とある勇者+S氏の里帰り冒険 (5)
「はあ~、いい天気だなぁ」
一夜明け、快晴の空の下。清々しい空気を吸い込み、しみじみ平和を噛みしめるアスファの目は、どこか遠い。
「平和ですねえ」
アスファと同じ目で天を仰ぐのは、神官アロイスである。見つめるのは峻厳な山々の頂か、はたまた遥か彼方の天の向こうか。
「……大丈夫か? あんたら」
困惑気味の青年は、ロッシュ。この村の村長の孫である。
「はは、大丈夫だよロッシュ君。何せ平和は貴重だからね、味わえる時にしっかり味わっておかなきゃ損だよ!」
「そうそう、なんにもねえって素晴らしいよな! あー、つまんねえ退屈な日々、ってぶつくさ文句垂れていられる間は幸せなんだぜ! おまえも大事にしろよな」
「はあ……?」
ほんとに大丈夫なんだろうかこいつら。ロッシュは再び首を傾げるのだった。
ロッシュはかつて、アスファとともに悪ガキ争いをしていた。
小さな村の中の、村長の孫である。村長は一番偉いから、自分も偉い。その思い込みを訂正するどころか、肯定する者しか周りにいなかったせいで、自然に鼻持ちならない、わがままで乱暴な子供が出来上がった。
自分が一番注目されていなければ気に入らない。そんな少年にとって、同年代の中で最も腕っぷしの強いアスファは目の上のたんこぶだった。狭い田舎の村の子供時代、男の価値観を占めるのは単純な力と体力、喧嘩の強さだ。ロッシュがどんなに威張り散らそうと、どうしても周りの子供達は強いアスファに注目した。
幸い、アスファにはみんなから煙たがられる要素があった。討伐者の息子だったのだ。討伐者はやくざ者、流れ者がなるものと、大人達がみんなヒソヒソ噂している。年に数回しか戻らないその男が、余所で何をやっているかわかったもんじゃないと、ロッシュの親も口さがなく言っていた。
大人がそう言っているんだから、こいつの親父はろくでもない奴なんだ。次第にアスファと喧嘩をする時は、アスファ本人のことではなく、その父親の悪口をぶつけることが多くなった。
アスファの父が亡くなった時もそうだ。そんな危ない仕事してるからだ、馬鹿な奴だってみんな言ってる、などとさんざんに貶し――気付いた時には顔面血まみれで地面に倒れていた。それまで何度も喧嘩をしたことはあったけれど、あんなにも酷くやられたことはなかった。
しばらく寝台から起き上がれず、両親と祖父が家にレイシャを呼びつけ、「きさまの息子が大切なうちの子をよくもこんな目に!!」と罵倒しているのが聞こえてきてしまい――何故だか、キレたアスファに殴りかかられた記憶より、その怒声のほうが怖かったと印象に残っている。
顔を合わせにくくなっている内に、いつの間にかアスファはいなくなっていた。
(それが、勇者様になって戻ってくるとはなあ……)
実のところ、ロッシュの性格はあの頃から大きく変化してはいない。
世の中には言っていいことと悪いことがあるのだと、さすがに理解できる年齢になったが、幼い頃から「村長の家の子だからあいつには逆らっちゃいけない」という空気の中で育ってきたのだ。染みついた性格はいきなり変えようがない。
だから秋にアスファが仲間とともに戻ってきた日も、のっけから喧嘩腰だった。
『はっ、てめえが勇者だぁ? 冗談よせよ。てめえみたいな普通のガキがそんなん名乗ったって、恥かくだけだぜ?』
正直を言うと、あの頃の悪ガキではないアスファの外見や佇まいに、ロッシュは怯みそうになっていた。
そんな己を認めたくなくて、「気のせいだ!」と叱咤し、こんな台詞をぶつけたわけだが……。
『そうなんだよおっ!! 俺はふっつーの、どこにでもいる、しょうもねえガキなんだよ!! わかってくれるか!!』
『うおっ!?』
『俺に勇者とかムリだよな!? 何の冗談だって思うよな!? いや良かった、安心したわ、おまえらに態度改められたらマジへこむとこだったぜ!! 前に寄った町の神官がさあ、俺に跪いて「勇者様!」とか言ってきたんだよマジ怖かった!! どこまで広まってんだよ!! あれはマジで無えわ!!』
『お、おぉ?』
『てかおまえ、ひょっとしてロッシュじゃねえ!? でかくなったなぁ、俺よか背ぇ高くなってんじゃん!! いいなー、俺もだいぶ伸びたけど、あともうちょい欲しいんだよ。顔には痕残ってねえみてーだけど、腕とか足は大丈夫か? ごめんな、あん時の俺、マジでぶち切れてて加減なしにやっちまったから。いや、懐かしいぜ。悪かったな』
『……おぉ』
勢いで圧され、反射的に声が出ただけだったが、なんとなく謝罪を受け入れる流れになっていたと後で気付いた。
続いて「あー、俺もな……?」みたいな反応を無意識に返したせいで、悪かったのはお互い様だ気にすんなよ、という空気になっていたのにも後で気付いた。
『寛容になったなあ。俺もけっこー変わったと思うんだけど、おまえもでかくなったんだなあ。器とかそーゆーのがさ』
『……はっ、器だぁ? かゆい台詞くっちゃべってんじゃねーよ、似合わねえ』
『はははっ、まったくだぜ!』
何を言っても朗らかな笑顔しか返ってこない。
――こいつはこんな奴だったろうか?
