この世にいません」
「……そう。病気?」
「いえ……自殺です」
アーシュラの言葉にクローディアの表情が固くなる。
「自殺……」
「はい。イライアス様と恋仲であることを隠していたミアですが、それがマージョリーに知られてしまい、憤慨したマージョリーから数々の嫌がらせを受けました」
「でも、マージョリーはイライアスと恋仲にもなっていないし、ましてや正式にイライアスと婚約していたわけでもないのでしょう?」
「はい。一方的なマージョリーの嫉妬です」
それからアーシュラは嫌がらせの内容を話した。
娘であるミアに対してはもちろん、その家族に対しても嫌がらせが続き、スノウ家の下働きだったミアの父はマージョリーの圧力によって仕事を失った。
数々の嫌がらせや夫の失職に、ミアの母は体調を崩して寝込むようになってしまう。
その内容にクローディアは嫌悪感をその表情に滲ませた。
「もちろんイライアスは黙っていなかったのでしょう?」
「ええ。イライアス様はマージョリーに対して苛烈な抗議を行いました。ですが、マージョリーがやったという証拠が何も無く、とぼけられてしまうのです」
「どういうこと? マージョリーがその娘に嫌がらせをしているところを誰も見ていなかったの?」
「それが……マージョリーは自分では一切手を下していないのです。どうも人を使っているようで。それがどのような人脈を使っているのかまではまだ調べがついていません」
証拠がなければいくらイライアスとはいえ、有力貴族の娘であるマージョリーを責めることは出来ない。
その時のイライアスの悔しさが目に浮かぶようで、クローディアは思わず拳を握り締めた。
「……かなり性悪な女のようね。マージョリーは」
「はい。そして悲劇が起こりました。ミアが城壁の上から身を投げたのです」
「そう……」
「悲嘆に暮れるイライアス様のお姿は見ていられなかったと、下女たちも申しておりました」
重苦しい空気の中でアーシュラは淡々と報告を続けた。
「ミアの家は貧しく、仕事も失われた父は元々足が悪いようなのですが、今はイライアス様が手厚く面倒を見ているそうです」
「ミアを助けられなかった罪の意識……かしらね」
「おそらくは」
クローディアは眉間に皺を寄せて、深く息をついた。
「イライアス。あの気取り屋でお調子者の彼が、そんな事情を抱えていたのね。人は見かけによらないというけれど……」
ちょうどその時、小姓が扉をノックして外から呼びかけてきた。
「クローディア。夜会の時間です」
その呼びかけに返事をしてクローディアは立ち上がる。
そんな彼女にアーシュラは落ち着いた口調で言った。
「クローディア。この件、調査を続けます。まだマージョリーの本性を暴けていないので、今は間違えても手を出さぬように」
「……まあワタシには直接関係の無い話だけど、性悪女のスカートの裾でも踏みつけてやりたい気分だわ」
憤然とそう言うとクローディアはドレスを翻して夜会へと出かけて行った。




