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第十八集:終劇

 月が朱く染まった。

 いや、それは視界が赤いからかもしれない。

「ふふ、流石兄上だ」

 目に、恒青(こうせい)の血が入った。

 胸元に一閃。

 悠青(ゆうせい)が入れた一太刀が恒青(こうせい)の鮮血を振り撒いたのだ。

「それにしても、意外と香りはないんですね?」

 恒青(こうせい)は間合いを詰めるたびに、悠青(ゆうせい)から立ち昇る血煙を吸い込んで愉悦している。

「ああ、兄上の血が体内に入ってくる……。最高だよ」

 恒青(こうせい)はまだ翼で空を飛ぶことは出来ないようだ。

 突然生えてきたそれに、少々苦戦している様子。

 それでも、持ち前の運動神経がそうさせるのか、悠青(ゆうせい)の攻撃で弾き飛ばされた際、翼で受け身を取り、すぐに体勢を立て直している。

「なぜわたしが煌仙子(こうせんし)だとわかった」

「教えてほしいんですか?」

 悠青(ゆうせい)は跳躍し、前方へ回転しながら恒青(こうせい)に斬りかかった。

 それを寸でのところで避けた恒青(こうせい)は、後方へ回転すると、息を整えながら話し始めた。

「あはは。地面が抉れてる。兄上、本当に私を殺す気なんですね。嬉しい。なんで兄上が煌仙子(こうせんし)だとわかったかは、アンリが仕組んでくれたのです」

 悠青(ゆうせい)は再び剣を構えると、地面を強く蹴り、恒青(こうせい)の懐へ入る寸前に飛び上がり、背後を取ると、右翼を斬り落とした。

「うわああああああ!」

 切り取った個所が甘かったのか、さほど流血はない。

 それでも、恒青(こうせい)は痛みに悶えながら地面を這いまわった。

「で? 魔法使いが何を仕込んだんだ」

「あは、はあ、はあ……。ふふ、ふふ。毒ですよ。鉄を含んだ致死量の毒。兄上の傷口から体内へと入っていったはずなのに、兄上はふらつくこともなく、出ていった。だから、わかったんです。あはは、はあ、はあ。人間じゃないって」

 恒青(こうせい)が「うっ」と呻きながら背中を丸めると、黒い煙が背中の切り口からあふれ出し、ぬめりけを帯びた触手があふれ出した。

「うあああああ!」

 斬り落としたはずの翼が成形されはじめ、瞬きの間に、恒青(こうせい)の背中にはまた黒い翼が姿を現した。

「気持ちが悪いな」

「素晴らしいでしょう? 兄上は何度も何度も何度も何度も私のことを切り刻むことが出来るんですよ? 互いの命が尽きるまでの幾星霜(いくせいそう)、存分に殺し合いをいたしましょう!」

