第十一集:明星
「悠青、見てもらいたい場所がある」
そう言って黄睿に連れられて行ったのは、五つ先の村だった。
「……被害がない!」
村には避難してきたたくさんの着の身着のままの人々で溢れていた。
すでに雅黄軍の兵士や江湖の者たちが支援に入っており、混乱などは起きていないようだった。
「そうだ。ここは、かつて我が兄、靖睿陛下が治水工事を進めた場所だ。兄上が指揮し、完成させた場所では全く被害は出なかった。つまり……、此度の災害は、人災であると言えるだろう。あの馬鹿皇帝が民の生活基盤を整えることを怠ったからだ」
悠青は声も出せず、ただただ目の前の光景に涙が流れた。
靖睿が殺されてから何十年もの時が経っているのに、その間、犀睿は公共事業を軽んじ、民の命を危険にさらしたのだ。
「わたしにも責任があります。陛下の仕事をもっと手伝っていれば……。放蕩息子であることをやめていれば……。わたしは、わたしは親王なのに! なんてことを……」
「悠青、お前のせいではない。これは国父とそれを取り巻く馬鹿どものせいだ。宰相は知っていたはずだからな」
「でも……」
「しっかりしろ、悠青。罪悪感は何も産みはしない。感じるのなら、〈希望〉にしろ。今目の前で生きている民を元気づけてこい」
「わ、わたしなんか……」
その瞬間、背中を思いっきりはたかれた。
「うあっ!」
「おお、なかなか体幹を鍛えているな。倒れなかったではないか」
「い、いきなり何を……」
「さぁ、歩け。彼らはお前を求めているんだ」
悠青は一歩、一歩と、人々に近づいて行った。
「……あ、黄睿殿下、と……! 悠青殿下だ! 悠青殿下がいらしたぞ!」
「悠青殿下だ! みんな、悠青殿下がいらっしゃるぞー!」
笑顔だった。
駆け寄ってくる人々は、悠青を見て、とても嬉しそうに笑っている。
「悠青殿下! 殿下が支援してくださっているおかげで、母の薬を毎月受け取ることが出来ています。ずっと、ずっとこうして直接お礼を申し上げたかったのです!」
「私も! 出産のとき、産婆を呼ぶことが出来ました。本当に、悠青殿下のおかげです! あ! あそこで遊んでいるのが私の子供たちです! 全員、悠青殿下の支援のおかげで無事に産まれてまいりました!」
「悠青殿下……。なんと、なんとお美しい……。このような方がまだ瓏国にいらっしゃったとは……。ああ、あの尊き方を思い出します……。うう……」
「お、俺も! 俺と兄貴の初陣は悠青殿下の軍でした! 兄貴は戦での傷が原因で死んでしまいましたが、兄貴やそのほかの負傷兵を最期の瞬間まで助けようと、医療支援を続けてくださったこと、一生忘れません!」
悠青はまだまだ膨れ上がる人の波に圧倒され、心が温かくなっていくのを感じた。
人の輪が広がり、皆が悠青という存在を喜んでいる。
「お、叔父上……」
「ほらな? お前の笑顔は一回につき百人を救うんだ」
「あら、黄睿殿下! 悠青殿下の笑顔は千人を救いますよ!」
「あ、す、すまん」
男性陣を押しのけてやってきた女性たちの圧に押され、黄睿は顔を赤らめながら頭を搔いた。
「殿下が来てくださっているなんて、私たちは幸せです」
「そうそう。数年前までは問診に来てくださっていたのに、最近ではあの兄弟子さん? でしたっけ。桂甜様に変わってしまいましたもの」
「殿下は忙しいのよ。だって、まともに私たちのこと考えて皇宮で発言してくださるのは殿下しかいないのよ? 親王としてのお仕事を邪魔してはいけないわ」
「悠青殿下、もしまたお時間がありましたら、子供たちの成長を見に来てください」
「みんな絶対に喜ぶわ」
薬術師ということもあり、あまり女性に苦手意識はない悠青でも、さすがに百人以上の女性に囲まれると圧を感じる。
顔から火が出そうなほど真っ赤になってしまった。
「あら、悠青殿下が大変よ! ほら、みんな仕事に戻りましょう。胸元を隠してね」
問診で見慣れているとはいえ、さすがに、胸部が目の前で複数揺れればのぼせるというもの。
「す、すみません。決して不埒な考えはありませんので……」
