アスラ誕生
荒れ果てた大地、空は薄暗く紫に染まっている。
枯れ木すら見当たらない灰色の砂原で二匹の獣が睨み合っている。
「おい、犬っコロ!
黙って俺に喰われやがれ!」
「イ・ヤ・で・す!
それに私は狼です!
そっちこそ牛なんだから大人しく食物連鎖されたら!」
「なんだぁ~?
女かよ、
その格好だと男か女かわかんねーな。」
「女だからなんだっての?
ゲームなんだからアンタになんか負けないからね!」
「はん!
プレイヤースキルの違い、見せてやんよ!」
『牛』と呼ばれた黒色の水牛は猛然と走り始めた。
『狼』と名乗る褐色の猛獣もジグザグに駆け寄っていく。
「喰らえ!【角突き】!」
「ひょっ!
危なっ!」
突進しながら鋭い角を振り回す一撃を躱した狼はその無防備な横腹に突撃した。
「おりゃー!
【噛み付き】!からのー【ドリルファング】!」
「ぐぁ!
ち、ちくしょぉ・・・」
狼が水牛の下腹の辺りを回転しながら噛み千切り勝負はついた。
水牛は血を流すことなく電子の塵を撒き散らしながら消滅した。
狼はその飢えを満たし、満足気に舌を鳴らす。
「いい闘いだったよ、牛さん。
ごちそうさま。」
狼のキャラを操っているのは14歳の少女、
名を須能晶という。
生年は2100年、世紀末生まれだ。
現在このフルダイブ型VRMMOにどハマリ中である。
このゲームの名は【シックスロード・リィンカーネーション】という。
時代は22世紀初頭、ヒュージコンピュータが世界を管理している。
このことは人間同士の争いが存在しないことを意味していた。
現代は産業のほぼ全てをロボットが行う世界となっている。
人間の役割は遠隔操作でロボットの作業内容に異常がないか確認し、
それをヒュージコンピュータへ報告することだけだ。
異常があればヒュージコンピュータが対処してしまう。
学校という存在も無くなり、
仮想現実での人工知能による授業が学生の日課である。
硬貨や紙幣による通貨は姿を消し全て電子通貨が成り代わった。
職業のほとんどが在宅勤務な上に勤務時間は短い、
流通もロボットにより全て管理されている。
そのため生涯のほぼ全てを自宅で過ごす人が多い。
病気や怪我をしなければ家を出る必要が無いのだ。
全ての家庭にポッド式のフルダイブマシンが人数分設置されており、
人々はそれにより電子世界に没入して仕事を行い趣味を楽しむことが出来る。
自分の興味のあることについての仮想現実フォーラムが無数にあり、
その中で友人や恋人が出来ることもある。
スポーツや観光なども仮想現実を通して行われ、
運動神経など各種機能の衰弱を防ぐことに繋がるとして推奨されている。
ポッドを作動させればナノマシンが注入され、
事故が起きないよう徹底されている
21世紀後半、世界はみるみるうちに人間に安穏をもたらしていった。
戦争はもとより、犯罪行為はヒュージコンピュータの手によりほぼ消滅した。
人々が他者と電子世界でしか接触しないのだ、
犯罪行為はヒュージコンピュータに筒抜けとなってしまう。
唯一家庭内不和による諍いだけが残ることとなった。
しかし各家庭には監視システムが組み込まれているため、
暴力行為などあればすぐさま牢獄行きとなる。
現実世界での格闘技などは怪我や事故が重なり廃れていった。
筋肉に電気刺激を与えることで実際に身体を動かすのと同等の効果をもたらすフルダイブマシンが登場したことにより、現実でのスポーツも姿を消した。
仮想現実内スポーツであれば怪我もしないし判定は公正そのものだ、
コンピュータが管理する世界で、コンピュータが判定するのだから。
百年前は問題とされていた観客同士の揉め事なども起こりようがないのだ。
争いのない世界、
それは平穏であるが刺激の少ない世界でもある。
そうなると人間たちは闘争本能の発散のためゲームに没頭することになった。
時間が余っているのだからやり込めるゲームが人気になる。
そして百数十年ものゲーム文化を経て登場したのがフルダイブ型VRMMOだ。
これまではゲームは人間によって作られてきた。
開発者が人間でなければ細かい嗜好の機微が分からないからだ。
否、これまでは分からなかった。
そう、
この【シックスロード・リィンカーネーション】は
【ヒュージコンピュータが】開発したゲームなのだ。
このゲームは世界中に無料で配布されていった。
それまでのVRMMOは視覚と聴覚のみのゲームばかりだった。
たまに触覚や嗅覚を刺激するゲームもあったが、
違和感を感じさせるものがほとんどだ。
だが、この【SR】は違う。
五感がフルに刺激され、飲み込む唾の味すら感じられる。
路傍の石を思いきり蹴り飛ばすと関節にまで痛みがはしる。
痛覚はだいぶ制限されているようだが、それでも『痛い』と感じられる。
晶は敵に首を噛まれ死んだことがあるが、
噛まれた首には結構な痛みがあった。
『いやしかし、だいぶ強くなったなー』
晶はこの【SR】を初めにプレイしたときを思い返す。
それは今から半日ほど前のこと。
配布日すぐにポッドに入り、電子世界に没入した。
いつもの健康診断が行われ、オールグリーンの判定後、ホームに移り変わった。
須能晶個人のホームで彼女はお気に入りの服を着た自身の姿を客観視してみる。
電子世界なので鏡を使用する必要はなく、
ディスタンスモードに切り替えれば自分の姿を離れた位置から確認できる。
黒髪セミロングで活発そうな女子が目の前にいた。
『ふぅむ、
ショートカットにしても良さそうだね。
今度ママに相談してみよう』
そんなことを考えながらモードを通常に戻し、
ヒュージコンピュータから送られてきた【SR】の情報を確認する。
『ほー、
舞台は魔界、
マカイってどんなんだろなー?
