二人の間柄
(あー、たしかに見落としてたなあ、これは)
出来上がった人相絵の前に座りながら、ルリは内心ため息をついた。
辻斬りとして描き出されたのはウラベと瓜二つだった。
旅の同行人にして、金儲けの片棒、用心深く頭のねじが外れた『人斬り』
それがウラベである。
(予茶屋の店主に見てもらわなきゃいけないけど、嫌な予感しかしない)
そして、そういう予感ほど、だいたいの場合は当たる。
ルリは店主に描き上げた人相絵を差し出す。
「このような人相に仕上がりました。いかがでしょう?」
「すごい、瓜二つですね。まるで、見てきたようにそっくりです。これならすぐに尋ね人にしてもらえますね!」
「そ、そうですか……よかった」
そりゃあ、毎日見ている顔を描けと言われたら、いくらでも似せられる。
気まずさをごまかして、ルリは着物の袖で口元を隠す。
これで『予茶屋』の看板娘を殺したのはウラベと決まった。
しかし、ルリはどうにも納得がいかない。
(あいつに女を殺す趣味はなかったはずだが)
ウラベはたしかに人斬りだ。高額首は、けっこう問答無用で斬り捨てる。
とはいえ、安い首には寛容なことも多い。事情を聞いてやることすらある。
女子供はもとより、罪人でもない人間を殺すような奴じゃない。
(だいたい、そんな男だったら、さすがに組まない)
どうも腑に落ちない点が多い。ルリは眉間が寄るのを、なんとかこらえた。
(男を二人か三人殺したのがウラベとしたら、まだわかる)
男たちがお尋ね者や賞金首であれば、なおさらだ。
一万歩譲って看板娘ではない方の女、あの、ばらばらにされた女が罪人なら。
(これもまだ……ありえるか)
しかし店主の証言だけは、どうにも納得がいかない。
『予茶屋』の看板娘は堅気の人間で罪人ではない。接点もないはずだった。
(無関係の女を殺しているウラベ……は想像しにくい)
ルリは心の中でうーむと首をひねる。
そもそも、自分の目で見ている被害者は『男二人と女二人』なのだ。
こうして考えてみれば、店主の証言自体もあてになるのかとすら思える。
(なんだか、変な方向に進んでいる気がするな)
どうにも気持ち悪い。ルリは頭をかきむしろうとして、やめた。
いまはただ、せいぜい『顔隠し』を警戒するくらいしかない。
(その意味も薄れたけど。人相絵を描いた以上、引くに引けないか)
店主の証言、消えた疑惑のウラベ、目的もわからない『顔隠し』。
何一つとして、はっきりしていない。いや、一つだけはっきりしている。
(『人相屋』として、無実の人間を殺した辻斬りの正体を描き出す)
依頼人が納得しても、ルリの中に疑いがあるのなら、追及するべきだ。
なぜなら……
(記憶は嘘を吐く。それに、目撃者……話し手が間違うことも、多い)
せめて儲け話にはなってくれよ、とざわざわする心を落ち着けようとする。
ウラベ本人を問い質すことができれば、まだ何かが変わろう。
しかし、そのウラベも今はいない。どこにいるかわからない。
(まあ、あの用心馬鹿がいたとしても、この面子では難しいか。店主には合わせられないし、『顔隠し』もいる……)
それで、その『顔隠し』はと言えば――
「ほお、どんな面構えか見せてもらえねえか」
予茶屋の店主から人相絵を受け取って、上から下まで確かめている。
「おいおいおい。どういうことだ、こいつぁ……」
『顔隠し』がひきつった声をあげた。人相絵を持つ手も震えている。
ルリと予茶屋は何があったのかと『顔隠し』を見る。
「こいつは、ウラベじゃねえか! あの……『長坂墓』で千人は斬ったっていう……。お、おい、店主……本当にこいつが、こんなけちな辻斬りだったのか?」
言い終るか言い終わらないか。
『顔隠し』が刀を抜き振う。きいん、と硬そうな音がした。
ずさっと、床に何かが刺さる。矢だった。
(なんだ?)
