約束は守る
翌日、午前の人工知能の授業内容として、晶は【行動主義心理学】を選択した。
これは端的に言えば人間等の観察による行動パターンの研究である。
有名な実験結果に【パブロフの犬】が有る、歴史ある学問だ。
だがこれには様々な要素が複雑に絡んでおり、それは時に科学的に、時に哲学的に事例を交えて説明されてゆく。
現代では仮想現実内での人間たちの言動や、コールドスリープ後の老人たちなど、観察対象の事象数とエビデンスが、百年前とは桁が六つも七つも違っている。
この膨大な研究データを基にHCは人工知能をより人類に近付けていっているのだ。
【遺伝】と【環境】が人間の行動を一定方向へ導く、そんな論文の紹介の後、晶は虚空を見上げ物思いに耽る。
それならば、家族のもとに産まれ落ち、【SR】に熱中している今現在の自分、何度生まれ変わってもこうして同じ状況になるのだろうか。
これが【運命】というものなのだろうか。
【偶然】と思っていた出来事はみな【必然】だったのだろうか。
以前、エリーゼに尋ねられたことがあった。
「アキラは大きくなったらどんなことをしたい?」
まだ幼い晶は母に満面の笑みで答えた。
「アキね! 地球を救うの!
強い敵をいっぱい倒して世界を守るの! すごいでしょ!」
何故かそんな想い出がつい先程のことのように感じられた。
「それではゲームを再開します。
魔王よ、他の魔王全てに打ち勝ちなさい。」
眼を開けるとそこは前回クリアアウトした岬のままで、視線の先には黒く不気味な海が広がっていた。
索敵すると近くに【単眼巨鬼】がいたので準備運動代わりに格闘戦を行い、ノーダメージで撃破した。
「さて、みんな頑張ってるかな?」
晶の脳裏に浮かんでいる【みんな】には眷属たちのみならず、来里やタモン達も含まれている。
晶は鞭を振るって奮闘するピンクのガネーシャを想像して、ふふふと笑みを零す。
終わりが見えてくると少し寂しい気持ちになり、【SR】のエンディングを迎える前に色々なものを見て回りたくなった。
錫杖を様々な色が撚り集まった瑪瑙へと変えて、空腹感を軽減させながら高台を降りていく。
瑪瑙錫杖には【気配遮断】が付加されているので、NPCと戦うプレイヤーの様子も間近で観察することが出来た。
歩いているつもりでももはや星狼鬼は初期より格段に大型化しており、さらに身体能力も高まっている、移動速度はかなり速い。
玻璃錫杖による索敵範囲拡大を利用せず、瑪瑙錫杖のまま歩いたがどんどんと索敵済みの場所ばかりになっていく。
そうして三体の眷属を収納することなく次々見つけ出し、晶は新エリアの散策を終えた。
『アスラよ、この地は【地獄】を模している割には美しき景色もあったぞ。』
『なかなかの強者もいたのぉ、わらわには敵わんかったが。』
『話に聞いていた虹色の果実がこちらにもあったぞ。
【美味】とはあれのことを指すのだな、我も【感動】が理解出来た気がする。』
眷属の話を晶は楽しげに相槌を打ちながら聞いていく。
【ティーリィ】などは人間にとっての【美】を理解し始めている。
もはやタモンやインドラたちと同様の親愛の情を感じながら晶は大陸中央へと向かう。
いよいよ【天界道】へと向かう決心をしたのだ。
それはピュイピーと合流して聞いた目撃情報によるものだった。
『わらわが空から大陸中央の山を見やった時じゃ、
巨大な象が光の柱を昇っているように見えたの。』
インドラだ、晶は直感でライバルに先を越されたことに気付いた。
おそらく【魔界の王】は先着順で選ばれるわけではないだろう、だが焦る気持ちはどうしても湧いて出てくる。
目撃したのは今日の午前中なので大した差にはならないと思われた。
晶もその後に続こうと山を登り始める。
もう少しで頂上か、そんな辺りで晶に声を掛けてくるものがいた。
「待ってたよ、アスラ。」
声を掛けてきたのは血濡れの翼を纏う包帯だらけの呪われた天使、アルマロスだった。
一昨日会った時よりも大きく、逞しくなっている。
翼の先にも鈍色の刃が紛れ込んでいるように見えた。
おそらくあれから勝ち続け、強さを蓄積して更に突然変異を繰り返したのだろう。
色々な箇所に凶悪な変化が顕れていた。
「良く分かったねアルマロス。
私いま【気配遮断】してるはずなんだけど。」
「アッハ、一昨日会った時に呪いの目印を付けておいたのさ。
アンタが何処へ行ったかすぐ分かるようにね。」
「うぇぇ、それってストーカーってやつじゃないの?
