第12話 『女王の故郷』
ダニア本家の隠れ里である奥の里は、新都から馬車で丸2日の距離にある山深い場所に位置している。
この日、ブリジットはボルドと仲間たちを引き連れて、この奥の里を訪れていた。
訪問は以前にボルドが天命の頂きから身を投げたあの時以来のこととなる。
奥の里に住むのは現役を引退した年寄りたちや、まだ成人前の14歳以下の子供たちとその母親たちだ。
新都の攻防戦が終わってから半年の間に、この奥の里からすでに数回に分けて新都への民の移住を進めていた。
この奥の里は段階をかけて廃村となる。
若い子供らは新たな土地の暮らしに目を輝かせ、早い段階で移住を果たしたが、年老いた者たちは住み慣れた故郷を簡単には離れ難く、最後の移住組になるまで残っていたのだ。
この日はそんな彼女たちを迎えに行くべく、ブリジットが自ら出向いて閉村式が行われるのだった。
「ブリジット。お久しゅうございます」
「シルビア。しばらく顔を出せずにすまなかったな。息災なようで安心したぞ」
奥の里に到着したブリジットら一行を一番に出迎えたのは、シルビアという老女だった。
かつて若い頃は屈強なダニアの女戦士として鳴らした彼女は、現役を引退した後はここで子供らの面倒を見る乳母の役を引き受けていた。
ブリジットが幼い頃は彼女が専属の乳母だったということもあり、ブリジットにとっては先代である母親よりも長い時間を接してきた母代わりのような人だった。
もうすでに年齢は80歳を超え、さすがに腰が曲がっているが、またまだ話す言葉もハッキリとしていてその目の光も確かだった。
シルビアは目に優しい色を滲ませながら少しだけ困ったように肩をすくめて見せる。
「まさかこの年でここを出て他所に移ることになるとは思いませんでしたよ」
「すまないな。ここに骨を埋めるつもりだっただろうに。だが新都も良いところだ。必ず馴染めると思う」
そう言うブリジットにシルビアは鷹揚に笑みを浮かべて頷き、付き添いのボルドとも挨拶を交わした。
ここに残っている最後の一団は老齢の者ばかり50名ほどだ。
皆、これからの新しい暮らしに不安を抱えているようで、その表情は晴れない。
そんな彼女たちの胸の内を思うとブリジットも心が痛んだが、生活力のない者たちばかりをここに残してはいけなかった。
墓地に眠る先祖の遺骨は可能な限り掘り返し、新都に分骨埋葬できるよう取り計らっている。
多くの物資がすでに持ち出され、人の少なくなった奥の里はすっかり寂しげな様子となっていた。
年寄りでなくとも、ここで暮らした者ならば誰もがこの光景に寂寥感を覚えずにはいられないだろう。
ブリジットにとってもここは故郷であり、彼女自身も湧き上がる寂しさをひしひしと感じていた。
それから恙無く閉村式を終え、この日は最後に一泊して奥の里から皆で引き上げることとなる。
夜はかつて先代の邸宅だった屋敷に民を招いてささやかな宴を開き、皆が思い出話に浸った。
そんな中、ブリジットはボルドを誘って別の部屋の中へと足を踏み入れる。
「ボルド。覚えているか? この部屋を」
「はい。先代のお部屋ですね。こちらでご挨拶をさせていただいたことを良く覚えています」
そこは心を病んだ先代がこの奥の里に隠居していた際によく使っていた個室だ。
ブリジットは母の香りが残っていないかと深く息を吸い込むが、今では寒々しく木の古い床の香りがするだけだった。
ボルドはそんな彼女の様子が気になり、そっと手を繋ぐ。
そんな彼の気遣いにブリジットは優しげに笑った。
「ボルド……大丈夫だ。もう母のことは良き思い出となっている」
「そうですか。ではその良き思い出を今夜はたくさん聞かせて下さい。私も御母君の話をたくさん聞いて覚えておきたいのです。あなたの情夫として」
そう言うボルドの優しさにブリジットはふと笑みを浮かべ、そして心の中で亡き母を偲んだ。
(母上。あなたの娘は良き伴侶を迎えて幸福に暮らしています。近いうちにアタシも母になりますよ。奥の里は今宵が最後の夜です。この里に宿る多くの魂と共に新都に向かいます。母上も共に参りましょう)
それからブリジットは夜が更けるまで、ボルドに母との思い出を話して聞かせるのだった。