第15話 『女王のために』
妊婦となったダニアの女王ブリジットは悪阻が悪化し、多くのものを食べられなくなっていた。
肉も野菜もダメで、無理に食べても吐き戻してしまう。
その繰り返しだ。
体力は落ちていき、ブリジットはやつれたように見えた。
助産師によるとブリジットの症状は比較的重めだとのことだ。
そんな彼女を傍で見守るボルドは、この苦しい状況が過ぎ去るのをただ待つのではなく、彼女のために何か出来ないかと模索し続ける日々だった。
そのためボルドはブリジットの毎日の食事のメニューを観察した。
何が食べられないのか。
比較的食べられるものは何か。
ある日のブリジットは出されたメニューがほとんど食べられず、添え物の果実だけをかじって済ませたことがあった。
果実類は比較的食べられそうだが、それでも量は食べられない。
果実ばかり出してもそれほど今の状況は変わらないだろう。
さらに事はそう簡単ではなかった。
ブリジットが食べられるものと食べられないものは日々刻々と変わっていくのだ。
数日前まで食べられたものが、もう食べらなくなることもあった。
ボルドはそのことに頭を悩ませていた。
そんなある時、ボルドがブリジットの私邸の一階で冴えない表情をして考え事をしていると、ブリジットの見舞いに訪れていた共和国のイライアスが声をかけてきた。
「やあ、ボルド殿。難しい顔をなされて、何かお悩みかな?」
イライアスは従者である双子の姉妹を連れて、ちょくちょくこの新都に足を運んでいる。
ボルドと同じく黒髪の彼は顔立ちも整っており、ダニアの女たちから熱い視線を集めていた。
ボルドは彼とは挨拶程度にしか話したことはないが、式典などで同席すると不思議と目が合うことが多かったのだ。
彼の方が自分を見ているのだと感じたが、珍しい黒髪同士なのでどうしても気になるのだろうと理解した。
ボルドの方はそれほど彼を気にしてはいなかったが。
「イライアス様。あの……つかぬ事をお聞きしますが」
おずおずとそう言うとボルドは自分よりいくつか年上に見えるイライアスに、共和国では悪阻に苦しむ妊婦が好んで食べるものなどはあるかと尋ねた。
「なるほど。青い顔をされていらしたが、ブリジット殿は大変な思いをされているのだな。共和国では妊婦がよく食べる食材がある。何点か教えよう」
「ありがとうございます。それはここでも作れるものですか?」
「ああ。食材さえあれば」
そう言うとイライアスは双子に命じて、必要な食材と調理方法を紙に走り書きさせ、それをボルドに手渡した。
「ではこれで失礼するよ。ボルド殿。同じ黒い髪を持つ者同士、今後は色々と話し相手になってくれると嬉しい」
そう言うとイライアスはボルドの肩にポンと手を置き、笑顔で去って行った。
同じ黒髪のせいか、不思議とボルドはそんな彼の姿に親近感を覚えるのだった。
☆☆☆☆☆☆
数日後、ボルドは盆の上にいくつかの料理を載せてブリジットの部屋を訪れた。
それらはボルドが助産師やシルビア、そして厨房の調理係の小姓らと相談し、イライアスに教えられた食材と調理方法で作ってみたものだった。
ボルド自身も今までに見たことも食べたこともないものだったが、試食してみて十分に美味しさを感じられるものだったので、ブリジットに供することとなったのだ。
「ボルド……珍しいな。おまえが作ってくれたのか?」
「はい。お口に合えばいいのですが」
盆の上に載っているのは、温かくて透き通った湯のたゆたう器だ。
湯の中には白くて細い紐状のものが束になって揺れている。
ほんのりと香ってくるのは柚子の香りだ。
そしてボルドのすぐ後ろに立つシルビアが持つ盆の上には、小皿が載せられている。
その小皿には小さな透明の立方体が盛りつけられていた。
その透明な立方体はほんのりと橙色をしていて、中には柑橘類と思しき果肉が封じられていた。
「これは……何だ?」
「共和国の料理で湯麺と呼ばれる食べ物です。小麦粉を練ったものをこうして細く切って湯で煮るのです。シルビアさんが持っているのはジュレという菓子でして、どちらも共和国では悪阻に苦しむ妊婦にも食べられるものとして好まれているそうです」
ボルドの話を聞いたブリジットは恐る恐るその香りを嗅いだ。
ここのところ料理の匂いを嗅ぐだけで気分が悪くなることばかりだったため、ブリジットは匂いに対して恐怖に近いものを覚えている。
だが……不思議とその2つの料理の香りはブリジットを気分悪くはさせなかった。
ボルドは専用の木のフォークで湯の中の麺を絡め取ると、それをブリジットの口に運ぶ。
ブリジットは意を決してそれを口に入れ、ゆっくりと咀嚼した。
「……ん。これは……食べられる」
口の中に広がる柚子の香りと程よい塩気に驚いた顔でそう言うと、ブリジットはジュレに目を向けた。
ボルドは嬉しそうに匙でジュレの角を掬い取ると、それをブリジットの口に含ませる。
柑橘類の酸味と甘みを強く感じ過ぎぬよう、透明な固体によって味の濃さが緩和されているようで、今のブリジットにはとても食べやすかった。
「ゆっくり食べて下さいね」
ボルドは笑顔でそう言い、2つの料理をブリジットの口に運び続けた。
結局、ブリジットは半分ほどを食べることが出来たのだ。
そしてこの日を境に、少しずつブリジットは食べられるものが増えていったのだった。




