片牙の意味
スタスタと歩く人狼に追いつこうと象人間が走る。
仮想現実内なのだが【SR】の世界では五感が感じられる。
象人間は汗が噴き出し顔が火照るような感覚に間断なく襲われている。
「アスラ師匠、し、ししょぉ、速過ぎぃ、速過ぎですぅ。」
「えー?シャチ君、ガネーシャになって足遅くなったんじゃないの?
その感じだと【敏捷】は進化してないでしょ。
普段から経験重ねないと進化しないよ。」
「うぇぇー」
晶は特に早歩きしている気持ちは無い。
だが本日の激闘で晶の【狗賓】は能力が底上げされている。
歩く速さすら上がっているのに晶は気付いていなかった。
晶と来里は沼地に向かっている。
今日の【SR】をプレイしてきた中で、
晶がどうしてもリベンジしたい相手がそこにいるのだ。
「あの空飛ぶ切裂き蛙はどうしても倒したいの、
シャチ君、キミも付き合いたまえ。
キミの頭脳を活かすときが来たのだ!」
と吠える晶を止められず来里もここまでやってきてしまった。
『アキ姉ちゃんは負けず嫌いだからなぁ。』
来里は小さい頃から晶のことを知っている。
子供特有の負けず嫌いとは別の、本能的な負けず嫌いな部分を晶は持っている。
来里はそういった性格は悪い面ばかりではないと思っている。
自分のような消極的な者には無い、
素晴らしい行動力を【負けず嫌い】は生み出すと思っているのだ。
「いるねぇ。」
晶が立ち止まる。
前方には泥沼がいくつか点在している。
来里にはその存在が感じられないが晶がいると言うならいるのだろう。
来里は【半牙聖象】になり嗅覚が格段に鋭くなった。
象は犬よりも嗅覚が良いと言われているのだ、
【気配探知】も進化して【気配看破】になっている。
それでも晶の方が索敵能力は遥かに高いままだ。
来里は晶に気配を探る経験はどうやって積むのか訊いてみた。
「うーん、五感全て使ってー、
それでもわかんない時は勘でやってみてー、
あとは【しゃくじょー】に頼るのもアリだよねー。」
来里にはまるで理解出来ない答えが返ってきた。
曖昧にお礼を言うと「精進したまえ」と励ましをもらった。
とりあえず自分の武器【象鞭杖】で地面をビシビシ叩いたが何もわからなかった。
二人とも空腹感は軽微なので【切裂蛙】の打倒にタイムリミットは無い。
むしろある程度の数を倒したら今日は揃ってクリアアウトしようかと思っていた。
「さて、シャチ君。
まずは何を試そうか?」
「はい師匠、まずは囮作戦で行こうと思います。」
「聖慈雨のアレか、
うむ、やってみたまえ。」
来里は身を震わせ【聖慈雨】を発生させた。
白い雲はみるみる姿を変え白い象人間に変形していく。
出来上がった雲の象人間はふわふわと沼へ近づいていく。
ヒュンッ
ヒュンッ
右の沼から左の沼へ、左の沼から右の沼へ、
見えない速度で小さな生物が雲を切り裂き二度飛んだ。
「うわー、思ってたより断然速い。
あれじゃあ師匠でも手こずるわけだ。」
「うん、戦いの中で【速さ】はすごく重要だからね。」
晶は嘘偽りなく来里に考えを伝える。
単純な足の速さだけでなく、攻撃の速さ、相手を視界に捉える速さなど、
様々な速さは戦闘時に勝利を支える重要な要素になるのだと。
「なるほどー、そうだよね。
さすが師匠、深いです。」
「うへへ、まぁね。
シャチ君も戦闘時には素早く覚悟を決めるように心掛けなさい。」
「うは、あ、はい。」
先程の大蟹戦の始まりのことを指摘され来里は鼻白む。
晶は本当に自分のことを見ているんだなぁと驚き、そして少し喜んだ。
「さて、シャチ君。
第二案はあるかね?」
「はい師匠、あります。
少し手伝ってください。」
そう言うと来里はまた雲の象人間を作り出す。
「さ、師匠、この雲に毒針を打ち込んでください。」
「ほぉ、なるほど。」
パパパッ
晶は尻尾を振り雲に毒針を打ち込む。
通常の雲と違い、このスキルで作成された雲には針を支える質感があった。
何本かは突き抜けたが雲には充分毒針が混じった。
この雲を来里はまたふわふわと沼へと飛ばす。
ヒュンッ
また切裂蛙の飛翔音が聴こえた。
しかし前回と違い二度目の音がしない。
沼の水面を見るとプカリと羽の生えた蛙が浮かび上がりやがて電子の塵となった。
「おおっ!実験は成功だシャチ君!