悪魔がいっぱいいるのかな?
んで、
【生き返ることは出来ません】!?
えー!なにそれ?
死んだら終わり?
どういうこと?』
晶はゲーム情報を読みながら一人唸る。
『んー?
死亡したら最初からやり直しとなりますが、
ほぉ、【が】、
生き延びた内容によってプレイできるキャラクターが変化します。
おー、なるほど。
【ちょっと強くなってニューゲーム】できるのか』
ゲームオーバーで有無を言わせず最初から、とならずホッと胸を撫で下ろす。
そういったプレイヤースキルの向上が肝のゲームは晶の好みではなかった。
『ふんむー、
このゲームにはレベルや能力値は表示されません、かー。
自分の感覚で感じろってことなのかな?
ん?
ただし、スキルは存在します、ってなんじゃそりゃー』
晶はむしろレベルを上げて物理で殴る方が分かり易くて好きな方だった。
細かく考えるのはあまり得意な方ではないという自覚を持っている。
『えーと、
ゲーム内では空腹感に悩まされることになります。
えー?
ゲームの中でお腹すくのやだなー。
んー、
誰かを倒すことで空腹感は治まり、少しだけ強くなります。
ほっほー、
【魔界】って感じだねー、うんうん』
晶は何故か嬉しそうに頷きながら情報の最後の部分に目を通す。
『これはただただ生き残ることが目的のゲーム。
生き残っていけば強くなります。
業の果ての果てを経たならば
ほかの誰にも到達できない魔界の王の座は与えられるでしょう。
最強の座に君臨したものには
現実世界を劇的に変化させるような景品を提供致します。
全人類よ
生き残りの遊戯に挑みなさい。
ぬっえぇぇ~!! なにこれぇーー!?』
晶は脳内で驚愕の雄叫びを上げた。
おそらくヒュージコンピュータが示したであろう最後の部分に驚いたのだ。
『世界を変える景品・・・って何だろ?
でも【魔界の王】かぁー、
カッコいい響きじゃないのー、ふふ』
晶は14歳、昔でいう厨二病真っ只中の年齢である。
心魅かれるワードは今も昔も変わらない。
『よっし!
始めますか!』
晶は気合を込めてホームに設置されたパネルで【SR】をセットし扉を開けた。
そこはほかのVRゲーム同様、果てしなく白が続く世界だった。
少し待つとパネルが近付いてくる。
晶のすぐそばまでくるとパネルは光輝きだす。
そこには【SRスタート】と表示されていた。
『ほぉほぉ、略してんのね。
長いもんね、シックスロード・リィンカーネーションって。』
妙な納得顔をしながら晶はパネルに触れる。
次は名前を入力する画面になった。
『名前かー、
姿を偽るのは犯罪行為だけど、
ハンドルネームは禁止されてないんだよねー』
晶はハンドルネームというものの名前の由来は知らないが、
現行の法律で定められた犯罪行為に関しては厳しい教育により熟知していた。
そうでなければ仮想現実内での違反行為により若年でも逮捕されてしまう。
子供がしたことだから、と温情をかけてくれる警察官は存在しない、
犯罪行為を取り締まるのはヒュージコンピュータなのだ、温情自体存在しない。
『んっんー、
スノー、ユッキー、アキポン、スノラー、
んー、いまいちピンとこないなー』
しばらく悩んだ様子の晶だが、天啓が舞い降りたのか両手を鳴らす。
『よし!
【アスラ】に決めた!』
パネルに名前を入力した晶はひと仕事終えたように額をぬぐう仕草を見せる。
仮想現実内なので全く無意味な動作だ。
『さーて、
次は何かなー?』
次にパネルに表示されたのは動物の名前だった。
『えー?
魔界なのに動物?
