第十三集:作戦
「兄上が戦に出るだと⁉」
太監から事の次第を聞いた恒青は、突然訪れた僥倖に満面の笑みを浮かべた。
(これで、父上と母上を殺せるぞ!)
恒青は太監たちを部屋から追い出すと、さっそく地下室へと向かった。
以前は穴だった入口がアンリによって整備され、大人二人が余裕で通れるほどの快適な道に作り替わっている。
最近は子供には手を出しておらず、大人ばかりを拷問して殺害しているので、この改装には恒青も大満足だ。
作業部屋も大きく変わっていた。
被害者たちから流れ出した体液や血液、分泌物の流れが良いように、水分の染み込みにくい素材を敷き詰めた床に少しだけ傾斜をつけ、排水できるように工夫してある。
無残にも跡形の無くなった遺体を棄てるとき用の穴も設置しており、そこに投げ込めば、アンリの手下が遠くに運んで焼却処分してくれる寸法だ。
気分が特別いいときは、遺体を返却することもある。
大抵、送られてきた側は喜ばず、精神に異常をきたしてしまうのだが。
それを噂で聞くのも楽しい。
恒青は着実に倫理観を失っていた。
「さて、どう殺すか……。蘇鉄のように効果が出るまで時間のかかるものは、今回は無理だ。死ぬ前に兄上たちが帰ってきてしまう。徐々に苦しみ衰弱していく姿を見られないのは残念だが、さっさと殺さなければ」
恒青は木製の丸い椅子に腰かけ、アンリからもらった毒草の本を眺めた。
「……そういえば、母上は狼茄子の点眼薬を使っているな。なんでも、美貌に磨きがかかるのだとか。無知とは本当に恐ろしいものだ。あれは毒なのに。……そうか。母上を殺すには美容に関するものに劇薬を混ぜればいいのか」
皇后は滋養強壮と美肌のために、いつも薬酒や様々な生薬が入ったお茶を飲んでいる。
「そうだな……。お茶に使われている唐樒を樒に入れ替えるか。私が贈ってはまずいから……、宦官を経由して私の側室の誰かに持たせよう。まぁ、側室が一人死刑になったところで代わりはいくらでもいるからな。使った宦官は口封じに私が殺せば丸く収まる。よし、これでいこう」
恒青は用意しなければならないものを書き出した。
「うんうん、これくらいなら太医院に行かなくとも、街の薬舗で簡単に手に入る。証拠を残さず完遂可能だ。問題は父上だな……」
皇帝毒殺未遂事件のあとから、警備はとても厳しくなっており、毒味役も太医院の者が行っているほどだ。
毒殺は容易ではない。
「父上が飲む薬は兄上や杏憂先生が調合したものだけ。持病の薬に毒を混ぜるのはまず無理だな。かといって、食事に混ぜるのはもっと無理だ。父上用の食事の調理の際は太医院の見張りがついているしなぁ」
隙がない。
もとはと言えばすべて自分の策略と、それをぶちこわした桂甜……、つまりは悠青のせいなのだが、恒青はそんなことはもうどうでもよかった。
「……酒はどうだったかな。そういえば、大嫌いな香王からもらった酒は飲んでいたな。なんでも、『あいつは最低だが、あいつの領地で作られる酒は美味いんだ』とかなんとか。毒味役が事前に飲んではいるだろうが……、そうか。酒なら、泥酔と体調不良を誤魔化すことができるかもしれないな」
毒草本の頁をめくり、泥酔したのと同じ状態になる毒を探す。
「……マンドレイクというやつがよさそうだが、これはどこで手に入るのだろうか。アンリなら知っているかもしれないな」
「呼びました?」
突如黒い煙が現れ、中からアンリが飛び出した。
「……まだ呼んでいないが」
「殿下の心の声を察知したのですよ。それで、マンドレイクがどうしました?」
「まあいい。来たのなら聞いていけ。父上に飲ませる酒に、泥酔と同じような効果を持つ毒を混ぜたくてな。お前にもらった本を色々と眺めていたら、このマンドレイクというものが目に入ったというわけだ」
「いいですねぇ! 元祖、魔女の薬です。我々の国では学校でも習うほどポピュラー……、えっと、知っているのが当たり前の植物なのですよ。幻想物語では叫ぶ赤子のような植物だと誇張されて書かれることもありますが、実際には違います。それを摂取した者が幻覚を見て発狂し、叫ぶ姿から、そういうイメージ……、印象がついたのでしょうねぇ」
「ほう。面白そうだな。で、用意は可能か?」
「もちろんでございます!」
