第七集:転換期
「これ、どういうことでしょうか……」
燕国から帰ってきてから一週間ほどたった真夏日。
暑さに唸りながら板間の冷たさを享受していると、悠青あてに恒青から変な手紙が届いた。
「……ほう。どうやら君を殺そうとした魔法使いを見つけたようだな」
「でも、今は泳がせて、いずれ大元を絶ちたいから任せてくれって」
「怪しいな。そもそも邪悪なのだから、さらに邪悪な奴と接触したら、もっと邪悪になるぞ」
「ちょ、何回『邪悪』って言えば気が済むんですか」
「真実だ。ところで……、何故恒青は犯人が『魔法使い』だと知ったんだ?」
「……え、わかりません。まぁ、皇太子ともなればいろいろと諜報員を持っているんじゃないですか?」
「悠青も持っていたのか?」
「わたしはそんなもの持っていたことありませんよ。人を雇うよりも、変装して街に出て市井の人々の話を聞いた方が早いですし」
こともなげに言う悠青に、杏憂は呆れた顔をした。
「うわ、そんな危ないことしてたのか。誘拐されたらどうするつもりだったんだ」
「大丈夫ですよ。今は煌仙子の力があるから強いですけど、前世のわたしは人間にしては結構強かったんですよ」
「まぁ、聞いたことはあるが……。それでも危ないだろうに」
「女装していたので大丈夫です。一度も露見したこともありませんでしたし」
「なるほど! 異性装か! 頭いいなぁ」
「妓楼に誘われることは何回かありましたね」
「自慢か? 顔が良いことの自慢か? ん?」
「お茶飲んでこようっと」
拗ねた杏憂は真夏の雑草取りよりも面倒くさいので、悠青は食堂へお茶をもらいに降りて行った。
通常は夏でも熱いお茶を飲むのだが、今年の夏の異常な暑さにそれはまさに拷問。
食道へ着くと、鳳琅閣の氷室の氷がだいぶ余っているらしく、料理番が大きな氷をお茶に入れてくれた。
仕方ないので杏憂の分ももらうと、七階へと戻っていく。
「師匠、冷たいお茶ですよ」
「おお! 救いの神か!」
「大袈裟です」
二人で外を眺めながらお茶を飲んでいると、ふと悠青は疑問が浮かんだ。
「あの、なんで窓から入るんですか?」
「ん? せっかく飛べるのに一階の門を使えと?」
「いえ、そうじゃなくて……。わたしも最初はそこの欄干にひっかかって転びましたし。何かこう、着陸用の広場とか作らないんですか?」
杏憂はわざとらしくため息をつき、悠青に向き直った。
「あのなぁ、ここ鳳琅閣は今の形だから美しいのだ。左右対称。そして各階の窓と屋根の黄金比。どれをとっても素晴らしいだろうが」
「え、あ、まぁ、そうですね」
「私は鳳凰が翼を広げた優雅な姿も好きだが、翼を閉じ崑崙の頂に鎮座している優美な姿も好きなのだ。鳳琅閣はまさに後者。翼をたたんだ優美な鳳凰を模して設計したというわけだ」
「こだわりがあるんですね」
「その通り。一回か二回転ぼうが、美しさの前には些末なこと。手当すればいいだろう?」
「左様ですか」
「うむ」
提案しても無駄だと悟った悠青は、お茶を飲みながらまた外を眺めた。
今日も調剤の予定が山盛りだ。
しばしの休憩に、ホッと一息ついた。
☆
悠青に手紙が届く一週間前。
皇太子が住まう東宮には、珍客が訪れていた。
「どうもどうも、皇太子殿下。お手紙、読んでくださったのですねぇ」
金髪碧眼桃色の白い肌。
形容しがたい色味の紫がかった衣は、胡散臭い西洋人商人そのもの。
『文化の違い』が服を着て歩いているような人物だ。
「ふざけた態度を続けるなら今すぐ殺すぞ。兄上を傷つけた罪は重いからな」
「おやおや、書状にて謝罪したつもりだったのですが」
「殺す!」
近衛兵が一斉に現れ、剣を男に向けた。
「せめて名乗っても?」
「知る必要があるのか?」
「桂甜について話しがある、と、言ったら?」
恒青は兵たちに手を挙げて合図し、下がらせた。
「どんな情報を持っている?」
「まあまあ、まずは自己紹介をしてもよろしいでしょうか」
「……勝手にしろ。目障りだから座って話せ」
恒青は目の前の男を睨みつけながら、ふかふかの座布団が載った兀子に座った。
続いて、アンリも座るが、何も用意されていないので、仕方なく板間に直接正座した。