 悠青(ゆうせい)は背に冷たいものが流れるのを感じた。

 怒りで思考が鈍っていた。

「お前……、即位したのか」

「ああ、それはあとでわかることでしたのに……。兄上は聡明だから、やはりわかってしまいますよね」

 恒青(こうせい)は懐から、四方に龍の彫刻が施された、片手に乗るほどの美しい玉璽を取り出した。

「礼部尚書と宰相の前で署名しました。母上は毒が回って判断力が鈍っている状態でしたが、まぁ、自身の息子を皇帝にするのですから、嬉しかったのではないですか?」

 恒青(こうせい)は微笑むと、玉璽を握り、破壊した。

「これで、私が新しい玉璽を作るまでは誰も邪魔できなくなりましたね。ふふふ」

「御林軍は……」

「もちろん、命令してありますよ? 私の即位に難癖付ける奴は、誰であろうと、その地位に関係なくその場で殺せ、とね」

 悠青(ゆうせい)の頭に浮かんだのは、黄睿(こうえい)慶睿(けいえい)のふざけ合う姿。

 董大師の豪快な笑い声。

 賢妃の優しい眼差し。

 大伯父凛津の凛々しい横顔。

 江湖の仲間たちの鍛錬する姿

 董侯府の美しい庭。

 そして、瀏亮(りゅうりょう)の笑顔。

「お前、最初からわたしを黎安から引き離すつもりだったのか……?」

「あはは! その通り! 兄上は、私だけ見ていればいいのです。私だけを気にしていればいいのですよ!」

 悠青(ゆうせい)はうつむき、そして笑い出した。

「くっ、あはははは! はぁ、さすがは師匠ですね」

 上空で戦っている杏憂(きょうゆう)が大きな声で「これで安心して戦えるな!」と叫んだ。

「ど、どういうことですか? 兄上……」

 悠青(ゆうせい)は剣を構え、恒青(こうせい)を見つめた。

「さぁ、兄弟喧嘩を終わらせようじゃないか」





「あの狸爺(たぬきじじい)、性懲りもなく黎安の予備兵を動かすなんて!」

 普段ならばこんな言葉遣いはしないはずの賢妃が、怒りのあまり、口走った。

「宰相は欲を出したのね。恒青(こうせい)を即位させるために、強硬手段に出るつもりよ。兵符を使い、周辺の城から軍を集めているわ。じきにここも戦場になるかもしれない」

 賢妃の言葉に、瀏亮(りゅうりょう)は自身の剣を磨きながら「そんな……」とつぶやいた。

「禁軍は何もできないのでしょうか」

「さっき、私の隊から大統領が無事に復帰したって報告があったから、まぁ、なんとかなるとは思うけれど……。でも、禁軍も半分近く、宰相の手によって恒青(こうせい)派閥に落ちているわ。金品や爵位の確約と引き換えにね。今のところ、御林軍がまったく動いていないのが幸いってところかしら」

「父上が大統領に加勢すると言っておりました」

「そうね。それが一番いいわ。悠青(ゆうせい)もそうして欲しいと思っているはず。いざとなったら、私も桃晶隊と出ることになるかも。後宮のみんなと、他の皇子たちを護らないと」

