とある勇者+S氏の里帰り冒険 (2)
「わざわざ自分から袋小路へ逃げ込むこともあるまいに……」
四方を山に囲まれ、深い雪の下に隠れた小さな村を眼下に、シェルローヴェンは呆れまじりの溜め息をついた。
弟達は苦笑し、相槌を打つ。まったく同感だった。
「逃亡を図るまでは想定内でしたけどね」
「あえて逃げ場のない場所に駆け込んだのは何故だろうな?」
勢いで旅立ってから、さてどこへ行こう、とりあえず知り合いのいる場所にしようかな? となったのかもしれないが、瀬名にしては珍しく選択を誤ったのではないだろうか。
彼女は勘で突っ走っているように見える時も、大抵は計算が働いている。全体を見渡し、そこから瞬時に最適解を選択する速さが、時に闇雲な行動に見えてしまうだけだ。本当に短慮な者は、そもそも俯瞰的な視野自体を持っていない。
「実はまだ酔いが残っていたとか?」
「実はこれも何かの計算の内とか?」
「――あるいは純粋に、本気の〝うっかり〟かもしれん」
弟二人はつい、長兄に顔を向けた。
「まさか――いえ、ひょっとしたらそうなのかも?」
ノクティスウェルは否定しかけたが、普段どれほど完璧な者でもミスは生じるだろうと考え直す。
「瀬名にも想定外のことはいくらでもあるんだしな。そもそもあの酒とか」
エセルディウスの挙げた例には説得力があった。
先日起きた、土産の酒で底無しの瀬名まさかの酔っ払い事件。
あれは誰にとっても予想外だった。
「瀬名は前々から、冬は〈スフィア〉に引き籠もると宣言していただろう? 割と普通に、豪雪地帯の情報など頭に入っていなかっただけかもしれんぞ」
「……確かに。到着してから『やばっ!?』となったものの、後の祭りだったと」
「ありそうですね」
長兄の苦笑に、弟達は似たような表情を返す。
目的地を定めた時点ではうっすら積もる程度だったのに、着いた頃には埋もれるほど積もって引き返せなくなってしまった。どうしよう。そんな瀬名の焦りっぷりが、手に取るように想像できてしまう。
(そら見たことかと揶揄うのは、さすがに可哀想か)
西の空が薔薇色に染まっている。朝は晴れていたが、雲が増えてきた。
夜半にまた降り出すだろう。こうして見おろせば一目瞭然だが、あの村の周辺は天然の風よけがあり、滅多に吹雪かないであろう代わりに、雪が溜まりやすい。
最初に積もった分が新しい雪の重みで圧縮されてなお、あれほどの嵩がある。アスファの故郷を貶すつもりはないが、ここは寒さが天敵である瀬名にとって、鬼門でしかない土地だろう。
(毛布の団子と化して震えていそうだな。大丈夫だろうか?)
シェルローヴェンは真面目に心配になってきた。
追いかけて追い込むのは嫌いではない、むしろ結構好きなほうだ。が、苦しめて楽しむ趣味は欠片もない。
追い詰めて逃げられなくなったところを、これでもかと徹底的に甘やかすのが好きなのだ。
――もし瀬名がそれを聞いたら、全力で引くこと請け合いである。
ただし、退路があればだが。
「ん? ……兄上、あれは」
エセルディウスが声のトーンを落とした。
村からはかなりの距離があるが、雪原の果てで、モゴモゴ蠢くものがある。
「……【氷王蟻】か。随分大きい個体だ」
「あの一匹だけ、ということはないですよね」
「ないだろう、【蟻】は桁違いの群れを作る。あれは斥候だな。はぐれた個体なら、もっと弱々しい」
「斥候――まさかあの村、奴らの生息地の上にあるのか?」
弟達の面にサッと緊張がよぎった。
しかし、長兄はゆっくり首を横に振る。
「ここは生息地に向かん。奴らの好む魔素が少ない」
操る段階には程遠いが、三兄弟は魔素と魔力の区別がつくようになっていた。
瀬名がそれぞれの見本を出し、ひたすら観察し続けた結果、なんとなく見分けがつくようになっただけだが、普通は誰にもそんな芸当はできない。そもそも魔素と魔力を分けて、両方出せる者など一人しかいないのだから。
「もし目と鼻の先に奴らの巣があるとすれば事だが、アスファからそんな話を聞いたことはあるか?」
「いや、ない」
「わたしもです」
あんなものが近くに棲んでいると知っていたなら、アスファが母親や故郷の人々を放っておくわけがなかった。
「別の土地から遠征を? にしても、どこから?」
「進行方向、どう見てもあの村ですよね。小神殿の守護結界には何ら問題なさそうですが」
「騎士の砦に動きはないな。誰もあれに気付いていない」
「いくら保護色といっても、村より視界がいいのに気付かないのはどうなんでしょうね」
この辺りを治めているのは、平凡な田舎の小領主だ。大事件など滅多に起こらずのんびりしたもので、警戒心もゆるい。
申し訳程度の見張り台や小さな砦があり、そこに常駐している騎士達が、盗賊やはぐれ魔物を退治してくれることになっていたと、そうアスファは話していた。
ただ、その騎士達は「感じが悪かった」らしい。反抗期真っ盛りのアスファ少年が、大人と見れば突っかかっていたのを差し引いても、改めて思い返してそう感じたそうだ。
『本気で守ってくれる気なんて、これっぽっちもなさそうだったんだよな。やる気がねえっつーか、やる気のありそうな仲間がいたら鼻で嗤うっつーか。俺も大概だったけど、あの人らも田舎でクサってたのかもしんねー』
こんな何もないド田舎で気張ったって何になる。そういう、うんざりとした空気が漂っていたそうだ。
『今だからよくわかるんだけどさ、すげー平和でいいとこなんだよ、俺の生まれた村って。あそこの騎士様が戦ってるの、見たことある奴いねーんじゃねーかな』
どうせ何事も起こらない。真面目にやったって馬鹿を見る。
騎士達だけではない。村の大人達も、皆がそういう感じだったという。
あいつら実は騎士じゃなくて、どっかのならず者を適当に雇ってんじゃないか。騎士よりも安く済むから。そういう陰口もあったらしい。
『いっつもそんな陰口叩かれりゃ、守る気も失せるよなあ……』
アスファはかつて、陰口に乗っていた側の子供だったのだろう。口調には後悔が滲んでいた。
三兄弟はその話を聞きながらほっこりしたものである。ノクティスウェルの下に四人目の弟ができた感覚で、心身ともにすくすく育つ末っ子の今後が、ますます楽しみだったりした。
ともあれ、どんな事情があろうと、「だっていつも平和だったから」は油断していい理由にはならない。
「【氷王蟻】は肉食ではありませんし、人族の集落を積極的に襲ったりはしないはずなんですが」
「だとすれば、用があるのは、あの村にある何かか?」
「そうかもしれんが、まだわからんな。確実に言えるのは、アスファの帰郷で何事も起こらんわけがないということだろう」
シェルローヴェンが肩をすくめ、弟達は「?」と首を傾げた。
「瀬名が以前言っていた。『勇者の行く先々では必ず何かしら起こる』と。半分は冗談だったようだが」
「ああ……」
「なるほど」
となれば、瀬名が自ら鬼門に突入する真似をしたのは。
「半分は本気のうっかりで、半分は〝アスファが心配だったから〟かもしれんな」