『アスファの幼馴染みなんですのね。わたくしエルダと申します。よろしくお願いいたしますわ』
『私はリュシー。少しの間ですが、ご厄介になります』
『僕はシモン。よろしくね!』
『お、おう。まあ、ゆっくりしてけよ。…………』
事情を知らないアスファの仲間からも好意100パーセントの笑顔を向けられ、もう訂正できる隙がなかった。
……まあ、その後、犬猿の仲だったはずのアスファ相手に酒を酌み交わし、気付けば互いに日頃の愚痴をぶつけまくったりして、ツンケンいがみ合うよりもこいつ仲良くしたほうが楽しいなと気付いてしまったりしたわけだが。
なんでこうなったのか、未だによくわからないロッシュだった。
(こいつが、マジで勇者様だってんだからなぁ)
酒の入ったアスファの語る、村を出てからのあれこれは、たまに訪れる吟遊詩人からでさえ聞けない、本物の英雄譚だった。
本人が本気で「思い出すたび羞恥に悶えたくなる俺の恥ずかしい過去話」にヘコみまくっているからこそ、胸躍るその冒険譚に嘘偽りがないとわかってしまう。
酒の入ったロッシュは、「おまえ苦労したんだなあ」とアスファの肩をぽんぽん叩いてしまい、以来、ほぼ親友扱いをされている。
どうしてこうなったのか、やはりよくわからない。
「ところで、村長と親父さん、俺とアロイスさんに何の用だって?」
「あー……それが、知らねえんだよ。今朝いきなり親父と祖父さんに、おまえ連れてこいって言われてな」
言いながら顔をしかめていた。何だか嫌な予感がしたからだ。
彼の父と祖父が、急に誰かを呼びつけるのは今に始まったことではない。用件は呼んでから伝える、それがいつものことだったから、さして疑問には思わなかった。
しかし。
(親父も祖父さんも、こいつが大ボラ吹いてると思ってる。んなわけがねえのに)
村人達を見返してやりたくて、そんなホラを吹いているに違いない。
だが、そんな一個人の小さな復讐心のために、神官が巻き込まれてやる謂れはないと、少し考えればわかりそうなのに。
ロッシュは確かに、次期村長の子供として、今までかなりの我が儘勝手を通してきた。
けれど、アスファがとうにこの村の外――自分達よりも広い世界で生きている存在だと、まるで理解できないほど頭が固くはないのだった。
◇
「なんスかね? これは……」
アスファの顔から表情が抜け落ちた。
ロッシュは己の予感が当たったのを悟り、先ほど以上に顔をしかめている。
居間には村長とその息子、村の顔役の男が揃っていた。
それから、数名の若い娘。頬を赤らめ、期待に満ちた瞳がそわそわとアスファを見つめている。
「くだらん英雄ごっこなぞやめて、身を固めろ。どうせろくに仕事なんぞしとらんのだろう」
つまり、見合いだ。
アスファは頭痛がしそうになった。
「あのさあ。俺、辺境伯の領地で働いてるの。もうあっちに生活基盤があるんだってば。何度説明すりゃわかってくれんだよ?」
「ふん。辺境なんぞ、どうせここより寂れた田舎だろう」
「は」
「気に入った娘を選ぶといい。どれもおまえには勿体ない器量よしだ。この機会にフラフラした態度を改めるなら、この村の一員として認めてやる」
辺境が田舎。あのデマルシェリエ領が。
そうか、知らないってこういうことなのか……。