「私も行きます」

 賢妃は瀏亮(りゅうりょう)の瞳に灯る闘志に、心が沸き立った。

 かつての自分を見ているようで、嬉しかったのだ。

「……いいわ。まさか義娘(むすめ)と一緒に戦うことになるなんて、面白い人生よね。弓は使える?」

「母上のを借ります」

「決まり。瀏亮(りゅうりょう)、あなたはこの世で唯一、悠青(ゆうせい)悠青(ゆうせい)でいられる居場所よ。絶対に無茶はしないで頂戴」

「わかっています。必ず、悠青(ゆうせい)様と家に帰ります」

「うんうん、その意気よ!」

 賢妃は「あ、そうだわ」と言うと、董大師に何かを伝えに走って行ってしまった。

 戻ってきた賢妃に、瀏亮(りゅうりょう)もあるものを渡された。

「これは……」

「耳に詰める綿よ。杏憂(きょうゆう)先生からの使いが持ってきたの。『歌が始まったらすぐに耳に入れてください』ってね」

「ふふ。悠青(ゆうせい)様のお師匠様は何を企んでおられるのでしょうか」

「楽しみね」

 二人は武術用の装束に着替え、最低限の用意を済ませると、桃晶隊を引き連れて皇宮へと出発した。

 馬で駆け抜けるその姿はまるで男装の麗人。

 何が起こっているのかわからず不安に思っている黎安の人々の心を潤した。

 皇宮の門につくと、さっそく禁軍に邪魔をされたが、二人はあっさりと彼らを放り投げると、かまわず中へと入って行った。

「賢妃様とて中へ通すわけには……」

 すべて言い終わる前に、兵士は宙へ浮かび、地面へと叩き落とされた。

瀏亮(りゅうりょう)、あなた本当に強いわね」

「大将軍の娘ですから」

「強い女の子は好きよ」

 次々と現れる兵たち。

 〈(ごう)〉の強さで威嚇してくるだけの舐め切った態度の兵を、桃晶隊は〈(じゅう)〉の強さで投げ飛ばしていった。

「賢妃様、瀏亮(りゅうりょう)妃、どうぞお先に。我らが足止めいたします」

「ありがとうみんな。あまり怪我をさせないようにね」

「それはどうでしょう」

「ふふ。任せたわ」

 賢妃と瀏亮(りゅうりょう)は周囲を警戒しながら朝堂の長い階段を上り、中へと入って行った。

「おや? 賢妃様と……、瀏亮(りゅうりょう)妃ではありませんか」

「宰相殿、そこは玉座よ。なぜあなたと禁軍が居座っているの?」

 睨みつける賢妃をものともせず、宰相はほくそ笑みながら言った。

「良い質問です。そうだ、賢妃様、いえ、賢太妃(けんたいひ)様には見ていただいても問題ないでしょう。あなたは皇兄(おうけい)の生母なのですから」

 賢妃の動きが止まった。

 瀏亮(りゅうりょう)もハッとした顔をしている。

「皇兄……? ってことは……」

「その通りです。つい先ほど、皇后陛下が書かれた書状が承認され、恒青(こうせい)殿下はめでたく皇帝陛下となられたのです」

「そ、そんな……」

 宰相から渡された書状には、確かに皇后の筆跡で恒青(こうせい)を皇帝にする旨が記されており、そこには恒青(こうせい)の署名と、玉璽の捺印もあった。

「さぁ、お二人とも。ここは玉座です。争いごとは困りますよぉ」

 薄笑いを浮かべた宰相の言葉が、むなしくも「正しい」。

 禁軍の兵たちが「御退出願います」と、にじり寄ってきた。

(どうすればいいのかしら……。困った事態だわ。それも、とてもね)

 これで、恒青(こうせい)派に寝返っていた禁軍に、皇宮守護の大義名分が加わったことになる。

 逆に言えば、現在大統領や董大師(たいすい)と動いている禁軍、それに桃晶隊は、反乱分子として処罰の対象になってしまう。

 その時だった。

 外で激しく争う音が聞こえ始め、扉を破壊しながら人が飛び込んできた。

「うあ……」

 投げ飛ばされたのだろう。

 禁軍の兵士は呻きながら気絶した。

「久しいな、瓏国宰相殿」

 地鳴りのような低く怒気を孕んだ声。

 鋭い目に、鍛え上げられた体躯を包む荘厳な鎧。

 人々に畏れを抱かせるには十分すぎるほどだ。

「な……。え、燕国皇帝、(かく) 祁陽(きよう)……」

 宰相は脂汗を流しながら後ずさった。

「驚いたようだな。まあ、私も少々驚いてはいる。劉大将軍は楽しそうだったが」

 祁陽(きよう)の隣で微笑んでいる劉大将軍はよほど楽しかったのか、ふふんと鼻を鳴らした。

「何をおっしゃいますか、陛下。陛下が一番嬉しそうでしたよ。海豚(ハイトゥン)族との水上行軍」

 二人の後ろから現れたのは、人間とは違う、不思議な存在。

 薄水色や濃い藍色などの寒色の滑らかな肌に、大きな瞳が特徴の灰色の目。

 唇は白く、歯はギザギザとしている。

 耳は穴になっており、耳たぶなどはない。

 髪は夜空に流れる天の川のような銀色をしており、とても神秘的な種族、海豚(ハイトゥン)族の戦士たちだった。

「我らも実に愉快でした。人間で我らの行軍についてこられる者は希少。陸を駆ける人間の大将軍と、その兵たちに、敬意を表します」

「ありがとうございます」

 恭しく頷いた劉大将軍。

 目の前にひろがる異様な光景に宰相は発狂したように叫び出した。

「な、なんなんだ、なんなのだ!」

「そうだな。平和的に侵略しに来た、と言った方が良いだろうか」

「し、侵略⁉」

「なぜ恒青(こうせい)が行っている悪逆非道を知りながら皇帝などにしたのだ」

 祁陽(きよう)の低く轟くような声に、宰相は「ひぃっ」とさらに後ずさった。

「な、そ、そんなの、た、他国の皇帝に、か、かか、関係ないでしょう!」

「関係はあるぞ。これをお前に読ませてやろう」

 そう言って祁陽(きよう)が差し出したのは、立派な装飾が施された箱だった。

「な、な……!」

 そこには、かつての瓏国皇帝、靖睿(せいえい)を示す彫刻があった。

「こ、こんなものをどこで……」

「中には書状が入っている。内容は読めばわかるが……。まあ、簡単に言えば委任状だな。『瓏国が危機に陥った際には、軍を率いてこれを制してほしい』と。押してある血判は本物だぞ」

「そんなはずは!」

 宰相があわてて箱を開け、中から書状を取り出すと、そこにははっきりと靖睿(せいえい)の筆跡で書かれていた。

「そんな、こんなこと……。それに、紙が綺麗すぎる! ぎ、偽造なのでは……」

靖睿(せいえい)陛下の書物を何でも引っ張り出して比べると良い。まぁ、無駄だろうがな」

 祁陽(きよう)は心の中でその瞬間を思い出していた。

 数時間前、(ぎょく)を振りかざしながら燕国皇宮へと飛び込んできた二羽の(ふくろう)

 驚いて見ていると、だんだんと人の形へ変わり、手には箱を持っていた。

――陛下! 悠青(ゆうせい)様からの使いです!