隠しようもないほど顔を赤くしながら慌てる悠青に、女性たちはいたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「わかってますよぉ、殿下。何千人分も炊き出ししていると、身なりを気にする暇もなくて。ちょっと豊満な部分が強調されちゃってましたわ。おほほ」
「上品に笑ったって無駄よ。さぁ、胸元締めて頑張るわよー!」
元気いっぱいの女人の声が響き渡った。
男性たちも呼応するように「よっしゃ!」と声を上げ、仮設の家の建築が進んでいく。
「女性が元気な村は良いな、悠青」
「そうですね。わたしも頑張らなくては」
「背負い込むなよ。そろそろ周辺の城からカツアゲ……、援助してもらった食料が行き渡り始めるはずだ」
「……お、脅したんですか?」
「国境線を護っているのが誰なのかを丁寧に説明しただけだぞ」
「うわぁ……」
午後になると、どこにそんなに隠していたんだ、というくらいの食料が次々と届けられ始めた。
黄睿がどんな交渉術を使ったのかはわからないが、これによって被災者たちが冬を越せるならば、なんでもいい。
「お、戻ってきたな」
黄睿と共に被災地である村に戻ってくると、大規模な炊き出しが始まっていた。
「師匠、いきなりで申し訳ないのですが、桂甜の力を使いたいのです」
「本当にいきなりだなぁ。理由を聞こう」
「治水工事をしておきたくて」
「……なるほどな。人間の手でやるより、仙術を使った方が早く出来るからか」
「仙術は自然と調和すると教えてくださいましたよね。だから、仙術で作り出したものが長持ちしないことは承知しております。自然は自然に還るから。だから、その下準備だけでも手伝いたいのです。我らが下書きし、人間の手で完成させれば、有効なのではと思うんです」
杏憂が「いいぞ。やろう」と言いかけたその時、黄睿がそれを止めた。
「先生、悠青。お前たちの、その、正体というか、それがあの馬鹿皇帝に露見するのはまずいんだろう? やめておけ」
「で、でも」
「さっき見ただろ? 人間の力だって、捨てたもんじゃないんだ。大丈夫。お前と私主導で治水工事を進めよう」
「え、ということは……」
「私も皇宮へ戻る。香王府でしばらく生活するとしよう」
「叔父上! ありがとうございます!」
「弟も呼び寄せるとしよう。慶睿は体力こそないものの、私よりもずっと頭がいいからな。幼い頃、何度も太監を言葉巧みに煙に巻いてよく二人で脱走したものだ」
黄睿は「それに」と、顎髭を撫でながらにっと笑った。
「送り込んでいる嬪たちからの情報も纏めたいからな」
「やはりお二人が真の後ろ盾でしたか」
杏憂は深く頷きながら感嘆した。
「私の領地と弟の領地から賢い女子を選抜し、意思確認した後、後宮へと潜り込ませたのだ。まさか男児を授かるとは思わなかったが、そのおかげで馬鹿皇帝を玉座から引きずり降ろせるような情報はかなり入ってきている。……恒青のもな。ただ、やっている悪事は入ってくるものの、やっていない善行の情報は当然入ってこない。治水工事については、情報収集の方向性を見誤っていた私にも責任があると言えよう」
「叔父上は何も悪くないではないですか」
「そういうことだ。だから、悠青も気に病むんじゃないぞ」
「あ、な、なるほど。叔父上は説得上手ですね」
「だろう? だからあんなに食料が集まっているのだ」
「それはまた別の要因の気もしますが……」
「あはははは」
その後、四週間被災地に滞在した悠青たちは、初冬の中、瓏国黎安へと戻っていった。
被災状況とその復興に関する報告の中で、黄睿と、合流した慶睿は、村人たちからの上奏文も添えて進言した。
「被災した村々を一時的に香王と星王の保護下に置き、復興支援を続けるとともに治水工事を始める」と。
ここに悠青の名がないのは、犀睿を不必要に刺激しないためである。
「な……! りょ、領地でもないのにか⁉ そんなに人心を操作したいのか!」
「陛下、一つよろしいですか?」
慶睿の落ち着いた物言いに、犀睿は身構えた。
子供のころから、慶睿に口喧嘩で勝てたことが無いからだ。
「な、なんだ星王」