「おい、お前ら、隠れろ!!」
『顔隠し』が叫ぶ。
ルリと店主が呆気にとられたところに、続けざま風切り音がする。
きいん、きいんと『顔隠し』が矢を払っていた。
「くそ、天井か!」
「ひえっ」
店主が布団へあたふたと倒れ込む。
ルリも『顔隠し』にひっつかまれて、ウラベが眠るはずの布団へ投げ込まれた。
ぼふんと布団に突っ伏した。
(あいてっ)
妙にごつごつした感触に額をさするとルリは布団をめくる。
中には、丸太が身代わりに置かれている。ご丁寧に落書きめいた顔付き。
(身代わり……ね)
となれば、この天井にいるのは。
(ウラベか)
そう思った瞬間に、黒い影が天井から降って来た。
右手に小刀を、左手に弩を持った浪人。
ざんばら頭につぶらな瞳、そして、頬には刀傷。案の定だった。
「深編笠のおまえ、何者だ? 昔話を知っているとは……どこの追手だ?」
「あ、あぁっ! こいつ、こいつです! こいつがうちの看板を殺したんです!」
予茶屋の店主が指をさして叫ぶ。
「名乗るほどの者じゃねえよ。だがな、辻斬りなんてする奴とは思わなかったぞ、ウラベぇ!」
『顔隠し』が気勢を上げ、刀で斬りかかる。
ウラベはそれを小刀でいなす。きいん、きいんと、何度も音がする。
畳にいくつもの太刀筋が刻まれていく。
ふすまや布団はぼろぼろと中身を飛ばしている。
どったんばったんと、いったいどれだけ打ち合いがあったろうか。
二人は得物を振り合って急接近し、また距離をとる。
「くそっ。ウラベが相手じゃあ、さすがに厳しいな」
荒い息の『顔隠し』と対照的に、ウラベは悠然としている。
『顔隠し』は深編笠で視界が狭まっていたのだろう。
邪魔だと言わんばかりに、矢がかすって破れた笠を脱ぎ捨てる。
あらわになる『顔隠し』の素顔。
口調と声のわりには若々しい見た目。二十そこそこだろうか。
すっとした細面。整った目鼻。唇は歪んでいるというのに、妙に美しい。
そして、特徴的なのは頭部だった。
きらきらと光り輝く側頭部と頭頂部、そして、円形に短く生えた黒い髪。
(まるで、異国の絵巻物で見た『えんげるの輪』みたいだな)
ずっと『顔隠し』が深編笠をしていた理由。まさか、これだったのだろうか。
(『顔隠し』あらため、『えんげる』いや、『若天狗』とでも呼ぶべき?)
ルリは場違いにそんなことを思った。
あわてて首を振る。彼にも名誉がある。それに、そんな場合ではない。
どうするべきか考えをめぐらせる。
(このままウラベと『顔隠し』が打ち合うのは……だめだ。宿の修理費が怖い。えんげるの『顔隠し』に協力する……のもさすがに気が引ける。しかし、ウラベを助けたら……最悪、私もお尋ね者か……)
であれば、他に手はない。念には念を入れておいた策が役に立った。
(頼むよ。おやっさん)
即座にルリは指笛を吹き鳴らす。まずは、この場を制圧する。
『ぴゅいー』と音が響き渡る。
指笛の音を合図に、たくさんの男衆が、さすまたを持って雪崩れ込む。
全員「刀に用心しろ」と聞かされているからだ。
もちろん、ルリとてここまでの事態を想像していたわけじゃなかった。
しかし、結果的に予想と似たようなもんなので、ちょうどいいだろう。
「な、なんだ? ルリ……どういうことだ、この連中は?」
「嬢ちゃん、こんな奴ら……いつ呼んでたんだ?」
『顔隠し』は呆気にとられている。
ウラベとて、多勢に無勢だろう。男衆に囲まれ、壁際に追い込まれている。
「ふふふふふふふふ」
ルリは口角を上げて、目を爛々と光らせる。
傍らの男からさすまたを受け取ると、大きく息を吸った。
「ウラベさんも浪人さまも、悪く思わないでくださいね!」
「がしゃん」とウラベは取り押さえられた。
『顔隠し』も得物を奪われ両手を上げている。
ルリは、遅れて顔を出したおやっさんと、片手を振り上げて掌を合わせた。
『かたなにようじん ひとよべ』
宿に入ったときから、ルリはおやっさんにこう伝えていた。
おやっさんへ話すときの一言目、それを繋げれば真意がわかる、符丁。
「おやっさんならわかると信じてました」
「あんな神妙な様子で宿に入ってきたことなんて、ルリちゃんないからな」
言わなくてもわかる。そういう間柄である。