 その言葉だけですぐに分かった。

 今が、その時なのだと。

 久しぶりに見た靖睿(せいえい)の筆跡に少し泣いたのは秘密だ。

「さぁ、宰相よ。玉座を私に明け渡せ」

「な……、こ、こんな横暴、許されるはずがない! 第一、靖睿(せいえい)は廃帝……」

 その瞬間、宰相の頬を剣がかすめた。

 祁陽(きよう)が抜刀したのだ。

「そうしたのはお前だろ?」

 宰相は膝を震わせながらへたり込むと、脂汗を掻きながら「ぎ、ぎょ、御林軍! 全ての瓏国軍に合図を出せ!」と叫んだ。

 すると、柱の陰から、今までどこにいたのかわからないほどの兵が姿を現した。

 皇宮内のいたるところでそれが起こったらしく、外で何も知らない侍女たちが叫ぶ声が聞こえた。

「は、ははは! お前たちは袋の鼠だ! 黎安にいくつの軍が集結していると思う?」

「兵符を使ったんだな」

「そ、その通り! ひひひ! 瓏国に足を踏み入れたのが運の尽きだったな! 燕国からなど、そう早く入国など出来まい……」

 劉大将軍が右拳を上げた。

「陛下、よろしいでしょうか」

「宰相殿が望んだのだ。応えてやらんとな」

「へ?」

 劉大将軍が拳を前に降ろす仕草をすると、海豚(ハイトゥン)族の戦士が歌いだした。

 その歌は徐々に階段の外にいる海豚(ハイトゥン)族の戦士へと伝っていき、黎安中でこだまし始めた。

「な、歌だと? それが何だと……」

 瓏国軍の兵士が、一人、また一人と揺れ出し、しまいにはぐしゃりと倒れ込んでしまった。

「へ?」

 歌が終わると、皇宮のみならず、黎安中に宰相が用意した兵士たちが眠りについてしまった。

「で、どう戦う? 宰相殿」

「そんな、どうして……」

 海豚(ハイトゥン)族の戦士が宰相に近づき、表情もなくただ見つめた。

「我らは眠りへ誘う。特定の周波数を経由して、鼓膜を揺らし、脳に作用する。瓏国軍が使っている甲冑の周波数は調査済み。我らは届けるだけ、平安の歌を。業火に染まる哀しき皇子のために」

「哀しき皇子、だと? だ、誰だ! 誰がこんな……」

 祁陽(きよう)は心から声を発した。

悠青(ゆうせい)殿下だ」

「なんだと⁉ あの心の弱い……」

 祁陽(きよう)が宰相ににじり寄る。

「なんだ? 続きを言ってみろ。聞いてやる」

「ひぃっ」

 宰相は恐怖を目に浮かべ、うなだれた。

 勝ち目はないと悟ったからだ。

 祁陽(きよう)は玉座へ腰かけると、そこから見える空へ向かって呟いた。

「あとはあなたが決着をつけるだけです、靖睿(せいえい)兄上」





 悠青(ゆうせい)の剣が恒青(こうせい)の首をかすめた。

 それと同時に、空では先に戦いが終わろうとしていた。

「さようならだ、魔法使い」

「ぐっ、はっ……」

 杏憂(きょうゆう)(おうぎ)が、アンリの鳩尾(みぞおち)を貫いた。

 アンリはそのまま地上へと落下し、血を吐きながら尽き果て、炎となって世界から消えていった。

悠青(ゆうせい)! 先に行っているぞ!」

「すぐに追いつきます!」

 杏憂(きょうゆう)黄睿(こうえい)を迎えに行き、そのあと皇宮へ向かうべく空へと飛び立った。

「兄上は、ど、どこにも、行かせま、せんよ」

 恒青(こうせい)は首からあふれる血を抑えながら、息を荒くして苦しそうに言った。

「あ、兄上は、私の、ものだ」

 悠青(ゆうせい)は変わり果てた弟を見ながら、まだ心に悲しみが浮かぶことに驚いた。

「そんな姿になってまで、わたしと、この中原が欲しかったのか」

「ふ、ふふ。そ、その通り。血の海で、一緒に、航海しましょう? あ、兄上」

 恒青(こうせい)は黒い剣を構えた。

 悠青(ゆうせい)も剣を構え、最後の時を悟った。

「さようなら、恒青(こうせい)