ぱかりと口を開けて二の句が継げないアスファの代わりに、アロイスが後を引き継ぐ。
「どれでもいいから選べ? まるで人身売買組織ですねえ。それに『認めてやる』って、どこのお貴族様のつもりなんでしょうか」
「――なんだと!?」
「若造が……口のきき方に気をつけろ」
「どうせあんたも大した神官じゃないんだろう。あんたは黙って、婚姻の許可だけすればいいんだ」
「……ほう」
アロイスは冷笑を浮かべた。
この村の価値観は年功序列。年を経た健康な男が上の立場とされる。
以前の神官は老人であり、アロイスは若い。彼らはたかが若造のアロイスが、以前の老神官には生涯かけても達することのできなかった高みにいるのだと、まったく理解が及んでいなかった。
どころか、自分達よりも年下だからと、あからさまに見下している。
「ははは、世の中は広いものですねえ。私、ここまでコケにされたのは初めてかもしれません」
「おい親父、じいさん! いくらなんでもこりゃねえだろ!? ふざけんのも大概にしろよ!」
「ふざけとらんわ、何を言うとる」
「おまえもちょうど良い機会だ、どうせまだ相手もおらんのだろ。ついでに選んでいけ」
「なんだと……?」
ロッシュの腹の底から怒りが沸き上がった。
憤怒の形相のまま、集められた娘の中に視線を向ける。
「……フアナ。なんでおまえまでここにいんだよ?」
「…………っっ」
一人だけ俯いていた娘が、びくりと肩を揺らした。
「なんだ? おまえはフアナと良い仲だったのか?」
「なら、丁度いい。フアナと婚約を――」
「ロッシュ、俺帰るわ。おまえも来いよ」
アスファが遮り、ロッシュの肩をぐいと掴んだ。
「この連中の言い草、いつまでも聞いてたら耳が腐るぜ」
「……そうだな。悪い、おまえんち邪魔するわ」
「おう、そうしろ」
「おい!? 何を勝手に――」
「あのなあ村長、おっさん達、何度目かもうわかんねえけど、俺はリュシー以外の女にそーゆー興味はねえの。この村の誰も選ばねえ。討伐者は立派な仕事だ。この村には一時的に里帰りしてるだけであって、あんたらが人手足りねえってしがみつくから滞在期間伸ばしたんだよ春には出てく。以上。じゃあな」
「アスファ!!」
「この悪ガキが!! せっかくの好意を無下にする気か!?」
「それとなあ――」
ぐぁ、とアスファの身体から〝何か〟が立ちのぼった。
村人達はひっ、と息をのみ、ロッシュは目を見開いた。
アロイスは「おお」と感嘆の溜め息を漏らしている。
「人をモノ扱いすんじゃねえよ!! いつの間にここは女衒の村になったんだ!? もしまた村の女を売りつけようとしたら、てめえら全員首に縄つけて王都へ連行してやるからな!! ――こんなクソくだらねえ用で二度と呼ぶなよ」
ふんと鼻をならし、腰を抜かした村人や、怯えてすすり泣き始めた娘達を一瞥もせず、アスファはロッシュの腕を引いて家から出た。
家人が全員しゃがみこんでおり、誰にも引き止められることなく家を離れてからも、ロッシュは信じられない思いで呆然と幼馴染みを見ていた。
幼馴染み……かなり険悪だったはずなのに、いつの間にそんな言葉が自然に浮かぶようになったのか。
そんな幼馴染みが、いきなり知らない他人と化した。
(あ。……俺、なんで歩けてるんだろう?)