「私の名はアンリ・メルガルと申します。母国での爵位は伯爵なのですが、まぁ、関係ありませんよねぇ。……おっと、中原の常識ですと、メルガル・アンリと名乗った方がよろしいでしょうか」
「どうでもいい。何と呼べばよい」
「アンリとお呼びください」
「では、アンリ。さっさと話せ。あの桂甜とかいういけ好かない男は何者だ」
「彼は殿下の兄上であります悠青殿下と同じく、鳳琅閣で……」
「私が知っている以外のことを話せ」
「ふむ。では、こういうのはいかがでしょう。桂甜は最近、燕国で大きな功績をたてたようですよ」
「……燕国だと?」
恒青は心底嫌そうな顔で吐き捨てるように言った。
「私の誕生日に宝物の一つも寄こさない塵が治めている掃き溜めの国ではないか」
「ふふふ。お嫌いなんですねぇ。その燕国ですが、殿下のお父上、つまりは陛下ですけれども、その陛下の兄上との親交が厚かったことは御存知ですか?」
「……は? あの神経衰弱の廃帝が? 父上は自身の兄弟のことはあまり話さないからよく知らん……」
「おやおや……。色々と、根深い理由がおありなんでしょうねぇ」
「何か知っているならさっさと話せ」
「ここで、商談とまいりましょう」
アンリは算盤と帳簿を取り出すと、パチパチと打ち始めた。
「……死にたいならそう言え」
「殿下が悠青殿下のことをお教えくださるなら、私も全力で桂甜のことを調べ上げ、都度ご報告いたします」
恒青は後ろにかけていた剣を持ち、鞘から抜いてアンリに突き付けた。
すると、どういうことか、アンリが剣に触れた途端、熱を発し始め、恒青は剣を落としてしまった。
「な! お前、何者だ! 何をした!」
熱で痛めた手を抑えながら恒青が叫んだ。
近衛兵が再び駆け付け、今度はアンリの首に触れるほど近くに槍の切っ先を突き付けた。
「こちらの方々を下げてくださったら、正体を明かしましょう」
恒青は自身の赤くなった手を見て逡巡し、「クソが」と小声で悪態をついた。
「……下がれ。早く!」
近衛兵たちは少し動揺しつつも、下がっていった。
「お前は何者だ」
「私は遥か西洋にある国で商売をしながらフィクサー……、えっと、中原の言葉だと……、裏調停者をしている魔法使いにございます」
「魔法使い……、裏調停者、だと?」
いぶかしげな眼でアンリを見つめる恒青だったが、さきほどの事象を見るに、嘘とも思えない。
「本当は兄上に何をしたのだ」
「呪をかけました」
「の、呪だと⁉」
恒青は目を見開き、落としていた剣を再び持ち上げ、ゆらりとアンリに近づいた。
「兄上は私のものだ。壊すことは許さん。傷つけることも許さん。近づくことも、二度とさせんぞ」
「聞いてください、殿下」
今度は剣がぐにゃりと曲がり、その切っ先は恒青の眼球に向いた。
「どういうつもりだ」
「暴力ではなく、言葉で関係を築いていきましょう」
「……いいだろう。で、なぜ兄上のことが知りたいのだ」
恒青は使い物にならなくなった剣を投げ捨て、座布団を引き寄せてアンリの近くに座った。
「あの呪は人間には解けないはずだったのです。延命には私の作った解毒薬が絶対に必要でした。なのに、悠青殿下は私に助けを求めることなく回復しました。それがどうにも不思議でならないのです」
「……お前、知らないのか? 中原の江湖という地域には多くの秘術が存在すると言われている。兄上も、鳳琅閣の先生が使った何らかの秘術で……」
アンリが人差し指を立て、話しを遮った。
「そういうことではないのです。私が言いたいのは、あの呪は、どんなに優秀な術者や道士であろうとも、人間が解くことは不可能だと言っているのです。そして、かけられた側が人間の場合も絶対に死ぬはずなのです」
「……どういうことだ! 先ほどは解毒薬がどうとか言っていたではないか!」
「延命に必要、と言ったのです。治るとは言っておりません」
「そんな……。ど、どういう……」
「つまり、貴方様の兄上も、その呪を解いた人物も、両人とも人間ではないということです。少なくとも、今は」
恒青は混乱のあまり、ふらりと立ち上がり、棚の方へと向かった。
そこからある白い陶器の瓶を取り出すと、抱え始めた。
まるで、ぬいぐるみを抱きしめる子供のように。
「それは……、なんなのですか?」
「あ? ああ、これは歯だ」
「歯、ですか……」