「では頼む」
「かしこまりましたっ。ただ、マンドレイクの毒では陛下を殺すにはちょっと効能がたりないかもしれませんよ?」
「ああ、いいのだ。とにかく、深く眠ってもらえれば」
楽しそうに微笑む恒青の横顔を見つめながら、アンリは小首をかしげた。
「どういうことでしょう?」
「つきっきりで看病しながら、最終的には枕で窒息させて殺す。抵抗も出来ずに死ぬだろ? 枕ならば痕も残らないしな」
「おお、素晴らしいですね! 殺害の順番は皇后陛下が先ですか?」
「いや、母上には二番目に死んでもらう」
さも当然とでもいうような恒青の口ぶりに、アンリは閃いた。
「……ああ、なるほど。皇后陛下という後ろ盾を使ってついに皇帝になられるのですね」
「そうだ。母上が死んだ後では、伯父上の宰相の力など大したことなくなるからな。兄上を慕っている者共に即位を邪魔されかねん。だから、母上は二番目だ」
「さすがです」
「すべては兄上が戦から帰ってくる前に行わなければならない。父上の死後、どれほどの速度で即位が実現し、母上を殺せるかで、人生の勝敗が決まる」
真剣な表情で語る恒青の姿にすこし意地悪をしたくなったアンリは、今一番彼が不満に思っているであろう話題を出すことにした。
「……そういえば、悠青殿下のご結婚おめでとうございます」
恒青の眉がピクリと動いた。
「不快な話題を出すな。兄上は賢妃義母上のために結婚したのだ。そうでなければ、あんな野蛮な小娘を伴侶に選ぶはずがない」
予想通り、恒青は顔をしかめて嫌悪感を露わにした。
「……どうしてそこまで悠青殿下にこだわるのですか?」
アンリの問いに、恒青は鼻を鳴らして嗤った。
「ふっ。説明するまでもないと思っていたが……。まあいい。教えてやる。兄上はな、狂おしいほど善良で、儚いのだ。道端で死んでいた汚らしい猫の死骸を抱き上げて涙するのだぞ? その泣き顔がまた魅惑的で……。ああ、些細なことに傷つき悩む優しき兄上……。なんと麗しいのだろう! きっと私がしてきたことを怒っているだろうなぁ。許せないだろうなぁ……。私の所業を想像して泣いたかもしれないぞ! ああ、目の前で見たかった……。可愛い可愛い兄上。あの桜色の唇から紡ぎ出される言葉のなんと甘美なことよ。声を聴いているだけで昇天してしまいそうになる。最近は意図的にだろうが、あまり私の名を呼んでくれなくなった。悲しいが、私と目を合わせないように苦しんでいる兄上の横顔を見ていると……、はぁ、胸がうずくのだ。私のせいで泣いてほしい、と」
恒青は立ち上がり、拷問器具を撫でながらうっとりと微笑んだ。
アンリはそれを目で追いながら、能面の様に貼り付けた笑顔を続けた。
(ここまで狂った人間を見るのは久しぶりですねぇ……。さすがは中原。広い大陸なだけあります)
「なあ、アンリ」
「なんでしょう、殿下」
「もし、もし、あの小娘……、瀏亮妃を目の前で殺したら……、兄上はどんな顔で泣くだろう」
「……どうでしょう。助けようとしてあなたを殺すかもしれませんよ?」
「私に敵意と殺意を向けてくれるのか、あの優しい兄上が! たまらん! どんな感情でもいい。兄上の心が私で満たされるなら」
「左様ですか。それも、もうすぐ叶いそうですね」
「ああ。とても楽しみだ」
アンリは少し吐き気をもよおしながらも、笑顔で話を聞き続けた。
頭のおかしい人間は総じて好ましいが、恒青のそれはあまりに醜悪。
悪事に対する矜持というものが欠けている。
(でも、悪魔になった後はどうでしょう。強大な力を前に、何か素敵なことをしてくれるかもしれませんねぇ……。果実が実るのを楽しみにしましょうか)
「では、マンドレイクをもってまいりますので、少々お待ちください、殿下」
「ああ、頼んだ。私はもうしばらくここにいる」
「かしこまりました」
アンリは恭しくお辞儀をすると、また煙となって消えていった。
恒青は再び本に目を落とすと、椅子に腰かけ、読み始めた。
新しくなった牢屋の中で泣く、舌を切り取られた人間の懇願を無視しながら。
☆
「なるべく、お前の誕生日までには帰れるようにしたいと思っている」
黄睿は馬の手入れをしながら、隣で馬に馬具を取り付けている悠青に話しかけた。
「そんな、気を使わなくていいですよ」