「人心操作とおっしゃいましたが、よく考えてもみてください。今、民の心は悲しみで満たされ、明日の生活も不安といった状況下で、彼らは誰を心の頼りにすればいいか迷っております。それは陛下にとって好い機会なのではありませんか? ここで民に尽くし、誠意を見せれば、おのずと人心は陛下に向くでしょう。しかし、陛下が皇宮を離れるわけにはいきますまい。だからこそ、我ら兄弟を派遣するのです。陛下の名代として。それとも……。陛下は血のつながった我らを信じることも出来ないほど、心身に不調があるのでしょうか? 太医を呼びますか?」
「ぐっ!」
犀睿は顔を真っ赤にしてこぶしを握り締めた。
悠青はその様子を必死に手をつねって笑いをこらえながら端で見ていた。
「す、好きにすればいい。報告はこまめに行うように!」
「かしこまりました、陛下」
慶睿はにこやかに微笑み、黄睿は悠青に目線で「まかせとけ」と伝えると、朝堂を後にしていった。
次に呼ばれた悠青は淡々と被災地支援の報告をし、引き続き薬舗と連携して医療支援を続けることを告げ、話を終えた。
特に何を突っ込まれるでもなく、犀睿からは「よく頑張ったな」と言われただけ。
ただ、その代わり、恒青の目線が気になった。
不安そうな、落ち着きのない目。
悠青が朝堂を後にすると、東宮の太監に呼び止められた。
「恵王殿下、皇太子殿下がお話したいと仰せです。少し、お時間をいただけますでしょうか」
「わかりました。先に母上のところへ行ってもいいでしょうか」
「もちろんです。賢妃様も、恵王殿下がお戻りになられてお喜びでしょう」
「ありがとうございます。では、午後に東宮へ伺います」
「よろしくお願いいたします」
悠青は懐から小瓶を出すと、中から銀色の丸薬を一粒出し、飲み込んだ。
母に挨拶を済ませ、小一時間ほどお茶の相手をした後、悠青は東宮へと向かった。
「久しぶりに来るなぁ……。ん?」
東宮の前までやってくると、そこには恒青付の太監が並んでいた。
「ああ! 恵王殿下! どうぞ中へ」
「みんなは……?」
「皇太子殿下が、兄上と二人だけで話したいから外に出ていろ、と」
「わかった。じゃぁ、話しが終わったらすぐに……」
すると、太監の一人が腕ごと手を握ってきた。
「火鉢が焚いてありますが、空気の入れ替えを行ったばかりですので、少し寒いかもしれません」
手の中に、紙が握られている。
「くれぐれも、風邪など召されぬよう、お気を付けくださいませ」
「ありがとう」
悠青は受け取った紙を袖の中に隠した。
数十人の太監に見送られながら中へ入る。
廊下の途中、袖から紙を出し、中を開けた。
――恒青殿下が何か仕込んでおります。お気を付けください。
(……そういうことか)
悠青の身体から煙が出るのかどうかを確かめようというのか。
(魔法使いと手を組んだのか……、恒青)
そうなると、おそらく、悠青を見張っている鴉面の者たちは魔法使いの手先ということになる。
恒青の間者のやる気がなかったのは、まだ恒青の中では悠青が独占欲の対象だからだ。
(人間は、愛情が裏返った時が一番恐ろしい。気を付けないと)
悠青は太監から受け取った紙を手の中で燃やし、恒青が待つ部屋へと入って行った。
「恒青」
「兄上!」
申し分のない笑顔が、余計に空気を張り詰めさせた。
「さぁ、こちらへ!」
恒青に腕を引かれ、悠青は小上がりに用意されていた座布団に腰かけた。
「皇太子殿下に歓待されるなんて、贅沢だね」
「ふふふ。兄上は特別ですから」
恒青が淹れてくれた茉莉花茶を受け取ったその時、指に鋭い痛みが走った。
「痛っ」
「あ、兄上!」
指にまっすぐな切り傷。
じわりと浮かんだ血がゆっくり指を伝っていく。
「す、すみません! 茶碗が割れているとは気づかず……」
「大丈夫だよ。でも、一応太医のところへ行ってこようかな」
「そうされた方が良いかと思います……」
恒青と目が合う。
何かが昏く光った気がした。
「じゃぁ、お茶はまた今度」
「はい、兄上」
血は出ている。
疑いは晴れたはず。
悠青は指を袖で抑えながら、東宮を後にした。
☆
「おい魔法使い! 出てこい!」
虚空に向かい、恒青が叫ぶと、黒い灰が漂い集まり、その中からアンリが現れた。
「言ったでしょう? 賢い方です。やはり、液化薬を飲んでいらっしゃいましたか」