「私が今まで遊んでやったガキどもの歯が入っている。楽しいぞ。あの怯えた目……。どんなに泣き叫んでも助けに来てもらえないと知った瞬間の顔……。たまらなく興奮するのだ」
アンリは久しぶりに背筋が冷たくなるのを感じた。
母国でもいかれた奴は大勢見てきたが、恒青のそれは余計に恐ろしく、悍ましく、望ましかった。
「どこで行われているのですか?」
「お、見たいのか? いいぞ。見せてやる」
まるで無邪気な子供のようだ。
隠した宝物の正解を教えるような、そんな気分なのだろう。
恒青の顔は恍惚としている。
「ここだ」
てっきり、外へ出るものだと思っていた。
恒青が指さしたのは、瓶を取った棚。
「靴を取ってこい。中は……、今日はまだ掃除していないからな」
アンリは言われた通り靴をもって戻ってくると、棚は左にずらされており、壁には丸い穴が開いていた。
ちょうど、人一人が通れるくらいの穴だ。
「……ん? ああ……、そうですか」
穴の通路に何かこびりついている。
よく見てみると、それは乾燥した人間の皮膚と麻の繊維だった。
「縛ったまま、穴に放り込んでおられるのですね……」
人間を人間と思わない、残酷さ、凶悪さ、醜悪さ。
ますます、望ましい。
「はやく来い」
中から恒青の声がする。
アンリは穴の中をゆっくり進んでいった。
今日着ている背広はお気に入りのもの。
あまり汚したくないのだ。
「来たか」
穴から這い出ると、そこは思っていたよりもずっと広い空間が広がっていた。
思わず鼻をつまみそうになったが、恒青の反応が気になり、やめておいた。
壁沿いにある六つの牢のうち、二つにはまだ人間が入っている。
生きているのかはわからないが。
「あれは昨日捕まえたばかりのガキ。あっちは一週間経ってる。抵抗しなくなってきたからそろそろ殺そうと思ってるのだが、お前、やるか?」
これを友達と一緒に楽しめる遊びだとでも思っているのだろうか。
恒青のキラキラと輝く瞳に、さすがのアンリもゾッとしてしまった。
「……わお」
何かを踏んだ。
足元を見てみると、それは髪の毛がついたままの頭皮だった。
「そうそう。生きたまま全身の皮を剥ぐとどうなるかやったあとでな。床が汚れているのだ。靴は弁償させてもらおう」
「……お気遣いなく」
声が恐怖で上ずりそうになるのを抑え、アンリは微笑んで見せた。
間違ったものに手を出してしまったのではないか、と、一瞬考えてしまうほど、目の前の恒青を人間だと認識するのを心が拒否をした。
アンリは震えた。
もはや恐怖などただの香辛料。
これほどまでに香しい〈悪〉は初めて見たと言っても過言ではない。
「殿下、続きのお話をいたしましょう。出来れば、ここで」
「おお、気に入ったか。話の分かる奴は歓迎だ」
「お聞きしたいのですが、こちらはどのように作られたのですか? もともと、地下牢だったとかでしょうか」
「いや? 石工を雇って作らせた」
「……その石工たちは?」
「今頃そのへんの野山で白骨にでもなっているのではないか? 秘密を共有するにはあまりに脳味噌が足りん奴らだったからな。大人を殺すのは大変だったぞ。骨が折りづらくてな」
「ふふふ、それはそれは……。お疲れ様でございました」
「で? 兄上の何が知りたいのだ。好きな食べ物や色、服の生地、景色、匂い、なんでも知っているぞ」
「あ、いえ。殿下のお兄様が今本当は何者なのか知りたいのです」
「……ああ、人間ではなくなったとかいうやつだな。まあ、いいだろう。それくらいなら調べてやる。私も兄上のことは何でも知りたいからな」
「では、商談成立ですね。私は桂甜のことを調べ、その情報を共有したします」
「うむ、頼んだ」
「……殿下はこれからお掃除を?」
「まあな。さすがに、太監や侍女を入れるわけにはいくまい。また大人を殺すことになるのは面倒だからな。ただ……、機会があれば拷問をしてみたい。大人は追いつめられるとどんなふうに命乞いをするんだろうな……。ふふ」
「……左様ですか。では、私は先に失礼しますね」
「次に来るときも必ず先に手紙を寄こせ。お前は怪しいからな」
「かしこまりました。殿下」
アンリは深々と頭を下げると、さっと振り返り、穴の中を上っていった。
(さすがに吐き気がしましたねぇ……。死臭が染みつきすぎていました……。いったい、何人の子供を手にかけたのでしょうか……)
