見つめる瞳
見上げた先に浮かぶのは白く輝く翼を持った女性。
だがその存在感は尋常ではない。
旧時代の白い法衣を身にまといその頭上からは荘厳な輝きを振り撒いている。
晶を冷静に見つめる瞳は薄いブラウン、
黒髪は短く整えられていて頭上の光を反射させて神々しさを助長している。
武器は手にしていないが晶はかつてない危険な兆候を感じていた。
「人の子よ、答えよ。
この世界に何を求める?」
再び投げかけられた問いに晶は即答する。
「私はこの世界に【楽しさ】を求めてる。
キミは【天使】だよね?
キミもこの【魔界】の王様になる使命があるのかな?」
晶の答えと質問に頭上の天使は眉をひそめる。
「この争いしか生まぬ世界に【楽しさ】を求めるとは不届きな。
【アズラーイール】様が配下、この【ファルキィエル】、
汝が快楽のための死の輪廻、この場で絶ってやろう。」
「うっわ!こいつ話が通じないタイプの奴だ!」
言うなり手許に光り輝く槍を顕現させ晶に向かい滑空するファルキィエル。
晶はその速度に目を見開きすぐさま逃走を開始する。
このファルキィエルと名乗る天使には【ザラタン】以上の脅威を感じる。
今日は玉砕覚悟の特攻などする気が無い晶は逃げの一手しか考えられない。
槍による必殺の突きを躱しながらいま来たばかりの坂道へ戻ろうとする晶。
ファルキィエルは当たらぬ攻撃に業を煮やし激昂する。
「人と狼と鬼の入り混じった穢れた存在が此方の槍を躱すでない!
キエエェェ---ッ!!」
ちらりと見やればファルキィエルは先程の荘厳な面持ちをかなぐり捨て、
悪鬼のような怒りの表情で周囲に光の槍を創造し始めた。
「うっわ!あれはヤバい!ルリィッ!」
咄嗟に晶は【瑠璃錫杖】を顕現させ口に咥え【瞬動】を最大限に意識して駆け出した。
「この野獣風情がっ!逃げるなぁっ!」
雨あられに降り注ぐ光の槍を研ぎ澄まされた【心眼】で躱しながら、
晶は坂道を転がり落ちるように駆けおりる。
【危険予知】の反応が収まるまで全力で駆けた晶は気が付けば坂道を降り終えていた。
見上げれば坂の上には紫の空が広がるばかりで天使の姿はもう見えない。
晶は瑠璃錫杖を送還し深い溜息を吐く。
『ふひぃ~、なーにあれ。
天使ってもっと平和的なイメージだったなぁ。
HCの解釈は違うってことかな?』
晶は不貞腐れた気持ちで坂の上に脚を振り上げ【金剛夜叉礫】を撒き散らす。
天使との交流に失敗した晶は次の目標を思案し始める。
『ふーむ、坂の方はもう行けないかぁ。
じゃあこっち側をさらに探検しようかな。』
晶は坂を登ることを諦め、そのまま坂を通り過ぎてその先に何があるか確かめることにした。
だがその目的はすぐに達成されてしまう。
『あららぁー、これがナッキィの言ってた【川】ってやつかな?』
晶の目の前には海と見紛うばかりの大河が広がっていた。
向こう岸は見えるがかなりぼんやりとした様子しか確認できない。
タモンのように飛行できなければ渡れないだろう、晶は泳いだことなど無いのだ。
船でもなければ渡河は不可能だろう。
ぼんやりと向こう岸を眺めていた晶だが、すぐに気付いた、
何か巨大な生物が接近してきていることに。
ザバァッと大きな水音を立てて巨大生物が離れた場所でその正体を現す。
大河の中から顔を出したのは濃紺の蛇だった。
だがその大きさは桁違いだ。
うねる胴体が頭の背後でのたうち水音を激しく鳴らす。
体長だけで云えばザラタンやヒュドラの数倍以上は確定だろう。
『うげげー、でっかい。
【魔界の王】になるにはアレも倒さなきゃだよね?
【リヴァイアサン】?【ヨルムンガンド】?