犯罪行為なんじゃない?」
「ハッ、HCから【警告】は来てないよ。
それに犯罪行為に繋がるようなスキルなんて創るわけないだろ?」
「そりゃそーだね。
……
んじゃ、始めますか?」
その言葉を合図としたのか、二人を中心に緊張した空気が渦巻いていく。
お互いが高速で駆け回り、狙いを絞らせまいと位置を変え続ける。
アルマロスはタモンと晶の闘いを観戦していた為、【玉兎静謐】の存在を知っている。
上空から叩きつけられることを警戒して、低空スレスレを飛び回っていた。
陸上での速度ならば晶が上回る、何度かアルマロスの背後へ位置取り、錫杖の投擲や【金剛夜叉礫】による攻撃を見舞った。
だがその度にアルマロスは原理不明の瞬間移動を行い躱してゆく。
瑠璃錫杖で反応速度を上げてその動きを観察したが、高速移動ではなく異次元空間を移動するかのように途中で姿が消え、まるで違う場所に現われた。
「やるね、アルマロス!
相手にとって不足無しだよ!」
「アッハ!
アスラ! その言葉をずっと聞きたかったんだ!」
アルマロスは包帯の隙間から血の霧を振り撒きながら高揚した声を上げる。
「今ならアンタが言ってたこと理解るよ!
強いアンタと闘えて、アタシは最高に楽しいよ!」
「いいねぇアルマロス!
私もさいっこーに楽しいよっ!」
言いざま二人は交錯して爪と爪がぶつかり合う。
膂力で勝る晶の拳がアルマロスの脚を掠める。
だがそれは湧き出る血の霧に阻まれダメージになっていない。
晶の攻撃を受け流せたアルマロスがお返しとばかりに反転し、翼から黒い刃を射出し、さらに小さな雷を数発起こし視界を攪乱させる。
「ソワカッ!」
晶は咄嗟に【毘風撃】を起こし刃の軌道を変え、同時に【軍荼利颯天】で発生させた竜巻に飛び込み、【瞬動】込みの【多段空歩】と併せて後方へ脱出した。
「大したもんだよアスラ!
アタシの【天雷】を喰らってたら痺れてそのままお陀仏だったのにねぇ!」
「ふへー!
もっと褒めていいんだよアルマロス!
今度は私の番だっ!」
言葉通り今度は晶が仕掛けた。
「ウオオオォォォ―――――ン!!!!」
【神気蹂躙】【神霊覆滅】へと進化した力を込めた【魔狼の咆哮 改】、これによって呪いの力と思われるアルマロスの血の霧が消え去る。
防御態勢をとるアルマロスに接近しながら、晶は珊瑚錫杖を口に咥え、両腕を交差させる。
「でりゃぁっ!」
【修羅神薙】の真空の刃は強化されており、横一線ではなく十字を描くようにアルマロスへ迫った。
「舐めるなっ!!」
アルマロスの身体中の血濡れの包帯が一斉に飛び出し、彼女の前面に楯のように広がる。
だが真空の刃の威力は凄まじく、包帯により減速しつつもアルマロスの腹部と左腕を切り裂いた。
「がっ!?」
仕様で痛みは軽減されているとはいえ、現代の人類にとっては耐えがたい苦しみがアルマロスを襲っている筈だ。
晶は勝負に決着を付けんと金色の錫杖を右手に顕現させアルマロスへと迫る。
左腕を失い、身体の各所は包帯が剥げてミイラのような肉体が覗いている。
だが、
アルマロスは諦めていなかった。
「うあぁぁぁっっっ!!!」
近付く晶目掛けて、アルマロスの胸付近から突然生えた角らしきものが雷の如く帯電した光と共に発射されたのだ。
その物体に晶は見覚えがあった、【ユニコーンの角】で間違いない。
どんな姿になっても根本が変わらない、アルマロスらしい奥の手だった。
それは狙い過たず、晶の胴体ど真ん中に突き刺さった、かに見えた。
「な、んだと・・・」
渾身の一撃であった角は晶の下側の両掌によってピタリと止められていた、【真剣白刃取り】だ。
瑠璃錫杖による反応速度が角の威力を上回ったのだ。
晶は危機的状況に追い込まれ、初めて下腕を自分の意志で動かすことに成功した。
「ハッ……一回だけ……勝ちを譲ってやる……」
「ありがとう、アルマロス。
また是非闘いたい、ちゃんとメッセージ、返してよね?」
そう言うと晶は柏手を打ち、【迦楼羅狂焔】によって【好敵手】を葬送した。