アンリはどんなに金を積まれても、子供を手にかけたことはない。
それは紳士としての矜持の問題だ。
ただ、恒青にはそんなものはないようだ。
自分よりも力が弱いもの。
簡単に手に入るもの。
容易く傷つけることが出来るもの。
そして、処理がし易いもの。
そういうものが、今の獲物なのだろう。
いずれ、自分が持っている権力の強さを実感するときがくる。
そうすれば、加虐の対象は自分よりも『地位の低い者』『立場が弱い者』へと変わっていく。
(恒青殿下が皇太子に選ばれるとは……。不運な国ですねぇ)
アンリは靴を脱いで穴から出ると、そのまま部屋の中を通り、外廊下へ向かい、靴を履いて庭へ出た。
「門番にあれこれ調べられるのは面倒なので」
アンリがパチンと指を鳴らすと、極狭い範囲に霧が出現し、晴れるころにはその姿はなくなっていた。
ただ、あの部屋で染みついてしまった死臭だけが、漂っていた。
☆
まだまだ暑い晩夏の西日の中、悠青は震えていた。
もちろん、寒さにではない。
「ひょあ……」
「どうした、悠青」
「ついに、ついに母上が本気を出してきました」
「それはどういう……」
悠青から手紙を受け取り、杏憂はその中身をじっくり読んでみた。
「逃げ場はないといった感じだな」
「やはり、そう思いますか……」
薫香香る手紙にはこう書かれていた。
『皇后陛下の協力もあり、瓏国内から選りすぐりの子女を集め、面接をしました。度重なる協議の結果、八名まで絞りました。あなたもそろそろ身を固める年齢です。わかっているわよね? さぁ、お見合いをするわよ! 日時は追って知らせます。新しい装束は用意してありますから、わざと見栄えの悪い恰好で来ても無駄ですよ。あなたの考えることなど、母にはすべてお見通しですからね。もし、お見合いをすっぽかすようなことがあれば、鳳琅閣に私の部隊を送り込みます。それが嫌なら、絶対に来なさい』
悠青は床に突っ伏し、嘆いた。
「結婚など、無理です! わたしに嫁ぐなど可哀そうすぎます!」
「そうか? もし私に娘がいたら、悠青のような男に嫁いでほしいと願うがな」
杏憂の言葉に悠青は立ち上がり、板間をうろうろと歩きながら抗議した。
「何を言っているんですか! 本当に十年以上わたしを見てきた師匠の言葉ですかそれが!」
「何がそんなに嫌なのだ。いいじゃないか。可愛いお嫁さん、いいなぁ」
「はぁ……。わたし、もう人間ではないのですよ?」
「知ってる」
「じゃ、じゃぁ!」
「煌仙子も仙子も人間とは寿命こそ違うが、結婚は可能だぞ? 子供ももちろん授かれる。いいではないか」
「そういう問題ではありません! わたしは瓏国を滅ぼそうとしているのですよ⁉」
自分で言って自己嫌悪に陥った悠青は、再び床に突っ伏すと、そのまま動かなくなった。
「まあまあ、会うだけ会ってくればいいじゃないか。あの賢妃様が選んだ女性たちだぞ? 素晴らしいに決まっている」
「……母上のことは心から信じています。でも、ううん……」
「とりあえず、日にちが決まるまでは心安らかに過ごせ。それにしても、部隊を送るとはなかなかだな」
「母上は江湖とつながりがありますからね。その武術の腕前は達人榜に載るほどです。後宮守護の部隊の所持を許されるのも納得ですよ」
「たしか、桃晶隊だったな。宮女だけで結成されている恐ろしい部隊……。い、一度懲らしめていただきたいものだ……。ふふふ」
「死にますよ」
「美女に囲まれて死ねるのなら本望だ!」
「はいはいはいはい。もう結構です」
邪な想像で喜んでいる杏憂ほど役に立たないものはない。
悠青は聞こえよがしに溜息をつき、窓の近くに置いてある棚から靴を取った。
「ちょっと飛んできます」
欄干を越えて屋根に乗り、靴を履いてから空から杖を出し、羽衣に変えて羽織ると空へと飛び立った。
西日が目を刺すように輝いている。
まだまだ暑い日々が続きそうだ。
時折吹く風も生暖かい。
悠青は一番近くにある滝を目指して飛び続けた。
少しでも冷たい何かで頭を冷やしたかったからだ。
(結婚など、出来やしないんだ……)
もし溜息が雲になるのなら、今ので入道雲が出来ていただろう。
心の中の桂甜は何も言ってこない。
悠青は一人、風の中を進んでいった。