なんにしろボス級だよね?あんなの何匹もいないよね?』
巨大な蛇はしばらくのたうちながら晶を見つめていたが。
無言のままにやがて河川の中へと沈んでいった。
『うーん、【魔界】って感じだねー。
あれっていまのままじゃ戦いにならないよね?』
晶の現在のスキルでは水中戦に使えそうなものは皆無と云える。
陸に誘き寄せなければ戦いにならないと思われた。
そうして水中戦について考察する晶の索敵に反応が表れる。
『お、河からのお客さんだ。
絶対初めて会うNPCだよね。』
反応は数個見受けられる、水中特化のプレイヤーが結託しているとは思えない、
NPCで間違いないと思われた。
そしてその予想は間違っていなかった。
『うげげぇー!ひっさびさに超気持ち悪いやつが来たなぁー!』
晶は現れた五体の怪物の姿に心の中で悲鳴を上げる。
これは後に祖母エミリィに教えてもらうのだが、
現れた怪物の名は【ナックラヴィー】といって、
スコットランド発祥の怪異だった。
馬のような四脚の下半身に人型の上半身をした【ケンタウロス】という神話の生物に近い様相を呈している。
だがその悍ましい姿が与える印象はケンタウロスとまるで違っていた。
まずその肉体全てに皮膚が存在しない、
筋肉が剥き出しになっているのだがその色は病的に白い。
筋肉の中に黒い血が通っていて動くたびに血管もグニグニと伸縮する。
下半身である馬の前足の付け根には魚のようなヒレがビクビクと動いており、
上半身の両腕は地に着くほど長くその大きい手の指には水かきが広がっている。
そして頭身を間違えたかのような大きな頭部には豚の鼻、獣のような口が付いており、その一つしかない眼は燃え上がるように赤くギラついている。
「や、やぁ、私の名前は【アスラ】だよ。
キミたちって、お、お話出来るかな?」
晶は精一杯フレンドリィに話しかけてみたが、
気色悪い怪物たちは口から毒々しい蒸気を噴き出すだけで言葉は紡がなかった。
そしてナックラヴィーたちは晶への包囲陣形を完了すると殺意を露わにした。
「ギョァッ!」
「「「「ギョァッ!」」」」
グループのリーダーらしき一体の号令で四体が晶の前後左右から突進する。
「ルリィッ!」
晶は瑠璃錫杖を呼び出すと四方向からの同時攻撃を全て紙一重で躱しするりと包囲を抜ける。
そして四体がまとまっている場所に向かい交差した両腕を振り放つ。
「たぁっ!!」
必殺の気勢を込めて放たれた真空の刃だが、怪物たちは四方へ弾けるように跳び上がったため空を切り裂き水面の彼方へ消え去っていった。
「うぇっ!?」
まさか躱されると思っていなかった晶はリーダー格の接近に気付くのも遅れてしまう。
「ギョァッ!」
怪物が袈裟がけに振り下ろしてきた右腕をギリギリで躱し晶は地面を転がり体勢を立て直そうと跳ね起きる。
だが二体が既に眼前に迫ってきていて馬の前足で晶を踏み潰さんとしていた。
「くぬぅっ!!」
晶は後方へ宙返りをするような動きで両足から【金剛夜叉礫】を合計十二発放ち、迫る二体の巨顔や上半身を凹ませる。
己の左右に倒れ込む二体に目もくれず晶はそのまま【多段空歩】で空中を横っ飛びする。
数瞬前まで晶がいた宙空を怪物の毒液が三方向から襲っていた。
「しゃくじょぉっ!」
晶は逃れた体勢のまま倒れた二体のうち片方へ金色錫杖を投擲する。
倒れた体勢から素早い回避は不可能だったようで、錫杖をまともに受けた一体はその身を消し飛ばす。
「やぁっ!」
素早く手許に戻した錫杖を振り回し迫る二体の腕を弾き上げ馬の胴体を叩きのめす。
だが背後からリーダー格の一体がその長い腕で晶の背中を直突きしたことにより、晶はバランスを崩して片膝をついてしまう。
好機とばかりに殺到する四体、晶の身に怪異から伸びた四本の毒手が迫る。
「ふぬっ!!」
刹那、晶は地面に向け右腕を叩きつける。
ブワァッ!!
【軍荼利颯天】が発動し、その上昇気流によって晶を窮地から上空へ舞い上がらせ逃がす。
晶の眼下にお互いの右腕を交差させたままこちらを見上げる怪物の四つの瞳が並んだ。
晶は躊躇うことなく両手を力強く叩き合わせ【迦楼羅狂焔】を発動させる。
ゴオオォォォ―――――ッ!!!!!
怪異たちの剥き出しの筋肉繊維が顕現した炎の大蛇によって舐められ焦げ朽ちていく。
晶は炎の渦が舞い上がる直前に【多段空歩】で範囲内から逃れている。
荒れ狂う炎の渦を抜けリーダー格の一体は生き残り、地上へ降り立った晶に向かい突進してきた。
晶はその気概に敬意を表し全力で介錯せんと両腕を振り放つ。
再びの【毘摩狼斬】による真空の刃は躱されることなく、リーダーのナックラヴィーを両断して電子の墓場へ葬り去った。
「一つ目のウマくんたち、強かったよ。
見た目は気持ち悪いけど戦い方は真っ向勝負だったね。」
晶は突かれた背中に痛みを覚えながらも、
今の戦いに闘争心を満足させてナックラヴィーが消え去るのを見送る。
『あの【ファルキィエル】って奴には理解されなかったけど・・・、
戦うことが【楽しい】って悪いことじゃないよね?』
心中で自問自答を繰り返しつつ、晶はこの【SR】の世界に思いを馳せていた。