まずは一匹倒したぞ!」
「そうですね、でもこの場合どっちが倒したことになるんですかね?
毒針の主の師匠なのか、囮の主の僕なのか。」
「うーん、空腹感に軽減は感じられないなぁ。
シャチ君はどうだね?」
「僕も感じません師匠。」
「じゃあ毒針かなぁ?
シャチはあの蛙でも空腹感は軽減されると思うし。」
「はい、確かに。
なるほどー。」
実験の結果に二人はああだこうだと議論する。
そのうちに晶の【心眼】に多数の存在の接近が感じられた。
「シャチ君、お客さんだ。
丁寧にもてなしたまえ。」
「え、え?敵ってこと?え?」
狼狽える来里をよそに敵の群れはどんどん近付いてくる。
そして次々と水面から顔を出し陸地へとあがってきた。
「うわー、河童だぁ。」
「毒の液を吐き出すから気を付けて。
動きはそんなに早くないけど囲まれないようにね。」
「はいっ!」
そこから来里と協力して次々と【水虎】の群れを消し飛ばしていった。
前回より数が多く、四十匹以上いたように思えた。
前回と違って逃げ出さなかったのは来里の存在によるものだろう。
毒液を浴びてしまった来里は終始具合悪そうに戦っていた。
弱った来里に群がる水虎を晶が次々と殴り倒し蹴り飛ばす。
来里に誤爆しないように晶は注意して戦う。
一度危うく来里に礫が炸裂しそうになり肝を冷やした。
最後の一匹を錫杖で突き殺し、晶は来里に駆け寄る。
「シャチ、大丈夫?
毒はどんな感じ?」
「うぅ、ちょっとまずいかも。
かなり、く、くるしぃ・・・」
「ちょっとライ!
しっかりして!」
来里が苦しそうに胸を抑える、
右手で胸の中央を抑え、そして左手も重ねた、その瞬間、
「え?」
晶の目の前で来里の右の折れた象牙が光り出した。
光の粒が大きく拡がりはじめ来里を包む。
すると苦しんでいたはずの来里が次第に穏やかな表情へ変わる。
「ラ、シャチ?」
晶の問い掛けに来里は目を開け、象の顔なのに器用に笑顔を作る。
「姉ちゃん、毒が消えたっぽい。
たぶんスキルの【浄化牙】が発動したんだと思う。」
「あ、そんなのあったね確かに。
良かったぁー。
こんなことで死に戻るのはもったいないもんね。」
「そうだね、弱い相手に死ぬとデスペナが大きそうだし。
良かったよ。」
晶はそんな来里の言葉に疑問を挟む。
「弱い相手に死ぬとデスペナ大きいの?」
「え?うん、こないだタモンさんと話しててそんな結論になったよ。
姉ちゃんが死んだ相手ってエリアボスとかでしょ?
だからデスペナが少なかったんじゃないかって言ってたじゃん。」
晶もそれは言われた気がした、やはりタモンは頼りになる、と改めて感じた。
今日の夜が楽しみだ、また新たな発見があるだろう。
クフフフと笑う晶を来里は不思議そうに見つめる。
そして急に笑いを収めた晶にギョッとなる。
「あらら、どうやらあのスキル、取っちゃってたんだね。」
「え?なに?どうしたの?」
「シャチ君、逃げるよ。
あっちの方向へダッシュ!今すぐっ!」
晶に急かされ来里は走り出した。
先程やってきた道をまた逆戻りして全力で走る。
並走する晶は時折後ろを振り返りながら来里と同じ速度で走り続けた。
地面の色が変わり荒地の中ほどでやっと足を緩めた。
「姉ちゃん、ハァハァ、今って、
何に、ハァハァ、追いかけられてたの?」
「んー、遠目だったけど、
頭が九本ある大蛇だったから【ヒュドラ】ってやつじゃないかな?
めちゃくちゃ強そうだった。
私一人でいたらもっと全速力で逃げてたね。」
「へぇー、ハァハァ、強そうだね、
ハァハァ、逃げれて良かった。」
二人はスキル確認をしてみた。
晶には案の定【河童の天敵】というスキルが、
来里には【逃げ足】スキルが付いていた。
「うん、じゃあキリがいいとこだしここでクリアアウトしよっか。」
「そうだね、今日はすごく充実したよ。
大蟹に勝った時なんてお礼言っちゃったよ、NPCなのに。」
「いいことだよ、感謝する気持ちって大事だよ。」
「うん、そうだね。
じゃあご飯食べたらフォーラム行くからね。
またあとで。」
「うん、またあとで。」
そう言って二人は本日の【SR】の世界に別れを告げたのだった。