視線はアスファの腰の剣帯に向かい、次に剣へ吸い寄せられた。
本物の剣。秋からずっと目にしているはずなのに、それの存在感がいきなり増したような気がする。
そう、本物の剣だ。昔、アスファの父親が持っていたそれとは違う。アスファのためにある、彼が戦うための武器だ。
どうして今まで、たいして気にせずにいられたのだろう。農具でも修理道具でもない、実際に命をかけてきた武器がそこにあるのに。
ロッシュの中に残っていた現実味のなさが、先ほどの一瞬で吹き飛ばされてしまった。
この男は本当に――……
「っっああぁああ~、やっちまったあぁあ……」
「は?」
アスファがいきなり頭を抱え、ロッシュは間抜けな声を漏らした。
「やっちまったよぅ……俺って馬鹿……」
「…………何言ってんだおまえ?」
「そうですよアスファ君、あれは激怒するべきところでしょ。きみの反応は至極まっとうでしたよ」
「いや、だってさあ? あんなタンカ切っちまったら、今後母さんが暮らしにくくなるんじゃね?」
「なるほど、そっちですか。まあいざとなったら僕が保護しますから大丈夫ですよ。良い移住先の心当たりもありますし、なんならきみがドーミアに呼んで差し上げたらいいのでは?」
「あ、そっか。そーだな、最悪その手もあるか」
さらりと〝移住〟の言葉が出てきて、ロッシュは動揺した。
彼は一度たりと真面目に考えたことがなかった。ロッシュに限らず、ほかの村人達もそうだろう。こういう点でも、村の中しか知らない者と、外を知る者の違いが浮き彫りになる。
「それより、さっきは格好良かったですよ! なんだかセナ様を彷彿とさせる怒気でしたねえ!」
「ええぇえッ!? ちょ、え、まじで!? 嘘だろ!?」
「いいえ~、ほんとソックリでしたよ~ふふふふ」
「そんな!? あ、アロイスさん、マジでやめて……そっちのがショックだ……!!」
「セナ様って……セナ=トーヤだっけか? 確か、おまえのお師匠さんっていう」
「ううう……そーだよ……」
「なんか、いきなり来てから全然顔出さねえけど、ほんとにアレ師匠かよ? ちらっと見た限りじゃ、歳も俺らとそんなに変わらねえだろ?」
ロッシュは素朴な疑問を口にしただけだったが、アスファだけでなくアロイスの顔からも表情がスンと抜け落ちてぎょっとした。
「な、なななんだよ?」
「あのなロッシュ……アレ、見た目通りの年齢じゃねえから。中身、下手すりゃ俺の母さんよか上だから」
「え、そうなん!?」
「くれぐれも本人には訊くなよ。女に歳を突っ込む奴はそこで人生終了らしいからな。嘘かほんとか俺は試したくねえ」
「ははははは、さっきのアスファ君みたいな怒気、セナ様がやったらあの程度じゃ済みませんからねぇ。前途有望な若者は絶対に試しちゃいけませんよ?」
「お、お、おう、わ、わかったぜ……」
二人の目は真剣だった。
あれが〝あの程度〟なのか……ロッシュはゴキュリと喉を鳴らし、こくこくと頷いた。
「それはさておき。アスファ君、気付いてます?」
「うん、追って来てるな」
「?」
「お嬢さん、どうしました?」
アロイスが背後に声をかけた。
視線を追い、ロッシュは息をのむ。
「フアナ……」
「…………」
「なんだよ。なんでおまえ――」
「待て待てロッシュ。フアナも俺んち泊まってけよ。これ決定な!」
「えっ?」
「おいっ?」
「ロッシュ君。あの方々、お嬢さんの話をまともに聞くと思うかい?」
「あ……」
ロッシュは目を瞠った。
少女はまたすぐに俯き、肩がかすかに震えている。
言われてみればそうだった。あの場に姿を見つけ、頭に血が上ってしまったけれど、気弱なフアナがあの連中に盾突けたとは思えない――……。
「そういうこった。んじゃ、みんなで帰るか。一応注意しとくけど、俺んちは俺んちで今ちょいアレな事情があるから、三人とも心を強く持っといてくれな!」
「は?」
「……?」
「じゃあアスファ君、それでは僕はこれで失れ」
「遠慮すんなアロイスさん。部屋は多分まだあるからよ。夕飯もごちそうすんぜ。というか俺を一人にしないでくれお願い!」
「いやきみはもう大丈夫だ頼れる仲間達や幼馴染み君もいるんだしもう立派になったんだからきっと」
「四の五の言ってねーで来い」
「……きみ、やっぱりセナ様に似てきたよ。その目とか特に……」
とほほと項垂れる神官を引きずってゆくアスファに、ロッシュとフアナは先刻までの気まずさをすっかり忘れ、何がなんだかわからぬままに後をついていった。
……無駄な抵抗を繰り返そうとするアロイスの反応の意味を、二人はアスファの家の玄関先で知ることになる。
「やあ、お帰りなさい♪」
「――……ノクトさん。お久しぶりっす。絶対あんたも来ると思ってました。ところでうちの母さん、胸押さえて倒れたりしてませんよね? 母さんの心臓がすっげ心配なんですが」
「わたし達が全員揃っているのに、きみの母君の心臓や胃がどうにかなるわけないでしょう?」
「胃!? 母さんの胃が!? やっぱ全員揃って!? うあああごめん母さん~!!」
「……アスファ君。きみの幼馴染み君達の心臓も気遣ってあげようね?」
「あ」
アロイスにちょいちょいと背をつつかれ、アスファはハッと思い出した。
ロッシュとフアナが、石像と化していた。