 同時だった。

 剣が互いを狙い、突き進んだ。

 恒青(こうせい)の剣は悠青(ゆうせい)の頬を。

 悠青(ゆうせい)の剣は、恒青(こうせい)の胸に吸い込まれて行った。

「あ……。あ、あに、うえ……」

 悠青(ゆうせい)恒青(こうせい)の身体を抱き留めながら、剣をひねり仙力(せんりょく)をこめた。

 傷がふさがらないように。

 もう二度と、出会うことの無いように。

 恒青(こうせい)の身体から力が抜けていく。

 少しの痙攣の後、その目からは完全に命が消えていった。

 悠青(ゆうせい)は剣を抜き取ると、恒青(こうせい)の身体を抱きしめながら、「ゆっくり眠れ」と、つぶやいた。

 かつて弟だった、幼き日の犀睿(さいえい)を思い浮かべながら。

 悠青(ゆうせい)は自身の姿が桂甜(けいてん)から「悠青(ゆうせい)」に戻っていることに気付いた。

 血で真っ赤に染まった自身の手。

 ただ少し、寂しいと思った。

「みんなのところに行こう。瀏亮(りゅうりょう)が待つ場所へ」

 悠青(ゆうせい)は剣を羽衣に変え、羽織ると、空へと飛び立った。

 空は黎明。

 藍色から紫へ。

 そして、次第に橙へと変わっていく。

 また新しい一日が始まるのだ。

 昨日までとは、まるで違う日々が。


 黎安へ着くと、想定していたよりも混乱はひどくはなかった。

 街も戦場にはならずに済み、民も大方無事だ。

 悠青(ゆうせい)は皇宮へ降り立つと、その足で朝堂へと向かった。

 途中、桃晶隊に「おかえりなさいませ、殿下」と言われたが、その足元に転がる禁軍の兵たちが気になってうまく笑えなかった。

 朝堂へ入ると、そこには会いたかった人たちが全員集まっていた。

悠青(ゆうせい)殿下、いらっしゃいましたね」

 祁陽(きよう)悠青(ゆうせい)の姿を見て、胸がしめつけられた。

 (おびただ)しい返り血に、無理して笑っている顔。

 かつて戦場で何度も見た、靖睿(せいえい)とそっくりだった。

悠青(ゆうせい)殿下、こちら、お返しいたします」

 そう言うと、祁陽(きよう)は玉座から立ち上がり、場所を開けた。

 全員の視線が悠青(ゆうせい)に集まる。

 その時だった。

 黎安の門から、歓声が上がり始めたのは。

 悠青(ゆうせい)祁陽(きよう)に目で伝えた。

 「わたしではないんだ」と。

 祁陽(きよう)も「期待するのは自由だろ?」と、いたずらっ子のような目で頷いた。

悠青(ゆうせい)! 祁陽(きよう)! 大丈夫か⁉」

 まさか、他にもたくさんの人々がいるとは思わなかったのか、黄睿(こうえい)は朝堂へ入ってくるなり、燕国皇帝を呼び捨てにしてしまった。

「あ……。し、失礼した」

 その横で、慶睿(けいえい)が半笑いしている。

 悠青(ゆうせい)祁陽(きよう)に向かって頷くと、前へと進み出た。

「叔父上、お待ちしておりました」

 悠青(ゆうせい)黄睿(こうえい)に近づくと、跪き、稽首(けいしゅ)した。

「叔父上、まことに勝手な願いではありますが……」

 顔を上げ、まっすぐと黄睿(こうえい)を見つめながら言った。

「この国を、民を、導いてくださいませ」

「ま、まて悠青(ゆうせい)。いったい、何の……」

 黄睿(こうえい)は全員の顔と、空いた玉座を見た。

「まさか……」

 そして、悟った。

「我々には、叔父上のような王が必要なのです」

 悠青(ゆうせい)が再び頭を下げる。

 瀏亮(りゅうりょう)が後に続き、その波はその場にいたすべての人々へと伝わっていった。

 最後に、慶睿(けいえい)黄睿(こうえい)の肩に触れ、言葉を紡いだ。

「兄上がその覚悟を決めるのならば、私は力の限り、お支えいたします」

 風が通り抜けた。

 黄睿(こうえい)は天を仰ぎ、そして人々に向き合うと、頷いた。

「謹んで、お受けいたします」

 翌日、失われた玉璽の代わりに、燕国皇帝である祁陽(きよう)が立会人と証人となり、黄睿(こうえい)は、瓏国の新しい皇帝に即位した。

 事態の集束は紫董軍の素早い動きのおかげで円滑に進み、他の国々につけこまれる隙をつくることなく収束することが出来た。