「そんな……、本当に、本当に兄上が煌仙子だなんて!」
「鉄粉を混ぜた特別な毒が指をかすめたのに、悠青殿下はこともなげに歩いて自邸へ向かわれました。太医のところにも寄らずにです。これで、確定ですねぇ」
恒青は手近にあった茶器を壁に投げつけ、「うわああああ!」と怒号を上げた。
「なぜ兄上は私に話さない⁉ なぜ正体を隠し、桂甜などという幻影を生み出したのだ!」
「心の弱さを補うための分身なのでは? 優しいままでは、殿下を殺せませんから」
「なんだと⁉ アンリ、それ以上言えば、首を刎ねて豚の餌にするぞ」
「おやおや、恐ろしい。でも、無理なのは御存知ですよね」
「くそ! くそ! くそぉおお!」
恒青は次々と手当たり次第に調度品を壊し、荒くなった息のまま、どかりと床に座り込んだ。
「……どうすればいい。どうすればまた兄上を私のものに戻せる」
「そうですねぇ……。では、こういうのはどうです? この世界で唯一、煌仙子と対等に殺し合える種族になる、というのは」
「……は? 私に人間でいることをやめろというのか?」
「人間である必要がありますか? その種族はとても美しく、邪悪で、強力で、魅力的。私のことも殺せます。何より、いずれ皇帝となられる殿下には、人知を超えた力が必要でしょう? 中原を支配できますよぉ。それも、幾千年もの永い時を」
「何だと? 中原を……、支配できるというのか」
「左様です」
恒青は顔を上げ、アンリを見つめた。
「……なんという種族だ」
「悪魔です」
「あくま?」
「様々な宗教で悪しき者の総代として描かれている存在です。その力は強大で、人間など耳に甘言を囁くだけで操り殺すことが出来ます」
「ほう……。その悪魔とやらになれば、兄上を取り戻せるのか?」
「ええ、もちろんです。悠青殿下の愛する者をすべて地獄の業火で焼き尽くし、拠り所を殿下だけにすればいいのです。そうすれば、心の弱い悠青殿下は折れて傀儡のようになるでしょう」
「私から二度と離れたりしない、人形のように……。いいだろう。どうすればその悪魔とやらに成れる?」
「魂を穢し、私が用意する呪を飲み干すのです」
「あはははは! 魂ならとうに穢れておる。お前も知っているだろう」
「いえ。まだです。本当に魂を穢すために必要なのは、肉親の殺害です」
「父上と母上か」
恒青は思考を巡らせるように顎に手を添えながら小首をかしげた。
「ええ。皇后陛下はどうにか手にかけることが出来たとして、皇帝陛下を襲うのは相当難しいのでは?」
「簡単だ。また毒を盛ればいい。兄上のいないときにな」
「また……、というと、一度ご経験が?」
「まあな。皇太子などと言う地位には何の意味もない。さっさと殺して皇位をもらおうと思ったのだ。しかし、桂甜が……、兄上が助けてしまってな。上手くいかなかった」
「それはそれは、大変だったのですね」
「次はしくじらない。春には兄上の結婚式がある。それさえ終われば、父上も母上も油断するだろう。あの忌々しい小娘が兄上の隣に座るなど反吐が出るが、まぁ、仕方がない。結婚せねば、塵どもが好き勝手兄上の噂を流しかねんからな」
「塵とは……」
「阿保面で国を蝕んでいる官吏共のことだ」
「それも、後々一掃せねばなりませんね」
「ああ。……すべてが成功したらお前には十分な報酬をやろう」
「それは楽しみです」
アンリは恍惚とした表情を浮かべながら恒青を見つめ、嘆息しながら「ああ、楽しみですね……」とつぶやいた。
「何がそんなに嬉しいのだ」
恒青が問いかけると、アンリは頬を赤らめながら満面の笑みで言った。
「貴方様は、この中原を統べる魔王となるのです」
恒青は胸の中で何かがうずくのを感じた。
「魔王、か」
甘美な響き。
莫大な権力の香り。
生殺与奪を操れる力の鼓動。
今まで受け取ってきた言葉の中で、一番喜ばしい。
「私は、魔王になるのだ」
恒青の悍ましいほどの邪悪な笑顔に、アンリは心から愉悦を感じた。
何かを壊すのならば、小さい粗末なものよりも、高価で大きいもののほうがより快感は増すというもの。
陽が傾き始めた。
太陽が落ちていく。
まるで、弟に撃ち堕とされた、明けの明星の様に。