「でも、結婚してから初めての誕生日だろう? それは帰らないと。子作りも大事だからな」
「な、ちょ、叔父上!」
悠青は顔を真っ赤にして馬から離れ、黄睿の方を向いた。
「なんだ、そんな照れる歳でもないだろうが。薬術師としてそういう相談にもにのったことがあるだろう?」
「そ、そうですけど……」
夫が子作りに適した状態になりにくい、女性側の受け入れ態勢が整いにくい、などの相談を受けて薬を処方したことはもちろんある。
ただ、それは医学的な相談であって、自分に当てはめて考えることはなかった。
いざ、黄睿から言われると、かなり恥ずかしいものがある。
そう思うと、相談しに来てくれた人々はとても勇気を振り絞っていたんだな、と、感慨深くなる。
「子供はおいおいですね。今は好きな人と一緒になれた日々を楽しんでいます」
「そうか。まぁ、悠青と瀏亮妃なら好い親になれるだろう。楽しみにしておく」
「ありがとうございます」
悠青は再び自分の馬、紅梅に近づくと、馬具の最後の紐を締めた。
何度か軽く揺らし、しっかりついているか確認する。
「陽が落ちる前には出発しよう」
「はい。わたしは準備万端です。師匠と桂甜は馬車に乗せる予定です」
「なんだ、二人は馬に乗れないのか?」
「いえ。ただ、あまり疲れさせない方がみんなの役に立ちそうなので」
「たしかにそうだな。長い行軍になる。毎日風呂に入れる生活ではなくなるから、感染症とかも怖い。先生たちにはなるべく体力を温存しておいてもらわねば」
「ええ。薬は十分すぎるほど持っていきますので、安心してください」
「うむ。久しぶりの大きな戦だ。気を引き締めていこう」
「はい、叔父上」
二人は厩舎を後にすると、それぞれの軍が待機している場所へと向かった。
とはいえ、悠青は軍と呼べるほどのものを所有してはいない。
黄睿から譲り受けた兵は千人。
董大師から「是非連れて行ってください!」と渡されたのは二千人。
武勇はあり練兵も完ぺきにこなしてきた武人たちだが、軍としては即席の三千人。
そこで、杏憂からの提案で江湖から信用している仲間を百人連れて来た。
大伯父の配下の者たちで、全員顔見知りだ。
彼らが良い潤滑剤となってくれるだろう。
「……潤滑剤どころじゃなかった」
待機所へ行くと、悠青が現れた途端、全員が瞳を輝かせて見つめてきた。
江湖の仲間が二人、近づいてくる。
璆琳と瑾瑜、弓術師の兄弟だ。
顔も体型も全く同じという、一卵性の双子。
どちらも青光りするほどの艶やかな長い黒髪と、藍色の瞳が特徴。
「ふふ。悠青様の武勇伝を話しておきましたよ」
「もちろん、盛ったりはしておりません。事実をありのままに話しただけです」
二人はとても楽しそうに笑っている。
「な、何を話したの?」
「山岳地帯の民を脅かす獣化種族をその武勇で追い払った話とか!」
「完治不可能かと思われた奇病から村人を救った話とか!」
悠青は手で顔を覆ってうつむいた。
嬉しくないわけではないし、二人が大げさに吹聴しているわけではないが、それでも、複雑な気持ちに変わりはなかった。
どちらの出来事も、自分一人で成し遂げたわけではないし、人々を救うために杏憂をはじめとして江湖の仲間たちに無理をさせてしまった負い目もある。
「も、もうその辺でわたしの話は……。どれもみんながいたから達成できたことだし。わたしは……」
二人は目を見合わせると、大袈裟に溜息をついて見せた。
「悠青様、ご自身に自信がないのは存じておりますが、戦に行くのならそれはいけません」
「大将の背中を見て我々は鼓舞されるのです。さぁ、胸を張ってください」
同い年の璆琳と瑾瑜に諭され、悠青は顔を上げて自身の頬を両手でパチンと叩いた。
「ありがとう、二人とも。いつもわたしを正してくれて、感謝してる」
「おまかせください」
「口達者で恐れ知らずなのも、我ら兄弟の特徴ですから」
三人は顔を合わせて笑い合うと、待機所の中心へと進んでいった。
花弁が舞い、兵士たちの甲冑に落ちていく。
それが血に変わるのが戦場だ。
悠青は全員の顔を見て言った。
「全員、生きて帰るぞ。そして再び、わたしと共に戦ってくれ」
地鳴りのような咆哮が、春の空に響き渡る。
これから向かう、地獄の業火をかき消すように。