 そんな中で、黄睿(こうえい)がまず行ったのは、何よりも、靖睿(せいえい)の廃位撤廃だった。

 祁陽(きよう)から遺骨を受け取り、それを代々の祖霊が眠る霊廟へと祀ったのだ。

靖睿(せいえい)兄上、ようやくですね。あなたの名を、こうして口に出来るのは……。会いたいです、心から」

 そして、靖睿(せいえい)の遺骨が陵墓におさめられたその日は奇しくも、悠青(ゆうせい)の誕生日だった。

 良い報告はそれだけではなかった。

 後日後宮を訪れた悠青(ゆうせい)は、真っ先に母親に告げた。

「母上、その……。瀏亮(りゅうりょう)懐妊(かいにん)いたしました」

「まあ!」

 賢太妃(けんたいひ)となった悠青(ゆうせい)の母は、新たな皇后を支えながら、後宮の立て直しをおこなっていたところだった。

 そこへ訪れた息子からの吉報に、「ああ、私、本当に幸せだわ」と、涙を流して喜んだ。

 悠青(ゆうせい)は母を抱きしめ、「あなたの息子に生まれることが出来て、本当に幸せです」と、涙を流した。

 その後の瓏国は、内政は穏やかで誠実だったものの、外交は激動だった。

 慶睿(けいえい)による政策は過激で、何度かそれに悠青(ゆうせい)も親王として巻き込まれながら、国力を強めていった。

 幸せな時間は、時に早く、時にゆっくりと過ぎていった。



☆☆☆



 瓏国の首都黎安を一望できる山に建てられた東屋(あずまや)に、杏憂(きょうゆう)と、一人の老人が座っていた。

「どうだった?」

 心地の良い春風に身を委ねながら、杏憂(きょうゆう)がたずねた。

 老人は深く息を吸うと、ゆっくりと吐き出しながら、姿を変幻させていった。

「昨年、瀏亮(りゅうりょう)が亡くなる直前、わたしの手を握りながら言ったんです。『素晴らしい人生でした』と。わたしも、同じ気持ちです」

 悠青(ゆうせい)は自身の若返っていく肌や手足の節々を見ながら、ふっと寂しそうに笑った。

「そうか。私も嬉しいよ。君が幸せな八十年を過ごすことが出来て」

「まぁ、まさか自分のお葬式を眺めることになるとは思いませんでしたけどね」

 現在、黎安ではまさに国葬といった規模で恵王の葬送の儀が行われている。

 弔問客は後を絶たず、すでに二日目。

 棺桶に収まっているのは、木人形を老いた悠青(ゆうせい)に変化させたものだが、それでも、皆それを宝物のように見つめながら、涙を流してくれている。

「それにしても、たくさん子供をもうけたな」

「ええ。十人。瀏亮(りゅうりょう)が頑張ってくれました。大家族で育ったから、自分もそういう家庭にしたいと、ずっと言っていましたから」

「孫は五十人だったか?」

「ふふ。六十三人です」

「まさに、大家族だな」

「はい。本当に、本当に幸せな人生でした」

西王母(せいおうぼ)陛下に感謝だな」

 悠青(ゆうせい)は大きく頷くと、空を仰いだ。

 仙子(せんし)族が住まう聖域である崑崙(こんろん)を統べる妖精女王、西王母の計らいで、悠青(ゆうせい)煌仙子(こうせんし)(のろい)は、子孫には受け継がれないようにしてくれたのだ。

 悠青(ゆうせい)瀏亮(りゅうりょう)の間に生まれてきたのは全員〈人間〉。

 悠青(ゆうせい)は自身の姿を老化させながら、瀏亮(りゅうりょう)との短くも永遠の愛の時を過ごしてきたのだった。

「さて、どうする?」

「そうですね……。悠青(ゆうせい)は死にました。でも、桂甜(けいてん)は生きています」

 悠青(ゆうせい)は再び深呼吸をすると、次の瞬間には桂甜(けいてん)へと変幻していた。

「師匠、久しぶりに旅に出ませんか?」

 桂甜(けいてん)が微笑みかけると、杏憂(きょうゆう)はニヤリと笑った。

「その誘いを、何十年も待っていたぞ」

「どこに行きましょうか」

「そうだなぁ。中原もまだまだ広い。すべての国へ行くというのはどうだ?」

「いいですね。刻々と変化していく中原を見て回りましょう」

 二人は笑い合うと、(くう)から杖を取り出し、羽衣に変えて羽織り、空へと飛び立った。

 その後を追うように、桃の花がひらひらと舞い踊った。

 春の風に、漂いながら。


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