ドラゴンとかケルベロスとか無いのかな?』
パネルを操作してみるが、強そうな名前は見つからない。
表示されているのは
【鼠】【子猫】【兎】【蜥蜴】【蛇】【小鳥】
この六種だけだった。
晶は、この中にドラゴンが入ってたら逆におかしいな、と思い直し、
まずはウサギを選択した。
スキルは【頭突き】だけが表示されている。
それで戦えるかは不安を感じたが晶は可愛さ優先で選んだのだ。
女性の声でアナウンスが聞こえてくる。
「それではゲームスタートです。
生き残るため、戦うのです。」
光の洪水に飲み込まれた晶は、目を開けると草原にいた。
そして、やけに目線が低いことに晶は気付いた。
『ウサギになってるんだ』そう思い至り、周囲の観察を始めた。
草原、とは言っても草はほとんどない。
土が露出した荒地の様相を呈している。
荒地は遠く続いていて、かなり遠方にはぼんやり山が連なっている。
山と逆の方向はやはり荒地が続いているが山は見えない。
ここで晶は気付いたことがあった。
『地面に当たる手足の感覚がすごくリアル!
それになんか匂いがする!
首を回さなくても周りが見える!』
晶は兎が人間より聴覚嗅覚味覚が何倍も鋭いのを思い出していた。
そのかわりに兎の視力があまり良くないことも思い出す。
しかし、何より五感全てを感じることが出来るこのゲームに感動していた。
『すごいすごいすごい!
何これ何これ何これー!』
思いのままに土の上を走り、飛び跳ね、草を噛んだ。
「ボゥエ、まっず!」
思わず声に出すほど草は苦かった。
これを食べて空腹を抑えることは難しいことが晶にはよくわかった。
動き回るうちにその空腹感が晶を襲い始めた。
『あ、これが空腹感かー』
これは確かに辛い、と晶は感じた。
体調管理をコンピュータがしてくれるので食べ過ぎや拒食は現在存在しない。
しかしVRスポーツで疲れた時などは空腹を感じる。
そしていま感じる空腹感はその何倍にも思えた。
『すごいなー、
さすがはHCだね、
再現度ハンパないってー。
ん!?』
ここで晶はその鋭い聴覚と嗅覚で自分以外の生物の存在を感知した。
『いる!
どこ!?』
晶はじっと身構え、音のする方向に神経を集中させる。
それはすぐに晶の弱い視力でも姿を知覚できる距離に現われた。
『でっか!
キッモ!』
それは芋虫だった。
しかし晶が図鑑などで知るそれとは大きさが全然違った。
おそらく兎である晶とほぼ同じ程度の体長だろう。
そんな昆虫がのたりのたりと近付いてくる。
『うっわー、
アレって倒さなきゃダメだよねぇ?
嫌だなー』
そんな思いで見詰めていると芋虫は急に動きを変えた。
ググッと身を縮ませたかと思ったらそのままこちらに飛び跳ねてきたのだ。
「ぎゃー!
キッモー!!」
思わず声を出しながら晶は間一髪で芋虫の攻撃を横っ飛びで躱した。
先程芋虫を視認出来たぐらいに距離を離し晶は相手を観察する。
芋虫はどうやらプレイヤーではないらしく、こちらの声に応答はない。
口と思われる部分から覗く牙がカチカチと不気味に音を鳴らしている。
『こんのー!
意外と素早いんだなー?
倒すしかないか』
晶が決戦の覚悟を決め、芋虫と相対する。
芋虫がまたのたりのたりと近付いてくる。
あのジャンプの射程に入るまでこの動きなのだろう。
晶の武器は【頭突き】のみ。
どうやったら勝利できるか晶は脳をフル回転させる。
『これっきゃないか』
晶が考えをまとめた瞬間、芋虫がこちらに飛び跳ねてきた。
『いっけー!』
晶はそれを真っ向から頭突きで迎撃した。
芋虫と晶が空中で正面衝突する。
その衝撃に晶は眩暈を起こすのを感じたが、そのまま着地する。
慌てて芋虫の方を見やると
頭部から電子の靄を漂わせながら消えていくのが見えた。
『おぉ~、
勝てた、ってことかな?』
このゲームでの初めての勝利に晶は安堵しへたり込む。
『虫の変な中身とかが飛び出ないで良かった。
HCもそのへんは配慮したのかな?』
晶が変なところに感心していると自分の身体に力が湧き出すのが感じられた。
おや、と晶は自分のスキルを脳内確認してみる。
VRゲームでは脳内でシステムを呼び出し状況確認できるのが一般的だからだ。
どうやらこの【SR】も例外ではないらしく、スキル確認が出来た。
晶の視界に半透明のパネルが出現し、【頭突き】【跳躍】と表示された。
『おおっ!
スキル増えてる!
ん?
でもなんか薄い?』
パネルに表示された【頭突き】はハッキリ見えているが、
【跳躍】の方は少し表示が霞んでいる。
『まだスキルがしっかり獲得出来てないってことかな?』
とりあえず晶はまた周囲を走り回り飛び跳ねてみた。
少しだけジャンプ力が上がった気がしないでもない。
『なるほど。
生き残れば強くなる、
そういうことか!』
晶はこの【SR】のゲームシステムを少し理解出来た気がした。
そして気の向くまま山の方角に進み始めた。